8.雨の日ピクニックイベント
それからしばらく経ったある日、作戦決行の時は突如として訪れた。
今にも雨が降り出しそうな曇天の下、ジュリアスを乗せた公爵家の馬車がサンクシュア家にやって来たのだ。
ディックを通して今朝の時点で先触れを貰っていたため、アレナの外出準備は整っている。
ランチボックスを入れたバスケットを手にしたレネを引き連れ、アレナは玄関でジュリアスのことを出迎えた。
ーー ゴロゴロゴロゴロ
「今日はピクニック日和だな。」
遠くで発生したのであろう雷の低い轟音と、ジュリアスの朗らかな声が重なる。
事情を知らない者が目にしたらとんでもなくホラーな状況だ。
「本当ですわね。今日はありがとうございます。」
「雨が降って来そうだな。早く行こう。」
(それわざわざ言うんですか……)
ジト目になったのを頭を下げて隠し、レネは出掛ける二人のことを見送った。
彼らの邪魔をするわけにはいかない、だが、主人を目の届かない所に送り出すわけにもいかない。
レネは少し間を置いてから別の馬車に乗り、アレナの元へと急いだ。
睡眠薬を煽ったあの日以来の二人きりの馬車の中、アレナはとてつもなく緊張していた。
(何か話した方が良いのかしら?でもおしゃべりはあまり好きでないような…)
向かい側に座るジュリアスのことをチラリと盗み見る。
彼は、『到着までしばらく掛かるから、楽にしていると良い』と言った後、鞄から取り出した書類を読み始めたのだ。どうやら馬車の中でも仕事をしているらしい。
(それに、忙しそうだものね…しつこくするのは得策ではないわ。でも、ピクニックに来てくれるくらいだから、きっと嫌われてはないのよね…?)
真剣な顔で次から次と書類へ目を通すジュリアスに、アレナは気を遣って窓の外の景色を楽しむことにした。
(くそっ……なんで彼女のことを見てはいけないんだっ………)
同刻、アレナの向かい側に座るジュリアスは、涼しい顔をしたまま心の中では悪態をつきまくっていた。現在彼の行動を制限しているのは、ミケルからの忠告であった。
『お前、馬車の中では仕事でもしとけよ。』
『は?なぜだ。せっかくの密室で二人きり、隣同士で座って甘い言葉を囁き手を繋いで見つめ合い、愛を育むものだろ?んふ…ふふ…』
『おい、顔』
想像しただけで顔を緩ませてニヤけ始めたジュリアス。ミケルは「うわ…」と低い呻き声を上げながらドン引きしている。
『いいかジュリアス、そのだらしない顔をアレナちゃんに見られて嫌われたくなかったら、大人しく俺の言うことを聞け。馬車の中では仕事をしろ。分かったな?決して彼女のことは見るな。お前にはまだ早い。』
『……………………………ああ』
こうして不本意にも、車内で仕事をしなければいけない状況になってしまったのだった。
「到着したみたいだ。」
馬車が停まると、先に車外に出たジュリアスが優雅な所作でアレナのことをエスコートしてくれた。
「まぁ」
外に出た瞬間、アレナは目の前に広がる光景に感嘆の息を吐いた。
見上げると小高い丘があり、その緩やかな斜面を色とりどりの花が覆う。整備された庭園とは異なる自然の美しさがあった。
そして、不自然にならならい程度に左右に視線を走らせる。
(よし、ちゃんと例の小屋もあるわね。)
もちろん小屋はレネの仕込みだ。
この場限りの仕込みのため、普段使う機会のないアレナの小遣いをここぞとばかりにつぎ込んでいた。
(それにしても、よくこの場にジュリアス様を誘導出来たわね。さすがレネだわ。)
裏でジュリアスの部下と繋がっているなど微塵も思っておらず、アレナはレネの腕前にただ感心していた。
「アレナ嬢」
ジュリアスがいつの間にかふかふかの芝生の上に厚手の敷物を引いており、持参したバスケットの中身をその上に並べていた。
「ありがとうございます。」
ワンピースの裾を手で抑えながら丁寧に腰掛けたアレナ。
その横に、不自然に胸を押さえたジュリアスが腰掛けた。二人の間は少し空いている。
(アレナが…アレナが瞳を輝かせて花に見惚れていた…くっ…なんなんだこの可愛い生き物はっ。決めた。今日の記念にこの土地を買い取ろう。)
クールな仮面の下、今日も今日とてジュリアスは絶好調であった。
「ジュリアス様、どうぞ。」
「ありがとう。」
アレナが差し出してくれたサンドイッチをジュリアスが受け取る。彼女も自分の分を手に取り、二人は可憐な花々を眺めながら食べ始めた。
そして、今もなお食べ続けている。
(一体何を話したら良いんだ…口を開けば可愛いと口説いてしまいそうで、適切な話題が見つからない…)
(無言は気まずいのに、何を話したらいいか分からないわ…)
同じことで悩む二人がふと曇天を見上げ、心の底から希う。
((ああもう!早く雨降れ!))
二人の願いが重なった瞬間、ぽつり、ぽつり、と大粒の雨が落ちて来た。まだ距離がありそうだが、ゴロゴロゴロゴロと雷鳴も聞こえてくる。
「まずい、雨が降って来たな。」
「まぁ、本当ですわね。」
((雨きたーーーーー!!!))
焦ったフリをする二人だったが、心の中では天に向かって拍手喝采だ。
ホッとするアレナの横で、用意周到なジュリアスは大判のタオルを取り出して彼女の頭に被せた。
「あちらに建物が見えたから、そこに避難しよう。」
「ええ!」
ジュリアスに手を取られて立ち上がり、片方の手で頭から被るタオルを押さえながら目的の小屋まで走る。
(雨の中手を繋いで走る!これぞまさに、ラブロマンス小説のワンシーンだわーーーーー!!!あぁ素敵!!)
雨の中を走りながら、アレナは感極まっていたのだった。