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異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


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二話 勇者パーティーと契約書

 王立労務局を出て、大通りまで戻ると、日差しがやけに眩しく感じた。


 昼下がりの王都は今日も平和そうで、行き交う人々は誰も、見習い魔導士が過労で倒れたなんて想像もしていない顔をしている。


(さて、まずはギルドだな)


 セリーヌから預かったステータスカードを、革の鞄の中でそっとなぞる。


 連続稼働三十日、休みなし。

 睡眠時間一刻――一時間前後。


 数字だけ見れば、それがどれだけ異常かは一目瞭然だ。


 だが“数字が異常だから”というだけで世界が動いてくれるなら、労務局なんていらない。


(契約書。まずはそこからだ)


 自分に言い聞かせるように、俺は冒険者ギルドの重厚な木の扉を押し開けた。


 *


 ギルドの中は、相変わらずの喧噪だった。


 酒場を兼ねた一階ホールでは、昼間からジョッキを傾けている連中もいれば、掲示板に貼られた依頼書を真剣な目で睨んでいる者たちもいる。


 その一角に、ひときわ目立つ大きな壁掛けがあった。


 若い男が剣を掲げ、背後に炎を背負っている肖像画。

 その下には金文字でこう書かれている。


『“蒼炎の勇者”アルズ・ブレイヴとその仲間たちに栄光あれ』


 脇に貼られた紙には、彼のこれまでの功績が誇らしげに並べられていた。

 討伐した魔王軍幹部の名前。攻略したダンジョン。救った村の数。


(たしかに、英雄だ)


 数字の列を追いながら、俺は心の中で小さくうなる。


 英雄であることと、部下を潰していいことは別問題だが――それでも、この国の人間にとって彼が“特別扱い”される理由は理解できた。


「いらっしゃい。おや、レオンさんじゃないか」


 受付のカウンターに近づくと、見覚えのある顔が声をかけてきた。


 ギルド職員の中堅、ロルフ。

 以前、会計局時代の監査で帳簿のことで何度かやり合った相手だ。


「今日は仕事で?」


「ええ。王立労務局のレオン・グラハムとして、です」


 そう言って胸元の徽章を見せると、ロルフは一瞬だけ眉を上げ、それから苦笑した。


「噂は聞いてる。“働きすぎの冒険者を守る新しい役所”だとかなんとか」


「概ね間違ってはいません」


「で、その新しい役所がうちにどんな用件で?」


「アルズ・ブレイヴ一行の契約と稼働記録。それから、見習い魔導士セリーヌ・ハントに関するギルド保管の書類を閲覧したい」


 俺が用件を告げると、ロルフの表情がわずかに引きつった。


「……いきなり核心から来るなぁ」


「時間も人手も潤沢とは言えませんので」


「だろうね」


 ロルフは頭を掻きながら、カウンターの奥に向けて声を張った。


「おーい、マスター! 例の“労務局”が来たぞ! 勇者様の契約書が見たいってよ!」


 奥から「なんだと?」という渋い声が返ってくる。


 しばらくして、奥の扉が開き、筋骨たくましい中年男が姿を現した。

 大柄な体躯に、白髪まじりの短髪。鋭い目つきだが、その奥に疲れの色も見える。


「ギルドマスターのドランだ。会計局の坊主が、今度は労務局とはな」


「お久しぶりです、ドランさん」


「よくはないがな」


 ドランは小さくため息をつき、カウンター越しに俺を睨んだ。


「で、アルズの契約書だと?」


「はい。セリーヌ・ハントからの申告内容の確認のためです」


「……あいつ、来たか」


 ドランは額を押さえ、少しのあいだ天井を仰いだ。


「お前さんにとっては“最初の案件”かもしれんが、こっちにとっちゃずっと喉に刺さってた骨みたいなもんだぞ」


 そう言いつつも、彼は奥の書庫へ引き返していく。

 数分後、分厚いファイルを抱えて戻ってきた。


「アルズ一行のギルド契約、メンバー全員分。それと、セリーヌについての補足書類だ」


「助かります」


 俺は礼を言ってから、ファイルを受け取り、脇の小さなテーブル席に移動した。


 *


 契約書は、形式上はきちんとしていた。


 ギルドと勇者パーティー、その構成員との三者契約。

 最低限の安全配慮義務。

 連続稼働日数の制限。

 危険手当や成功報酬の取り決め。


 文字だけを追えば、問題は見当たらない。


(だからこそ、やっかいなんだが)


