十話 灰の谷と、魔王軍側“人事担当”
三週間なんて、準備している側からすると一瞬で溶ける。
捕虜交換会談の質問票を練り直し、軍務省と外務局と教会との調整会議に顔を出し、前線監査の報告書をまとめているうちに――気づけば、出立の前日になっていた。
「……で、結局“魔王陛下”でいいんですか、呼び方」
労務局の会議室で、俺は紙束を睨みながらため息をついた。
机の向こう側で、局長バルドが鼻を鳴らす。
「さすがに魔王本人は出てこない。“魔王軍代表”か“魔王国代表”あたりで様子を見ろ」
「“魔王軍の皆さん”とか言ったら、場が凍りますよね」
「凍るな。さすがにやめとけ」
隣でメモを取っていたミーナが、半笑いで口を挟む。
「でも、“相手をどう呼ぶか”って大事ですよね。労務局の場合、“殿”と“さん”の使い分けでも揉めるのに」
「“魔王様”って呼びかける監査官……ちょっと見てみたいかも」
「やめてくれ。俺の黒歴史を増やすな」
軽口を叩き合いながらも、手は止めない。
質問票の項目をもう一度見直し、“言い回しが角立たないか”“どこまで突っ込むか”をチェックしていく。
『拘束時間と休息時間の配分』
『夜間の点呼・見回りの頻度』
『魔力炉など高負荷環境での作業の有無』
『捕虜に対する“懲罰的労働”の有無』
見るからに突っ込んでいるが、ここを聞かなきゃ労務局が出て行く意味がない。
「よし。とりあえずこの案で行く。……文句は現場で生で聞いてくる」
ペンを置くと、バルドが腕を組んだまま俺を見る。
「お前の仕事は、“ケンカを売ること”じゃないからな、レオン」
「分かってます。“ケンカを売らずに、是正の種だけばら撒く”のが仕事です」
「ならいい」
局長は椅子から立ち上がり、俺の肩をぽんと叩いた。
「魔王軍にケンカ売る役は勇者に任せとけ。お前は紙とペンで殴れ」
「それも十分ケンカじゃないですかね」
冗談半分、本気半分で返す。
――こうして、王立労務局の“初外交出張”の準備は整った。
*
出立の日の朝、王都の東門前には小さな隊列が組まれていた。
軍務省から派遣された護衛騎士十名。
外務局の交渉官二名。
教会からの神官一名。
そして、労務局からは局長バルドと俺。
さらに護衛兼付き添いとして、リシアが一緒に来てくれることになっている。
「まさか、“監査官の海外出張の護衛”なんて任務が来るとは思いませんでしたよ」
鎧の紐を締めながら、リシアが苦笑した。
「海外っていうか、“敵国のど真ん中の谷間”ですけどね」
「細かいことは気にしない」
門の外には、荷馬車が三台。
一台目には外務局と教会の人間。
二台目には軍務省の資料と、予備の武器や備品。
三台目には――
「……なんでこんなに紙があるんです?」
自分の乗る荷馬車の荷台を見た俺は、思わず固まった。
箱に詰められた紙束、紙束、紙束。
当直表の写し、前線監査報告書、王都の捕虜収容所の現状資料、教会の倫理指針、条約案のたたき台。
「会計局時代を思い出す量だな」
背後からバルドが現れ、満足そうに箱を眺めている。
「全部持っていく必要あります?」
「全部は使わん。だが、“いつでも出せる”状態にしておくのが役人の戦だ」
「紙で砦が建てられそうなんですが」
「紙の砦は、口先より硬いもんだぞ」
妙に含蓄のある言葉に、苦笑しながら荷台によじ登る。
「まあ、どうせ座ってる間は紙と向き合うんですしね」
「それともう一つ」
バルドが、小さな木箱を俺に差し出した。
「通信録札だ。前線で使っていた記録札の“親玉”みたいなもんだと思え」
箱を開けると、掌に収まるくらいの薄い板が数枚並んでいた。
表面には細かい魔術式の刻印。
「これ、もしかして――」
「会談中に記録したいことを札に刻んでおけば、こっちで同じ内容を確認できる。
会談で時間が足りなくても、あとから“ここがおかしい”って指摘できるようにな」
「……また魔術院をこき使いましたね?」
「持ちつ持たれつだ。向こうも、“魔力炉の過負荷問題”で労務局に顔を出してくる予定だしな」
さらっと恐ろしいことを言う局長に、リシアが苦笑する。
「どこの省庁も、“人の使い方”で悩んでるんですね」
「だから労務局がある」
バルドは短く言い切り、荷馬車の側面を軽く叩いた。
「――出発だ。灰の谷まで二日。道中くらいは“まともな労働時間”で行くぞ」
「それ、局長が言うと説得力が違うんですよね……」
馬のいななきと共に、荷馬車が軋みを上げて動き出した。
*
王都を離れると、風景はあっという間に変わっていく。
