二十二話 学び舎に徹夜は必要か
三日間の“押しつけ有給”が終わった翌週。
労務局の午前は、いつもどおり紙とインクと、それから一枚増えた“自分たち用の見える板”でできていた。
「――はい、ここ注目」
ミーナが入口横の板をコンコンと叩く。
名前の列と案件の行。
砦、王城、暗部、ギルド、傭兵団、教会、灰の谷。
そして一番下に、“その他・雑”。
先週まで真っ黒だった“灰の谷”の欄が、三日分だけぽっかり白く途切れている。
「見てください、この美しい“空白”」
「“美しい”って形容詞おかしくない?」
「“レオンさんの欄に白がある”ってだけで、局内がざわついてるんですよ?」
ヨアナがくすりと笑う。
「“あれ、うちの監査官、人間だったんだ”って」
「もともと人間だよ」
そう反論しつつ、自分でもその三日分の白をしばし眺める。
――たしかに、変な気分ではある。
「で、現実に戻ります」
ミーナが、今度は別の紙束を持ってきた。
「新案件。“戦時教育機関における“過度な徹夜自習”について”」
「タイトルの時点で頭が痛い」
「差出人は、“王都教育院”……と、“王立魔導学院”の連名です」
ヨアナが補足する。
「“最近、学院生の魔力暴発・失神が増えた。
“これは“修行不足”なのか、“やり方が悪い”のか、意見を乞う”だそうです」
「“修行不足”と“やり方が悪い”を並べてくるあたり、だいたい察しがつくな……」
封を切ると、予想どおりの単語が並んでいた。
『――“戦争が長期化するなか、“若き戦士・魔導士の育成”は急務となっております。
王立魔導学院でも、“従来三年課程で教えていた内容”を二年に圧縮し、“実戦演習も増やした”結果――』
『――“授業中に意識を失う者”“自習中に魔力枯渇を起こして倒れる者”“寮の廊下で立ったまま眠る者”が増加しております。
一部教員からは“若いうちの無茶は美徳”との声もあり、対立が生じております』
『――“労働”という言葉が適切かはさておき、“学び舎における“徹夜と詰め込み”が、“人の体”にとってどのようなものか。
一度、“外部の目”からご意見を賜りたく存じます』
最後は、魔導学院長と教育院次官の署名。
「……“勉強だから労働じゃない”って顔をしつつ、“やりすぎて倒れてる”やつですね」
「“祈りだから労働じゃない”の教会パターンに似てますね」
ミーナが肩をすくめる。
「砦の“修練”も、傭兵団の“鍛錬”も、暗部の“訓練”も、だいたい中身は“体力と集中力の消耗”でしたし」
「“名前が変わると、無限にやっていい気になる病”は世界共通だな」
ため息をひとつついて、バルド局長の机に視線をやる。
「行ってきていいですか」
「行ってこい」
局長は書類から目を離さずに言う。
「“砦の中隊長”“傭兵団長”“首席司祭”の次は、“学長”か。“いい感じに嫌な顔する”顔ぶれが揃ってきたな」
「励ましてます?」
「励ましてる」
どこが、とは聞かないことにした。
*
王立魔導学院は、王都の北側、小高い丘の上に建っていた。
砦ほどではないが厚い石壁と結界に囲まれ、中庭には魔法の練習で焦げた痕がいくつも残っている。
門をくぐった瞬間、懐かしい匂いがした。
(……インクと紙と、焦げた草と、寝不足の若者の匂いだ)
どこも変わらないな、と苦笑していると、出迎えの職員が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました。レオン・グラハム監査官ですね」
「王立労務局のレオンです。こちらは護衛兼“止め役”のリシア」
「“止め役”の方がいらっしゃるのは安心です」
職員は、どこか本気で言っているような笑顔を見せてから、学院長室へ案内した。
*
学院長室。
書棚と魔導具と、壁一面の時間割表。
机の向こうで立ち上がった男は、五十代半ばくらいだろうか。
灰色混じりの髪をきっちりと束ねた、いかにも“学者”といった顔立ちだった。
「王立魔導学院長、ユリウス・フォルクナーです。遠路ご足労いただき感謝いたします」
「レオン・グラハムです。こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、ユリウスは壁の時間割を指さした。
「さっそくですが、こちらが今の“二年課程標準の一週間”です」
詰まっていた。