 ページをめくっていくと、別紙として薄い紙束が挟まれていた。


「“修行条件に関する覚書”……?」


 タイトルを目で追い、内容に目を通す。

 そこにはこう書かれていた。


『見習いおよび荷運び要員については、本人の希望と修行の必要性に応じて

 休息時間および報酬額を調整することがある。

 この場合、ギルドの定める一般規定の一部は適用外とする』


「これは……」


「見習い本人の署名もあるだろう」


 いつの間にか横に来ていたドランが、契約書の一角を指さした。


 そこにはたしかに、震えた文字で『セリーヌ・ハント』と署名がある。


「これじゃ、ギルドの規定を形だけ守って、中身を抜いてるようなものです」


「分かってる」


 ドランは苦々しく唸った。


「だがな、ギルドだって万能じゃない。アルズは“魔王軍との最前線”だ。あいつの機嫌を損ねりゃ、前線の士気に響く。王宮からの圧もかかる。……そんな中で、『修行したいと言ってる見習いの希望を尊重しただけ』って建前を出されりゃ、突っぱねるのは簡単なことじゃない」


「“希望”ですか」


 俺はセリーヌの署名を見つめた。


 あの震えた手で、どんな気持ちでペンを握ったのか。


 英雄パーティーに拾われた喜び。

 “役に立ちたい”という焦り。

 “ついていけなければ捨てられる”という恐怖。


 それら全部を、“本人の希望”という言葉一つで片付けるのは、あまりにも乱暴だ。


「ドランさん。ギルドとしては、この案件をどうしたいと思っていますか」


 俺の問いに、ドランは鼻を鳴らした。


「本音を言えば、“誰か外から強引に止めてくれ”だ。

 だがギルドが正面からアルズに物申せば、ギルドと勇者パーティーの関係がこじれる。現場の依頼処理にも支障が出る」


「だから、労務局に投げた、と」


「そういうこった」


 ドランは俺を真っ直ぐに見た。


「うちは、“新しい役所ができたから紹介した”って筋が立つ。

 お前さんは、“国法に基づいて監査に来た”って大義名分がある。

 どう転んでも、最悪ギルドとアルズの関係だけが壊れる、ってわけじゃない」


「最悪、そこが壊れる可能性はある、と」


「ある」


 ドランはきっぱりと言い切った。


「だがな――」


 彼は少し声を落とした。


「こっそり倒れていく見習いのことを考えりゃ、そのリスクは飲む価値があると、俺は思う」


 ギルド側の腹は、決まっている。


 あとは――こっちが覚悟を決める番だ。


「……分かりました」


 俺はファイルを閉じ、立ち上がった。


「契約書の写しをお借りしても?」


「ああ、ミーナに言えばすぐ写しを作る。代わりに、ひとつ忠告だ」


 ドランの瞳が鋭くなる。


「アルズは、英雄だ。自分の正しさを疑ったことがない。

 そんな奴に“お前は間違っている”と言うのは、簡単じゃない」


「分かっています」


「それでも行くのか?」


「それでも行きます」


 俺は短く答え、微笑んだ。


「“正しいかどうか”は賢い人たちが議論すればいい。

 俺が見るのは、“契約が守られているかどうか”だけです。

 守られていないなら、どれだけ偉い奴でも、俺たちの相手になります」


 ドランは一瞬目を丸くし、それから豪快に笑った。


「ははっ。言うようになったじゃねぇか、会計局上がり」


「今は労務局です」


「そうだったな」


 笑いの余韻が残る中、ギルドホールの空気がふと変わった。


 ざわ、と人の波が割れる。


「――“蒼炎の勇者”ご一行、ただいま帰還!」


 誰かがそう叫び、入り口の方で歓声と拍手が湧き起こった。


 振り向くと、陽光を背負って四人の影が立っていた。


 先頭の青年は、絵の中の本人だった。

 赤いマントに青銀の鎧。肩まで伸びた赤毛が炎のように揺れ、その瞳は自信と疲労と、そしてどこか苛立ちを湛えている。


 腰には、炎の意匠が施された剣。


 ――蒼炎の勇者、アルズ・ブレイヴ。


 その後ろには、大盾を背負った巨漢の戦士。

 白い法衣に身を包んだ僧侶。

 そして、フードを深く被った、小柄な魔導士。


 セリーヌだ。


 彼女の足取りは重く、姿勢もどこかふらついている。

 だが周囲の歓声に気づかれまいとするように、必死に背筋を伸ばしているのが分かった。


(……タイミングとしては、最悪でもあり、最高でもあるか)


