十二話 王都に戻ったら、案の定仕事が増えていた
灰の谷での会談が終わり、人間側の陣地に戻った頃には、空はすっかり赤く染まっていた。
灰をかぶったような夕焼けだった。
燃え尽きた森の名残りみたいな空の色を見上げながら、俺はようやく肩から力が抜けていくのを感じていた。
「……疲れた」
思わず本音が口から漏れる。
「戦場より?」
隣を歩いていたリシアが、意地悪そうに笑う。
「種類の違う疲れですね。こっちは、“言葉を間違えたら死ぬかもしれない”タイプのほう」
「前線のほうは、“間違える前に死ぬかもしれない”ですからね」
「どっちも嫌ですね?」
「どっちも嫌ですね」
二人で同時にため息をついたところで、外務局のクラウスが振り返った。
「労務局代表、お疲れさまでした。
正直、ここまで話が進むとは思っていなかった」
「僕もです。半分くらいは、“最低限の数字を読み上げて終わる”覚悟でしたから」
「“最低限”どころか、“作業時間六刻”と“見せしめ禁止”まで持っていけましたよ。
こっちは軍務省に説明するのが大変そうですが」
クラウスは苦笑し、目元だけで少し笑った。
「王都に戻ったら、“労務局が勝手に譲歩した”と言い出す者も出るでしょう。
そのとき、“数字の面からの反論”を頼みます」
「そのために紙と札を山ほど持ってきたんですからね」
荷馬車の中で出番を待っている紙束たちを思い浮かべて、肩が重くなった。
(……まあいい。どうせ仕事は増える)
増えるなら、“意味のある増え方”をしてほしいと願うだけだ。
*
王都に戻る道のりは、行きと同じ二日だったはずなのに、体感時間は妙に短く感じた。
灰の谷で握手した魔族――ギルゼンの顔が、何度も頭の中に浮かんでは消える。
(魔王軍にも、労務監査課がある、か)
同業者が敵陣営にいるという事実は、奇妙な心強さと、同じくらいの気まずさを連れてくる。
“あっちもあっちで苦労している”と知ってしまった以上、“こっちのサボり”をごまかしにくくなったからだ。
「難しい顔してますね」
荷馬車の揺れに合わせて、ミーナが紙束をきちんと揃えながら言う。
「“魔王軍にも人事がいた”って報告書に書こうとしてる顔ですか?」
「そこまで直接的には書かない」
「でも、書きたいですよね?」
「……ちょっと書きたい」
自分でも苦笑するしかない。
「“魔王軍統一兵站局労務監査課”って、響きが妙に格好良いんですよね」
「レオンさん、あまりそういうところで張り合わないでください」
ミーナにたしなめられ、素直に反省する。
「……とにかく、まずは王都の報告からだな」
魔王軍より先に、自分の上司と軍務省と王宮を納得させる必要がある。
この順番だけは、間違えちゃいけない。
*
王都の労務局の庁舎に戻ると、さすがに今日は控えめな出迎えだった。
「お帰りなさい、レオンさん」
ヨアナがいつもと変わらない落ち着いた調子で出迎え、ミーナがその横で両手を振っている。
「灰の谷はどうでした?」
「灰の谷は……灰の谷だった」
「意味わかんないですよ」
「行ったやつしか分からない感想ってあるでしょう?」
肩をすくめつつ、俺はさっさと局長室へ向かった。
扉を開けると――すでにバルドだけでなく、軍務省と外務局からの連絡官まで揃っている。
「おう。生きて帰ったか」
バルドが一番最初に口を開いた。
「死なれても困るが、“何も持たずに帰ってくる”のも困るところだった」
「ちゃんと紙束を持って帰ってきましたよ。魔王軍の署名入りで」
俺は鞄から、会談でまとめた“捕虜の最低基準”の写しを取り出して机に置いた。
軍務省の連絡官が、それを食い入るように見る。
「……本当に、“戦闘への強制禁止”が入っている」
「“見せしめ行為の禁止”も、“六刻上限”もだな」
バルドがぼそりと言った。
