二十七話 『労務局だより』は誰が読むのか
王都の朝。
砦の鐘が三つ鳴る少し前――
王立労務局の一階では、紙の束が山になっていた。
「――できました、『王立労務局だより・第一号』!」
ミーナが、どこか誇らしげに一部を掲げる。
淡い茶色の紙に、黒いインク。
表紙には、素朴な線画で描かれた「板」と「チョーク」。
その上に、大きく題字。
『王立労務局だより・第一号
――“無茶とやる気のちがいについて”』
「……タイトル、最後までそれで押し通したんだな」
レオンは、苦笑しながら受け取る。
「“もっと格好いいのにしたら?”って言ったんですけどねー」
リシアが、肩をすくめる。
「“英雄たちの知られざる舞台裏”とか、“戦う者たちの休み時間”とか」
「そういうのは瓦版屋に任せといてくださいって、広報院のマリアさんに言われました」
ヨアナがくすりと笑う。
「“お上の紙が“格好つけ始めた瞬間に”“信用が一段落ちるんですよ”って」
「辛辣だけど正しいな」
レオンは、表紙をめくる。
最初のページには、簡単な挨拶文。
『――この一年、王立労務局は、
砦・暗部・傭兵団・教会・学院・商会・勇者庁・農村など、
さまざまな「戦場」に足を運びました。
そこで見えたのは、「怠け者」よりも、「無茶しすぎの人」のほうが
ずっと多いという事実でした。
この紙は、「楽をしろ」と言うためのものではありません。
「無茶とやる気の境目」に、細い線を引くためのものです。』
末尾には、こう締めくくられている。
『――王立労務局 某監査官』
「“某って誰だよ」
「某ですよ」
ミーナが、したり顔で胸を張る。
「“レオンさんの名前を出すと、““やっぱりあの人が諸悪の根源だ”って瓦版に書かれますから」
「諸悪って言うな」
*
二ページ目には、砦の当直表の写し。
ただし、細かい地名や部隊名は黒く塗られ、余白に小さくコメントが添えられている。
『――“昔は“「眠くないやつから順番に残した」
“今は“「二晩続けて夜を明かさせない」
“最初は“「面倒な板」だと思ったが、
“酔っぱらって梯子から落ちる兵が減ったのは事実だ。
(某砦・中隊長)』
三ページ目には、教会の“沈黙の日”。
『――“祈りと説教を一日十刻やっていた頃、
“倒れて運ばれる神官が出始めた。
“沈黙の日を入れてから、「祈りの声が前よりよく通る」と
文句を言っていた信徒が言った。わたしはそれで十分だと思う。
(某大聖堂・侍祭)』
四ページ目には、商会の帳簿係。
『――夜中に桁を一つ間違えて、翌朝に帳簿を一からやり直したことがあります。
あのとき「寝ていれば」と本気で思いました。
今は、「閉店後の帳簿は二刻まで」と決まりました。
(某商会・書記)』
ページの隅には、小さく一文。
『――「やる気」は、寝ないことで証明するものではありません。』
「……うまくまとまってますね」
レオンは素直に認めた。
「“俺の言ったことより、ずっとやわらかい」
「“硬く書こうとしてませんでした?」
ヨアナが首をかしげる。
「“最初の草案、“「戦時労務における効率性の再考察」でしたよね」
「忘れて。あれは会計局時代の病気だから」
*
問題は、勇者パーティーと農村のページだった。
勇者庁の欄には、まだ空白が多い。
『――勇者パーティーの「休戦日」については、
本人たちと相談のうえ、次号以降にお届けします。
(編集部)』
「……これ、地味に次号の発行を約束しちゃってますよね」
レオンが指摘すると、ミーナがにっこり笑った。
「“連載って大事ですよ。“継続的な情報発信」
「そんな立派な意識をどこで覚えてきたんだ、お前」
農村のページには、簡易勤務表の絵と、エドのコメントが載っている。
『――戦えなくなった兵士に、「荷車を引け」としか言えないのが嫌だった。
今は、「誰がどこで倒れそうか」を見る役目をしている。
村の婆さんの欄に赤い印をつけるほうが、
荷車よりよほど重い仕事だと、最近わかってきた。
(某村・元兵士)』
レオンは、その文章を見て、ひっそりと胸の内で頷いた。
(……うん。ちゃんと“あいつの言葉”になってる)
*
「では、配り方の説明です」
マリア・ロウが、労務局の会議室で地図を広げる。
王都全体が描かれ、その上に×印や矢印が踊っていた。
「“だより・第一号は、全部で三千部」
「そんなに刷ったんですか」
レオンが思わず声を上げる。
「“瓦版の一日の発行部数には及びませんが、“最初はこれくらいで様子を見ましょう」
マリアは淡々と続ける。
「“配布先は三つ。
一つ目、“砦・傭兵団詰所・冒険者ギルドなどの“人が集まる職場”。
二つ目、“酒場・食堂などの“噂がよく発生する場所”。
三つ目、“教会前の広場や市場などの“人目の多い場所”。
――“「“読ませたい相手」に直接渡すのではなく、“「“話題にしてほしい場所」に置く」
