三十六話 焚き火の夜はどこまでが仕事か
総力戦六日目の朝。
空はやはり曇りで、
風は昨日よりも、ほんの少しだけ冷たかった。
十日間の総力戦の、ちょうど真ん中。
前線では、
「まだ半分」だと胃が重くなる者と、
「もう半分」と歯を食いしばる者とが、
同じ焚き火を囲んで息を吐いていた。
そして王都では――
ある一枚の板の、ある一列が、
朝から真っ黒になることが決まっていた。
*
王立労務局一階。
巨大な“総力戦板”の前に、
いつものようにレオン・グラハムが立つ。
だが、今日はいつもと少しだけ違っていた。
「――勇者庁欄、六日目」
ヨアナがチョークを持ち、一歩前へ。
その手元を見つめながら、
レオンは腕を組んだ。
「『完全休養(裏庭焚き火○)』」
ヨアナは声に出し、
勇者パーティー六日目のマス一面を
黒く塗りつぶしていった。
そのすぐ下。
「『城門番・警備兵 交代制・小焚き火○』」
小さな丸が、そこにも二つ描かれる。
「……本当に、朝から真っ黒にしますね」
ミーナが感心したように漏らす。
「『午前中だけ会議入れませんか』って、
昨夜こっそり相談してきた人もいましたけど」
「『完全休養』って、
そういう誘惑を追い払うためにあるんですよ」
レオンは苦笑したが、
言葉には力を込めた。
「――勇者庁、六日目。
前線戦闘――空白。
支援・治癒――空白。
士気鼓舞(表)――空白。
準備・作戦会議――空白。
《完全休養(裏庭焚き火○)》」
声にして確認すると、
板の上でその一列だけが
妙に存在感をもって浮かび上がる。
「『本当にやれるのか』って顔してますよ」
リシアが横から冷やかした。
「昨日、自分で『完全休養日』過ごしたばかりじゃないですか」
「自分のと他人のは、また別なんだよ」
レオンは肩をすくめる。
「――一応、見張り役は?」
「出してます」
ヨアナが別紙を見せる。
《勇者庁・焚き火○監査
担当:広報院派遣一名+労務局リシア》
「……リシア?」
「だって、レオンが行ったら“仕事”になるでしょう」
ミーナが即答した。
「火のそばで書類広げてる勇者庁監査官とか、
絵面がひどすぎます」
「否定しづらいな」
レオンは額を押さえる。
「――じゃあ、こっちはこっちで、
『焚き火○が本当に○のまま終わるか』を
板から見ていきましょう」
*
勇者庁・裏庭。
朝露の残る芝生の端に、
いくつかの杭と白い粉の丸印が並んでいた。
若い官吏が汗を浮かべながら配置を整えている。
「ここが『勇者パーティー用焚き火○』で……
ここが『前線帰り兵用焚き火○』で……
こっちが『門番用小焚き火○』……」
「ちょっと待って。
『門番用』、想像よりだいぶ小さいね?」
ナナが杭の間隔を測りながら眉をひそめる。
「『小焚き火』って、膝くらいの高さはあるもんじゃないの?」
「火が大きいと、『宴会』って言われますから」
官吏は真面目な顔で返した。
「『門番は仕事の合間に交代で来る』ので、
あまり目立たないほうがいいと」
「……『目立たない焚き火』って言葉、寂しいね」
アレクが苦笑した。
「でも、来られるだけマシか」
フィルは周囲を歩きながら白板に書き込んでいく。
《六日目・勇者庁裏庭焚き火○ ルール》
・武器持ち込み禁止
・鎧・制服は脱ぐ(最低限の防具のみ)
・作戦・戦況の話は禁止
・「明日の当番」の話も禁止
・飲酒は薄めの酒一杯まで
・仕事の話をしたくなったら焚き火の外へ
「書きすぎ?」
「いや、必要。
絶対『明日の配置』を言い出すやつが出る」
ナナがきっぱり言う。
フィルは下に小さく一行書き足した。
《※この板を読むのは『仕事』じゃなく『お約束』です》
