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異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


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二十九話 総力戦に終業時間はあるか

 兵の妻たちからの手紙に応えて“家庭版の板”を置いてから、数日。


 王都の空気が、少しだけざわつき始めていた。


 砦から戻って来た兵の話。

 商人たちの仕入れ量。

 教会でささやかれる祈りの言葉の変化。


 あちこちの“噂の当直表”に、同じ言葉が書き込まれ始める。


 ――総力戦。

 ――決戦準備。


「……嫌な言葉が増えてきましたね」


 王立情報・世論調整院――広報院の板を横目に見ながら、マリア・ロウがぼそりと言った。


「“総力戦”って言葉、聞こえはいいですけど、大抵“全部無茶していい”って意味に使われますから」


「三日連続真っ黒までにしといてほしいですね。十日連続真っ黒とか、板がもたない」


 レオン・グラハムは苦笑しながら、自分の手元の紙に視線を落とす。


 そこには、軍務省から回ってきた文書の見出しが踊っていた。


『――対魔王軍大反攻作戦案 第一稿』


 そして、欄外に宰相の手書きの一文。


『――王立労務局にも意見を求む。必ず目を通すこと。』


「……局長、召喚されましたよ」


「知ってる」


 バルド局長は、もう外套を引っかけていた。


「お前も来い。“砦”“勇者庁”“農村”の線を引いたやつ抜きで、“総力戦”なんて話はできん」


「総力戦に“線”を引くって、言葉だけで矛盾してません?」


「矛盾したことを何とかするのが、お前の給金の理由」


「給金、安くないですかそれ」


 *


 王城の、軍務会議室。


 大きな地図が卓上いっぱいに広がり、その上に木駒が並んでいた。


 王都。

 灰の谷。

 魔王城と推定される黒い印。


 その周りに、味方の砦と中継地点、敵の拠点が、赤と黒でびっしりと描き込まれている。


「――来たか、労務局」


 宰相レーヴェンが、疲れの色を隠さぬ顔で振り向いた。


 その隣には、軍務省の上級将たち。

 後方に、広報院のマリアの姿も見える。


「王立労務局監査官、レオン・グラハムです」


「同じく広報院、マリア・ロウ。……あ、こちらはもうご挨拶済みですね」


「砦の“面倒な板”の人か」


 ひげ面の老将が、じろりとレオンを値踏みする。


「兵の当直表いじくり回して、騎士団にも書かせたやつだ」


「その節はお世話になりました」


 レオンは、ぺこりと頭を下げる。


「……あれのおかげで、わしの時代より兵が長持ちしとるそうだ」


「それは光栄です。……たぶん」


 *


 宰相が、地図の上に一本の棒を置いた。


「――これが、軍務省がまとめた“対魔王軍大反攻作戦”の骨子だ」


 棒がなぞるのは、王都から灰の谷へ、さらにその向こう――

 “魔王城の推定位置”まで伸びる一本の線。


「まず、灰の谷一帯の前線を押し上げ、敵の拠点を一つずつ潰す。

 そこから補給線を延ばし、魔王城手前の平地で一大決戦。


 所要日数は――十日」


 軍務卿が、胸を張って言う。


「……十日」


 レオンは、ぽつりと繰り返した。


「灰の谷から魔王城手前まで、前線部隊を維持しながら押し上げて、十日」


「そうだ。


 兵站は、統一兵站局と商人連合が協力して組む。

 勇者パーティーも、要所要所で前に出る」


 老将が、当然のように言い添えた。


「総力戦だ。この機を逃せば、次に決戦を挑めるのがいつになるか分からん」


「……なるほど」


 レオンは、卓上の地図をじっと見た。


 線。

 点。

 矢印。


 ――どこにも、“一日の終わりの印”がない。


「――まず、一つお伺いしたいのですが」


「なんだ」


 宰相が、少し身を乗り出す。


「この“十日”は、“前線に出る兵一人一人”にとっても“十日”ですか?


 それとも“どこかで別の部隊と交代する前提”の十日ですか?」


 軍務卿の眉が動いた。


「……基本は、同じ部隊が前線を押し上げる。

 予備兵はいるが、あくまで穴埋めと緊急時対応だ」


「つまり、“最初から最後まで十日間、同じ顔ぶれが火線を維持する”、と」


「総力戦だからな」


 老将が頷く。


「途中で交代していたら、勢いが削がれる」


 *


 レオンは、ゆっくりと息を吐いた。


「――灰の谷の砦で、七日連続防衛戦をした部隊の記録を見せてもらったことがあります」


 室内の視線が、一斉に彼に集まる。


「最初の二日は士気が高かった。

 三日目には、疲労の報告がちらほら出始めた。


 五日目には、矢の装填を間違えて手に怪我をした兵が出ました。

 六日目には、魔法陣を一つ書き間違えた魔導士がいました。


 七日目の朝、彼らの隊長はこう言いました。


 ――『まだやれる。まだ誰も倒れていない』


 そして、その日の夕方に、最初の一人が倒れました」


 重い沈黙。


「十日間、同じ顔ぶれで火線を維持する――

 それは“決意”と呼ぶには、少し長すぎます」


「……では、どうしろと言うのだ」


 軍務卿が低く問う。


「前線を押し上げるなと言うか?

