20.答え合わせ
アレナを乗せた馬車が公爵邸に到着した。
窓から外を見ると、すぐ目の前にジュリアスが立っていた。
彼は正面を向いており、均衡の取れた美しい顔からは感情が読み取れない。静止している端正な顔立ちはどこか冷たい印象を与える。
(本来ならあんな風に私のことを見てるはずだったのよね…)
自分に向けられた甘く蕩けるような彼の瞳を思い出して、アレナの胸がズキリと痛んだ。
(あの姿を知らなければ、形だけの夫婦として上手くやっていけたかもしれないのに。)
馬車のドアが開いて外に出ようとすると、そこには当たり前のように手を差し伸べるジュリアスの姿があった。
先ほどとは打って代わり、蕩けるような笑みを浮かべてアレナのことを見つめている。
「会いたかった。」
熱っぽく言うと、彼はいつもと同じようにアレナの手を取り、もう片方の手を腰に回し、両手を使って慎重にエスコートしてくれる。
手を繋いだまま、お茶と菓子の準備をされたガゼボに案内された。ジュリアスに椅子を引いてもらい、アレナは緊張しながら席に着く。
「アレナが好きな柑橘系のお茶を用意したんだ。この菓子も最近流行りのもので令嬢に人気らしい。」
「ありがとうございます。」
ジュリアスがにこやかな表情でテーブルの上に並ぶお茶と菓子を勧めた。だが、俯いたまま一向に手を出そうとしないアレナ。
(……早く言わなきゃ)
そう思うのに中々言葉が出ない。焦れば焦るほど口の中が乾いていく。お茶を一口飲みたいのに、極度の緊張で身体が動かない。
すると、目の前で動いた気配がした。気付くとジュリアスがアレナの手を包み込むように握りしめ、彼女の目の前に膝をついていた。
「アレナ、悪かった。」
「……………え?」
突然の謝罪に驚いて彼のことを見ると、彼は今にも泣き出しそうなほど瞳に涙を溜め込んでいた。瞬きひとつすれば頬に伝わりそうだ。
「なっ………謝るのは私の方です!本当にごめんなさい。」
アレナも慌てて椅子から立ち上がり、しゃがんで彼と目線をあわせようとしたが、くるりと向きを変えられてジュリアスの膝の上に座らされてしまった。
「ひゃっ…何をなさるのです!?」
焦って立ち上がろうとしたが、彼の腕が蔦のようにきつく巻きつき、身動き一つ出来ない。ジュリアスと全身が密着し、首に彼の唇の熱と吐息を感じる。
アレナの頬が真っ赤に染まった。
(な、なななな!この状況はなんなの!!?こんな大胆なこと薬の影響以外に考えられないわ!普通じゃあり得ないもの!)
「謝らないで欲しい。俺はアレナーー」
「ごめんなさい!薬を盛りました!!」
「…………………………は?」
抱きしめられたままアレナが大きな声を出した。ジュリアスの顔から悲壮感が消え、無表情になり、その後困惑の表情を浮かべた。
「ええと、なんの話だろうか?」
「私、あのクッキーに媚薬を盛ってしまったんです!…その、信じてもらえないかもしれませんが、決してわざとではなく…ジュリアス様の御心を手に入れたい一心で…だから…」
でも解毒剤がありますから大丈夫です等とアレナは話を続けていたが、ジュリアスの耳には届いていなかった。
「ジュリアス様?」
相槌が無くなって不安に思ったアレナが、首だけ動かして彼の顔を見上げた。
「いっ…………」
(なんで!!?)
ジュリアスのアイスブルーの瞳は真っ直ぐにアレナのことを捉えていた。その瞳の奥に、歓喜と渇望を感じる。
「そうか、媚薬か…確かに盛られたかもな。」
「本当にごめんなさ…ひゃあっっっ」
込み上げる嬉しさを押し殺して怪しい笑みを浮かべたジュリアスは、目の前にあった真っ白な首筋をペロリと舐めた。
「………っ!! な、なに、何するんですか!」
「ふふふ、美味しそうだったからつい。アレナが可愛いのがいけない。」
「だからそれは薬の影響でっ……んっ」
「可愛い声。もっと聞かせて?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
(きゃあああああああっ!!なんで止まらないのよっ!!!羞恥心に殺されるわっ!!)
涙を溜めた瞳でジュリアスのことをキッと睨みつけたが、返ってきたのは妖艶な笑みだった。
「ねぇ、誘ってるの?」
「は、はは、はやく解毒剤をっ!!お叱りは後からいくらでも受けますので!!」
ずっとスカートのポケットを探っていたアレナがようやく小瓶を取り出した。念の為だと押し切ってレネに用意させていたのだ。
「これで正気に戻れますわ!」
ジュリアスの目の前にぐいっと小瓶を押し付ける。彼はそれを受け取るとにっこりと微笑み、そのまま床に投げつけた。
「きゃああっ!なんてことをっーーー!!」
唯一の解決策が床のシミになっていく。その様をアレナが絶望の表情で見つめている。
「こんなのは必要ない。」
「え?」
「あのクッキーは崇めているから口にしていない。そもそも、毒耐性のある俺に媚薬は効かない。」
「えっとつまり…?」
「俺にとっての媚薬はアレナ自身だってこと。」
「……チョットイミガワカリマセン」
頭がパンク寸前のアレナに、ジュリアスがクスッと笑みをこぼした。そして、彼女の耳元に唇を寄せる。
「試してみるか?」
普段よりも低く艶のある彼の声に、アレナの鼓動が早くなる。それと同時に、彼女の本能が「早く逃げろ」と告げていた。