「外務局からも報告は受けたが、やはり“中身を作ったやつの口”から聞いておきたい。
――お前の目から見て、“これは守れると思うか?”」
「“全部”は、すぐには無理でしょう」
俺は正直に答えた。
「魔王軍側も、我々側も。
でも、“守れなかったときに突っ込める線”が出来たのは大きい」
紙を軽く叩く。
「これまでは、“捕虜がひどい扱いを受けました”と言っても、“戦争だから”で終わりでした。
これからは、“この条項に違反していますね?”と言える」
「“違反”という言葉が出るだけで、交渉の質は変わる……というわけか」
バルドが顎を撫でる。
「向こうの労務監査課はどうだった?」
「まともでしたよ。うちと同じ顔してました」
「褒め言葉として受け取っておこう」
局長が鼻を鳴らし、軍務省の連絡官が感心したように言う。
「“捕虜になっても、一日に六刻以上働かされない”というのは、兵士たちへの説明にも使えそうだ。
“死ぬまで戦え”より、“どこかで線を引ける”と思えたほうが、持久戦には向いている」
「それを軍務省の口から聞けるとは思いませんでした」
「我々も、無駄死には減らしたいのだよ、レオン殿」
連絡官は苦笑した。
「近く、各前線拠点の指揮官を王都に集める。“捕虜の最低基準”と“当直表の赤線”の件で、講習会をやることになっている」
「講習会?」
聞き慣れた単語に、ちょっと胸騒ぎがした。
バルドが、わざとらしく咳払いする。
「そうだ。軍務省と労務局の共催だ。“働かせ方を間違えると戦力が削れる”という話を、前線の連中に叩き込む」
「講師は……」
「もちろん、お前だ」
ですよね、とは思っていた。
「“勇者に是正勧告を出して”“砦の当直表に線を引いて”“魔王軍とも条約を結んできた”監査官の話なら、多少は耳を傾けるだろう」
「肩書きだけ見ると、すごい経歴ですね」
「中身はただの元会計局の数字バカだがな」
「局長、それ本人の前で言う台詞じゃないです」
ヨアナが茶を運びながら、さらりと突っ込む。
「でも、講習会の資料作りは早めに取りかかったほうがいいですよ。
“紙で殴る仕事”がまた増えますから」
「もう増えてるよ」
机の上に積み上がっていく紙束を見ながら、俺は小さく嘆息した。
*
講習会の日程が決まるまでのあいだにも、仕事はちらほらと増えていった。
まず、王都近郊の捕虜収容所から、“新しい基準に基づいた運用報告”が届き始める。
「“作業時間を六刻以内に縮めましたが、その分、施設の補修が遅れています。人手の追加を要望します”」
ミーナが一通の報告書を読み上げる。
「“ただし、捕虜の疲弊は目に見えて軽減され、脱走未遂も減少しています”」
「“人手を寄こせ”と同じ文面で、“やってみたら良かったです”って書いてきてるな」
バルドが鼻を鳴らす。
「どうします?人手は――」
「ない」
即答だった。
「ないが、“やったら良かった”という部分はしっかり拾う。
“脱走未遂が減った”という数字を、軍務省に嬉々として報告してやれ。
そうすれば、“労務局に人を回したほうが得だ”と、少しは思い始める」
「なるほど、“数字で餌付けする”戦法ですね」
「言い方が悪いぞ、レオン」
「局長が教えたんですよ?」
そんなやり取りをしているところに、外務局からの使いが飛び込んできた。
「灰の谷から“続報”です」
差し出された書簡を開くと、中には簡潔な報告が記されていた。
『――魔王軍側から、“捕虜交換に用いる収容所の一覧”が送られてきた。
付記として、“労務監査課が巡回中の拠点には印を付した”とある』
「へえ」
思わず声が漏れる。
「“向こうの監査課が回ってる捕虜収容所”まで教えてくれたんですね」
「ということは、“そこは最低限、基準を守るつもりでいる”と見ていいだろうな」
バルドが地図を取り出す。