「“なるほど」
リシアが、感心したように頷く。
「““兵士に読みなさいって渡すより、“酒場のテーブルに置いといたほうが、“絶対しゃべりますもんね」
「“そのとおりです」
マリアが微笑む。
「「強制された知識」は、「噂の餌」になりづらい。
「「酒の肴にされた情報」は、「噂と一緒に飲み込まれる」」
「“比喩がえげつないな」
レオンは頭を掻きながらも、否定はしなかった。
*
その日。
王都のあちこちで、ささやかな紙の旅が始まった。
***
――某砦・王都駐屯部隊。
昼の鐘が鳴る少し前。
詰所のテーブルに、「だより」が三部置かれた。
「なんだこれ」
顔に古傷のある下士官が、一番上の部をめくる。
「“王立労務局だより……? “だより?」
「“砦の広報か?」
隣でパンをかじっていた若い兵が、覗き込む。
「“《昔は「眠くないやつから順番に残した」》……あ、これ、うちの中隊長じゃない?」
「“某砦って書いてあるだろ。某だよ、某」
「“でもさ、““酔っぱらって梯子から落ちる兵が減ったのは事実だ”って、
先週まさに言ってたぜ、中隊長」
ざわ、と周りが笑う。
「まあ、あの板も、最初は“面倒くせぇ”と思ってたけどな」
誰かがそう言うと、別の誰かが付け足す。
「でも、「三日連続で夜番回ってこない」って分かってるだけで、
“ちょっと気が楽だわ」
「俺も、「今日は絶対寝られる日」って分かってると、
「「夜襲が来ても、頭がちょっとマシに回る気がする」
「“お前、それ、“褒めてんのか文句言ってんのかどっちだ」
笑い声の中で、誰かがぽつりと呟いた。
「“……でも、これ読んで、“「““““““““「魔王軍と組んで兵のやる気を削いでる」って、
“どうやって言うんだろうな」
しばし、沈黙。
やがて、古傷の下士官が鼻を鳴らした。
「「夜番が続きすぎて、見張りが居眠りして敵に殺される」のと、
「「夜番が適度に回ってきて、文句言いながらも全員生き残る」のと――
“俺は後者のほうが好きだね」
「“渋い言い方……」
「“言った本人が一番照れてますよ、これ」
笑いと一緒に、「だより」は別の手へ、また別の手へと渡っていった。
***
――王都・冒険者ギルド。
受付カウンターの端にも、「だより」が数部。
「リナさーん、これなんです?」
若い冒険者が、紙をひらひらさせる。
「“あぁ、それか」
受付嬢リナは、書類から顔を上げた。
「“王立労務局の“お知らせ”らしいよ」
「“へー、“《受付嬢当番表》って書いてある」
リナは、思わず身を乗り出した。
『――ギルドの受付嬢にも、「当番表」がある。
以前は、「“声の大きい者」「“断れない者」に夜勤が偏っていた。
今は、「“三日連続夜勤禁止」「“週に一度は朝番のみ」という線が引かれた。
「“それでも足りない」と文句を言いながら、
「“前より顔色がいい」と言われる受付嬢が増えた。
(某ギルド・受付)』
「……これ、うちの話じゃない?」
隣の受付嬢が、リナの肘をつつく。
「「“三日連続夜勤禁止」とか、「週に一度は朝番のみ」とか」
「“どこのギルドにもある話じゃない?」
リナは、なんとなく視線を逸らした。
(――たしかに、“「週一は朝だけ」の日があるだけで、
“家に帰ってから「洗濯しても寝られる時間」ができたんだよね)
紙の隅に、小さな一文。
「笑って「大丈夫です」と言える人ほど、
「誰かが「大丈夫じゃない」と言ってやる必要がある」
「……ずるいな」
思わず、そう漏らしていた。
「なにが?」
「なんでもない」
リナは、そっと紙を折りたたみ、一部を自分の机の引き出しにしまった。
***
――王都・商人街の一角。
昼下がりの帳場。
ハイデラント商会本店の書記頭は、「だより」の三ページ目を睨んでいた。
「……誰だうちの失敗話書いたの」
ため息まじりのぼやきに、ギュンター・ハイデラントが笑う。
「“「某商会」って書いてあるだろ。某だよ、某」
「“「夜中に桁を一つ間違えて」「翌朝に帳簿を一からやり直した」なんて、
“どこの世界にもよくある話ですからねぇ」
「“そうそう。よくある話だ。
“――ただ、「よくある話」を、「もうやめようか」って言ってるだけだ」
ギュンターは、「だより」を机の端に置いた。
「“今晩の大商会連合の会合に、これ持ってくぞ」
「“また面倒なことを……」
「王立労務局がこう言ってる」より、
「帳場係がこう言ってる」のほうが、
“連中の腹には入りやすい」
書記頭は、少しだけ口元を緩めた。
「……たしかに。
“自分で寝ないで失敗したことがあるやつほど、この文に刺さるでしょうね」
***
――王都・裏通りの酒場「三本脚亭」。
夕方。
カウンターの端で、瓦版屋が「だより」を手にしていた。
「――ふぅん」
粗い紙に刷られた自分たちの瓦版と、
