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異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


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四十一話 総力戦明け、最初の「今日ここまで」

 総力戦が終わった翌朝、王都は妙に静かだった。


 城門のラッパは鳴らない。

 非常召集の鐘も鳴らない。


 代わりに耳に届くのは、

 パンを焼く匂いと一緒に立ち上る湯気の音、

 水路を流れる水の音、

 遠くで子どもが喧嘩して、すぐまた笑い合う声。


 十日間、

「次の一刻のため」の音ばかり聞いていた耳には、

 それら全部が、どうにも現実味に欠けて聞こえた。


 *


 王立労務局・宿直室。


 薄暗い部屋のベッドで、

 レオン・グラハムは仰向けになったまま天井を見ていた。


 昨夜、最後の報告を書き終え、

 板の「十日目」に丸をつけたのが深夜。


 そこから少しだけ書類を片づけ、

 寝台に倒れ込んだのが明け方。


 ――のはずなのに、

 身体はもう「次の速報」を待つ癖を抜けきれておらず、

 日が昇る気配とともに勝手に目が覚めてしまったのだ。


(……せめて今日は、昼まで寝ていようと思ってたんだけどな)


 布団の中でぼんやりしていると、

 勢いよく扉がノックもなく開いた。


「起きてるだろうとは思ってました」


 ヨアナだった。


 その後ろには、

 湯気の立つカップを二つ持ったミーナ。


「……おはよう。ノックって言葉を知ってるか」


「総力戦中は遠慮してましたから、今日ぐらいは」


 ヨアナは、

 勝手知った顔で部屋に入ってきて、

 レオンの机の上から分厚い鍵束を取り上げた。


「はい、没収」


「ちょっと待て、それは板の部屋の鍵だ」


「そうです」


 ミーナが、湯飲みをベッド脇の小机に置きながら微笑む。


「今日のレオンさんの『今日ここまで』は、

 『板に触らない』までです」


「……王命か?」


「半分くらいは、です」


 ヨアナは鍵束をひらひら振って見せる。


「『十日間、板の前から動かなかった男を

 もう一日働かせるなら、

 その前に誰かが止めろ』と陛下がおっしゃいました」


「そんなことまで報告してたのか、君たちは」


 レオンは額を押さえた。


 ミーナが、湯飲みをひとつ差し出す。


「『命令ですから、今日は一日休んでください』と、

 言う役目は私たちに回ってきました」


「『一日寝る』って自分で板に書いてましたよね」


 ヨアナが、

 わざとらしく肩をすくめる。


「『『それから』の欄に書いたことぐらい、

 一つくらいは守ってください。


 板の前の人が『今日ここまで』を守らないと、

 誰も守らなくなります」


 正論すぎて、反論の余地がない。


「……分かった。


 じゃあ今日は、

 せいぜい『寝るか、街を歩くか』くらいにしておく」


「『街を歩く』は、

 後者のほうが怪しいですね」


 ミーナが笑い、

 ヨアナも苦笑する。


「とりあえず、午前中は寝てください。


 午後からどうせじっとしていられないのは

 分かってますから」


「信用があるんだか、ないんだか」


 そうぼやきながらも、

 温かい飲み物をひと口含むと、

 張り詰めていた背中の力が

 少しだけ抜けていくのが分かった。


(……そうだな。


 一度くらいは、

 本当に『何も決めない時間』を過ごしても

 罰は当たらないか)


 レオンは布団をかぶり直し、

 二人が出ていく音を聞きながら

 目を閉じた。


 *


 結局、

 きちんと眠れたのは二刻ほどだった。


 昼を少し回った頃、

 レオンは寝台から起き上がり、

 重い身体を引きずるようにして制服ではない

 ごく普通の上着に袖を通した。


 窓を開けると、

 冷たい空気と一緒に

 パンとスープと焼いた肉の匂いが流れ込んでくる。


 十日前と同じ匂いのはずなのに、

 妙に新鮮に感じてしまうのは、

 十日間その匂いの意味を

 常に「前線への補給」としてしか見られなかったせいだろう。


(……街を一回りして、

 それから戻ってくる。


 板には触らない。


 触らない、はずだ)


