10.発熱
翌朝、アレナは起床後すぐ体温計を持ってくるようにレネにお願いしていた。
「………何度測っても変わりませんよ。文句なしの平熱、至って健康体です。」
「嘘でしょ…これじゃあ看病イベントが発生しないじゃない!貴族令嬢なら普通、少し雨に濡れただけで発熱するでしょう!」
「残念ながらお嬢様は普通の令嬢ではありませんからね。それと、看病はイベントではないです。」
何度も測り直しをしようとするアレナに呆れて、レネは体温計を取り上げてしまった。
あからさまに機嫌を悪くしたアレナが唇を尖らせる。
「次の作戦が出来ないから、その代わりに看病イベントをねじ込もうと思ったのに…!今のこの状態で最終作戦に臨むのはさすがに不安だわ…」
「次に予定していた、あの差し入れ作戦ですか…」
アレナはベッドから出て机に向かうと、引き出しからマル秘ノートを取り出した。そこに書いてある三つ目の作戦内容を指でなぞりながら目で追う。
「仕事場に差し入れを持って行って、同僚達の視線を掻っ攫い、ヤキモチを焼かせようって作戦だったのに…ジュリアス様の職場って彼の邸なのよね…はぁ…」
「だいぶ自信過剰な作戦ですね。」
「これも王道なのよ!ラブロマンスには野次馬精神を搭載した彼の友人が必要不可欠なの。恋愛ごとは、横槍があってこその自覚と進展よ。」
フンッと高飛車に言い放った。
(そもそも既にゾッコンなので、その作戦自体が不要なのですけどね…)
ビシッと言い切ったアレナに呆れつつも、ベッドから出て来たためこれ幸いと、レネは彼女の着替えを終わらせた。
その後食事を終え、空になった食器を下げようとしたその時、勢いよくドアが開いた。
「アレナ、大丈夫か!?」
兄のダンヒュールが勝手に部屋に入っきたのだ。
他の使用人の話から、医務室からレネが体温計を持って行ったことを知り、アレナの様子を見に来たらしい。
「お兄様、私は大丈夫だから部屋に入る時はノックをして欲しいわ。いつも言ってるけど。」
嗜められたダンヒュールだが、気にすることなくソファーに座るアレナの近くまで駆け寄ってきた。
「昨日アイツと出掛けてたせいだろ?俺の可愛い妹に何してくれてんだよ。」
「ううん、残念ながら健康そのもので…」
「ああ残念だよな!こんなに天気がいいのに寝ていなきゃならないなんて…」
「いやだからあのね、」
「くそっ、アイツのせいで…大丈夫、ここはお兄ちゃんに任せとけ。お前はしっかり養生するんだぞ。また顔を見にくるからな。」
勢いの良い言葉と共に部屋から出て行ってしまった。嵐のようだ。
(相変わらず人の話を聞かない人だわ…)
仕事の時は冷静沈着で諜報員としても頭ひとつ飛び抜けているのだが、ひとつだけ欠点があった。それは妹であるアレナの存在だ。彼女のこととなると途端に冷静さを欠いて、暴走してしまうのだ。
一気に静かになった部屋で、アレナとレネの頭にふと似たような懸念が浮上した。
「まさか、レーウェン家に行かないわよね?」
「そんなまさか…」
「「・・・・・」」
不安になって顔を見合わせた二人。
レネは念の為ですよと繰り返しながら、呼び出したハンクにダンヒュールの追跡を指示したのだった。
その頃の公爵邸にて…
「これが恋の病か…」
「いや普通に発熱だろ。」
熱を出して寝込んでいるジュリアスに、ベッド脇に立つミケルが見下ろしたまま嫌悪の視線を向けていた。
昨日雨に濡れたジュリアスは、翌朝しっかりと体調を崩していたのだ。そして、雨に濡れると事前に分かっていたのに(むしろそのための外出だったのに)、熱を出した彼にミケルは腹が立って仕方ないらしい。
熱でぐったりとしているジュリアスに恨み節が止まらない。
「お前が抜けた穴どうすんだよ…仕事が終わらねぇ。」
「アレナがお見舞いに来てくれたら治る。それはもう瞬時に。」
「寝言は寝て言え。」
ジュリアスの心からの願望は、ミケルに一刀両断されてしまった。
まぁ体調悪い奴に何言っても仕方ないかと諦めて寝室から出ようとした時、入れ違いで執事がやって来た。
「ジュリアス様、ご体調悪い所に大変申し訳ございません。先触れなく、サンクシュア様がいらっしゃいまして…」
「は!?アレナが来てくれたのか?……今治った。会える。会いたい。通してくれ。今すぐだ。」
「……おい、現金過ぎるだろ。」
寝台の上で素早く状態を起こし、手櫛で髪を整え始めたジュリアスに、ミケルが怒りを通り越して顔から表情が消え去り、無になっていた。
「その、ダンヒュール・サンクシュア様ですが、お通ししても?」
「チッ…駄目だ…急に熱が上がって来た。アレナの兄君には是非ともお会いしたいが、今は無理だ。アレナが良い。要件だけ聞いといてくれ。あと、今日彼女が食べた朝食のメニューを。」
「……婚約者の実兄に変態的質問をするんじゃねぇよ。」
清々しいほどに自分の欲に忠実なジュリアスだ。ふらふらとまた寝台の上に横になってしまった。
「いえそれが…もうすごそこまで迫っておりまして…」
「はぁ?」
執事の言っている意味が分からず、ジュリアスが聞き返したその時、ドアが壊れそうなほど力強いノックの音がした。
「俺の妹に何してくれてんだーーーっ!!」
耳をつんざくようなダンヒュールの叫び声が部屋の中まで響いたのだった。




