表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/50

三十七話 総力戦七日目、見えない損耗はどこにたまるか

 総力戦七日目の朝。


 空は、やっぱり曇りだった。

 けれど、昨日までの灰色より、

 ほんの少しだけ「重さ」が増しているように見えた。


 雨が降るかもしれない――

 そう言われ続けて、

 まだ降らないまま、一週間が過ぎたような空。


 砦の石も、街の屋根瓦も、

「そろそろ来るだろう」という予感と、

「まだ持ちこたえてくれ」という願いを

 どちらも飲み込んで黙っている。


 そして、板の前に立つ人間たちの顔にも、

 似たような影が差し始めていた。


 *


 王立労務局一階。


 巨大な“総力戦板”の前で、

 レオン・グラハムがチョークを握る。


 昨晩、真っ黒に塗りつぶされた勇者庁の六日目の列は、

 今もそのまま残っている。


 そのすぐ右隣――七日目からの空白が、

 今日はやけに「薄いガラス」のように見えた。


「――灰の谷第一砦より。


 『第三・予備中隊、前線連続二日目。

 本日も交代予定どおり。


 第一・第二中隊、砦内で当直・休養継続。

 “中庭焚き火○、昨日は『やりすぎない程度』に守られた』」


 ミーナが、最初の札を読み上げる。


「『やりすぎない程度』って何ですかね」


 ヨアナが小首を傾げると、

 レオンは思わずくすっと笑った。


「『一晩中騒がない』って意味だろう。


 “焚き火○の周りで、

 『もう一刻だけ』って言い出すやつはどこにでもいる」


「……心当たりがあるような言い方ですね」


「俺自身だよ」


 レオンは、冗談めかして肩をすくめる。


「――第三前線は?」


「来てます。


 『足を痛めていた十五名、

 全員、歩行には支障なし。


 ただし、本日まで前線勤務は見送り。

 “八日目より、前線手前の補給拠点での勤務に復帰予定』」


「完全復帰まで、もう一日寝かせるか」


 レオンは、第三前線の欄に

「休(三/3)完了→八日目以降“補給○”」と書き込む。


「『きっちり三日寝かせた干し肉』くらいのほうが、

 前線ではありがたがられる」


「干し肉扱いですか、兵士」


 ヨアナが苦笑した瞬間――


 別の水晶が、鋭く光った。


 縁取りは赤ではない。

 だが、いつもよりずっと強い光。


「――商会統一輸送本部から、“緊急相談」


 ミーナの表情がわずかに固くなる。


「『総力戦七日目に入り、


 荷車・馬・荷役人夫の“損耗”が、

 当初の見積もりより早く進行。


 “『人間』の当直表はあるが、

 『馬』と『荷車』の当直表が存在しないため、


 “このままでは十日目までに

 輸送能力が二割以上低下する見込み。


 ――『物の損耗』についても、

 労務局として何らかの線引きが出来ないか相談したく』」


「……来たな」


 レオンは、

 その札を受け取って額に押し当てるようにした。


「『見えない損耗』のほうだ」


「『見えない』って言うには、

 馬も荷車もかなり『見えて』ますけどね」


 ヨアナが皮肉を飛ばす。


「『板に載ってない損耗』って意味ですよね」


「そうだ」


 レオンは、

 総力戦板の下のほう――

 これまで空白のままだった一角を、

 チョークで軽く叩いた。


 《馬》《荷車》《橋》《道》


 そうラベルだけ書いてあった欄。


「――『人間』は、当直表がある。


 『兵』にも、『勇者』にも、『門番』にも、

 『四日以上前線に立たせるな』『六日目は休ませろ』って

 線を引いた。


 でも――」


「『馬は、走れるだけ走らせればいい』」


 リシアが、短く言葉を継いだ。


「『荷車は、壊れたら替えを出せばいい』。


 『橋は、落ちたら迂回すればいい』」


「……その考え方のままだと、

 十日目を待たずに『替え』も『迂回』も尽きる」


 レオンは、

 自分の胸の奥に溜まっていた言葉を

 ようやく板の前に引きずり出したような気分だった。


「――商会本部をつないでくれ」


 *


 王都・商人ギルド本部。


 帳場の一角に臨時で設けられた“輸送対策室”には、

 地図と数字と怒号とため息が乱れ飛んでいた。


「――馬、予備分も含めて

 当初計画の七割まで減少」


「荷車、車輪の軋みがあるものを含めれば

 実質六割」


「道のぬかるみ、

 灰の谷方面で悪化中。


 『前線に兵を送る』だけなら、まだしも――」


「『戻ってくる荷物』が運びきれない」


 統一輸送本部責任者の中年商人が、