 俺は小さく息を吐き、ギルドマスターに一瞥を送った。


 ドランは小さく頷き、視線で「行け」と促す。


 俺はゆっくりと歩き出した。


 *


 アルズたちがカウンターに報告書を出し終えるのを待ち、空気が一瞬だけ途切れたタイミングを狙って声をかける。


「アルズ・ブレイヴ殿。少々、お時間をいただけますか」


 勇者一行の視線が、一斉にこちらを向いた。


 アルズの瞳が、値踏みするように俺を見上から下までを見ていく。

 その後ろで、セリーヌがわずかに目を見開いた。


「何者だ?」


「王立労働環境監査局――通称、労務局のレオン・グラハムと申します」


 胸の徽章を見せると、アルズの眉がわずかに動いた。


「労務局? 聞いたことがないな」


「新設されたばかりの部署ですので」


 俺は淡々と続ける。


「本日は、貴殿のパーティーの労働環境について、少しお話を伺いたく参りました」


「労働……環境?」


 アルズは一瞬、意味が分からないといった顔をしたあと、ふっと鼻で笑った。


「笑わせるな。俺たちは戦場にいる。魔王軍と戦っている。

 “働く環境”がどうのと言っていられる状況じゃない」


「世界を救うためなら、部下が倒れても構わないと?」


 そう言った瞬間、周囲のギルドの空気がぴりついた。


 さすがに挑発が過ぎたか、と内心で舌打ちしかけたとき――アルズは、怒鳴り返すでもなく、目を細めて俺を見た。


「……そういう言い方をされると、否定が難しいな」


 低い声だった。


「だが、現実問題として“倒れる前に止まっていたら”今の戦果は出ていない。

 俺は、こいつらが自分から“ついてくる”と言ったから連れているだけだ」


 彼は振り返り、仲間たちを見た。


「俺が無理を強いていると思うなら、今ここで言え。

 言った者はただちに解放する。俺は引き止めない」


 大盾の戦士は首を振り、僧侶は静かに目を閉じたまま黙っている。

 セリーヌは、唇を嚙みしめてうつむいていた。


 何も言えないのか。

 言わないのか。

 言える空気ではないのか。


 どれであっても、結果は同じだ。


「本人たちの沈黙を、“希望”の証拠として扱うのは、監査の立場からは難しいですね」


 俺は静かに言った。


「だからこそ、“あなたの言葉”ではなく、“数字”を見に来ました」


 鞄から、ギルドから預かった写しの束を取り出す。

 稼働日数。睡眠時間。報酬額。修行条件覚書。


「これらを確認する限り、少なくともセリーヌ・ハント嬢に関しては、国の定める基準から大きく逸脱しています」


「基準?」


「はい。“連続稼働日数は二十日を超えてはならない”“最低限、一日四刻の睡眠時間を確保すること”――労働基準令、第二条および第四条です」


 ざわ、と周囲がざわつく。


「そんな規則、初めて聞いたぞ」「四刻も寝てたら夜襲されたら終わりだろ」「でも確かに三十日はきついな」

 様々な囁きが飛び交う中、アルズは俺から視線をそらさずにいた。


「戦場にそんな余裕があると思うか?」


「“常に最前線に立ち続けろ”なんて、法律のどこにも書いてありません」


 俺は一歩だけ踏み込む。


「だからこそ、ギルドはローテーションを組んでいる。

 だからこそ、兵站部隊や予備兵が存在する。

 世界を救うために必要なのは、“勇者が寝ないこと”ではなく、“戦力を潰さないこと”です」


 沈黙が落ちる。


 アルズは何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。


 そのとき、後ろから僧侶がそっと口を開いた。


「……アルズ」


「なんだ、エルミア」


「あなたも、ここ数日は眠れていません。

 炎の精霊たちも、さっき“少し休ませろ”と愚痴をこぼしていました」


 エルミアと呼ばれた僧侶は、穏やかな声で続ける。


「それに、セリーヌの魔力の乱れは、このままだと本当に危険です。

 “修行だから”で済ませられる段階は、正直、とっくに過ぎています」


 アルズの拳が、ぎり、と音を立てた。


 彼はしばらく唇を噛みしめ、それからゆっくりと息を吐いた。


