三話 監査官、前線に行く支度をする
勇者パーティーに同行することが決まってからの三日は、びっくりするくらいあっという間だった。
まずは局内会議。局長バルドと書記二人、それから軍務省から派遣された護衛騎士が一人。
役所らしく書類と判子と根回しで一日が溶けていき――その合間で、俺は自分の荷造りをしなければならなかった。
「……で、本当に行くんですね、レオンさん」
王都の裏通り。労務局の斜向かいにある小さな装具店で、俺は肩当てと胸当てを試着しながらため息をついた。
店の奥から顔を出したミーナが、半分は心配、半分は呆れたような顔をしている。
「局長も止めなかったんですか?」
「“止めてもどうせ行くだろうから、せいぜい死なないようにしてこい”だそうだ」
「ブラック上司だ……」
ミーナがぽつりと呟く。
その横で、もう一人の書記ヨアナが、指先で紙束をぱらぱらとめくった。
「前線同行に関する許可書、承認印は全部揃ってます。軍務省、王宮、ギルド……あと、勇者パーティー側の承諾印も」
「勇者の承諾印という字面が、既に怖いんだが」
「“監査官一名、荷物扱いで同行可”って書いてありますね」
「荷物扱いか……まあ、足手まといよりはマシか」
そうぼやきながら、俺は革の胸当ての紐を締めてもらった。
鏡に映る自分の姿に、思わず苦笑が漏れる。
会計局時代の地味なスーツ姿から、労務局用の簡易制服に変わっただけでも違和感があったのに、そこにさらに軽装の防具。
役人というより、小市民が無理して冒険者ごっこをしているような格好だ。
「似合ってますよ、レオンさん」
「似合ってるからこそ不安なんだがな」
「それ、どういう意味ですか」
ミーナが頬を膨らませる。
「似合ってるってことは、“そういう世界に足を突っ込んだ”ってことでしょう? ほら、今までは机と紙の世界だったじゃないですか」
「机と紙の世界だって、たまに矢文は飛んでくるんだがなあ……」
王宮からの至急の通達、という意味で。
ヨアナが眼鏡を押し上げ、静かに言葉を添えてくれた。
「でも、現場を見に行くのは、レオンさんらしいと思います。
“数字だけ見て判断するのは嫌だ”って、いつも言ってましたし」
「そう言った覚えはあるが、こういう形でブーメランになって返ってくるとはな」
ひとしきり愚痴をこぼしたあと、俺は腰のベルトに新しい小型の盾を装着した。
労務局の紋章入り――と言っても、ただの丸い鉄板だ。
剣を弾くには心許ないが、少しでも飛び道具から身を守れれば御の字だろう。
「それからこれも」
ヨアナが、小さな革の札束を差し出してきた。
「監査用の簡易記録札です。魔術院と協力して作ってもらいました。
魔力を通せば、音声と周囲の魔力状況を簡易記録できます」
「そんな便利なものがいつの間に……」
「“現場での発言を証拠として残したい”って、局長が前からお願いしてたそうです」
「さすがだな、局長」
口ではぼやきつつも、胸の内ではありがたく思う。
言った言わないの水掛け論を避けるために、証拠を残す。
それは会計局でも散々やってきたことだが、現場で使える道具があるのは心強い。
「これは貴重品ですから、無くさないでくださいね」
「命の次に大事にするよ」
「命より優先しちゃダメです」
ミーナが慌てて突っ込む。
そんなやり取りをしていると、店の外から足音が聞こえてきた。
「レオン、準備は終わったか?」
低くよく通る声。
入り口のカーテンが揺れ、現れたのは一人の女騎士だった。
「リシアさん」
軍務省から派遣された護衛――リシア・ハルトマン。
中くらいの長さの金髪を後ろで束ね、銀の胸甲に王国の紋章を輝かせている。
「予定通りギルド側は三日後に出立だ。労務局としては、明日のうちに予備説明と装備確認を済ませる。……って、もうだいぶ形になってるな」
「装備に関しては、この店に任せれば間違いないからな」
俺は肩を竦める。
「問題は中身だ。剣の振り方すら怪しい監査官だし」
「剣を振るのは私と勇者パーティーの仕事。“線を引く”のがあなたの仕事です」
リシアはそう言って、まっすぐに俺を見た。
「前線で役所の看板を掲げるのは、名誉でもあるし、恨みを買う役目でもある。その覚悟があるなら、私も全力で守る」
「覚悟だけは、なんとかな」
「“なんとか”じゃ困るんですが」
騎士らしい真面目な視線と、役人らしい皮肉っぽい笑いがぶつかって、どちらともなくふっと息が漏れた。
緊張と、不安と、少しの期待と。
いろんな感情が、胸の中でぐるぐる渦巻いている。
*
準備の合間を縫うようにして、俺はもう一人だけ会っておきたい相手がいた。
王都の外れ、簡素な宿屋の一室。
ギルドが用意した勇者パーティー専用の宿舎の一角だ。
「……本当に、来てくれたんですね」
扉を開けたセリーヌは、前に会ったときよりも少し表情が柔らかくなっていた。
頬のこけ具合も、幾分かマシになっている。
ギルドが間に入って、数日は強制的に休ませていると聞いていたが、その効果が出ているようだ。
