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異世界労務局は魔王にも「今日ここまで」を言わせたい  作者: ひろボ


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十三話 王城監査と、“一番ブラックな職場”

 軍務省の講習会が終わってから、三日。


 労務局の庁舎は、いつも以上に紙の匂いが濃かった。

 講習会で配った資料の写しや、前線からの質問状、捕虜収容所の運用報告――その全部が、迷いもなく俺の机の上に積み上がってくる。


「……局長。これ、どこから手を付ければいいです?」


 紙の塔を前に、半分本気で尋ねる。


 バルドは、いつものように頭をかきながら、鼻を鳴らした。


「上からだ」


「雑ぅい」


「下から崩したら全部倒れる。上から削るのが役人のコツだ」


 妙に説得力のある理屈を聞かされながらも、俺は一番上にある封筒をつまみ上げた。


 王家の紋章。

 普通の司書が震え上がるやつだ。


「……いやな予感しかしませんね、これ」


 思わずため息をつくと、隣で書類を整理していたミーナが身を乗り出した。


「王家の封蝋……レオンさん、とうとう“王城ブラック監査”ですか?」


「そんな物騒な言葉を当たり前のようにくっつけないでくれ」


 封を切り、書状を広げる。


『――王城における勤務体制および当直表について、労務局としての意見を伺いたい』


 という丁寧な文面のあとに、小さな追伸が添えられていた。


『講習会においての“王城の当直表も見てみたい”との発言、耳にしました。

 一度、本当に見てみませんか?』


 署名は――王城執務を取り仕切る“宰相”のものだった。


「……講習会の野次が、王城にまで届いたか」


「“王城にも札を貼れ”ってやつですね」


 ミーナが口元を押さえて笑う。


 バルドは、書状をひったくるようにして目を走らせ、ふんと鼻を鳴らした。


「よし、行ってこい」


「ですよね」


「“王城を監査したい”と労務局が言えば角が立つが、“宰相から呼ばれたから渋々行く”という建前なら、まだマシだ」


「建前、丸聞こえなんですが」


「本音を隠せるほど器用なら、会計局なんて辞めてないだろう」


 ぐうの音も出ない。


「ヨアナ、日程調整だ。王城との打ち合わせを一件入れる」


「はい。レオンさん、明日午前に王城参内、その後宰相閣下との面談でよろしいですか?」


「速いな、スケジュール帳」


「王城からの招待を“来月以降で”なんて言える部署、うちにはないですよ」


 ヨアナがさらりと言い、ミーナは「行ってらっしゃいませ、王城ブラックツアー」と手を振る。


「ツアーじゃない。仕事だ」


 そう言いつつも、心のどこかで“どれくらいひどいんだろうな”とわくわくしている自分がいる。


 この時点で、“一番ブラックなのはどこか”なんて考え始めているあたり、俺もだいぶ労務局向きの頭になってしまったらしい。


 *


 翌日。


 王都の中央にそびえる白い城は、何度見ても威圧感がある。


 ただ、昔と違って――今は“きれいな外壁の裏にどれだけ残業が詰まっているのか”も、想像がつくようになった。


「緊張してます?」


 王城の門をくぐる前に、リシアが横目で見てくる。


 今日は護衛兼案内役として、リシアも同行してくれていた。


「魔王軍代表よりはマシです」


「顔が言ってません」


「多分、魔王軍より怖いんですよ、王城のほうが」


 自分で言って、自分で苦笑する。


 門番に呼び止められ、労務局からの来訪だと告げると、意外にもすんなり通された。


 ――いや、意外でもないか。相手は宰相からの正式招待だ。


 案内役の侍従に導かれ、王城の執務棟へ向かう。

 途中、廊下を行き交う書記官や兵士たちの顔つきが、妙に疲れているのが気になった。


(……うん。来てよかったかもしれない)


