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異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


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三十九話 総力戦九日目、明日の印は誰がつけるか

 総力戦九日目の朝。


 雨は、ひとまず上がっていた。


 空はまだ分厚い雲に覆われているが、

 地面を叩いていた水の気配は、

 ぬかるみと靴の裏にだけ、重たく残っている。


 八日分の泥と、

 八日分の疲労と、

 八日分の「あと少し」。


 そして、

「明日で終わりだ」という言葉が、

 ついに誰の口からも簡単に出せるような

 距離にまで近づいていた。


 *


 王立労務局一階。


 巨大な“総力戦板”の前で、

 レオン・グラハムは九日目の欄を見つめていた。


 十日分の横一列のうち、

 左側の八つは、すでに丸と文字で埋まっている。


 残りは二つ。


 九日目の空白は、

「今日」と名前を変えた瞬間に、

 妙に重たく見える。


「――灰の谷第一砦より。


 『第三・予備中隊、

 昨日の『雨天後退』により、


 『前線連続三日』で交代完了。


 本日より、

 『十日目決戦に備えた隊列の組み替え』開始。


 “『『一日でも長く立てる者』を

 『十日目の前列』に回す』ため、


 『九日目の前線』は、

 必要最低限の押さえとする』」


 ミーナが読み上げながら、

 自分でも少し驚いたように言った。


「『『九日目は、

 『十日目のための前日』だ、って

 はっきり書いてきましたね」


「『今日勝ちたい』と

 『明日も立っていたい』を

 両方見てる顔だ」


 レオンは、

 前線欄に新しい線を引き足す。


 《九日目 前線圧力▲

 十日目 前列に回す者の調整》


「――『『今日押し込めるだけ押し込む』って案は?