 頭を抱えていた。


「『負傷兵』と『遺体』と『壊れた武具』と『情報』と――


 『戻るべきもの』を全部載せるには、

 今の車輪じゃ足りない。


 『十日だけの総力戦』って言うけどな、

 馬と荷車には『十日』って区切りは関係ないんだよ」


 その場に、

 通信水晶を通してレオンの声が届く。


『――こちら、王立労務局監査官レオン・グラハム。


 輸送本部責任者、聞こえますか』


「聞こえるよ、若造」


 中年商人は、

 半分安堵、半分苛立ちの顔で水晶を睨んだ。


「こっちは『板の外』で車輪回してるんだ。


 『人間の当直表』はありがたいが、

 『馬の当直表』なんて、

 紙の上だけの話だろう?」


『……紙の上から始めるしかありません』


 レオンの声は、

 意外なほど静かだった。


『――現状の数字、

 ざっと教えてください』


 中年商人は、

 手元の帳簿を乱暴にめくりながら答える。


「馬――総動員数のうち、


 『まともに走れる』のが六割。

 『足を引きずりながら』が二割。

 『もう走らせたくない』が一割。

 『既に倒れた』が一割。


 荷車――


 『車輪に不安なし』が五割。

 『軋みあり』が三割。

 『片輪を替えたい』が一割。

 『今にも折れそう』が一割」


『……人間だったら、

 『足を引きずる二割』と『もう走らせたくない一割』は、

 とっくに前線から外されているはずですね』


「だから言ったろ。


 『馬と荷車の当直表がない』って」


『作りましょう、今』


 レオンは、

 板の「馬」「荷車」の欄に、

 新しい線を描き始めた。


『――『足を引きずる二割』は、

 今日から三日間、

 『前線から後ろ二つ目の拠点まで』しか走らせない。


 『もう走らせたくない一割』は、

 『今日から十日目以降まで』原則として走らせない。


 荷車も同様。


 『今にも折れそう』な一割は、

 『緊急時以外、使用禁止』。


 その代わり――』


「『その代わり』?」


『――『今日から十日目までの間、


 『輸送の順番を変えます』』


 商人たちがざわめいた。


『『行き』は、

 これまでどおり『兵』『武具』『食糧』優先。


 『帰り』は、


 『負傷兵』『情報』『修理可能な装備』を最優先に載せ、

 『壊れた荷車』『使えなくなった馬具』は、

 可能な範囲で現地で捨てる。


 ――『壊れた物』を戻すために、

 『生きている人間』の椅子を削らない』


「……『物』にとっては、

 ずいぶん厳しい話だな」


 中年商人が、

 苦い笑いを漏らす。


「『壊れた荷車』を戻せば、

 職人が直してくれる。


 『壊れた馬具』を戻せば、

 革細工が仕事になる。


 それを現地で捨てるってことは――」


『――十日目以降の商売の種を、

 少しずつ諦める、ということですね』


 レオンは、

 自分で言いながら胸が痛むのを自覚していた。


『でも、『今、戻せなかった負傷兵』は、

 十日目以降のどの帳簿にも載りません。


 『今、戻せなかった情報』も、

 十日目以降のどの取引の役にも立ちません。


 ――『物』と『人』、

 どこまでなら一緒の列に並ばせて、

 どこからは別々の列にするか。


 その線引きは、

 労務局と商会で決めるしかない』


 中年商人は、

 しばらく無言で帳簿を見つめていた。


 やがて、

 ゆっくりと頷く。


「……『『十日目以降の商売』より、

 『十日目に立っている人間』を優先する』ってことだな」


『そう解釈していただいて構いません』


「嫌いじゃない、そういう言い方」


 中年商人の目に、

 ようやく少しだけ笑いが戻った。


「――よし。


 『馬の当直表』『荷車の当直表』、

 こっちの板にも書く。


 『足を引きずるやつ』と『今にも折れそうなやつ』には、

 『『今日ここまで』って言ってやるよ』」


 *


 その頃、王都北区・長屋。


 共同部屋の板の隅に、

 新しい小さな紙が一枚貼られていた。


 《靴・針・鍋・桶》


 そこには、

「底の抜けかけた靴」

「穴の増えた衣服」

「ひびの入った鍋」

「水漏れする桶」


 ――などの横に、

 小さな○と×が書き込まれている。


「……これ、何の欄?」


 昼の仕事を一段落させたマルタが尋ねると、

 エルナが少し照れくさそうに笑った。


「『人間以外の『今日ここまで』欄です」


「人間以外?」


「『靴』とか『鍋』とか、

 『そろそろ限界だけど、

 まだ使ってるもの』ってあるでしょう?