 廊下の隅に積まれた書類箱、夜目にもクマが分かる文官、鎧の紐を結び直しながらあくびを噛み殺している近衛兵。


 どれも、“どこかで見たことのある現場”だ。


 *


 王城執務室の一角。


 宰相執務室の扉の前で一呼吸おき、ノックをする。


「レオン・グラハム、参りました」


「お入りなさい」


 落ち着いた声が返ってきた。


 中に入ると、壁一面に本棚と書類棚が並ぶ部屋の中央に、大きな机が一つ。


 その向こうに座っていた男は、もう少し年老いた切れ者を想像していた俺の予想とは違っていた。


 白髪は混じっているが、背筋はまっすぐ。

 目元には笑い皺よりも、疲労の線が多い。


 ――それでも、その視線はよく通った。


「王城総務を預かる宰相、アーベル・ハインツだ。王立労務局の働きについては、以前から報告を受けている」


「レオン・グラハムです。こちらは、護衛兼実地担当のリシア・フォルド」


 軽く会釈すると、宰相は興味深そうに俺たちを見た。


「“勇者に是正勧告を出して”“前線の当直表に線を引いて”“魔王軍と条約を結んだ”――と」


「……どこまで話が盛られているのか、気になりますね」


「盛られてはいないらしい。むしろ、“まだ足りない”と軍務省の一部が文句を言う始末だ」


 宰相は、そこでようやく口元を少しだけ緩めた。


「本日は、“王城の当直表を見たい”という物好きな監査官の願いを、こちらから叶えるためにお呼びした」


「願った覚えはないんですが、ありがたく」


「講習会での一言は、王城にも届いている。“王城の当直表も見てみたいですね”と」


 あの場の野次が、ここまできっちり拾われているあたり、この国の情報網は侮れない。


「正直に申し上げますと」


 宰相は机の上から一枚の紙束を持ち上げた。


「王城は――“一番手を付けづらい職場”だ。

 王と王族の安全、政務、儀礼。何もかもが詰め込まれている。

 その中で、“働き方”の話をすると、“今さら何を”と言われるのが目に見えている」


「だから、“外部の口”が必要になった、と」


「そうだ」


 宰相はあっさり頷いた。


「王城の当直表を、私はとっくに“おかしい”と思っている。

 だが、“宰相が言い出した”となれば、“余計な改革”として反発を招く。

 そこで、“前線まで行って魔王軍とまで手を握ってきた物好き”の出番だ」


「うちの局長も似たようなことを言ってましたね。“上に怒られるのは俺、お前は現場で怒られろ”って」


 思わず漏れた愚痴に、宰相がふっと笑った。


「良い上司ではないか」


「……否定はしづらいです」


 *


「では、まず現状を」


 宰相が机の引き出しから取り出したのは、何枚もの表だった。


「こちらが、近衛の当直表。こちらが、王城警備兵。こちらが、夜間の文官宿直。こちらが侍女と従僕の当番だ」


「多いな」


 リシアが思わず呟く。


 俺は一枚ずつざっと目を走らせ、すぐさま違和感を覚えた。


(……名前、見覚えあるな)