 自分に言い聞かせるようにして、

 レオンは局舎を出た。


 *


 王都北区。


 坂道を下り、

 いつもの長屋街が近づいてくるにつれ、

 耳に入る音の質が変わっていく。


 兵の靴音ではなく、

 洗濯板を打つ音。


 命令口調ではなく、

 子どもを叱る声と、

 隣人同士の世間話。


 いつもの広場に出ると、

 例の「長屋の共同板」は、

 すっかり「総力戦特別欄」の紙を外され、

 元の質素な姿に戻っていた。


 《今日ここまで》


 その下に、

 何行かの小さな字。


「――あら、板の人だ」


 声をかけたのは、マルタだった。


 彼女はいつものように

 大鍋の前に立ち、

 豆と野菜のスープをかき混ぜている。


「……『板の人』って呼び名、

 どうにも落ち着かないんだが」


 レオンは苦笑しながら近づいた。


「労務局のレオン・グラハムです。


 総力戦中は、

 いろいろ勝手に書き込ませていただきました」


「あら、丁寧な挨拶」


 マルタは、

 鍋から湯気を顔に受けながら笑う。


「『『今日ここまで』って言葉を、

 うちの板に持ち込んだのはあなたでしょう?


 お礼を言いたいくらいよ」


 レオンは一瞬、言葉に詰まった。


「……お礼?」


「『『総力戦だから』って、

 何でもかんでも詰め込もうとする人が増えてきてね。


 『『今日はここまで』って欄を作りましょう』って言われたときは、

 正直『何言ってるんだか』って思ったけど――」


 マルタは、

 共同板のほうを振り返る。


 《今日ここまで》


 そこには、

 こう書かれていた。


 『洗濯――〇

 床掃除――×(雨上がりでキリがない)

 豆の仕込み――〇

 旦那の愚痴――△(ほどほどに)』


「……最後の項目は、

 うちの板にはなかったな」


「うちの長屋仕様よ」


 マルタは肩をすくめる。


「でもね、この十日間で、

 あの小さな『×』をつける勇気を覚えた子たちが、

 何人もいるの。


 それだけでも、

 あの板は十分役に立ったわ」


「……そうか」


 レオンは、

 胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


「『総力戦のため』に持ち込んだつもりだったが、

 ここでは『そのあと』にも使われているわけだ」


「戦争なんて、

 十日で終わっても、

 うちの毎日は終わらないもの」


 マルタは大鍋からスープをよそい、

 椀をレオンに差し出した。


「『板の人』、今日ぐらいは

 ただの客でいてちょうだい」


 受け取った椀から立ち上る湯気は、

 十日前と同じ豆と野菜の匂い。


 なのに、

 十日ぶりにきちんと味わうそれは、

 妙にしみる味がした。


 *


 長屋の共同部屋の隅では、

 エルナが「靴」の欄に何か書き込んでいた。


 《靴 右足の底・小さな穴→明日以降に回す》


「……『今日じゃない』って書けるようになったのね」


 マルタが覗き込むと、

 エルナは照れくさそうに笑った。


「『総力戦中に『今日直す』って書きかけて、

 マルタさんに止められたから」


『雨の日に穴の開いた靴を直し始めたら、

 今日履く靴がなくなるでしょ』


 ――そう言われた日のことを思い出しながら、

 彼女はペンを置く。


「『戦争が終わったから』じゃなくて、

 『今日ここまで』って言葉を覚えたから、

 ちゃんと『明日』に回せる気がします」


「それでいいのよ」


 マルタは、

 鍋をかき混ぜながら応じる。


「『『今日全部やる人』より、

 『明日に回せる人』が増えたほうが、

 きっとこの街は強いわ」


 その会話を、

 レオンは椀を手にしながら

 少し離れたところで聞いていた。


(……『四日まで』『焚き火○』『再編』。


 板の上に引いた線は、

 どこかでこうやって、

 誰かの靴底や鍋の底に

 繋がっているのかもしれないな)