畑と村を過ぎ、森と丘を抜け、やがて土が少しずつ黒ずんできた。
「このあたり一帯が、昔の魔術戦の余波を受けた地域だ」
夕暮れの中、外務局の男――クラウスが窓の外を示した。
「森が焼け、土が焦げ、しばらくは何も生えなかったそうだ。
今はところどころ草が戻ってきているが、“灰の谷”周辺だけはまだ傷跡が残っている」
「“二度と同じことを繰り返さない場所”にしたい、って王が言ったんでしたっけ」
リシアが頷く。
「だからこそ、“捕虜交換”なんてことをやる場所にはちょうどいいんでしょうね」
俺は窓の外の黒い土を眺めた。
戦争の痕跡は、帳簿には載らない。
けれど、地面にははっきりと残っている。
(ここで“働き方の話”をするってのも、皮肉な話だな)
働き過ぎて倒れた誰かの上に、また新しい仕事が積み上がる。
それを少しずつ崩していくのが、俺たちの仕事だ。
*
二日目の昼過ぎ、荷馬車は目的地にたどり着いた。
「……ここが、灰の谷」
谷と言っても、崖が切り立っているわけではない。
なだらかな窪地に、黒い灰をまぶしたような土が広がっている。
ところどころに、焼け焦げた木の根が地面から顔を出していた。
その窪地の中央付近に、人間側の陣地と魔族側の陣地、それぞれが一定の距離を空けてテントを張っている。
真ん中には、布張りの大きな会談テントが一つ。
そこが、今日の舞台だ。
「まずは人間側陣地に入る。武器の携行制限と、会談中の立ち位置を再確認する」
軍務省の将校が号令をかける。
騎士たちは剣を腰に残しつつも、会談テントに入る際は入り口に預けることになるらしい。
俺は最初から剣など持っていないので、記録札とペンを確認するだけだ。
「緊張してます?」
馬車から降りながら、リシアが小声で聞いてきた。
「戦場に行くよりはマシです」
「顔が言ってません」
「じゃあきっと、戦場より怖いんでしょうね、ここが」
自分で言って、少し笑えた。
敵に向かって剣を構えるより、敵国の代表と向かい合って言葉を交わすほうが怖い――というのは、案外本音だ。
*
人間側陣地の一角に設けられた仮設会議室で、最後の打ち合わせが行われた。
「基本的に、発言の順番はこうだ」
外務局のクラウスが、簡易な図を示す。
「一、両軍代表の開会挨拶。
二、捕虜の総数と交換方法に関する実務確認。
三、捕虜の扱いに関する“最低基準”の擦り合わせ。
この“三”の部分で、労務局代表としての意見を述べてもらう」
「“最低基準”というのは?」
「寝床の確保、食事回数、虐待の禁止……そのあたりだ」
教会の神官が頷く。
「こちらとしては、“どちら側の捕虜であれ、人としての尊厳を奪わない扱い”を求めたい。
ただし、戦時である以上、“理想だけ”を掲げるわけにもいかない」
「“理想と現場の間を少しでも縮める”のが、俺の仕事ですね」
俺は質問票をもう一度見直しながら言った。
「“聞いていいことと悪いこと”の線引きは、大まかにこう考えています」
紙に三本の線を引く。
「一つ目。“絶対に聞いておくべきこと”。捕虜の拘束・労働・休息に関する基礎情報。
二つ目。“聞けたらベストなこと”。罰則的な扱いの有無や、過労による死亡の事例。
三つ目。“今ここで聞くべきではないこと”。具体的な指揮官名や、裁判の詳細など」
クラウスが興味深そうに覗き込む。
「つまり、三つ目は“後の交渉材料”に取っておく、と」
「ここで全部を暴こうとすると、会談自体が潰れます。
今日はまず、“お互いに最低限守るライン”と、“これ以上はやめようというやり方”を共有できれば十分です」
「……労務局らしい、地味な落としどころだな」
バルドが笑う。
「派手に勝とうとするな。“引き分けでも、マシなほうに傾けろ”。それでいい」
「心得ました」
*
やがて、外からラッパの音が聞こえた。
「魔王軍代表、到着とのことです」
伝令の声に、室内の空気が一段階きゅっと締まる。
「行くぞ」
クラウスの合図で、一同は会談テントへ向かった。
テントの前には、人間側と魔族側、それぞれから出された護衛が一定の距離を空けて立っている。
間には白い線が一本、灰の地面に引かれていた。
「この線より向こうに勝手に出るな、ってことか」
俺が小声で言うと、リシアが頷く。
「はい。“今日の戦場ライン”です。越えたら、外交じゃなくて戦争になります」
「紙とペンのほうが、剣より重く感じてきましたね……」
自嘲気味に笑いながら、会談テントの中へ足を踏み入れた。
*
テントの中は、思ったより簡素だった。
真ん中に大きな机が一つ。