 『それを今日までに使い潰すか、

 もう少しだけ持たせるか』って話、


 実は『自分の体』の話と似てるなって思って……」


 エルナは、

 自分の足元の靴をちょっと持ち上げる。


「『底に穴が空きかけてるけど、

 今日はまだ歩けるから』って履いちゃうと、


 『今日一日』は持っても、

 『明日』には本当に駄目になったりする。


 『だったら今日のうちに、

 『近場にしか行かない日』に替えるほうがいいんじゃないか、って」


「……誰かの受け売り?」


「ちょっとだけ、

 『板の人』の受け売りです」


 エルナは、笑いながらも真顔だった。


「『『人』の当直表』を見てるうちに、

 『物』のほうも

 『今日ここまで』って言ってやる必要あるな、って」


「……そうね」


 マルタは、

 自分の手の中の木の椀をじっと見た。


「『割れたら、替えがない』ってものほど、

 どこで『今日はここまで』にするか、

 難しい」


「『人』と同じね」


「そう」


 マルタは、

 板の「靴」の欄に小さな×をひとつ付けた。


「『『明日の雨』が来る前に、

 『今日ここまで』って言ってやれるかどうか』」


 *


 闇の谷。


 《黒の雨》七夜目。


 洞窟の奥。


 煙のない闇焚き火○が、

 静かに灯っていた。


 光は外に漏れない。


 だが、

 火のそばに座る影たちの顔は、

 ほんの少しだけ柔らかく見えた。


「――『戦果計上対象外』って書かれて、

 どう思った?」


 ギルゼン・ヴァルナが、

 火の向こう側の影兵に問いかける。


「『数字にならない』って、

 ちょっと損した気分でした」


 影兵が、正直に答える。


「けど――

 『数字にならない夜が一晩くらいあってもいいか』って

 思った自分にも、驚きました」


「『数字にならない』から、

 『失敗しても記録に残らない』と思ったか?」


「……少しは」


「『成功しても記録に残らない』とも、

 思ったか?」


「それも、少しは」


 二人の間に、

 しばし沈黙が落ちる。


 闇焚き火○の炎は、

 音もなく揺れている。


「――『数字にならない夜』の意味は、

 多分、

 お前たちのほうが俺よりよく分かる」


 ギルゼンは、

 椀のスープをひと口飲みながら言った。


「『数字にならない夜』に、

 誰と座って、

 どんな顔をして、

 何を黙っているか。


 それは、『戦果』とか『損耗』とかいう

 数字の欄には絶対乗らない。


 ――だが、

 『八夜目に立てるかどうか』には、

 確実に効いてくる」


 影兵は、

 焚き火の揺らぎを見つめながら

 小さく笑った。


「『闇焚き火○』って、

 名前は本当に恥ずかしいですけど」


「『目立たない焚き火』よりはマシだろう」


 ギルゼンも、

 ほんのわずかに口元を緩める。


「――『総力戦七日目、

 見えない損耗はどこにたまるか』って問いに、


 今のところ、

 俺は『数字にならない夜を持たない奴から』だと答える」


 *


 王立労務局。


 夜。


 総力戦板の前で、

 レオン・グラハムは七日目の丸を埋めていた。


「――灰の谷、

 交代継続。


 『四日以上前線』なし。


 『きしみ』はあるが、

 『折れ』はまだない。


 勇者庁、

 六日目焚き火○の翌日、

 七日目は『前線支援+補給』。


 商会、

 『馬』『荷車』の当直表を導入。

 『『物』の損耗』を、

 ようやく板に載せ始めた。


 長屋、

 『靴・鍋・桶』の『今日ここまで』欄、

 小さな×と○が増加中」


 ヨアナが、