 ふと、

 別の板のことが頭に浮かぶ。


 闇の谷の黒板。


 『再編』と書かれた欄。


 そこにもきっと、

 今夜あたり、

 誰かが新しい名前を書き足しているのだろう。


 ――『十夜目のあと』に

 何かをしようとしている影たちの名前を。


 *


 日が傾き始める頃。


 レオンは長屋を辞し、

 労務局へ戻る坂道をゆっくりと歩いていた。


 手には、

 マルタが持たせてくれた

 小さな包み。


 中身は、

 冷めても美味しいと評判の

 豆入りの固いパン。


(……今日は本当に、

 板に触らずに済みそうだ)


 そう思いかけたところで、

 局舎の前に立てかけられた

 新しい木枠が目に入った。


 ヨアナとミーナが、

 それを壁に取り付けている。


「レオンさん、ちゃんと休めました?」


「……半分くらいは」


 レオンは苦笑しながら近づいた。


「それはそうと、その板は?」


「『総力戦板』は別室に運びました」


 ミーナが答える。


「ここに掛けるのは――

 『日々労務局板』です」


 ヨアナが、

 木枠に新しい板をはめながら言う。


「『前線』『輸送』『焚き火○』『今日ここまで』――


 総力戦中に必要だった欄のうち、

 『これからの日常でも必要なもの』だけを

 抜き出して載せる板」


「……やっぱり、

 俺の休みは一日じゃ足りなかったかもしれないな」


 レオンは、

 肩を落としたふりをして笑う。


「『明日から書き始めましょう』。


 今日は見てるだけです」


 ミーナが、

 きっぱりと言った。


「『『今日ここまで』の欄も、

 今日はまだ空白ですから」


「――そうか」


 レオンは、

 新しい板の前に一歩立つ。


 そこには、

 まだ何も書かれていない。


 十日間の数字と線が

 ぎっしり詰まっていた総力戦板とは

 正反対の、まっさらな木目。


 けれど、

 その右下の片隅にだけ、

 小さな文字が既に刻まれていた。


 《※『次の十日』がいつ来るかは分からないが、

 それまでの毎日にも『今日ここまで』は必要》


「誰の字だ?」


 問いかけると、

 ヨアナもミーナも

 同時にそっぽを向いた。


「……まあいい」


 レオンは笑い、

 板から一歩離れる。


「『今日ここまで』は、

 今日はもう埋まっている。


 『寝る』『街を歩く』『スープを飲む』。


 思った以上に、

 いろいろしてしまった気もするが」


「『『休む』って、

 意外と忙しいですよね」


 ヨアナが、

 どこか分かったような顔で言う。


「――明日からまた、

 少しずつ書きましょう。


 総力戦用じゃなくて、

 毎日の板に」


「そうだな」


 レオンは、

 最後にもう一度だけ王都の空を見上げた。


 雲はまだ厚い。

 風もまだ冷たい。


 けれど、

 昨日までのような「十日目の匂い」ではなく、


 ただの――

「明日の匂い」がしていた。


 *


 世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――


 少なくとも、


「総力戦が終わったから」と言って

 板も焚き火も『今日ここまで』も

 全部片づけてしまっていた世界に、


 長屋の共同板と、

 労務局の新しい日々の板と、

 どこかの闇の黒板とが、


 それぞれの隅に

 小さな「それから」の欄を残したまま

 今日を終えた分だけ。


 そして、

 そのどれかの前で豆スープをすすりながら


「――さて、明日から何を書こうか」


 と、

 少しだけ迷っている誰かがいる限りは。

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