「……ギリギリ可愛い」
官吏がほっと笑った。
「――勇者様たちも、今日は完全休養ですからね。
朝の訓練も“ストレッチ程度”でお願いしますよ」
「分かってる」
アレクは頷き、いつもの剣を下ろした。
「今日はこれ、置いていくよ」
兵が緊張した面持ちで剣を預かる。
「勇者様の剣を預かるなんて、なかなか……」
「預けても大丈夫な日が、
この十日のうちに一日だけでも必要なんだ」
アレクは肩を回す。
「――焚き火の日くらい、
『勇者じゃない自分』でいても許されるさ」
*
灰の谷第一砦。
六日目の昼。
中庭には前夜の焚き火の跡。
第一・第二中隊は前線三日を終えて戻り、
今日は丸ごと当直と休養の日だ。
「――王都では、勇者様が裏庭で焚き火○らしいぞ」
「うちと同じ言い方じゃん」
「労務局の小役人が、あちこちに同じ丸描いてんだろ」
古参兵が笑う。
「いいじゃねえか。
『勇者だけ別腹』より
『勇者も同じ丸で休む』ほうが気が楽だ」
「『泥の上の俺たち』から見たらどう思うかね」
「昨日までお前も泥だっただろって火の前で言え」
中隊長が中央で言い切る。
「『三日出て一日戻る』と決めた。
誰がどの日に泥で、
誰がどの日に火の前かは板で決める。
お前らは、自分の日に
ちゃんと泥にまみれ、
ちゃんと火に当たれ」
昨夜の焚き火が
その言葉に妙な説得力を加えていた。
*
王都・勇者庁裏庭。
日が傾く頃、
焚き火○予定地には薪の山と大鍋、
交代で来た者たちの笑い声が集まっていた。
「――門番交代、三番隊、入ります」
若い城門番が戸惑った足取りでやってくる。
「ここ、『門番用小焚き火○』で……?」
「そう。ちゃんと書いてあるよ」
ナナが指さす白板。
《門番用小焚き火○ 交代でどうぞ》
「『どうぞ』と言われると逆に落ち着かない……」
若い兵が苦笑した瞬間、
アレクがマグを差し出した。
「――『どうぞ』って書いてあるほうが座りやすいだろ」
「ゆ、勇者様……!」
「今日は“様”いらない。アレクでいい」
アレクは自分のマグを掲げる。
「『門番はずっと門の前か?』って言ったのは
君たちの仲間だろ」
「……届いてたんですね」
「届いてた。
だから今日は、少しだけ門から離れて火を見る日だ」
若い兵の肩から力が抜ける。
焚き火の前では――
前線の武勇も、
救った人数も、
戦術も、
一切しゃべらない。
代わりに語られているのは、
「『靴下片方忘れて大騒ぎした話』」
「『砦の猫が当直表に従う件』」
「『長屋の“靴下自分で脱げ”の真犯人』」
そんな、戦場と無関係な話ばかり。
フィルは鍋をかき回しつつ白板を見る。
《焚き火○ルール ※仕事の話は禁止》
その下には誰かの追記。
《※ただし、『家の板の話』は可》
「……これ誰です?」
「多分、あの監査官」
マリアが肩をすくめる。
「『板の話』はもう生活ですから」
広報院派遣として監査中の彼女は続ける。
「今のところ、仕事っぽい話を
外に追い出さず済んでますね」
「さっき『明日の配置』言いかけた人は
自分で“板に送る”って言いましたし」
「……誰が言い出したんでしょうね、その言い方」
マリアはレオンの顔を思い浮かべつつ黙った。
*
王立労務局。
「――勇者庁からの報告、
今のところ『特になし』です」
ミーナが並べた札を読む。
「『裏庭焚き火○、予定どおり点火。
騒ぎなし。酔いつぶれゼロ。怪我ゼロ』」
「仕事の話は?」
「『今のところ焚き火○の外に持ち出せている模様』」
「……“模様”便利だな」
レオンは真っ黒な一列を見つめた。
そこには剣も旗も会議もなく、
ただ『火』『飯』『人』だけがある。
「――この一列を