「……だからといって、役所の口出しをそのまま飲むわけにはいかない」


「当然です」


 俺は頷いた。


「だから提案があります。

 次のクエストに、労務局の“立ち会い監査官”として同行させてください」


「は?」


 アルズだけでなく、周囲の冒険者たちも「は?」と声を上げた。


 ドランが頭を抱える。


「おいレオン、お前なぁ……」


「現場を見ずに机上だけで裁定するのは、俺の流儀じゃありません」


 俺はあえて、ギルド全体に聞こえるように声を張った。


「労務局は、“現場を知らない役所”だと思われているでしょう。

 ならば、まずは現場を見に行きます。

 あなた方がどんな戦い方をしているのか。

 どこまでが本当に必要な負担で、どこからが“慣例だから”で済まされているのか」


「……ふざけているのか?」


「至って本気です」


 アルズは信じられないものを見るような目で俺を見た。


「そんなことをすれば、あんたの身が危険だぞ。

 俺たちが相手にしているのは、書類に印を押すだけの魔物じゃない」


「分かっています。だからこそ、局長から許可をもらってきました」


 俺はちらりとギルドマスターを見る。


 ドランは大きくため息をつき、肩をすくめた。


「……王立だかなんだか知らんが、そいつは本気だ。止めても行くだろうよ」


「ギルドとしては?」


「立ち会い監査が入ったって記録が残るのは、うちとしても悪い話じゃない。

 どうせ一度は誰かがやるなら、最初がレオンでよかったと思うぞ。命が惜しくないバカは貴重だ」


「誉め言葉として受け取っておきます」


 俺が軽口を返すと、周囲から小さな笑いが漏れた。


 アルズはしばらく考え込み、それからゆっくりと口を開いた。


「……いいだろう」


 その声には、まだ警戒と苛立ちが混じっている。


「次のクエストは、魔王軍の前線拠点の偵察だ。危険だぞ」


「承知しています」


「足手まといになれば、置いていく」


「そのときは、“勇者パーティーの監査官置き去り事件”として報告書に書くだけです」


「脅しているつもりか?」


「事実を述べただけです」


 アルズが、ふっと笑った。


 今度の笑いには、少しだけ興味の色が混じっていた。


「……面白い。そこまで言うなら、やってみろ。

 口だけの役人かどうか、この目で確かめてやる」


「望むところです」


 互いに視線をぶつけ合ったまま、ほんの少しだけ口元が上がる。


 その後ろで、セリーヌが胸の前でそっと手を握りしめているのが見えた。


 期待か、不安か。

 たぶんその両方だろう。


「出発は三日後だ。それまでに準備を整えておけ」


「了解しました」


 アルズが踵を返し、仲間たちと共にギルドを出ていく。

 その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。


(これで、“机の上だけの話”ではなくなった)


 勇者パーティーに入る。

 魔王軍の前線に足を踏み入れる。

 そして、その中で“労務局としての線”をどこに引くかを、自分で決めなければならない。


 背筋に、遅れて冷たいものが走る。


「おいレオン」


 ドランが近づいてきた。


「生きて帰ってこいよ」


「もちろん。そのための“労働環境改善”ですから」


 冗談めかして返しながらも、手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。


 王立労務局の初案件は、思った以上に大きな炎の中に飛び込むことになりそうだ。


 三日後。

 俺は勇者パーティーと共に前線へ向かう。


 そのとき、ただの“役所の人間”として戻ってくることは、おそらくもうできないだろう。


 それでも――


(あそこで震えていた見習い魔導士が、“ちゃんと眠れる世界”に、少しでも近づくなら)


 それだけは、絶対に見届ける。


 そう心に決めて、俺は労務局への報告書の文面を頭の中で組み立て始めた。


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