 王城近くの飲み屋で、よく愚痴っていた連中の名前だ。

 近衛の○○、警備兵の××、書記官の△△。


 そして――


「“夜明け前当直”が三晩連続で入っている人間がいますね」


 指でなぞると、宰相が苦々しい顔をした。


「やはり、そこを見るか」


「前線の砦と、まったく同じ穴ですから」


 ヘンリー伍長の顔がチラつく。


「あちらは“夜目が利くから”。こちらは?」


「“王城の地理に詳しいから”。

 迷路のような廊下を把握している者が少ないので、“便利だから”と夜間巡回に回され続けている」


「出ましたね、“便利だから”」


 リシアが肩をすくめる。


「当直回数表は――」


「ない」


 宰相は自嘲気味に笑った。


「王城で、“誰が何回夜勤に入っているか”など、誰も気にしない。

 “王の安全のためなら当然だ”という空気が、いつの間にか染み付いてしまった」


「それを“当然じゃない”と言いに来るのが、労務局です」


 俺は紙束を机に並べた。


「砦とやることは同じです。“見える板”を作る。

 近衛、警備兵、文官宿直、侍女。それぞれに、“今月の夜勤回数表”を貼り出す」


「貼り出す場所は?」


「食堂と詰め所と、ここ――宰相室の前あたりですかね」


 宰相が少し驚いた顔をする。


「宰相室の前にか?」


「“偉い人の目にも毎日入る”というのが大事なので」


 前線の砦と、理屈はまったく同じだ。


「それと、“王城だからこそ”の赤線も一本引きたい」


「ほう」


 宰相が目で続きを促す。


「“王族直下の夜間勤務”――王太子付き、王女付きの侍女や護衛について、“連続三晩以上の夜勤を禁止”にしてください。

 この辺りは、“誰も断れない”からこそ、負担が偏りやすい」


「……確かに」


 宰相が腕を組む。


「王太子付きの近衛の中には、“一週間まともに寝ていない”者もいると聞いている。

 “王のそばにいたい”という忠誠心に甘えて、酷い回し方をしてきた」


「それを、“王が知らないまま”にしておくのが一番危険です」


 俺は静かに言った。


「部下の誰かが倒れてから、“そんなつもりではなかった”と言っても遅い。

 だから、“王城の当直表はこうなっています”と、王に見せる必要がある」


 宰相は、少しだけ視線を逸らした。


 ――その一瞬に、“ここまで分かっていても、踏み込めなかった葛藤”が見えた気がした。


「……王に、“疲れ知らず”でいてほしいと思うのは、臣下として当然だ」


 宰相は低く言った。


「だが、“王のために臣下が疲れ果てて倒れる”のは、本末転倒かもしれんな」


「王という役職は、“自分の下にいる者の睡眠時間に責任を持つ”役職でもあると思います」


 口にしてから、“ずいぶん偉そうなこと言ったな”と内心冷や汗をかいたが、宰相は怒らなかった。


 むしろ、少しだけ笑った。


「――やはり、呼んでよかった」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 *


「ただし」


 話を進めようとしたところで、宰相が手を上げた。


「王城には、もう一つやっかいな点がある」


「やっかいな点?」


「“王城で働く者の中には、“労務局のような役所を敵視している者”が少なくないということだ」


 宰相は机の一角を指でトントンと叩いた。


「“王城は特別だ”“他所と同じ物差しで測るな”という連中だ。

 彼らは、“外から来た監査官”に、自分たちのやり方をあれこれ言われるのを、きっと嫌がるだろう」


「……会計局時代、似たような人種を山ほど見ました」


 “自分の帳簿は自分のものだ”と思っている経理担当。

 “数字を他人に見られるのが嫌いな職人。


 どこにでもいる。


「砦の指揮官たちと違うのは、彼らが“王の近くにいる”ということだ。

 “王城のやり方に口を出した役人”という烙印は、下手をすると一生ついて回る」


「……それでもやりますか、と聞いている顔ですね」


「仕事を選ぶ余裕があるなら、こんな呼び出し状は出さない」


 宰相の言葉に、苦笑が漏れる。


 ――そうだ。もうここまで来たら、腹を括るしかない。


「分かりました」


 俺は当直表の紙束を揃え直した。


「“王城版・当直表赤線”を作ります。

 ただし、“一気に全部”は無理です。

 まずは“宰相室管轄の部署”から始めましょう」


「宰相室管轄……」


「近衛と警備兵は軍務省と連携しないと動かせません。

 文官宿直と侍女当番から始めて、“結果を見せる”。

 “夜勤回数を減らしたら、かえって仕事が回りやすくなりました”という事例を作れば、近衛側も動きやすくなるはずです」


 宰相はゆっくりと頷いた。


「“まず自分から”か」


「それは、魔王軍の同業者にも言われましたから」


 ギルゼンとの握手が、脳裏に浮かぶ。


『――“相手がひどいから、自分たちは変わらなくていい”という言い訳を、お互いに潰すために』


「“王城が一番酷い”と言われたくないなら、“王城から変わる”しかありません」


「……耳が痛いな」


 宰相は苦笑し、机の引き出しから小さな鈴を取り出して鳴らした。


 間もなく、控え室から一人の女官が入ってくる。


 その顔を見て、俺は思わず目を瞬いた。


「……あれ?」


「お久しぶりです、レオンさん」


 柔らかな物腰のその侍女――セリーヌが、小さく微笑んだ。


 労務局が発足したばかりの頃、王都の貴族屋敷の“住み込み女中の連勤問題”で出会った、あのセリーヌだ。


「セリーヌは、今は王女付き侍女頭だ」


 宰相が説明する。


「王女殿下の身の回りを見ながら、“侍女たちの働き方”も見ている。