基礎魔力制御/詠唱理論/魔法史/軍事地理/戦術基礎/実戦演習/自主訓練。
朝から晩まで、空白がほとんどない。
「“空き時間”は?」
「“自主研鑽”の時間です」
ユリウスは、悪びれもせず言った。
「本来なら、“寮で休む”ことも含めて“自主”なのですが――
現実には、ほとんどの学生が結界室や訓練場で自主訓練に励んでいます」
「“励む”という言葉は便利ですね」
リシアが小声でつぶやく。
「“やりすぎて倒れてる”ときにも使えるから」
ユリウスは苦笑した。
「“戦場に立つ以上、それくらいの覚悟が必要だ”という教員もいましてね。
――ただ、わたし自身、“このまま続けるのは危うい”と感じています」
「教育院からも相談が来てましたね。“倒れる学院生が増えた”って」
「はい。
医局の記録では、“魔力枯渇による倒れ込み”“魔力暴走一歩手前”“失神したまま三日目まで寝続けた”など、
“自慢話にはなっても、“良い兆候”とは言えないものが増えています」
ユリウスは、机の上に一枚の紙を置いた。
「こちら、“今季入学した一年生のうち、すでに二割が“自主退学”している状況です」
「二割……」
思わず紙を覗き込む。
「理由は?」
「“ついていけない”“魔力が持たない”“こんなに殺伐としているとは思わなかった”――さまざまですが」
学院長の顔には、明らかな苦味が浮かんでいた。
「“必要なふるい”と言い切るには、あまりに数字が大きい。
“それでも残った者こそ精鋭だ”と言う者もいますが、
“戦争が長引けば、精鋭だけでは足りない”ことくらい、わたしにも分かります」
そのあたりの感覚は、砦の中隊長や傭兵団長と変わらない。
*
「ところで」
もう一人、部屋の隅で腕組みしている男がいた。
日焼けした顔に短い髪、実戦用のローブ。
肩幅の広さといい、雰囲気といい、“机の前より戦場のほうが似合いそう”なタイプだ。
「こちらは、“実戦演習担当”のライナス教官です」
ユリウスが紹介する。
「現場の“実感”も必要だろうと思い、同席を頼みました」
「ライナス・クレインだ。元・前線魔導士隊」
彼は名乗るなり、こちらをじろりと値踏みするように見た。
「正直に言うぞ。
“労務局がうちに来るって聞いて”““勉強時間を減らせ”って言いに来るんじゃないか”と身構えてる」
「正直で結構です」
俺は少し笑いながら答えた。
「“勉強時間を減らせ”とは、多分言いません。
ただ、“徹夜自習でぶっ倒れるくらいなら”“昼間の授業をちゃんと聞け”とは言うかもしれません」
ライナスが、ぴくりと眉を動かした。
「……学生によく言う台詞だ、それ」
「そっくりそのまま返されただけです」
リシアが肩をすくめる。
「“授業で座ってる時間”と、“魔法陣の前で集中してる時間”の両方が、“体には効いてる”って話をしに来ました」
*
「まずは、“一日の“集中時間”を数えましょう」
時間割表の前に立ち、ペンを走らせる。
「“座って聞いてるだけ”の講義は、一刻として。
“詠唱練習”“魔力制御”“実戦演習”“自主訓練”は、“二刻分の負荷”としてみます」
「“二倍”?」
ライナスが目を細める。
「“座ってるだけだから楽だろう”って顔をする軍人が多いので、あえて倍にしておきます」
「……いいぞ、もっと言ってやれ」
リシアが小さく頷く。
ざっと計算してみる。
「“講義”が一日三〜四刻。
“実技”が三〜五刻。
そこに“自主訓練”が二〜三刻。
――“集中して魔力を扱っている時間”は、一日だいたい“八〜十刻”。
“試験前”や“実戦演習前”は、それ以上」
「十刻……」
ユリウスが、わずかに顔を曇らせる。
「“祈り”と“説教”を合わせて一日十刻やっていた大聖堂の神官たちが、“倒れ始めた”のと同じくらいですね」
ミーナなら、そう言うだろう。
俺も同じ計算をしていた。
「砦でも、傭兵団でも、“八刻を超えて命張る行動を続けると、だいたいどこかで崩れる”って話になりました」
俺は時間割の中央に、一本の線を引く。
「“八刻”――ここが、“集中して魔力を扱ってもいい目安”です。
“それ以上”は、““修行”ではなく“脳と神経への負荷”だと考えてください」
ライナスが腕を組んだまま、じっと線を見つめる。
「“若いから持つ”って話じゃないわけだな」
「若いと、“倒れるのが一歩遅い”だけです。
そのぶん、倒れたときにどこまで行くか分からない」