 それとも、敵の魔王が我らが整うまで待ってくれるのか?」


「いいえ」


 レオンは首を振る。


「前線は押し上げるべきでしょう。


 ただし――

 押し上げる“部隊”を十日間固定する必要はありません」


 細い棒を手に取り、地図の上の線の途中に、小さな印を打つ。


「ここ」「ここ」「ここ」。


「灰の谷の拠点ごとに、一日分の“入れ替え地点”を設定する。


 十日の作戦なら――

 二つの部隊が四日ずつ前に出て、一日は“入れ替え”に使う。


 三つの部隊を回すなら――

 前線を押し上げる“顔ぶれ”は変わりながら、“線”だけは前に進む」


「そんな余裕が――」


「あります」


 口を挟んだのは商人連合代表・ギュンターだった。


「兵站の計算をやり直しましたが、現状でも二部隊までは回せる余地がある。


 問題は、“将たちの頭”のほうですよ」


 老将がむっとする。


「どういう意味だ」


「十日間同じ顔ぶれで立っているほうが、“勇ましく見える”でしょう?


 でも“一日交代で前に出てくる兵”のほうが、長く戦えます」


 ギュンターの声には皮肉が混じっていたが、数字の裏付けもあった。


 宰相が静かに問う。


「――レオン。


 お前が砦や村や勇者庁で引いてきた“線”とやらは、

 この作戦に、どこまでねじ込める?」


 それは責任の丸投げではない。

 “総力戦に、最低限の終業時間を刻めるか”という問いだった。


 *


 レオンは、紙の上に三つの線を書いた。


 一、連続前線日数の上限。

「どの部隊も四日連続以上前線に立たせない。

 四日出たら一日、“灰の谷より後ろ”で補給と休養だけに使う」


「勇者パーティーと同じですね……三日出たら休戦日でしたが」


「勇者は見せ札ですから、少し厚めに。一般兵は四日が限度です」


 二、総当直時間の上限。

「“十日の作戦のあいだに、一人の兵が“どれだけ矢の飛ぶ場所”にいたか。

 そこに上限を入れてください」


 三、撤退線の明文化。

「最低でも二箇所、“損害が一定以上出たらいったん下がる”線を紙に書いてください」


「総力戦に撤退線だと?」


 軍務卿が机を叩きそうになる。


「そんなものを書いたら士気が――」


「士気は、“どこまで行ったら戻れるか”が決まっているほうが、長く持ちます」


 ギュンターが割って入る。


「商品にも、“赤字にしていい限度”があるんです。

 それを決めないのは博打打ちですよ」


 宰相がこめかみを押さえた。


「……お前たちの言い分は分かった。


 だが、戦場でその“線”を守れるのか?」


 レオンは、そっと一枚の紙を出す。


『――こちらでも“大侵攻作戦案”が出ている。

 題名は《黒の雨》。


 総力戦は光側だけのものではないらしい。


 ――闇側の“撤退路”を紙に書かせられるか、今試しているところだ。


 魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』


「……敵側も、同じことを考えているのか」


「光でも闇でも、前線に立つのは人間です。


 総力戦だろうと、“終業時間ゼロ”で働かせて壊れない者はいません」


 レオンの声は静かで、しかし頑固だった。


 *


 会議はさらに続き、軍務卿も最後には折れた。


「……よかろう。ただし、“どうしても下がれぬときの現場判断”は残す」


「現場判断はいつでもあります。

 大事なのは、“踏み越えたあとどこまで戻るか”を最初から紙に書くことです」


 老将が鼻を鳴らす。


「小癪な小役人め。わしの若い頃なら殴られておるぞ」


「今は殴られない時代でよかったです」


 会議室に笑いが漏れる。


 *


 廊下でマリアが近づいてきた。


「――さっきの撤退線の話、“次号の『労務局だより』に使わせてもらえます?」


「総力戦の話ですよ?」


「瓦版屋は“弱らせている”って書くでしょうね。


 だからこそ、その隣に

 『どこまで行ったら戻るか決まってるほうが長く立っていられる』

 って一文を置きたいんです」


「……好きにしてください。“某監査官”名義でしょうし」


「もちろんです」


 マリアは悪戯っぽく笑った。


 *


 労務局に戻ると、水晶が光っていた。


『――《黒の雨》の会議に出てきた。


 最初の案には“三十夜連続で影に紛れて攻め続ける”と書いてあったので、

 その紙を丸めて投げ捨てた。


 “壊れた兵の代わりに誰が矢面に立つ”と聞いたら、全員黙った。


 ――七夜ごとに影の予備隊と入れ替える案でまとまりつつある。


 撤退路はまだ揉めている。“退く文字はない”と詩人のように言う幹部もいる。


 そのたびに“じゃあお前が立て”と言う仕事で忙しい。


 ギルゼン』


 レオンは吹き出しそうになりながら返事を書く。


『――こちらでも十日の大反攻作戦に、

 連続前線四日、総当直時間上限、撤退線二箇所、を入れた。


 “士気が落ちる”と怒る将もいたが、“書かないほうが先に折れる”と言う商人もいた。


 ――“総力戦に終業時間はあるか”という問いには、

 “どこかに一本でも“今日はここまで”の線がない総力戦は、

 ただの集団自殺未遂だ”と答えておく。』


 少し迷い、一行足す。


『――光でも闇でも、“総力戦”の板の端に

 小さく「休む」「退く」の欄を書き足す者が、

 同時に二人いる世界は、まだ少しだけマシだと信じたい。』


 *


 王立労務局監査官、レオン・グラハム。


 砦、暗部、傭兵団、教会、学院、商会、勇者庁、農村、世論、家庭。

 そして今――


 板の上に太く書かれた新しい文字。


 ――総力戦。


 その下に引かれた線のあいだに、

「前線四日まで」「交代」「撤退線」「休戦日」

 といった印が、少しずつ書き込まれていく。


 紙の上の矢印は容赦なく魔王城へ向いている。

 けれどその途中に「ここで一度息をつく」という印が、ようやく刻まれ始めた。


 世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――

 少なくとも、“総力戦だから”と言えば何でも許された紙の上に、

「今日はここまで」という終業時間の線が、

 一本だけでも引かれた分だけ。

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