『サボってる』と言うやつはどこにでもいる」
ヨアナが呟く。
「でも、『この一列があるから
七日目八日目に立てる』って思えるやつもいる」
「どっちの声を板に残すか、ですね」
レオンは頷いた。
「広報院には?」
「もう書いてるはず。
『休めと言われても休めない人へ』って見出し、
マリアさん気に入ってましたし」
*
闇の谷。《黒の雨》六夜目。
煙の出ない魔法の火が、
試作の闇焚き火○として灯っていた。
「……妙な代物だな」
「光を隠すのは得意ですから」
副官がスープを啜る。
「味は普通です」
「普通が一番だ」
ギルゼンも椀を取る。
「『数字にならない夜もあっていい』と
笑ったやつがいた」
「“戦果計上外”の夜……ですね」
黒板には、
《七夜目 闇焚き火○(戦果計上対象外)》
の文字。
「『総力戦だから』と毎夜全部数字にするほうが
牙は鈍る」
「勇者は十日に六日しか前線に立たないそうです」
「六日も立てば十分だ」
ギルゼンは黒板に一行書き足す。
《※闇焚き火○中、戦況・標的の話は禁止》
「光側と同じことを……」
「たまには同じでいい。
『焚き火の夜はどこまで仕事か』
光も闇も変わらん」
*
王都北区・長屋。
竈には豆スープ。
板の「今日ここまで」には○と×が半々。
「『裏庭で焚き火○』って本当?」
「本当よ。広報院の人が言ってたもの」
マルタが指さす貼り紙。
《広報院お知らせ》
『――総力戦六日目。
前線では戦いがあり、
砦では中庭の焚き火○があり、
王城では勇者も門番も仕事でない火を囲み、
家では“今日ここまで”と書いてから豆を煮ています。
どの火も勝敗を左右しません。
――
けれど十日目に立っていられる人の数を
少し増やすかもしれません。』
「……いい文章ね」
エルナが目を細める。
「『豆を煮ています』で泣きそうになりました」
「うちの豆スープも役に立ってるのよ」
マルタは竈の火を見つめて笑った。
「さ、今日ここまで、つけて食べましょ」
*
夜更け。労務局。
レオンは六日目の丸を確認していた。
「灰の谷、線守られてる。
勇者庁、完全休養。
噂は『サボり』より『ちゃんと休んだ』が優勢」
「闇側は?」
ミーナが札を掲げる。
『――七夜目の闇焚き火○準備完了。
“数字にならない夜”に笑い声あり。
明日、実際に火を囲む。』
「向こうもちゃんとやってるな」
レオンは板の端にメモ。
《闇側 七夜目・闇焚き火○(計上外)》
「――『焚き火の夜はどこまで仕事か』、今日は?」
リシアが問う。
レオンはペンを取り、通信札に書く。
『――総力戦六日目。
王城では勇者と門番が武器を置き、
砦では兵が「明日の陣形」を火の外に置き、
長屋では「今日ここまで」と書いて豆を煮た。
焚き火の前で
『明日の配置』『今日の戦果』を語り出した瞬間までが仕事で、
それを板に送り返し、
ただの人として飯を味わう時間は仕事ではない。
光でも闇でも、
その時間が一刻でも守られるうちは
世界は少しだけマシだと思いたい。』
*
総力戦六日目の終わり。
砦では焚き火の灰が慣らされ、
裏庭には門番用の小さな丸い跡。
闇の谷では煙のない火が待機。
長屋では豆スープが空になり、
「今日ここまで」に最後の○。
そして王立労務局の板では――
勇者庁六日目の列が
「完全休養」の黒い一面として
誰にも消されず一日を終えた。
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、「総力戦だから」と言えば
すべての焚き火が狼煙になっていた世界に、
「ここだけは仕事を置いてきていい火」が
光と闇に一つずつ、確かに灯った分だけ。