 きっと誰か出しましたよね」


 ヨアナが、

 少し皮肉っぽく問いかける。


「『『明日で終わりなら、

 『今日全部使おうぜ』ってやつ」


「出てる。


 前線にも、

 王都にも」


 レオンは、

 自嘲混じりに笑った。


「――だからこそ、

 『九日目に全部使う』線と

 『十日目に残す』線を、


 今日は特に、

 はっきり引いておく必要がある」


「勇者庁は?」


 ミーナが次の札をめくる。


「『九日目、


 『前線支援+負傷者搬送+決戦前夜準備』。


 『六日目焚き火○』のおかげで、

 『『今日が一番きつい』という苦情あり』」


「それは、

 『前に出られる体が戻った』って意味でもある」


 リシアが肩を竦める。


「『楽をしたあとに本番』って、

 だいたい文句出ますし」


「『文句を言えるうちは大丈夫』ってやつですね」


 ヨアナが、

 勇者欄の九日目に小さく丸をつけ足す。


「――『決戦前夜の準備』って、

 具体的には?」


「『陣地の確認』『退路の確認』『連絡経路の確認』……

 あとは、『十日目に壊される前提の物の洗い出し』」


 ミーナが、

 勇者庁からの詳細報告を読みながら顔をしかめた。


「『壊される前提』って、

 字面だけ見ると嫌ですね」


「『壊されると困るもの』と

 『壊されても仕方ないもの』を

 九日目のうちに分ける、ってことだ」


 レオンは、

 板の下のほう――「物」の欄に目をやる。


 《馬》《荷車》《橋》《道》《靴》《鍋》《桶》


 そこに、新しく一つ欄を増やす。


 《『壊してもいい物』》


「……物の気持ちを考えると、

 ちょっと申し訳ない欄ですね」


 リシアが、

 正直な感想を漏らす。


「『壊してもいい物』って」


「『壊れてもいい』じゃなくて、

 『壊すならこっちから先に』って意味です」


 レオンは、

 そこに小さくこう書き足した。


 《※『人』より先に壊す予定の物》


「――『人の欄』には、

 そう書きたくないから」


 *


 灰の谷第一砦。


 雨上がりの空の下、

 中庭の板の前に

 中隊長たちが集まっていた。


 板には、

 新しい列が一本増えている。


 《十日目 前列候補》


 そこに書かれる名前は、

 誰にとっても、

 ちょっと重たかった。


「――『『今日、前に出たい』って言うやつほど、

 『十日目』に回すほうがいいのか」


 若い中隊長が、

 板を見上げながら唸る。


「『『今すぐ前に』って体が言ってるやつ』は、

 『明日』もまだ動ける」


 古参の中隊長が、

 静かに答える。


「『『今日もう無理だ』って顔してるやつ』を

 十日目の前列に並べたら、

 それこそ『板の嘘』だ」


「――じゃあ、『今日の前線』は?」


「『『十日目には出さない』やつ』を中心に回す。


 『怪我明け』『足を痛めたあと』『家族持ちで九日目まで出ているやつ』……


 『今日の一刻と、

 明日の一刻の価値』を見比べる仕事だ」


 兵站係が、

 乗り慣れない言葉を口にして

 自分でも苦笑する。


「『板の人』みたいな言い方になりますね」


「――あいつの顔が思い浮かぶからな」


 中隊長が、

 板にチョークを走らせる。


 《九日目前線 必要最小限》


 その横に、

 小さく書き加えた。


 《十日目 『まだ立てる』を前列へ》


 *


 勇者庁。


 九日目の昼。


 作戦室の壁一面には、

 地図と矢印と、

 十日目に向けた印が増えていた。


「――『ここが壊される前提』の橋、

 印つけ終わりました」


 若い官吏が、

 地図の一角を指さす。


「『『ここまでなら敵に踏ませていい』橋』」


「……名前がひどいね」


 ナナが顔をしかめる。


「『踏ませていい』って、

 橋に聞いたら怒るよ」


「『『ここで壊したほうが、

 『その先で倒れる人間が減る』橋』の欄を、

 広報向けに書き換えておきます」


 フィルが、

 淡々とペンを走らせる。


 《※『壊れる場所を決めておくことで、

 『壊したくない場所を守る橋』》


「……だいぶマシになりましたね」


 アレクは、

 それを見ながら腕を組む。


「――十日目。


 俺たちの欄は、

 どう書かれてる?」


 フィルは、

 勇者庁の簡易勤務表をめくる。


 《勇者パーティー》


 九日目 前線支援+負傷者搬送+決戦前夜準備 ●


 十日目 決戦前線 ●


 その下に、

 アレク自身の字で書き足された一行がある。


 《※十日目のあと、

 『『それから』を考える時間』を必ず取る》


「……広報に回すには、

 まだ早いかもしれないけど」


 アレクは、

 少し照れくさそうに言った。


「『『明日で終わりだ』って思ってるやつ』ばかりだと、

 『『それから』のために踏ん張れるやつ』が足りなくなる。


 ――『十日目のあと』の欄を、

 今から板の隅に小さく書いておきたいんだ」


「……いいですね、それ」


 マリア・ロウが、

 隅の椅子から顔を上げる。


「『総力戦のあと』を、

 誰かが先に口にしてくれると、


 『『明日まで』しか見ない噂』が

 少し減りますから」


 彼女は、

 広報院用の板に新しい欄を作り始めた。


 《十日目のあと・欄》


 『『家に帰る』

 『墓に行く』

 『酒を飲む』

 『仕事を探す』


 ――どれも、

 まだ紙の上の言葉でしかない。


 それでも、

「十日目のあと」の欄が白紙のままよりは、

 ずっとマシだった。


 *


 王都北区・長屋。


 九日目の夕方。


 共同部屋の板の隅にも、

 新しい紙が一枚貼られていた。


 《十日目が終わったらやること》


 『よく寝る』

 『足湯』

 『新しい鍋を買う』

『靴を直す』

『旦那を殴る(※冗談)』


「……最後のやつ、誰」


 マルタが眉をひそめると、

 エルナが慌てて手を振った。


「『※冗談』ってちゃんと書いてあるじゃないですか」


「『※』がついてても、

 読まされたほうはドキっとするわよ」


 そう言いながらも、

 マルタは口元を緩めていた。


「――でも、『十日目が終わったら』って欄、

 悪くないわね」


「『『そこまで生きてる前提』の欄だから、

 ちょっと気が楽になります」