「こっちも捕虜収容所の位置を重ねておけ。“監査済み”と“これから行くべき場所”の優先順位をつける」
「……局長、まさか」
「当たり前だろう。“敵の中に監査官がいる”なら、“味方の中にももっと監査官を増やせ”って話だ」
その言葉に、ミーナとヨアナが同時にため息をついた。
「人、要りますね」
「要るな」
局長があっさり認める。
「会計局から、数字に強い奴を二、三人引き抜けないか検討中だ」
「また恨まれますよ」
「今さらだ。どうせあいつら、“自分たちだけで現場の数字を回してる”って思い込んでいる」
バルドの言葉に、思わず苦笑する。
(……会計局時代、まさにそう思ってましたね、自分)
自分がそうだったからこそ、今こうして“数字を現場に持っていく側”に回れたのかもしれない。
*
講習会当日。
軍務省の大講堂には、各前線拠点から呼び集められた指揮官たちがずらりと並んでいた。
肩章の数も、胸の勲章も、人によってばらつきがある。
“若い頃は勇者の随行だった”なんて噂を持つ連中もいるらしい。
「緊張してます?」
舞台裏で、リシアが尋ねる。
「まあ、魔王軍代表と話すよりはマシです」
「顔が言ってません」
「だから多分、魔王軍より怖いんですよ、ここのほうが」
正直な感想だった。
敵よりも、味方のほうが怖い場面はいくらでもある。
特に、“今までのやり方に口を出される”と分かっている場では。
「――次、王立労務局監査官、レオン・グラハム殿」
司会役の声が響く。
深呼吸を一つだけして、俺は壇上に出た。
ざわざわ、と小さなざわめきが起きる。
「“勇者に是正勧告出したやつだろ”“あれが”“思ったより普通だな”」
勝手に耳に飛び込んでくる囁きに、内心で苦笑する。
「王立労務局監査官、レオン・グラハムです」
いつもより少しだけ大きな声で名乗り、用意しておいた板を指し示した。
そこには、“砦の当直表”と“灰の谷で結んだ基準”が、簡略化されて描かれている。
「本日は、“働かせ方を間違えるとどれだけ戦力が削れるか”という話をさせていただきます。
むろん、“現場を知らない机上の空論”を語るつもりはありません」
ホールの空気が、わずかに静まる。
「前線中継拠点で、三晩連続で夜明け前の見張りに立たされていた兵士がいました。
ヘンリー伍長。彼は“夜目が利くから”という理由で、いつも同じ時間帯に当直表の名前を書かれていた」
ざわ、と一段だけ大きなざわめき。
「その砦が襲撃されたとき、最初に狙われたのは、二晩連続で夜明け前当直に入っていた者たちでした。
敵にとって、“動きの鈍い標的”は遠目にも分かりやすい」
俺は、会場をぐるりと見渡した。
「“頼りになるやつから先に壊れる”。
それは、戦場でも、会計局でも、王都の雑貨屋でも同じです」
苦笑があちこちから漏れる。
「それを放置すれば、“いつかは全体が崩れる”。
――だから、“当直表に赤線を引いた”という話を、もう聞いておられる方もいるでしょう」
夜明け前当直の連続禁止。
夜勤後の勤務軽減。
当直回数の見える化。
砦でやったことを、細かい数字とともに説明していく。
(“甘い”と思う者もいるだろう)
視線の中に、露骨に眉をひそめている指揮官の顔も見える。
それでも構わない。
「――ここで一つ、魔王軍側の話もします」
会場の空気が、ぴんと張り詰める。
「灰の谷での捕虜交換会談で、魔王軍統一兵站局労務監査課、ギルゼン・ヴァルナという男に会いました」
その名前を出した瞬間、ざわめきがひときわ大きくなる。
「“魔王軍にも、労務監査課があるのか”と、皆さん思われたでしょう。
あります。
――そして、“向こうも向こうで現場を守ろうとしている”」
魔力炉勤務表の是正。
別働隊の走らせ過ぎの反省。
捕虜作業時間を六刻に揃える提案。
ギルゼンとの話を、必要な範囲で簡潔に伝える。
