二十一話 有給休暇は誰が押しつけるのか
軍監察総局による“労務局監査”が始まった、その一週間後。
俺たちの午前は、相変わらず紙とインクと、そして新しく増えた“視線”でできていた。
「――はい、みなさん注目」
まだ鐘も三つ目だというのに、ミーナがぱんぱんと手を叩く。
入口の横、“残業回数表”と並んで新しく掛けられた板の前に、局の面々が集められていた。
板には格子が引いてあり、名前の列と、“案件名”の行。
砦、王城、暗部、ギルド、傭兵団、教会、灰の谷――そして最後に“その他(雑用)”。
その中のひとつ、“灰の谷”の欄が、たいへん分かりやすく黒くなっていた。
「……レオンさん」
ヨアナが、いつもより二割きつめの笑顔で振り返る。
「“灰の谷案件”、ここ一ヶ月で“外回り四回分”相当の黒さになってるんですが」
「紙は軽いけど、実際は外回りしてないからセーフでは?」
「セーフじゃありませんね」
ミーナが、ぴしっと指さした。
「“外回り”って、“体が外に出てる時間”じゃなくて“頭が戦場と国境をさまよってる時間”も含むんですよ」
「新定義やめて」
そこへ、追い打ちのように通信札がひらりと差し出される。
「軍監察総局からの、初回報告への返信です」
ヨアナが読み上げる。
『――“王立労務局の案件別勤務表、興味深く拝見した。
“レオン・グラハム”欄の偏りは、もはや“個人のやる気”の問題ではなく、“局としての放置”の疑いあり。
“砦・王城・暗部等について、“連続勤務に上限を設ける”よう勧告している以上、
“監査官自身にも“連続灰の谷案件”の上限を設けるべきではないか。
――“最低連続休暇日数の導入を検討せよ”』
「……“休みを取れ”って監査で言われる日が来るとは」
俺は頭を抱えた。
「“連続灰の谷案件”って何ですか」
「“心が国境越えっぱなし”ってことじゃないですかね」
ミーナが妙に楽しそうだ。
「はい、というわけで」
ぱん、ともう一度手を叩く。
「“王立労務局初、有給休暇の押しつけ”を執行しまーす」
「執行って言い方やめて」
「対象者は――」
くるりと板を指し示す。
「“灰の谷案件”欄が最も黒い、レオン・グラハム監査官」
「ですよね」
リシアが、なぜか誇らしげに胸を張った。
「ということで、レオン。
三日間の強制休暇、決定です」
「ちょっと待って、せめて二日半とか――」
「“最低三日”って、レオンが傭兵団と神官部隊に言ってましたよね」
ヨアナの一撃が刺さる。
「“高危険度案件を連続でやった後は、最低三日休め”って」
「うちの言葉、どこからどう漏れてるんだほんとに」
「酒場とギルドと地下保全部」
リシアが指折り数える。
「あと教会の説教」
「説教!?」
「“主も七日に一度は休まれた”説教のとき、“労務局の監査官がこう言っていた”ってマリアン司祭が」
「名前消しといてって言ったのに!」
「“名前は出してない”って笑ってましたよ?」
まったく安心できない。
*
「というわけで」
バルド局長が、書類から顔を上げずに言う。
「三日間。灰の谷案件禁止、局への顔出し禁止、書類持ち帰り禁止」
「全部禁止……」
「“休暇”だからな」
局長は、にやりともせずに続けた。
「“砦の中隊長にも”“傭兵団長にも”“神官にも”同じこと言ったんだろ。
“誰がなんと言おうと、三日は休め”って」
「言いました」
「じゃあ、お前も三日は休め」
理屈としては、これ以上なく正しい。
「ただし」
バルドの目が、ちょっとだけ細くなる。
「三日のあとに机の上の山が二倍になっても、“何で片づいてないんですか”って言うなよ」
「言いません……言いたくはなるけど」
「それはお互い様だ」
局長は、やっと少し笑った。
「“監査官にも監査官がいる”ってことは、“監査官にも誰かが線を引く”ってことだ。
その線を越えたら、“お前の“最低限”も説得力を失う」
「……了解しました」
こういうときだけ、軍監察総局と局長がきれいに足並み揃うのは、卑怯だと思う。