「無断で押しかけて悪い。ギルド経由で訪問許可はもらっているが」
「いえ、来てくださって嬉しいです。どうぞ」
狭い部屋には簡易ベッドと机が一つ、収納箱が二つ。
殺風景だが、机の上には魔道書と、きちんと整えられた羽ペンが並んでいる。
他人の部屋に足を踏み入れるのは少し遠慮が必要だが、セリーヌが椅子を勧めてくれたので、素直に腰を下ろした。
「体調は?」
「寝て、食べて、寝てます。……こんなに何もしない日が続くの、初めてです」
「それが普通なんだがな」
セリーヌが苦笑する。
「でも、まだちょっと怖いんです。
“休んでいる間に見放されるんじゃないか”とか、“戻ったときには居場所がないんじゃないか”とか」
「アルズは何か言っていたか?」
「“戻ってこい”って。……それだけです」
ほんの少し、セリーヌの頬が赤くなった。
「それに、エルミアさんやガロンさんも、“今度はちゃんと休みながらやろうな”って……。
だから、きっと……大丈夫、だと思います。思いたいです」
“思いたい”という言葉に、まだ消えない不安が滲む。
それでも、前よりはずっと前向きだ。
「俺も一緒に行く」
俺は簡潔に告げた。
「次の前線行きに。立ち会い監査官として」
「……そんな話を、ギルドの人から聞きました。びっくりしましたけど」
「最初に言っておくが、俺は魔法も剣も素人だ。戦場で誰かを守れるような腕はない。
だから、俺は“見る”ことと“記録する”ことしかできない」
「それでも、一緒に来てくれるんですか」
「それを望んだのは俺だしな」
セリーヌの視線を受け止めながら、言葉を選ぶ。
「俺は、“勇者の邪魔をしに行く”わけじゃない。
“勇者が世界を救うために必要な働き方”と、“そのために潰れていい人間の数”が本当に釣り合っているのかを、見に行くだけだ」
「……潰れていい人なんて、本当はいないのに」
「そうだな」
静かな同意が、狭い部屋の空気を少しだけ重くした。
それを振り払うように、セリーヌは机の引き出しから何かを取り出した。
「これ、受け取ってください」
差し出されたのは、小さな魔石のペンダントだった。
「魔術師協会が、労務局に寄付した“簡易防御の護符”です。
大きな攻撃は防げませんけど、ちょっとした飛び道具や爆風なら、少しは軽減してくれるはずです」
「そんな貴重なものを、監査官なんかに渡していいのか?」
「“監査官なんか”だなんて言わないでください」
セリーヌが、少し拗ねたように眉をひそめた。
「私がここに来て、こうして休んでいられるのは、レオンさんが動いてくれたからです。
だから、その……これは、私からの“感謝の証”です」
胸元で小さく光る魔石。
その光は、彼女の手の震えと一緒に、かすかに揺れていた。
「ありがとう」
俺は素直に頭を下げた。
「じゃあ、ありがたく命の次くらいに大事にさせてもらう」
「命より優先しちゃダメです」
さっきミーナに言われたのと同じ言葉が返ってきて、思わず笑いがこぼれる。
「……戻ってきたら、報告に来ます」
「“是正勧告、出してきました”って?」
「それもできれば、だな」
セリーヌの瞳に、ほんの少しだけ期待の色が灯る。
その期待を裏切らないためにも、俺は生きて帰らなければならない。
*
そして、出立の日が来た。
王都の東門前。
いつもなら商隊や旅人で賑わう場所に、今日は勇者パーティーとその護衛、そして軍務省の連絡官たちが整列している。
アルズはいつもの鎧姿に戻り、その背には炎の紋章を刻んだ剣。
大盾の戦士ガロンは、巨大な盾を背負って仁王立ちしている。
エルミアは白い法衣の上から簡易防具を纏い、首元の聖印にそっと触れている。
その脇で、リシアが小隊の騎士たちに最後の確認をしていた。
「補給車の順番よし。通信魔道具よし。……レオン、こっち」
手招きされるままに列に加わると、アルズがちらりとこちらを見た。
「本当に来たか、役人」
「許可も装備も整えてきましたから」
「その鎧、似合ってないな」
「自覚はしている」
短いやり取りのあと、エルミアが一歩前に出た。
「みなさまに、光と導きがありますように」
彼女の祈りの言葉と共に、柔らかな光が一行を包む。
精神を整えるための簡単な祝福魔法だ。
その光の中で、俺は胸元のペンダントにそっと触れた。
セリーヌの護符。
魔術師協会の寄付。
労務局の徽章。
いくつもの“誰かの思い”が、今、ここに集まっている。
「――出発!」
アルズの号令で、一行がゆっくりと動き出した。
王都の城壁をくぐり抜ければ、そこから先は“戦場”だ。
役所の机も、会議室の椅子もない。
あるのは、魔王軍の砦と、その手前に広がる前線の陣地だけ。
(さて)
息を整え、俺は一歩を踏み出した。
勇者の背中は、思っていたよりも遠くに見えた。
世界を救うと宣言した男の背中。
その少し後ろを歩きながら、俺は自分の足元をしっかりと確かめる。
俺の役目は、勇者の足を引っ張らないこと。
そして――勇者の足元で潰れていく誰かを、見過ごさないこと。
初めての前線行きは、こうして始まった。




