2.馬車デート(仮)
ジュリアスに手紙を出してから数日、今日もやることのないアレナは邸の中庭にある禍々しいオーラを放つ庭園を散歩していた。
なお、庭園といっても咲いているのは普通の花ではなく、薬にも毒にもなる薬草の類だ。
それらは定期的に採取され、邸の地下にある『宝物庫』と呼ばれる部屋で厳重に管理されている。
「お嬢様、手紙が返ってきましたよ!」
可憐な横顔で花を愛でるアレナの元へ、手紙を手にしたレネがかけ足でやって来た。
「で、お返事はなんと?」
アレナは近くにあったベンチに腰を下ろし、すぐさま手にした手紙の封を開けた。
そこには定型文の季節の挨拶と共に、「少ししか時間が取れないが、明日であればうちに来てくれて構わない」といった内容が書かれていた。
「狙い通りよ!レネのおかけだわ。」
どうしてもジュリアスが外出する日に彼の家に押しかけたかったアレナ。それも計画実行のためだ。
そこでレネに事前に調べてもらった彼の仕事のスケジュールを参考にして、日程を打診したというわけだ。
***
翌日の夕方、アレナはレーウェン公爵家を訪れていた。
レモンイエローのふんわりとしたシフォン素材のワンピースに、同じくふわふわにした髪をサイドに寄せて束ねている。
ふわふわのスカートの中に護身用の暗器をしのばせ、ふわふわの髪の中にピッキングに役立つ頑丈なヘアピンを数本差し込む。
これが彼女のいつものお出掛けスタイルだ。
御者の手を借りて馬車から降りたアレナは、使用人の案内で庭園に向かった。
(すごい…これが本物のお花畑ってやつね。とてつもなく可憐で美しい光景だわ。)
使用人の後ろを歩きながら一々目を輝かせるアレナ。自分のうちの毒々しい色をした薬草畑とは大違いであった。
庭園の真ん中にある白亜のガゼボのテーブルには菓子とティーカップが二人分用意されている。
「こちらで少しお待ちください」と言い残して使用人は下がっていった。
(ジュリアス様来てくれるのかしら…)
二杯目の紅茶を飲み終わったところで、だんだん不安になって来た。
彼が現れてくれなければ計画は始まりもせずに終わることになる。
(お願い!一瞬だけでも良いから来てー!!)
「花を見に来たのではないのか…?」
その時、怪訝そうな顔のジュリアスがガゼボに現れた。
フロックコートを羽織っており、今から出掛ける雰囲気が漂っている。
「ええと、ご挨拶をしてから見せて頂こうかなと…」
「俺は次の予定があるからもう行く。庭園は自由に見てもらって構わない。何かあれば使用人に言ってくれ。」
「お忙しいところすみません。では、馬車の前まで送らせてくださいませ。」
無言で踵を返すジュリアス。
アレナはそれを肯定と捉えた。
(私は今日絶対貴方と同じ馬車に乗るんだから!こんな所で逃がさないわよ!)
アレナは今日の作戦を思い返す。
作戦と言っても、「ジュリアスの馬車に同乗して、うっかり眠っちゃって彼の肩を借りて距離を縮めよう!」という短絡的なものだ。
これも、ラブロマンス小説にありがちな展開らしい。
(とにかく同じ馬車に乗れさえすればこっちのものよ。ふふふふ…そこのクールビューティー、覚悟なさい。)
悪い顔をしながら早足で歩くジュリアスの後ろをついていくアレナ。
二人が停車場に近づくと、サンクシュア家の御者が血相を変えて走って来た。
「お、お嬢様、申し訳ございません!なぜか車輪が外れてしまって…ネジが見当たらないのです。今日中の復旧は難しいかもしれません。」
「まぁ…なんてこと!」
両手で口を押さえて狼狽えるフリをするアレナ。
御者が本気で焦っていて申し訳ないが、馬車を破損させたのは忍んでいたレネの仕業だ。
「どうしよう困ったわ…ここから街まで歩けば辻馬車で帰れるかしら…でも乗り方が分からないわ…」
あくまでも自力で帰るという意思を見せつけ、悩むフリを続けるアレナ。すると、ずっと傍観していたジュリアスがため息をついた。
「……俺の馬車に乗っていくといい。途中サンクシュア家に寄っていく。」
「お忙しいところご面倒をお掛けしてしまい、本当にごめんなさい。お心遣いありがとうございます。」
こうして、ジュリアスに同乗を許されたアレナはニヤけそうになる口元を必死で律した。
(ここまで来れば計画は成功したも同然よ!あとはただ無防備に眠るだけ。ふふふ、これで一気に陥落してみせるわ!)
念願の馬車の中、ジュリアスと向かい合わせで座るアレナ。
彼はこれから会合にでも向かうのか、書類の束を手にして真剣に読み込んでいる。アレナのことを見る素振りもない。
(好都合だわ。ここから邸までは30分くらい。それだけあればうっかり寝てしまっても不自然じゃないわね。)
車輪の音だけが響く静かな車内で、アレナは眠ろうと必死に目を瞑る。だが、数秒も立たずして勝手に目が空いてしまう。
(…だ、ダメだわ!!気心知れない相手の前でなんて、眠るどころか目を瞑ることすら不可能だわ!!小説に出てくるヒロイン達はどれだけ鈍感なのよ!)
このままではせっかくの計画が台無しになってしまう。せっかくレネに協力してもらって無理やり整えた状況なのに…こんなことで失敗に終わるだなんて…
……………あ、そうだわ
眠れないのなら、眠らせればいいじゃない。
思い立ったアレナはスカートの内ポケットからこっそりとガラス製の小瓶を取り出した。
ジュリアスの視線がこちらに向いていないことを確認すると、蓋を開けて一気に中身を煽った。
そして意識を手放した。