少しだけ上質な紙に印刷された「だより」を見比べる。
「“字の並べ方は、こっちの勝ちかな」
隣で酒を飲んでいた客が、ちらりと覗き込む。
「“なに読んでんだ?」
「“噂の“お上の紙さ。
“《働きすぎは敵の陰謀!?》に対抗してきたらしい」
「“へぇ、“どんなこと書いてあるんだ?」
瓦版屋は、わざと大げさな声で読み上げる。
『――働きすぎは敵の陰謀ではありません。
働きすぎは、もったいないことです。』
「“もったいない?」
「“そうさ。
「寝不足で失敗する時間」も、倒れてから治す時間も、
誰かが代わりに泣く時間」も、本来は別のことに使えた時間だ――ってさ」
客は、鼻を鳴らした。
「……瓦版屋のくせに、お上の味方かお前」
「どっちの味方でもねえよ」
瓦版屋は、肩をすくめる。
「ただ、いいネタが増えたと思ってるだけだ。
「王立労務局だより・第二号で“喧嘩を売られた瓦版屋の逆襲」とかさ
「やめとけ」
酒場のマスターが、苦笑しながら酒瓶を拭く。
「お前、そういう喧嘩売ると、また情報院の姐さんが説教に来るぞ」
「……あの人、怖いんだよなぁ」
瓦版屋は、「だより」を畳み、自分の鞄にそっとしまった。
(――まあいいや。
“噂ってのは、“こうやって紙と紙のあいだで転がって育つもんだ)
***
そのころ。
王立労務局の一室で、レオンは「労務局だより・第一号」の“反応報告”に目を通していた。
広報院から届いた、簡単なメモ。
『――某砦において、「だより」掲示後、
「灰の谷覚書」に関する不満の声は、「半分程度」に減少。
代わりに、「うちにも“沈黙の日”ほしいな」という冗談混じりの声が増加。』
『――冒険者ギルドにおいて、「受付嬢当番表」に関する問い合わせあり。
「うちのギルドにも貼れますか」とのこと。』
『――商人街にて、「某商会・書記」のコメントに同情の声多数。
「うちの旦那にも読ませたい」という妻たちの声あり。』
「……妻たちの声」
思わず笑ってしまった。
「旦那の分まで働いてる妻が多いからじゃないですか」
リシアが、茶を置きながら言う。
「「家事も勤務表に入れろ」っていうページも、そのうち必要になりますね」
「あまり一度に広げると、本気で嫌われるぞ」
そう言いながらも、レオンは頭の片隅で、
“「家事版・簡易勤務表」の絵を想像してしまっていた。
*
そこへ、いつものように水晶が光る。
『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』
嫌なタイミングといい、内容の予感といい、もはやお約束だ。
『――こちらでも、「闇側版・労務局だより」を作ってみた。
題名は、《統一兵站局かわら版・第一号》。
部下たちは、《働きすぎは光の陰謀!?》のほうがいいと主張したが、
それだと某瓦版屋と被るので却下した。
――内容は、「闇の勇者の休み方」「奴隷扱いされている者の逃げ場」などだ。
配った直後から、「こんな紙を配るのは光側と通じている証拠だ」と叫ぶ者もいたが、
その隣で、「だったらお前は一生寝るな」と呟く者もいた。
噂というやつは、どちら側にもいるらしい』
レオンは、吹き出しそうになるのをこらえながら返事を書く。
『――こちらでも、「だより・第一号」を出したところだ。
砦の兵は、「酔っぱらいが梯子から落ちなくなった」と笑い、
受付嬢は、「大丈夫と言える人ほど大丈夫じゃない」と書かれた一文に眉をひそめた。
商人たちは、「旦那にも読ませたい」と言われ、
瓦版屋は、「いいネタが増えた」と笑った。
――「噂に監査は追いつけるか」という問いに、
今のところ、「紙のおかげで“噂の走る道”が、少しだけ変わることはある」と答えておく。』
少しだけ考え、最後に一行。
『――「誰が読むのか分からない紙」を出すのは、怖い。
だが、「誰かが読んでいるかもしれない紙」が増えるほうが、
「誰も見ていない勤務表」より、ずっとマシだと――
某監査官は思い始めている。』
*
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
砦、暗部、傭兵団、教会、学院、商会、勇者庁、農村。
そして、“世論”という見えない行の下に、
小さく「だより」という文字が書き足された。
それは、板と板のあいだをつなぐ、
薄くて、頼りなさそうで、それでも確かに人の目に触れる紙切れ。
誰が読むか分からない。
でも、誰かが読んで、酒の肴にして、
翌日には、「まあ、ちょっとは寝てもいいか」と誰かがぼやくなら。
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、「働きすぎは敵の陰謀」と笑う前に、
「働きすぎはもったいない」と言える口が、
ほんの少し増えた分だけ。