その両側に椅子が並び、奥には教会の紋章と、魔王軍の紋章が描かれた幕が下がっている。
人間側代表が席に着き、向かいの椅子には魔族側代表が座っていた。
――角のある、半眼の悪魔のような姿を想像していた俺の目に飛び込んできたのは。
「……ずいぶんと、真面目そうな顔だな」
思わず、声に出ていた。
向かいの席に座っているのは、灰色がかった肌に、短い角が二本生えた魔族の男だった。
年の頃は、俺と同じくらいか、少し上か。
体格も、軍人というよりは書記官に近い。
黒と紫を基調にしたローブは装飾が控えめで、胸元には魔王軍の紋章と――見慣れない小さな徽章が並んでいた。
男は俺を一瞥し、すっと立ち上がる。
「人間側労務局代表は、どなたでしょうか」
低くよく通る声だった。
クセの少ない共通語だが、ところどころに、魔族特有の発音が混じる。
「王立労務局監査官、レオン・グラハムです」
俺が立ち上がって名乗ると、男は微かに口元を緩めた。
「初めまして。魔王軍統一兵站局・労務監査課、ギルゼン・ヴァルナと申します」
「…………は?」
一瞬、言葉が出なかった。
魔王軍統一兵站局。
労務監査課。
「……今、“労務監査課”って言いました?」
「ええ。人間側では、“労務局”という部署名でしたか。興味深い」
ギルゼンと名乗った魔族の男は、少しだけ楽しそうに俺を見る。
「我々の側でも、“現場の疲弊が戦力の低下を招いている”という認識は、数年前から共有され始めています。
“働かせ方の是正”を目的として、兵站局の下に新設されたのが、我々の部署です」
「……同業者じゃないですか」
「そう言われると、少し心が軽くなりますね」
ギルゼンは静かに笑った。
その笑い方は、どこかで見たことのある種類のものだった。
――会計局時代、“無茶な締め切り”と戦っていた同僚たちの顔に、少し似ている。
「ギルゼン殿。捕虜交換会談の場で、“個人的な親近感”を語るのはどうかと思いますが」
外務局のクラウスが、咳払いを挟んだ。
「もちろん、公務と私情は分けます」
ギルゼンはすぐに表情を引き締め、席に戻る。
「まずは、本日の議題に従って進めましょう。
――そのうえで、もし許されるのであれば、会談の合間か後に、同業者として少し意見交換をさせていただきたい」
「こちらとしても、“魔王軍側の労務事情”を一次情報で聞ける機会は貴重ですので」
俺も席に戻りながら返した。
「ただし、まずは捕虜の扱いから、ですね」
「ええ。“働き方”を語る前に、“生きていること”が前提ですから」
ギルゼンの言葉に、テントの中の空気が少しだけ変わった気がした。
人間側代表も、魔族側の随員たちも、一瞬だけ互いを見やる。
そこにあるのは、警戒と同時に、わずかな安堵かもしれない。
――少なくとも、目の前の魔族は、“現場を消耗品扱いしたいだけの上官”ではなさそうだ。
*
「では」
教会の神官が、静かに祈りの印を切ったあと、開会の言葉を告げた。
「本日、“灰の谷”において、人間側王国連合と魔王軍との間で、捕虜交換および捕虜の扱いに関する会談を行います。
この谷が、再び燃え盛ることのないよう、まずは“互いの命”について話し合いましょう」
両陣営の代表が、順に簡単な挨拶を述べていく。
その様子を聞きながら、俺は自分の指先が、机の下で微かに震えているのを自覚していた。
(……大丈夫だ。いつもどおり、“現場の数字”と“現場の顔”を見ればいい)
敵も味方も関係ない。
ここにいるのは、“戦場で働いている人間と魔族”だ。
その働き方が、どこまでおかしくて、どこまでマシにできるのか。
それを見極めるのが、俺の仕事だ。
「では、捕虜の総数と交換方法に関する確認に移りましょう」
クラウスの声に続いて、実務的なやり取りが始まる。
人間側が保有している魔族捕虜の人数。
魔王軍側が保有している人間捕虜の人数。
交換の場所とタイミング。
数字のやり取りが進むうちに、テントの中の緊張がほんの少しだけ緩む。
やがて、クラウスが俺のほうを見た。
「――ここから先は、労務局代表に発言をお願いしたい」
いよいよだ。
俺は椅子から立ち上がり、テーブルに置いた通信録札にそっと指を触れた。
「王立労務局監査官、レオン・グラハムです。
捕虜の交換に先立ち、“互いの捕虜の扱いに関する最低基準”について、確認させてください」
向かい側で、ギルゼンも静かに姿勢を正す。
灰の谷の上で、人間と魔族の“労務担当”が向かい合う。
――ここから、どんな話になるのか。
俺自身にも、まだ想像がついていなかった。




