7.誘拐未遂イベント
「見なかったことにしましょうか?」
一縷の望みにかけて問うてみたものの、反応は予想した通りで、ジュリアスは考える間もなく首を横に振った。
「ここにアレナ嬢を連れてきてもらえるか?」
こう明確な言われては、一介の侍女にしか過ぎないレネに距離感はなかった。
「ジュリアス様…?」
すぐに連れてこられたアレナが、彼の足元に座るごろつき役の男達を見て目を丸くしている。
ここへ連れて来たレネをにこの状況を問いただそうとしたが、彼女はすでに身を隠してしまったらしい。仕方なく視線を目の前の人物に向けることにした。
「アレナ嬢、奇遇だな。不届者を偶然見つけたため、今こちらで捕縛したところだ。その騒ぎを君の侍女が聞きつけてこちらまでやって来たそうだ。」
「え…」
こんなの誰が聞いても苦しい言い訳だ。
普通なら、何を隠しているのかと疑ったり目的は何だと不安になったりしそうなものだが、この時のアレナはそうではなかった。
(うそ…今名前で呼んでくれたわ…!しかも私の目を見てるっ!!わわわわっ!!!)
不意打ちの一言目の名前呼びに喜びが爆発し、昇天しかけていた。絶賛意識が飛び掛けているアレナに、ジュリアスが気遣わしげに視線を向ける。
「大丈夫か…?か弱いご令嬢に見せていいものではなかったな。早くここから立ち去った方がいい。」
(その令嬢、服の下に暗器仕込んでますよ…)
隠れた場所から話を聞いていたレネが思わず心の中でツッコミを入れていた。もちろんその声は誰にも届かず、アレナの感動を奪うことはない。
(あの!あの!これまで一度たりとも興味のかけらも見せなかった冷徹婚約者が!私の心配をしてくれたわ!何よこの満たされる感覚は!!あああああもうっ!!!)
「アレナ嬢…?」
「……ひゃいっ!」
「…………ぐっ」
テンション上がりまくったせいで、盛大に噛んでしまったアレナ。恥ずかしが限界突破し、顔を真っ赤にして逃げるようにその場から去って行った。
彼女の無意識の可愛さに被弾して悶絶するジュリアスを一人残して。
***
「誘拐未遂イベントって物凄い効果だったわね!まさかあんなにすぐ名前を呼んでくれるなんてっ!それに、なんて耳心地の良い声なの!」
「誘拐未遂起きてないですし、そもそも誘拐はイベントではなく事件ですよ。」
邸に戻って来たアレナは、ソファーに座ってクッションを抱きしめながらニヤけ顔で足をバタつかせている。対して、お茶を運びに来たレネは至って冷静だ。
「これで次のイベントに移れるわね!随分と誘いやすくなったわ!」
「アレ本当にやるんですか…」
アレナは膝の上にノートを開いて、ニヤニヤしながら己で記した作戦内容に目を通している。その様子を遠い目をしたレネが眺めていた。
(相思相愛なら、こんな茶番もうやらなくてもいいのでは…?)
レネはうっかりこの計画の本質に気付いてしまった。
「次のやつはラブロマンス小説の中でも屈指の人気イベントなのよ!それがまさか自分で体験出来るなんて…想像しただけでドキドキとワクワクが止まらないわ!」
一人できゃっきゃうふふと顔を綻ばせて喜んでいるアレナ。レネがそんな彼女を見て眩しそうに目を細めた。
(ああそうか、この方は…)
アレナの過去に思いを馳せた。
家を継がない彼女は常に蚊帳の外…
ひとり中庭の毒草を眺める日々…
彼女に寄り添うのはいつも侍女である自分だけ…
そんな日々の光となったのが、浮世離れして理想を詰め込んだラブロマンス小説であった。
(もう少し付き合って差し上げましょう。)
レネは主人の心を慮り、計画実行の手伝いを続けることを心に決めた。
「でもこれ、さすがに天候を操るなんて無理な話よねぇ…どうやったら実現できるかしら?何回もトライしたら怪しまれるわよね?」
「そうですね…」
アレナがノートに書いた次なる計画に目を向けながら、悩む二人。
次の計画はその名も、
『雨宿りの小屋で二人きり、濡れた姿でドキドキして距離を縮めよう!』
というものだった。
「でしたら、今回はジュリアス様の方からお誘いするように仕向けるのはいかがですか?」
「そんなこと出来るの…?」
「もちろんです。」
(実行者はディックですが)
他力本願なくせに、レネは涼しい顔で肯定した。
「まぁ、上手いこと調整するので、お嬢様は吉報をお待ちくださいませ。」
「ありがとう!任せるわ。」
レネの実力に全幅の信頼を置くアレナは微塵も疑うことはなかった。
***
同じ頃、公爵家の執務室にて、
「ふふふ…ひゃいだって…ひゃい…ふふ…可愛過ぎて軽く死ねる…あぁ可愛い…好き」
「そのまま軽く死ね。」
アレナの可愛い効果がしばらく続き、仕事が手につかないジュリアスはミケルにぶち切れられていたのだった。