 エルナは、

「新しい鍋を買う」の横に小さく○をつける。


「『『十日目まで』の欄』だけ見てると、

 息が詰まりそうになるから」


「……板の人も、

 どこかで同じような欄作ってるかもね」


「『『十日目が終わったら、

 寝る』とか?」


「『『十日目が終わったら、

 板を一枚減らす』とか」


 二人は、

 竈の火を見ながら笑った。


 *


 闇の谷。


 《黒の雨》九夜目。


 洞窟の黒板にも、

「十夜目」の欄が濃くなっていた。


 《第一影部隊 十夜目 前線浸透》

 《第二影部隊 十夜目 撹乱・退路切り》


 その下に、

 ギルゼン・ヴァルナの字で一行。


 《※十夜目のあと、『再編』の欄を残すこと》


「――『十夜目で全部終わる』って顔、

 してる連中、多くないですか」


 副官が、

 黒板を見ながら眉をひそめる。


「『『十夜目まで持てばいい』って顔」


「『『十夜目が終わったあと』を

 見ている影』が少ないのは、

 別に今に始まった話じゃない」


 ギルゼンは、

 椀のスープを一口飲む。


「――だから、黒板に書いた。


 『十夜目のあと、『再編』の欄を残すこと』」


「……『『誰も残らなかったら意味がない』って

 突っ込むやつ、出ませんでした?」


「『出たから』、

 その場で『『じゃあ、お前が残れ』って言った」


 副官が、思わず吹き出す。


「『『それもそうだ』って顔、

 見たかったですね」


「『『十夜目まで』の欄』だけ見ていると、

 『今夜全部使え』って声が大きくなる。


 ――だから、

 『十夜目のあと』の欄を黒板に残しておく」


 ギルゼンは、

 闇焚き火○の跡を一瞥する。


「『『数字にならない夜』を知った影』は、

 『『数字が続くあと』も想像しやすくなる。


 ……こちらも、

 光側と同じくらいには、

 『十日目のあと』の欄を持つ必要がある」


 *


 王立労務局・夜。


 九日目の丸を埋め終えた板の前で、

 レオン・グラハムは静かに立っていた。


「――灰の谷、

 九日目『前線圧力を意図的に落とす』。


 『十日目前列』の組み換え、

 ほぼ完了。


 勇者庁、

 『決戦前夜』として、

 退路と陣地と『壊してもいい物』の確認。


 『十日目のあと』の欄、

 こっそり板の端に追加。


 商会、

 『今日運ぶべき物』と

 『明日に残すべき物』の線引き。


 長屋、

 『十日目が終わったらやること』の紙、

 笑い半分、涙半分で埋まり始める。


 闇の谷、

 『十夜目のあと』の『再編』欄、

 黒板の端に残される」


 ヨアナが、

 隣でため息をつきながら笑う。


「……『十日目のあと』の欄、

 どこもだいたい『白紙』ですね」


「『白紙』だけど、

 『存在する』」


 レオンは、

 自分の手元の小さな紙を一枚広げた。


 《レオン・グラハム 十日目のあと》


 『一日寝る』

 『板を一枚減らす』

 『長屋のスープをもう一度飲みに行く』


「……ささやかですね」


 リシアが、

 肩を揺らして笑う。


「『『世界を変える』とか、

 書かないんですね」


「『その欄』は、

 誰かの仕事かもしれないから」


 レオンは、

 照れ隠しのように言った。


「――俺はせいぜい、

 『板を一枚減らす』くらいが

 性に合ってる」


 そのとき、

 通信水晶が静かに光る。


『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』


 レオンは、

 もう慣れた手つきで札を開いた。


『――《黒の雨》九夜目。


 こちらでも、

 黒板の端に


 『十夜目のあと・再編』の欄を残した。


 『『そこまで残っている影』が

 どれだけいるかは分からんが、


 『『欄がある』こと自体には意味がある』と

 言い張っておく。』


 レオンは、

 自然と口元が緩むのを感じた。


 ペンを取り、

 返事を書く。


『――こちらも、


 十日目の欄の右隣に、

 小さく『それから』の欄を作った。


 『『家に帰る』

 『靴を直す』

 『鍋を買う』

 『板を一枚減らす』


 ――どれも、

 まだ紙の上の言葉だ。


 それでも、


 『九日目に全部使って終わり』ではなく、

 『十日目のあとに何かをしたい』と

 書き始める人間がいるうちは、


 『『今日全部使え』という声』に

 全部を渡さずに済む。


「総力戦九日目、明日の印は誰がつけるか」という問いに、


 今のところ、


 『十日目の丸をつけるのは、

 十日目を生きて迎えた者』で、


 『『それから』の欄に何を書くかを決めるのも、

 その者たちだ』と答えておく。


 光でも闇でも、


 『十日目のあと』の欄を

 今から板の端に用意しているうちは、


 世界は、まだ少しだけマシだと思いたい。』


 *


 総力戦九日目の終わり。


 砦では、

「十日目前列」の名簿が

 ようやく確定し、


 中庭の焚き火の灰の上に、

 明日のための薪が少しだけ積まれた。


 勇者庁では、

 地図の上の矢印と印が出揃い、


「壊してもいい物」と

「壊したくない物」の線引きが、

 紙の上だけは終わった。


 統一輸送本部では、

 最後の一日分だけ、

 馬と荷車の当直表が書き換えられ、


「十日目に戻る荷車の座席」が、

 可能な限り人のために空けられた。


 長屋では、

「十日目が終わったらやること」の紙に、

 子どもの汚い字で

 『いっぱいあそぶ』と書き足された。


 闇の谷では、

 黒板の「十夜目」の欄の右隣に、

 ぎこちない字で「再編」と書かれた行が

 消されずに残った。


 そして、王立労務局の板の上には――


 九日目までの丸と線の右側に、

 小さな「それから」の欄が、

 確かに一つ描かれていた。


 世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――

 少なくとも、「明日で終わりだ」と言い切って

 九日目に全部を投げ出していた世界に、


「十日目のあと」に何かを書こうとする板が、

 光側にも闇側にも

 そっと用意された分だけ。

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