二十八話 家庭に労務局は必要か
『王立労務局だより・第一号』が王都にばらまかれてから、三日。
その朝、労務局の入口横に立てかけられた“自分たち用・見える板”のいちばん下に、また新しい紙が一枚貼られていた。
「――はい、今日の“新種の火種”です」
ミーナが、半分笑いながら紙を外してレオンの机に持ってくる。
「“火種”って言い方やめない?」
レオンは受け取りながら、ざっと目を走らせた。
紙は、上質とは言えないが、丁寧に何度も書き直した跡がある。
文の震えから、“何人かで相談して書いた”のがわかる。
『――王立労務局 御中
先だって配られた「労務局だより」を、
商人街の端に住むわたしたちも読みました。
砦・教会・商会・村……
いろいろな場所の「無茶を減らす話」が書いてありましたが、
それを読んでいて、ひとつ思ったことがあります。
――「家の中の無茶」は、誰が見てくれるのでしょうか。
夫は徴兵で砦か前線、
帰ってきても「休みの日」だと言って寝てばかり。
わたしたちは、“毎日”料理と洗濯と子どもの世話と、
配給に並ぶ列と、怪我人の看病と、
時々「稼ぎ」を補うために内職をしています。
これは「仕事」ではないから、
「当直表」も「休戦日」もないのでしょうか。
――「家事に労務局は口を出せない」のはわかっています。
でも、「家の中にも板を置いていい」と
誰かに言ってもらえたら、少し楽になる気がします。
王都北区 兵士の妻たち一同』
「……兵士の妻たち、か」
紙を読み終えたレオンは、息を吐いた。
「““旦那にも読ませたい”って声があったのは聞いてましたけど」
ヨアナが、控えめに言う。
「“妻のほうから“板を置きたい”って言ってくるとは」
「“家の中にまで労務局呼びたくなるくらい、追い詰められてるってことですよね」
リシアが、腕を組んで紙を覗き込む。
「局長」
レオンは、バルドの机を見る。
「どうします?」
「行け」
いつも通りの短い答えだった。
「“ただし、“““““家の中に首を突っ込みすぎるな」
「“線、難しくないですかそれ」
「難しいからお前をやっている」
局長は、いつもの調子で肩をすくめる。
「砦」「商会」「勇者庁」より、「家庭」のほうが、
よっぽど“怒らせる相手”が多いからな」
「……肝に銘じて行ってきます」
*
王都北区――兵士や下級役人が多く住む一角は、石畳の道に似たような長屋がずらりと並んでいた。
昼前。
洗濯物が紐いっぱいに揺れ、
子どもたちの声が小川のように流れている時間。
「――こちらです」
路地の奥で待っていた女が、小さく会釈した。
年は三十前後、腕まくりをした手には洗剤の匂い。
左右には、同じような年頃の女たちが、少し緊張した顔で並んでいた。
「手紙を書かれた“兵士の妻たち”の方々で?」
「はい。あたしはマルタ。
“旦那は王都砦の三番隊にいて、今は前線に行っています」
「レオン・グラハムです。こちらは護衛兼止め役のリシア」
「“家庭に“止め役”がいるのは、ちょっと心強いですね」
マルタが、冗談めかして微笑む。
「“うちの旦那にもつけたいくらいです」
「“それは本人の名誉のために内緒にしておきましょう」
リシアも、肩の力を抜くように笑った。
*
集会の場は、長屋の一角を借りた共同の部屋だった。
粗末だが清潔な長机。
壁には、配給の案内や徴兵の通達が貼られている。
その真ん中に、今日だけは――
“真っ白な板”が立てかけられていた。
「“……それ、“用意されてるんですね」
レオンが驚くと、マルタが照れくさそうに言った。
「労務局だより」の絵を見て、
“長屋の大工の旦那が、余った板で作ってくれたんです。
……中身はまだ真っ白ですけど」
「“じゃあ、今日“初めて”を一緒に描きましょうか」
レオンは、板の前に立った。
*
「まず、“一日の流れ”を教えてください」
砦でも、村でも、商会でも、最初の問いは同じだ。
「“日の出前に起きて、パンを焼いて、お粥を煮て、
“旦那がいる家は弁当を詰めて、“洗濯物を川まで持っていって」
「“子ども起こして、“下の子に乳やって、
“上の子に靴履かせて、泣きながら靴脱がれて、また履かせて」
「“配給に並んで、“割り当てをもらって、
“たまに“足りません”って言われて、帰ってから干からびた芋見て溜め息ついて」