 横で数字をまとめながら言う。


「――『見えない損耗』、

 少しずつ『見える欄』が増えてきましたね」


「『見えるように書き始めた』だけで、

 中身は相変わらず同じだけ積もっている」


 レオンは、

 自分の胸の奥を指先でとん、と押さえた。


「――ただ、

 『どこにたまっているか』が分かるだけでも、

 多少マシだ」


 そのとき、

 通信水晶が柔らかく光った。


『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』


 レオンは、

 もう半分慣れた手つきで札を開く。


『――《黒の雨》七夜目。


 闇焚き火○、

 実施。


 『その夜の戦果は計上しない』と

 あらかじめ黒板に書いたところ、


 『数字にならない夜が一晩くらいあってもいい』と

 言う影が、

 思ったより多かった。


 ――そこで一つ、

 面白いことに気づいた。


 『数字にならない夜』を一度でも持った影は、

 『八夜目の前線勤務に自分から志願する率』が

 わずかに高くなっている。


 『『数字にならない』ことを知った者ほど、

 『数字に戻る』ことを選びやすいのかもしれん。』


 レオンは、

 思わずチョークを持つ手を止めた。


 板の端に、

 小さくメモを書く。


 《※『数字にならない夜』→翌日の志願率↑?》


 そして、

 返事を書き始める。


『――こちらも、

 七日目にしてようやく、


 『馬』『荷車』『靴』『鍋』といった、

 『人間以外の損耗』を板に載せ始めた。


 『十日目以降の商売』より、

 『十日目に立っている人間』を優先する、という線を

 商会と一緒に引いたところだ。


 ――「総力戦七日目、見えない損耗はどこにたまるか」という問いに、


 今のところ、


 『板に載っていないもの』と、

 『数字にならない夜を持たない者』から、

 静かにたまり始める、と答えておく。


 だから、

 そちらの闇焚き火○の『戦果計上対象外』という一文と、


 こちらの『馬と荷車の当直表』と、

 長屋の『靴と鍋の今日ここまで』が、


 全部ひとつの線で繋がっているなら――


 世界は、まだ少しだけマシだと思いたい。』


 *


 総力戦七日目の終わり。


 砦では、

 馬屋の前に新しい小さな板が立てられ、

「今日走る馬」と「今日はここまでの馬」が

 分けて書かれ始めた。


 前線の泥濘では、

 荷車の車輪に白い印がつけられ、

「次の村まで」「砦まで」「王都まで」と

 行き先ごとの線が引かれた。


 王都の城門では、

 門番が「六日目の焚き火○」を思い出しながら、

 少しだけ軽い足取りで夜の見張りに立った。


 長屋の共同部屋では、

「靴」と「鍋」と「桶」の欄に○と×が増え、

「雨が降る前に直すべきもの」が

 ようやく見えてきた。


 闇の谷では、

 七夜目の闇焚き火○の灰が冷え、

 影たちが再び「数字の列」に戻る準備をしている。


 そして、王立労務局の板の上では――


 人間だけでなく、

 馬と荷車と靴と鍋と橋と道の欄にも、

 小さな丸と斜線が描き込まれ始めていた。


 世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――

 少なくとも、「総力戦だから」と言えば

 人も物も全部「使い潰していい数字」としてしか見ていなかった世界に、


「ここまで」と言うべき線が、

 目に見える形で一本ずつ増えた分だけ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