*
というわけで。
三日間の有給休暇が、突然俺の前に転がり込んだ。
「で。何するんです?」
局を出たところで、リシアが尋ねてきた。
「“休め”って言われても、急に時間渡されると困る顔してますね」
「砦の中隊長も同じ顔してたな」
笑えない自覚がある。
「実家に顔出すとか?」
「実家は遠いしなぁ。馬車で行って戻ってきたら休暇終わる」
「じゃあ、“王都の中”で済ませましょう。
レオン、休暇らしい休暇最近取ってないですよね」
「“らしい休暇”って何だ」
「“砦の勤務表見に行かない休暇”です」
「厳しい条件だなぁ」
自分で言っていた条件とほぼ同じなのが腹立たしい。
「じゃあ、こうしましょう」
リシアが、指を一本立てる。
「一日目。“何もしない休暇”。
二日目。“王都を歩く休暇”。
三日目。“好きな場所から局の仕事をちょっとだけ眺める休暇”」
「三日目だけ条件が怪しい」
「完全に切り離すと、逆に落ち着かないタイプでしょ」
ぐうの音も出ない。
「“見える板”が壁一面にある部屋で育ってきた人種は、いきなり真っ白にされると不安で仕方ないんですよ」
「そんな部屋で育った記憶はないんだけど」
「“会計局”ってそういうところじゃなかったんです?」
「まあ、似たようなもんではある」
*
一日目。
本当に、何もしなかった。
いや、“しようとした”のだが、ミーナからしっかり釘を刺されている。
『――“休暇中に机の上を片づけておいたから”って言った瞬間に、“三日分の労働時間を机上で記録しますからね”』
あいつ、昔の俺よりよっぽど会計局向きの性格してる。
結果として、朝は遅く起き、昼は買ってきたパンをかじり、午後はひたすら本棚の読みかけの本を片づけた。
読みかけが、思ったより多かった。
『砦における交代勤務の理想形』
『魔術的照明と夜勤体制』
『子どもの遊びと将来の職業選択』
最後の一冊だけ毛色が違うな、と思ったら、ヨアナが勧めてくれた本だった。
『“子どもの頃、どんな遊び方をしていたか”で、“大人になってから燃え尽きやすいかどうか”が変わる――
“遊び下手は燃え尽きやすい”ってやつです』
それを読みながら、“レオンさん遊び下手ですよね”と真顔で言われた日のことを思い出す。
「……俺にも、遊んでいた時期くらいあったんだけどな」
紙の城を積み上げて、数字の兵隊で遊んでいた幼少期の記憶は、あまり説得力がないかもしれない。
*
二日目。
“王都を歩く休暇”。
リシアが半ば強引に付き合う形になった。
「護衛兼“監視役”です」
「監査官の休暇に監視つけるのやめない?」
「“砦の中隊長と紅鷲隊長にやったこと”です。諦めてください」
王都の中央通りは、いつもより少しだけ賑やかだった。
紅鷲隊が全休を取った日から、まだ日が浅い。
それでも、“戦時中だけど、何となく空気が軽い日”が、ときどきぽつぽつ現れ始めている。
パン屋の前には、“夜勤明けの兵士割引”の札。
酒場の前には、“徹夜明けの客お断り”の札。
「ほら」
リシアが顎で示す。
冒険者ギルドの前にある掲示板。
“高危険度依頼の連続受注に関するお願い”。
“迷宮から帰った日は、できるだけ宿へ戻ってください”。
その脇に、小さな板。
“受付嬢当番表”。
夜勤印の列が、綺麗にばらけていた。
「リナ、頑張ってますね」
「今度差し入れでも持っていくか」
「“仕事の話をしない”って約束できるなら」
「それは……努力目標で」
「努力目標じゃダメですね」
ギルドを素通りしてさらに歩くと、教会の前にも黒板が出ていた。
“本日は沈黙の日。祈りは朝と夕のみ。昼は体を休め、家族と過ごしましょう”。
扉の前で、若い侍祭が腰を伸ばして空を見上げていた。
目の下の隈が、前より少しだけ薄い。
(……確かに、変わり始めてはいる)
砦の当直表。
暗部の階段の板。
ギルドの出撃表。
紅鷲隊の“隊長休め”表。
大聖堂の“沈黙の日”。
どれも、紙切れ一枚から始まった。
「レオン」