女たちの声が、互いの言葉を引き出すように続いていく。
「昼は?」
レオンが問うと、声が揃った。
「“畑か内職」」」
思わずリシアが吹き出す。
「“すごいハモりましたね」
「“畑で働いてる人と、
“布を縫ったり籠を編んだりしてる人と、
“怪我人の包帯替えしてる人と、いろいろですけどね」
マルタが肩をすくめる。
「“夕方は、“また飯の支度して、洗い物して、
“子どもを寝かせて、“戦地の旦那に手紙書いて……」
「“最後のが、地味に一番重いですよね」
リシアがぽつりと言った。
「“無事だよ”って書くのにも、力要るから」
部屋の空気が、少しだけ揺れた。
*
レオンは、板に格子を描いた。
上には、時間帯――“朝”“昼”“夕方”“夜”。
左には、“家の中の仕事”の欄。
料理/洗濯/掃除/水汲み・薪/子どもの世話/配給・買い出し/内職/看病/その他。
「“……思った以上に、“項目多いですね」
自分で描きながら、レオンは苦笑する。
「“砦の勤務表より細かい気がする」
「“砦より文句多いかもしれませんよ」
リシアが、女たちの顔をちらりと見る。
「誰の欄に書きますか?」
マルタが、静かに手を挙げた。
「あの……
この板、あたしたち女の名前だけ、並ぶんですか?」
その問いに、部屋の視線が一斉に集まる。
レオンは、ほんの少しだけ息を吸った。
「いいえ。この家に住んでいる全員の名前です」
「…………」
「旦那さんが前線に行ってる家も、旦那さんの欄を開けておく」
「子どもにも欄を作る。
「小さい子は“丸一つ”だけかもしれませんが、それでも「火を運ぶ」「洗濯物を取り込む」みたいな印をつける。
「この板は、誰がどれだけやっているかだけじゃなく、誰がまだできるかも見るものです」
女たちの間に、ざわ、と小さな波が広がった。
「でも……」
一人が、おそるおそる口を開く。
旦那は戦場にいるんですよ。
こっちに帰ってきたときくらい、休ませてやりたいって気持ちも、あるんです」
レオンは、頷いた。
「もちろんです。
ただ、その休ませ方を、少し変えませんか?」
板の横に、もう一本線を引く。
「例えば、【家の中の最低限の線】」
一、病人と妊婦と乳飲み子の母親に、
「一日だけ何もしない日」があってもいい。
二、帰ってきた兵には、「ありがとう」と一緒に、「少し働かせる権利」がある。
三、子どもには、「何もしなくていい日」と、「小さい手でもできる日」の両方を残す。
――「これは、他人が家に踏み込んで強制するものじゃありません。
ただ、板を使って話し合うときの、土台です」
マルタが、小さく息を吸った。
「「当直表」じゃなくて、「話し合いの板」」
「そんなところです」
*
「じゃあ、試しに一つ、「一軒分」やってみましょうか」
レオンの提案に、一人の女が前に出た。
「“わ、わたしでよければ……」
細身で、腕に幼子を抱いた女。
名をエルナと言うらしい。
「旦那さんは?」
「兵士です。
今は灰の谷の近くの砦に。
“帰って来られるのは、三ヶ月に一度くらい」
その言い方は、“普段から何度も説明している”口調だ。
「じゃあ、一日の流れを、思い出しながら教えてください」
エルナの語る“いつもの一日”を、
レオンは板のマス目に丸で写し取っていく。
朝――料理/子どもの世話/洗濯。
昼――内職/配給の列。
夕方――料理/子どもの世話/看病(近所の老人)。
夜――片づけ/手紙を書く。
マルタが小さく唸った。
「“真っ黒ですねぇ」
「砦の勤務表より黒い気がします」
リシアも眉をひそめる。
「こっちは敵の矢が飛んでこない代わりに、休まる時間も飛んでこないですね」
レオンは、上から三日分、同じように丸を描いていった。
どれもほぼ同じ。
色も濃さも変わらない“真っ黒な欄”。
「……この欄から、どこか一コマ分だけ、丸を消すとしたら、どこにします?」
レオンの問いに、エルナは困ったように笑った。
「どこ消しても、誰かが困りますよ」
「そうですね」
レオンは頷き、板の端に小さな×印を描いた。
「でも、この×印が、次の三日分」には、
必ずひとつ、薄くなっているところを作りたい。
エルナさん一人でなく、近所の人たちと一緒に」
マルタが、腕を組み直した。
「つまり――