魔力暴走――コントロールを失った魔力が、肉体も周囲も焼き尽くす現象。
「“倒れたら終わり”という意味では、兵士も神官も学生も同じです」
*
「でもよ」
ライナスが口を開いた。
「実際、“前線に出たら”“寝不足のまま三日徹夜で防衛線を維持する”なんてザラだぞ。
“学生のうちから、それなりに無茶を経験しとかないと”“本番でついていけない”って意見もある」
その言い分は、砦でも傭兵団でも聞いた。
「“経験”として、“一度はそういう夜を知っておくべきだ”って話なら、分かります」
俺は頷いた。
「ただ、“それを常態にしてはいけない”。
“非常時の生き残り方”を知るのと、“常に非常時モードで過ごす”のは違います」
傭兵団のガルドも、似たようなことを言っていた。
「それに――」
ふと思い出して、口を開く。
「“遊び下手は燃え尽きやすい”そうですよ」
「は?」
三人が同時にこちらを見る。
「最近読んだ本に書いてありました。
“子どもの頃から“結果の出る努力”ばかりをしてきた者は、““役に立たない遊び”が極端に下手になる”。
“そういう者ほど、“働き始めてからも“自分を遊ばせることができず”“燃え尽きる”と」
ヨアナが勧めてくれた本の一節を、そのまま引っ張り出す。
「魔導学院の学生は、“たいてい頭がよくて真面目”です。
“遊びも勉強の一部”にしてしまいがちでしょう」
ユリウスが、苦笑とも溜息ともつかない声を漏らした。
「……耳が痛いですね」
「戦場に出る前に、“遊び方”を知らないままだと、“戦争しか自分の居場所がない”って顔をする兵士が増えます」
砦の中隊長たちの顔が浮かぶ。
「“勉強”も“修行”も、“戦場で使うため”って顔だけでやらせると、“終わったあと”に空っぽになります。
――“空っぽで生き残る”のは、たぶん一番きつい」
ライナスの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「……前線あがりの教官としては、“否定しづらい”話だな」
*
「では、“どう線を引くか”ですが」
時間割表に向き直る。
「一、““集中して魔力を扱う時間”は、一日八刻を上限とする”。
“講義”と“実技”と“自主訓練”を合わせてです」
「“自主訓練”も?」
ユリウスが確認する。
「もちろん。“本人のやる気だから”で無限に許すと、“倒れてから止まる”になります」
次に、別の線を引く。
「二、“試験前夜の徹夜自習を禁止”。
“寮の灯りは、鐘が八つ鳴ったら消す”――“魔導学院版・消灯時間”ですね」
「“そんなことをしたら、“勉強時間が足りない”と学生が騒ぎますよ」
「“足りない勉強時間を、“夜”ではなく“昼”で稼ぐようにさせてください。
“昼の講義で寝てるなら、徹夜した意味がない”って、先生方が大きな声で言ってあげればいい」
ライナスが、思わず噴き出した。
「“徹夜で試験乗り切った”って自慢するバカ学生、どこにでもいるからな……」
「三、“実戦演習後の最低休養日数”を決める。
“高危険度演習の翌日は“授業を軽く”“自主訓練を禁止”」
「“禁止”までしますか」
ユリウスが眉をひそめる。
「“砦の夜襲演習”でも、“翌日は少なくとも一刻分ゆるめろ”って話をしました。
“戦場ごっこ”の翌日に“フル速度で詰め込み”は、普通に危ないです」
俺は、ペンを机に置いた。
「四つ目は、学院ではなく教育院向けですが――
“魔導学院卒業生に求める“実戦投入までの期間”を、“もう少し長く”とってください」
「“二年で即戦力”から、“二年で“基礎戦力”に?」
「はい。
“卒業してすぐに前線”ではなく、“後方で一年”“砦で一年”など、“段階的に実地を経験させる”前提で、
“学院内の負荷を一段下げたい」
ユリウスが、深く息を吐いた。
「“学長として”は、“賛成”です。
“教育院との議論”は、骨が折れそうですが」
「そこで、“労務局と軍監察総局の数字”を添えます。
““二年で即戦力”を目指した場合の“燃え尽き率”と、
“後方を挟んだ場合の“生き残り率”――
“どちらが“国のためか”って話に」
ライナスが、腕を組み替える。
「……“即戦力”って言葉、便利だけど、たいてい“使い捨て前提”だからな」
「便利な言葉ほど、薄めて飲んでください」
教会のマリアンにも、似たようなことを言った気がする。