考え込んでいたところに、リシアの声が落ちてきた。
「“歩きながら仕事の顔してる”って、今ミーナの声が聞こえました」
「空耳だろ」
「“どうせ三日目には局のほうから通信飛んできますよ”って顔してます」
「それは……まあ、ありえる」
*
実際、三日目の朝。
予想どおり、通信水晶が鳴った。
ただし、労務局ではなく、別のところから。
『――魔王軍統一兵站局労務監査課 ギルゼン・ヴァルナ』
短い文。
『“三日間、何もしない休暇”というものを試した。
初日で限界を感じた。
二日目から“捕虜収容所の勤務表の読み直し”を始めたところ、“軍規監察院から“それは休暇ではない”と叱られた。
――そちらも似たような目に遭っていることを願う』
「だから願うなって」
思わず苦笑してから、返事を書く。
『――こちらも同様だ。
“何もしない”一日を何とか乗り切り、二日目は王都を歩いて“変わった板”を眺めて過ごした。
三日目は、“好きな場所から局の仕事をちょっとだけ眺める日”ということになっている。
――“机の上の山を見に行かない”という条件付きで』
少しだけ考えてから、一文足す。
『――“監査官に有給休暇を押しつけるのは誰か”という問いに対する答えは、“周りの誰か”だった。
そちらも、そうであることを願う』
これくらいなら、願ってもいいだろう。
*
三日目の午後。
結局俺は、王都の外れの丘の上にある小さな茶屋に来ていた。
王城と軍務省の塔と、大聖堂の尖塔、そして遠くに灰の谷の方向が見える場所。
そこに、一枚だけ紙を持ってきていた。
“労務局版・案件別勤務表”。
入口に貼ってある板の写しだ。
レオン・グラハム。
砦、王城、暗部、ギルド、傭兵団、教会、灰の谷。
こうして眺めてみると、自分でも苦笑するしかない偏り方をしていた。
「……まあ、よくも悪くも“今の世界の火の気の濃いところ”ばっかりだよな」
逆に言えば。
“まだ真っ白に近い欄”も、多い。
商会。
学校。
農村。
職人ギルド。
“戦時だから”と後回しにされている場所。
戦争が終わったあと、真っ先に火の粉が飛ぶ場所。
「欲張りだな、ほんとに」
自分にそう言いながら、紙の端に小さく丸を付ける。
“戦争が終わったら”の欄。
そこに、“やりたいこと”を、ほんの少しだけ書き足した。
“王都の学校に、“徹夜禁止”の板を。”
“商会向けの“使用人の働き方”講習会。”
“農村の収穫期だけの“臨時労務局支部”。”
書いておいて、俺は頭をかいた。
「……戦争がいつ終わるかなんて、誰にも分からないのにな」
それでも、“終わったあとの紙切れ”を準備しておきたくなる。
性分だ。
茶屋の婆さんが、湯気の立つ茶を運んできてくれた。
「珍しいねぇ、あんたが昼間からぼーっとしてるの」
「休暇中なんですよ。一応」
「“一応”ってつけるときは、だいたい休めてないときだよ」
「図星ですね」
茶を一口すすると、少し肩の力が抜ける。
丘の上から見える王都は、いつもと同じようで、少しだけ違って見えた。
砦の当直表。
暗部の階段の板。
ギルドの掲示板。
傭兵団の出撃表。
大聖堂の祈りの板。
労務局の案件表。
そして、灰の谷の向こうで、同じように紙の山と格闘している誰か。
「……まあ、三日くらいなら、いいか」
ぽつりとそう言って、紙をたたんだ。
明日になれば、また机の上の山が待っている。
“軍監察総局向けの報告”も、“灰の谷覚書第二号の相談”も、“砦の新しい当直表の相談”も。
けれど、今日だけは。
“世界を少しだけマシにする仕事”から、ほんの少しだけ離れて、
“その世界がちゃんと回っているかどうか”を、丘の上から眺めていてもいい。
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
有給休暇は、“自分で欲しがるもの”じゃなく、“周りから押しつけられるもの”なのかもしれない。
――そしてそれは、案外悪くない押しつけだと、三日目の夕焼けを見ながら思った。