エルナが配給に並ぶ日は、あたしたちが子どもを預かるとか」
エルナが老人の看病する日は、別の人が配給に行くとか。
「当直表」じゃなくて、「順番表」ですね」
「そうです」
レオンは、少しだけ笑った。
「労務局は、家の中に「休め」って言いに行くわけにはいきません。
でも、こういう「板の引き方」をお渡しするくらいなら――
少なくとも、「余計なお世話」にはならないと、信じたい」
女たちの中から、くすり、と小さな笑いが漏れた。
「『王立家庭労務局』とか名乗り出したら、さすがに怒りますけどね」
「そんなもの作る気は一切ありません」
レオンは両手を振る。
「ただ――
「王立労務局だより・第二号』のどこかの隅に、
「今日のこの板のことを、少しだけ書かせてもらうかもしれません」
「……それ、読んだら、旦那たち、なんて言うでしょうね」
マルタの問いに、レオンは首を傾げた。
『うちにも板を置くか』と言ってくれたら嬉しい。
『そんなものいらん』と言われたら――
そのときは、「ここにいる誰かが、その一言のせいでどれくらい真っ黒になっているかを、
静かに教えてやればいいと思います」
一瞬の沈黙のあと、部屋の空気が少しだけ軽くなった。
「“静かに、ですか」
リシアが横でくすっと笑う。
「“砦なら、静かじゃないやり方してましたよね」
「“ここは砦じゃないからな」
*
夕方。
長屋の路地を歩きながら、リシアがぽつりと言った。
「……どうでした?」
「家の中に首を突っ込んだ感想?」
レオンは、さっきの板を思い出しながら、ゆっくり言葉を選んだ。
「……砦より“難しい。
「敵と味方の線もないし、命令もできないし」
「でも、あの板見て、ちょっと笑った顔も、多かったですよ」
リシアは空を見上げる。
「三日連続真っ黒」のところに赤丸ついたとき、少しだけ、自分のしんどさが、人の目に見えた気がしたんじゃないですかね」
「……そうだといいな」
*
労務局に戻ると、机の上の水晶が、またもや淡く光っていた。
『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』
レオンは、苦笑しながら札を開く。
『――こちらでも、「闇の勇者」や「幹部たち」の家族から、
「家の中の板」をどうにかしてほしいという声が届き始めた。
「女主人たち曰く、闇の城の中でも、家事は勝手に終わらないとのことだ。
――「家庭に当直表は必要か」という問いについては、
今のところ、「必要だが、魔王陛下の前でその言葉を口にする勇気はない」と答えておく。
そちらは、どうだろうか』
レオンは、思わず吹き出した。
『――こちらでも、「兵士の妻たち」から手紙が届いた。
「家の中の無茶」は誰が見てくれるのか、と。
「家庭に労務局は必要か」という問いに、
今のところ、「労務局そのものは要らないが、『板の引き方』くらいなら届けてもいい」と答えたところだ。
――「敵でも味方でもない場所」に線を引くのは、
砦より難しいが、やりがいはある。
そちらで「闇の女主人たち」が「板」を欲しがるようなら、
「家事も勤務表に入れろ」
――という一文だけ書いた紙を、そっと回しておいてほしい』
少し考え、苦笑混じりに一行足す。
『――どちらの世界でも、「“大丈夫」と笑って言っている者ほど、
誰かに「“本当に大丈夫か」と聞かれる必要があるらしい。』
*
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
砦、暗部、傭兵団、教会、学院、商会、勇者庁、農村、世論。
そして、板のいちばん端に、ごく小さな字で――
“家庭(任意)
――という行が、そっと書き足された。
そこに「当直表」が貼られることはない。
命令も罰もない。
あるのは、白い板と、丸とバツと、
「今日は半日、何もしないでいいよ」と言うための、
ほんの少しの勇気だけ。
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、「家の中の無茶」を“仕事じゃないから”と飲み込んできた誰かが、
板の前で、自分の欄の真っ黒さを見て、
「ちょっとだけ減らしてもいいかもしれない」と思える方向へ、
紙と板が一枚増えた分だけ。