*
「ところで」
ユリウスが、少し表情を和らげて言った。
「先ほど、“遊び下手は燃え尽きやすい”と仰いましたね」
「ええ」
「“学院生に“遊びの時間”を入れろ”と?」
「……そう言うと、一気に反発を招きそうですが」
俺は笑いながら首を傾げる。
「“遊び”というより、“役に立たない何かをしても怒られない時間”ですね」
リシアが、ふっと笑った。
「“図書室で“戦術書以外”を読んでても怒られない時間”とか」
「“中庭でぼーっと雲を見てても追い出されない時間”とか」
「“魔法と関係ない楽器をいじってても、“魔力の鍛錬にならん”と言われない時間”とか」
ユリウスが、目を伏せてから小さく笑った。
「……わたしが学院生の頃、“そんな時間”が少しだけありました。
“今は削ってしまっていた”のかもしれません」
「“戦争だから”“効率を上げなければ”って顔になると、真っ先に削られるやつです」
「“削った結果”“効率が下がる”んですけどね」
ライナスがぼそっと言う。
「“前線でも”“酒場でくだらない話をする時間”がなくなると、急に士気が落ちるんだ」
「その“くだらない話”が、“生き延びる理由”になったりしますからね」
砦の兵たちが酒場で交わしていた、“戦争が終わったらやりたいこと”の話を思い出す。
「学院生にも、“戦争が終わったあと”の話をさせてください。
“卒業したら”“何になりたいか”。
“魔導士以外の選択肢”も含めて」
「“魔導学院長がそれ言います?”って顔、教育院がしそうですね」
ユリウスが、自嘲ぎみに笑った。
「ですが、“わたしが学生にそう言えない学院”に未来があるとは思えません」
その言葉に、ライナスもわずかに頷いた。
*
話をまとめ終え、学院を出るころには、日が傾き始めていた。
中庭の片隅で、学生たちが魔法陣の前に座り込んでいるのが見える。
ひとりは、杖を抱えたまま舟をこいでいる。
その肩を、別の学生がつついている。
「――おい、寝ろって。
“魔力切れたまま座ってても、何も入ってこねーぞ」
「あと一回だけ……」
「“あと一回”を十回言ってたら、ライナス先生に蹴り飛ばされるぞ」
そんなやりとりが風に乗って聞こえてきて、思わず笑ってしまった。
「……ああいうの、放っておくと“武勇伝”になるんですよね」
リシアが肩をすくめる。
「“試験前日に魔法陣の前で寝落ちして、当日ふらふらで合格した話”とか」
「““徹夜で合格した”自慢は、““徹夜しないと合格できなかった”って告白でもあるんだけどね」
「それ、学生に言ったら嫌われますよ」
「嫌われるくらいがちょうどいいです」
そのくらいは、監査官の役得だ。
*
労務局に戻ると、机の上の通信水晶が淡く光っていた。
嫌な予感と、半分の期待。
『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』
やはり、あいつだった。
『こちらでも、“闇魔導士養成所”において、“禁呪の徹夜習得”とやらが問題になっている。
“七夜の修行を乗り越えた者だけが真の闇魔導士だ”という古い伝承があり、若い者ほど真に受ける』
『――“子どもの頃、遊び下手だったやつほど、闇の力にのめりこみやすい”という話を聞いた。
“光側でも似たような本が出ているのではないか?”』
「……どこから情報仕入れてるんだ」
思わず額を押さえながら、返事を書く。
『――こちらでも、“遊び下手は燃え尽きやすい”という本を読んだところだ。
“魔導学院で徹夜自習を禁止し、“遊びの時間”を少しだけ差し込む話をしてきた。
“七夜の修行”も、“人生で一度やれば十分だと思う”。
――“毎月やるな”と、そちらの闇の子どもたちにも伝えてほしい』
少し迷ってから、一文付け足す。
『――“戦場に立つ前に”“遊び方を知っている者”のほうが、きっとしぶとい。
光でも闇でも、多分同じだ』
*
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
砦、王城、暗部、ギルド、傭兵団、教会。
そして今、学び舎にも一本だけ線が引かれた。
“徹夜自習”と“七夜の修行”の間に、細いけれど確かな線。
世界は今日も、ほんの少しだけマシになった――
少なくとも、“勉強のしすぎで倒れる子どもたち”が、ほんの少し減る方向に動いた分だけ。




