6.覚醒そして邪魔者
初めて抱いた感情に、全身の血液が沸騰しそうになるほどの激情が走る。
自分が自分で無くなるような感覚がしたが、不思議とそれが心地よいと感じてしまった。それはまるで自分に欠けていたものを拾い上げたような、心が満たされる至上の悦び。
頬を染めて小刻みに肩を振るわせながら、一冊のノートを抱きしめるジュリアス。彼の背景にはキラキラエフェクトが掛かっていた。
「君は金でも肩書きでもなく、こんなにも俺の愛だけを求めていたのか…しかも考え抜かれた緻密な計画の元に。なんて純真で健気なんだ。君の気持ちを知ったこの衝撃…まるで心に稲妻が走ったみたいだ…俺の全身を支配して離さない。あぁ好きだ。」
艶めく表情で周囲に花を撒き散らしながら挙動不審にふわふわと動く彼のことを、ミケルが死んだ魚の目で見つめる。
「誰だアイツ……」
割と大きな声で言ったつもりだったが、歓喜に湧くジュリアスの耳には届いていない。
「俺は決めた。」
一通り騒ぎ散らかした後、ジュリアスがノートを大事そうに抱えたまま、まっすぐな視線をミケルに向ける。
「おい、怖いからこっち見るなよ。」
「彼女の計画に全力で乗っかり、その手のひらで艶やかに踊ってやろうと思う。」
「あ?」
「だから、お前も全力で協力しろ。」
「げ。なんでそうなるんだよ。」
彼の嘆く声は、思い切り無視されたのだった。
***
「で、私はあの路地裏に入って、ごろつきに襲われるのを待てばいいのね?」
「お嬢様、声が大きいです!」
王都の街中、人通りの多い場所で少しばかり元気な声で話したアレナのことをレネが窘めた。
アレナの隣を歩きながら、通りすがりに紳士服店の横に停めてある一台の馬車に視線を向ける。
(予定通り、ジュリアス様はこちらの店に来ているようですね。任せるのが少々不安でしたが…協力者さんが上手く機能してくれているようで何よりです。)
アレナは現場を確認しながら少し前の日の出来事を思い出していた。
それは雲がなく月明かりの綺麗な夜、外に人の気配を感じたレネが巡回中、見覚えのある男を見つけたことがきっかけだった。
『貴方は…あの監視が下手な公爵家の…』
『……………ディックだ。』
『失礼致しました、ディック様。で、どうしてサンクシュア家の敷地内に?門の外からの監視であれば許容出来たものの…理由によっては、帰れませんよ?』
『ちょ、ちょっと待ってくれ。ジュリアス様から指示を賜ったんだ。争うつもりはない。』
ディックはレネが下段に構えている得物を警戒して両手を上げている。月明かりを受けて、傷ひとつなく煌めく刃が恐ろしく美しい。
『手短にどうぞ』
未だ圧を掛け続けるレネに、ディックは顔を青くしながら早口で続けた。
『ジュリアス様が全面的にそちらに協力すると言っている。だから指示をくれ。その通りに動くと約束する。』
『それはまぁ誠に有難い限りですが…どういった風の吹き回しでしょうか?お嬢様のことを疑っていたでしょう?監視をつけるくらいには。』
『う…それは…監視の件はすまなかった。もうしない…だから殺気を抑えてくれ。その、ジュリアス様は、どうやらそちらの主人に惚れたらしい。それも相当だ。』
『は?なぜ?』
『あのノートの中身を見た瞬間、心をぶち抜かれたらしい。』
『………お互い苦労しますね。』
『あぁ全くだ。』
静かな闇夜に、下僕としての苦労を分かち合った二人の切ないため息が重なった。
その後の細かい擦り合わせにより、毎日決められた時間に邸の外で定期報告を行い、連携を取ることを約束したのだった。
「ねぇ、レネ」
「どうかしましたか?」
アレナに呼ばれて現在に意識を戻したレネ。素早く視線を周囲に向ける。物騒なものは一つもなく息を吐いた。
「今前を歩いていたのって…ジュリアス様じゃないかしら?」
「いえそんなはずは…」
一瞬の間にレネが思考を巡らせる。
(あの協力は嘘だった…?待ち伏せする気?しかし、そんなことをして相手に何の得があるというのか。とはいえ、お嬢様に危険な橋を渡らせるわけにはいかない。)
「一度私が現場を確認してきます。お嬢様はこの店の前で待機を。人の目も多いですし、ハンクも控えさせるので。」
「ええ、分かったわ。」
大人しく外壁に寄ったアレナと、ハンクの気配が動いたことを確認した後、レネは目立たない程度の早さで路地裏に移動した。
そして、薄暗い道の先に目を向けた瞬間、絶句した。そこに、雇ったはずのごろつき役の男が3人、縄で縛られた状態で地べたに座らせられていたからだ。
ごろつきの他に、彼らを見下ろしている人の後ろ姿があった。
「………一体何してくれてるのですか。」
レネにしては珍しく低い声で、立場をわきまえないどストレートな聞き方をした。これは相当頭にきているらしい。
「たとえフリだとしても、大切な婚約者のことを襲わせるなんて出来るはずないだろ。」
軽やかな所作でレネの方を振り向いたジュリアスが、至極真っ当だという表情で言ってのけたのだった。