3.不本意なお姫様抱っこ
ーー ガッッ
突然、物がぶつかる大きな音が聞こえた。
(襲撃か…!??)
ジュリアスがカーテンの隙間から鋭い視線を外に向けるが、馬車は何事もなく走り続けている。どこにも騒がしい様子は見当たらない。
(では一体何が…)
「…………っ!??」
視線を前方に戻したその瞬間、驚き過ぎて声が出なかった。
長椅子の上に横たわるアレナを目にして、驚愕の表情でアイスブルーの目を見開く。
彼女の片腕はダラリと椅子の下に落ちており、今にも身体ごと床に落下してしまいそうな姿勢であった。
「……おいっ!」
慌てて立ち上がり、ずり落ちそうになっている彼女の身体を支えて、顔を覗き込んだ。
ーー スースースー…
「は…寝てるのか?」
小さな寝息が聞こえて、怪訝な顔で眉を顰めた。
念の為手首を掴んで脈拍を確認するが、トクトクトクと規則正しく動いている。
しかし、ただ眠っているにしては身体の力が抜け過ぎているし、あまりに唐突だ。まるで薬か何かで作為的に眠らせたような…
その時、足のつま先にコツンと当たる何かに気付いた。
「これは…」
ハンカチを取り出して上から被せ、直接手を触れないようにして拾い上げる。
それはガラス製の小瓶であった。軽く振ると、僅かに透明な液体が残っているのが見えた。
(……睡眠薬か。一体どうしてこんなものを)
状況から見て、彼女が自分の意思で睡眠薬を服用したに違いない。だが、今この場で飲む理由が分からない…
ー 常用している薬と間違えた?
ー 毒と勘違いさせて俺に心配させたかった?
もしくは…
この俺を、ないしは公爵家を陥れるため…?
密室で睡眠薬を盛られて、不埒なことをされたと言いふらすつもりだったのだろうか。しかし、そんなことをして婚約者に醜聞を立てて何の意味があるというのか。
皆目見当もつかない。
「サンクシュア家に到着致しました。」
窓から御者がジュリアスに声を掛けてきた。
彼が思案している間にもう着いてしまったらしい。
(睡眠薬については見なかったことにするのが最善か。)
「アレナ嬢は寝てしまったようだ。邸まで運ぶから、ここで待機していろ。」
ジュリアスはアレナのことを抱きかかえたまま、危なげなく馬車から降りた。
「………………は」
その光景を目にした御者が半開きの口のまま、石のように固まっていた。
彼には、いつも冷淡な主人が婚約者のことを甲斐甲斐しく世話を焼いているように見えたらしい。
「大変申し訳ございません!」
馬車に気付いたレネが正面玄関で待機していたが、遠くからアレナを抱えるシルエットが見えたため、血相を変えてやってきた。
「……俺は何もしていない。」
なんとなくばつが悪くなって、弁解の言葉を口走ったジュリアス。
だんまりを決め込むはずだったのに余計なことを言ってしまい、内心悪態をつく。
「もちろんでございます。非はこちらにございます。謝罪はまた後日改めてさせて頂きたく存じます。」
「いや、いい。」
抱えていたアレナをレネに引き渡すと、ジュリアスは踵を返した。
(真意が分からないため、この話はこれきりにした方がいいだろう。邸に戻ったら、彼女の身辺調査のやり直しと監視を指示するか。)
彼は緊迫感を漂わせたまま去って行った。
***
「一体何をやらかしてるんですかっ!!」
「だって眠れなかったから睡眠薬使えば良いかなって思ったのよ。威力重視で作ったお手製だから自信があったわ。」
「そんな変な自信は今すぐに捨ててください!」
夜になって目を覚ました途端アレナはベッドの上に正座をさせられ、レネから特大級の説教を受けていた。
「だいたい、密室で男女二人きりという状態で意識を手放して、不埒な真似でもされたらどうするのです!私たちも感知のしようがなく、助けたくても助けられません!!」
「不埒…あんなにクールなのに、隙を見せた瞬間手を出して来たら…それはそれで萌えるわね。」
「そのお花畑思考をただちに燃やしてください。」
口では厳しく叱りながらも、レネは夕飯を食べ損ねたアレナのために軽食を持って来てくれた。淹れたての紅茶と共に可愛らしい猫足のテーブルに並べる。
「でも失敗は失敗よね…うっかり寝て、『フッ…可愛いなコイツ、俺の肩で無防備に寝やがって』ってやりたかったのに。」
「そんなこと絶対言わないでしょう……」
「でも!私、ジュリアス様にお姫様抱っこされて玄関まで来たのよね!彼、耳赤くなってなかった?恥ずかしそうにしてた??ちゃんと意識があったら良かったのに!!勿体無いことをしたわ。」
「いいえ、全く。大型家具のように無表情で運んでいらしましたよ。」
「例えに悪意を感じるわね。せめて小型にしてよ。」
どうでもいい点をツッコんだアレナは、ソファーに座って用意された軽食をいただく。ぺろりと平らげてナプキンで綺麗にした唇が弧を描く。
「さあ、明日は作戦会議よ!」
片付けをするレネに向かって声高に宣言した。
目を輝かせ溌剌としたアレナとは真逆に、彼女の表情は冴えない。
(今回のこと、公爵家に余計な不安を抱かせていないと良いのですが…)
性懲りも無く計画を進行しようとする主人に、レネは小さなため息しか返せなかったのだった。