 “王城の内側から変えたい”と言ったので、呼び寄せた」


「だから宰相室から労務局へ話が来たのか」


 点と点が、一本の線で繋がる気がした。


「セリーヌさんが、“王城の夜勤回数、見せたいものがあります”ってうちに来たんですよ」


 ミーナの報告を思い出す。


 セリーヌは、少し恥ずかしそうに頬をかいた。


「……王女様が寝付かれたあと、廊下で倒れそうになっている子を見まして。

 “これは、前にレオンさんが言ってた“限界を越えさせた働かせ方”だなあ、と」


「あのときの話を、覚えていてくれたんですね」


「“倒れる前に線を引いてください”って言われましたから」


 セリーヌの笑顔は、あの頃より少しだけ大人びて見えた。


 *


「というわけで」


 その日の午後にはもう、王城侍女棟の一角で簡易な板を削っている俺とリシアの姿があった。


「……なんでいつも、板削ってるところから始まるんですかね、うちの仕事」


「数字書くだけより、ちゃんと“物”があるほうが効きますからね」


 板に格子を刻み、“名前”と“日付”の欄を作っていく。


 セリーヌが侍女たちを集めているあいだに、ミーナは隅で“王城版・当直表赤線案”をしたためていた。


「“夜勤明けの日は、必ず日中勤務を軽減する”……っと」


「王城でもそれ、通ると思う?」


 リシアが小声で聞く。


「最初から“完全休み”は無理でしょう。

 だからせめて、“掃除は別の子に任せて、帳簿整理だけにする”とか、そういうラインからです」


 砦と同じだ。

 “全部休み”が無理なら、“一番きついところだけでも外す”。


「――あの」


 いつの間にか、侍女たちが廊下に集まっていた。


 年若い子から、セリーヌと同年代くらいの者まで。

 その多くが、目の下にうっすらと影を宿している。


「王城労務局出張所――じゃないですけど」


 俺は板を抱えながら軽く頭を下げた。


「王立労務局監査官、レオン・グラハムです。

 ここ数日、“皆さんの当直がどう回っているか”を見させてもらっています」


 ざわ、と小さなざわめき。


「“これ以上、夜勤が増えたらどうしよう”と思っている人もいるでしょう。

 今日は逆です。“どこまで減らせるか”の話をしに来ました」


 目を丸くする侍女たち。

 その隣で、セリーヌが小さく頷いてみせる。


「まず、この板に“今月の夜勤回数”を書いていきます。

 “自分が何回入っているか”“同じ子が何回も名前を書かれていないか”――それを、皆で見えるようにします」


「……そんなの、書いていいんですか?」


 恐る恐る、誰かが問いかける。


「書かないと、誰かが倒れます」


 俺ははっきり言った。


「“王女様のそばにいたい”という気持ちに甘えて、“同じ子にばかり当直を押しつけるやり方”は、長い目で見れば王女様ご自身を危険にさらします。

 だから、“王女様のために”も、夜勤は回しましょう」


 その言葉に、空気が少し変わった。


 “自分のため”よりも、“王女様のため”のほうが、この子たちには響く。


(――魔王軍もそうだったな)


 “魔王の火の栄光”とやらを理由に、“命を燃やし尽くせ”と言う宗教部門。

 それに対して、“補充が大変だ”と言い返す兵站局。


 どこの陣営でも、“何のために”という看板を、きちんと掛け替えてやる必要がある。


「あともう一つだけ」


 板を壁に打ち付けながら、俺は続けた。


「“もう限界だな”と思ったら、セリーヌさんか、王城総務の窓口か、労務局に伝えてください。

 “倒れてから報告”は、労務局として受け付けません」


 廊下のあちこちから、小さな笑いが漏れる。


 セリーヌが、一歩前に出て言った。


「大丈夫。レオンさんは、“倒れる前に線を引いてくれる人”ですよ」


 その一言で、侍女たちの表情がほんの少しだけ和らいだ気がした。


 *


 日が暮れる頃、俺たちはようやく王城をあとにした。


 当直回数表の板は、侍女棟と文官宿直室、それから宰相室前にそれぞれ一枚ずつ。


 “王族直下の連続夜勤禁止”の草案は、宰相預かりで王に上奏されることになっている。


「……どうでした?」


 城門を出たところで、リシアが聞いてくる。


「前線の砦と比べて」


「そうですね」


 俺は少し考えてから答えた。


「“一番ブラックなのはどこだ”って聞かれたら、“どこも同じくらいだ”って言います」


「えぇ……」


「砦には砦の、“王城には王城の”“魔王軍には魔王軍の”穴がある。

 どこか一つだけ真っ黒ってわけじゃない。

 だから、“どこからでもいいから、少しずつ白くしていくしかない”」


 リシアが苦笑し、肩をすくめた。


「それ、果てしない仕事ですね」


「最初から、“世界を一晩で白く塗り替える”つもりはないですよ」


 俺は空を見上げた。


 王城の向こうに広がる夕焼けは、灰の谷の赤とは違う。

 けれど、どちらも“燃え尽きた色”には変わりない。


(――灰の谷で引いた線が、王城の当直表にも届き始めている)


 ギルゼンとの握手。

 ヘンリー伍長のために引いた赤線。

 セリーヌの差し出した夜勤表。


 それらが少しずつつながって、“世界中の当直表に赤線を引く仕事”に変わっていく。


「さ、戻りましょうか」


「はい。どうせ戻ったら、また紙の山ですしね」


「それは間違いないですね」


 王立労務局監査官、レオン・グラハム。


 次に赤線を引くのは、きっと王城だけではない。

 どこかの砦か、どこかの町か、あるいは――魔王軍のどこかかもしれない。


 そう思うと、不思議と足取りは軽くなった。


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