「……敵の中にだって、“部下を消耗品扱いしたくない”と思っている指揮官がいます。
“命を燃やし尽くして戦うことこそ栄誉だ”という声に、現場が踏みつぶされそうになっているのは、向こうも同じです」
俺は言葉を区切って、続けた。
「だからこそ、“こっちが変わらなければ、向こうは変わらない”。
“魔王軍がひどい働かせ方をしているから、自分たちはこのままでいい”という言い訳は、今日でやめませんか」
自分でも、少し大胆な言い方だと思う。
講堂の空気が重くなる。
その中で、一人の中年の指揮官が手を挙げた。
「……質問してもよろしいか」
「どうぞ」
「“部下を守る働かせ方をしたほうが戦力が持つ”という理屈は、頭では分かる。
だが、“目の前の戦い”で、“少し無理をさせれば勝てる”場面もある」
指揮官は、まっすぐこちらを見た。
「お前は、“どこまでなら無理をさせていい”と言うつもりだ?」
それは、ずっと自分でも考えていた問いだった。
(――どこまでなら、無理をさせていいのか)
俺は少しだけ考え、答えを絞り出した。
「“自分がその下についたとして、従いたいと思える範囲まで、です”」
会場が少しざわつく。
「“自分は絶対にやりたくないけれど、部下には命じる”ような無茶は、長い目で見れば必ず組織を壊します。
逆に、“自分も同じ条件ならやる”と思える無理は、“戦場で必要な踏ん張り”かもしれません」
ヘンリー伍長の顔が浮かぶ。
ギルゼンの顔も浮かぶ。
「だから、労務局としては、“自分も同じ当直表で働けますか?”と尋ねます。
“自分も同じ捕虜収容所に入れますか?”と聞きます。
――それが、“どこまでなら無理をさせていいか”を測る物差しです」
しばしの沈黙。
やがて、別の若い指揮官が、ぽつりと言った。
「……それ、王城にも貼りませんかね」
講堂の空気が、一気に和らいだ。
「“自分も同じ当直表で働けますか?”って札を」
「王宮の当直表は、俺も一度見てみたいですね」
「それは俺もだ」
バルドの声が後方から飛び、笑いが起きる。
笑い声の中に、少しだけ前向きなものが混ざっている気がした。
*
講習会のあと、廊下で一人の指揮官に声をかけられた。
「おい、監査官殿」
振り向くと、さっき一番最初にきつい質問をしてきた中年の男だった。
「さっきは、つい意地の悪いことを聞いてしまったな」
「構いません。ああいう質問をしてもらえるほうが、話しやすいです」
男は少しだけ苦笑する。
「俺の砦でも、夜明け前当直が一人に偏っていた。
“夜目の利く竜人”がいてな、“こいつは便利だ”とずっと使っていた」
「……今は?」
「今日帰ったら、“見える板”を作る」
彼は短く言った。
「“魔王軍にも労務監査課がある”って話は、正直、腹立たしくもあるが……同時に、少しだけ安心した。
“向こうも向こうで、現場を守ろうとしているやつがいる”なら、“こっちもやらんとな”と思った」
「それなら、灰の谷に行った甲斐がありました」
男は、俺の肩を軽く叩いた。
「……お前が“魔王軍にも裁定できるのか”は知らんが、“王国には確実に裁定を入れてきている”」
「それは誉め言葉で受け取っておきます」
苦笑しながら頭を下げる。
廊下を歩きながら、ふと思う。
(――“魔王軍にも人事がいた”)
リシアの一言が、耳の奥で反芻される。
敵の中に同業者がいる。
味方の中にはまだ、“働かせ方を変える必要を感じていない”者もいる。
その両方に、これからも紙とペンで少しずつ線を引いていく。
王立労務局監査官、レオン・グラハム。
魔王軍統一兵站局労務監査課、ギルゼン・ヴァルナ。
あの握手が作った一本の線は、思った以上に広がり始めているのかもしれない。
――次は、どこの当直表に赤線を引くことになるのか。
そんなことを考えながら、俺は労務局の庁舎へと足を向けた。




