5.レネの先手と覚醒
アレナとハンクの二人が呑気にお茶をしていた頃、レネは気配を殺して視線を感じた先に向かっていた。
テラス席の道路を挟んで反対側、別の店の軒先で世間話をしていた二人の男に迫ったレネが声を落として話しかけた。
「失礼ですが、公爵家の方ですか?」
「「……………っ」」
突然現れたレネに、二人の男が一斉に距離を取った。その身のこなしから一般人ではないことがよく分かる。だがレネにとってはそんなこと些末なことであった。
「お嬢様の監視の方ですよね?ご依頼者は公爵令息…ジュリアス様でしょうか?ああ、こちらに害意はございませんのでご安心を。」
黙ったまま男たちが視線を交わし合う。
そしてしばらくした後、リーダー格と思われる男が口を開いた。
「ああそうだ。こんなにすぐバレるとは…サンクシュア家の噂は本当だったか。」
どこか諦めたように呟いた。
「では、あの催眠薬のことが知りたいのですね?」
「………ああそうだ。」
「やはり。本当にお嬢様は困ったお方です。」
頬に手を当て盛大にため息をつく姿はごく普通の若い女性にしか見えないのに、それでいて全く隙がないというこの矛盾に、公爵家の男達は畏怖に近い感情を感じていた。
攻撃される気配は無いが、何をするつもりか全く予想がつかない。その事が無駄に恐怖心を煽ってくるのだ。
「あれは全く他意のないことですので、お気になさらずと公爵令息様にお伝えいただけますか?」
「それはいいが…だがしかし…」
「あ、証拠或いは確証が欲しいということですね。」
男の心の内を読んだレネは、淡々とした表情で服の裏側から一冊のノートを取り出した。それを男の手元を目掛けて放り投げる。
「これをお持ちになってください。ここに書かれていることが全てですから。ジュリアス様にお見せ頂ければ話が早いかと。」
話は終わったと、カフェに残して来たアレナのことが心配するレネが音もなく立ち去ろうとする。
「おい!なんでこんな簡単に手の内を見せるんだ?こんなことをして良いのか?」
「ええ。そのノートは複写本です。原本はお嬢様がお持ちですからバレません。ご心配なく。こちらも協力者がいた方が何かと便利ですし。それと、」
そこで言葉を区切ったレネが真っ暗な瞳で男たちのことを射抜いた。
「私、後ろを取られるのが死ぬほど嫌いなんです。この気持ち、分かって頂けますよね。協力者さん?」
レネは顔を傾け、圧のある黒い笑顔で微笑みかけた。
今にも恐怖に溺れそうな男達が必死の形相で頷いた頃にはもう、レネはこの場から立ち去っていた。
「レネ、遅かったわね。」
「ひどい有様ですね…」
自分の席に戻ったレネは、帰還を察して居なくなったハンクの代わりにテーブルの上に山積みにされた皿を見て眉間に皺を寄せた。
「ハンクの仕業よ。それより、レネ大丈夫だったの?」
「ええ、万事問題ございません。むしろ鴨がネギを背負って来てくれて有難い限りです。」
「鴨がネギ?…よくわからないけれど、次の計画の詳細を詰めましょう。」
不快な視線から解放されたレネは、今度こそアレナの話に集中出来たのだった。
***
「ジュリアス様、ご報告がございます。」
「入れ。」
公爵家の執務室にて、入室の許可を受けたジュリアス部下が彼の前に進み出た。
「本日分のご報告なのですが…」
ジュリアスの隣の机で同じように書類仕事をしているミケルに視線を向ける。
彼の前で話して良いか分からず逡巡しているようだ。
「いい。話せ。」
「はっ。本日監視対象の付き人より、接触がございました。」
「は?監視がバレたのか?」
ジュリアスの怒気をはらんだ低い声に、部下の男の背筋が凍りつく。
これ以上主人の機嫌を損ねないよう、必死に考えを巡らせた。これまでくぐり抜けてきた幾つもの修羅場を思えばこの程度…と最善を得るための思考を重ねる。
そして、考えを巡らせ過ぎた結果、
「こちらを預かってきた次第でございます!それでは失礼いたします!」
レネから預かった一冊のノートを勢いよく執務机の上に置き、逃げるように執務室から出て行ってしまった。
「なんだこれは」
意図的に背表紙を上にして置かれていたノートをジュリアスが手に取る。徐にそれをひっくり返すと表紙を見て固まった。
『※マル秘※溺愛生活を実現させるための計画!』
彼の世界が停止した。
「どうしたんだよ?」
元から表情の変化に乏しいジュリアスだったが、それでもかなりの動揺が見られたため、心配したミケルが彼の手元を覗き込んできた。
「ぶほぁっ!なんだよこれっ。アレナちゃんこんな計画作ってたの?……うわ、睡眠薬ってお前の肩を借りたかったからってこと?何これめちゃくちゃ面白え!」
勝手にノートを見たミケルがふはははははっ!とバカ笑いをしている。
だが、ジュリアスが彼のことを咎める素振りはない。ノートの中身に目を通しながらも、未だ心ここに在らずといった様子だ。
ノートを読んでは、書かれた文字を一音ずつ丁寧に指で触れていく。それをしばらく繰り返すと、その奇怪な行動がピタリとやんだ。
そして、気味の悪いほど美しい笑みを浮かべた。
「可愛い。」
「………………お前、何言ってんだ?」
ようやく口を開いたと思えば、ジュリアスらしくない単語ナンバーワンの台詞を口にして来たため、ミケルは虫を見るような目で嫌そうに顔を顰めている。
「アレナ、好きだ。」
「は…………………………………………………」
突如として恍惚とした表情で告白し始めたジュリアスに、今度はミケルの世界が停止したのだった。
ジュリアス、覚醒です(早)