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【第8話】癒しは、ここに残る

夕暮れが、ラティーナ村をやさしく包み込んでいた。


家々の窓には灯りがともり、畑仕事を終えた人々が

一日の疲れを癒すように火を囲んでいた。


あの騒動があった家の前では、

快方に向かう男が毛布を肩にかけ、縁側に座っていた。


彼の隣には、妻と娘の姿。


「お父さん、きょうね、外で遊べたんだよ!」


娘の声に男はかすかに笑みを浮かべ、頷いた。


「そうか、それは……よかったな」


その言葉がどれほどの重みを持っているか、家族は皆、知っていた。


 


広場では、数人の若者たちがリーヴを囲んでいた。


「なあ、それって誰でもできるのか?」


「最初は、“癒す”っていうより、“知る”ことからだってさ」


手帳を広げて語る彼の姿に、かつての少年らしさはもうなかった。


少しずつ――だが確実に、村は変わり始めていた。


 


村の中心にある小さな井戸の前では、

子どもたちが石を並べて遊び、年配の女性たちが洗濯物を干していた。


その様子を見ていた老職人が、ふとつぶやいた。


「……昔は、病にかかれば命をあきらめるしかなかった。

でも今は、こんな田舎にも“癒し”が届く時代になったのか」


「おじいさん、癒しってなんなの?」


幼い孫の問いに、老職人はしばらく黙ってから、優しく言った。


「“大丈夫だ”って、誰かが言ってくれることさ。

それを信じられるのが、一番の癒しかもしれんな」


 


その頃、リーヴは村の古い納屋を掃除していた。


「ここを拠点にすれば……子どもにもわかりやすく、癒しを話せるかも」


土埃を払いながら、彼は夢中になって手を動かしていた。


外には、手帳を読みに集まった少年たちが待っている。


「“癒しの読み会”だってさ。変な名前!」


「でも、ちょっとワクワクするな」


笑いながら集まる声は、どこか希望に満ちていた。


 


丘の上に戻る。


ティナは、ふいに晴貴の袖を引いた。


「晴貴さん……いつか、この村を“見に戻って”きませんか?」


「もちろん。その頃には、俺たちが“癒しの旅人”として知られてるといいな」


「リーヴくんが師範の顔して迎えてくれるかも」


ふたりは顔を見合わせ、穏やかに笑い合った。


 


その夜、リーヴは自分の部屋の窓辺に座り、手帳を開いていた。


ろうそくの小さな炎がページを照らす。

彼の目は真剣で、時折、指で文字をなぞるように読み返している。


(“癒しは心を知ること”。“痛みは声にならない叫び”)


知らない言葉ばかりだった。けれど、意味を知ろうとすることが、

どこか嬉しかった。


ふと窓の外を見ると、あの旦那がゆっくりと庭を歩いているのが見えた。

手を引いているのは娘の小さな指。


リーヴは目を細めて見つめた。


(ああいうのが、“癒し”なんだな)


 


翌朝、村の広場ではちょっとした変化があった。


井戸のそばに、木の札が立っていた。


──『癒しの話、聞きたい人はここに集まってください』


それを見た子どもが笑った。


「リーヴおにいちゃん、先生になったの?」


「ちがうよ。ただ、聞いてくれたら嬉しいなって思って」


そう答える声には、もう迷いがなかった。


 


そのやりとりを見ていた村の女性が、そっとつぶやく。


「昔は、誰かの苦しみに触れるのが怖かった。

でも、今は……少しだけ、向き合える気がする」


その言葉を受け取るように、隣にいた男が頷いた。


「“癒す”って、特別なことじゃないのかもしれないな。

誰かの痛みに、黙って隣に座ることかもしれない」


 


村の灯りが、ひとつ、またひとつと灯っていく。


そこには、確かに“命の灯”があり、“癒しの芽”があった。


ティナは静かに手を合わせ、もう一度、祈った。


「この村に、明日もまた、穏やかな朝が訪れますように」


風がやさしく頬をなで、夕暮れの景色は静かに夜へと染まっていった。


癒しは、たしかにこの村に残った。

朝靄に包まれたラティーナ村の空気は、前日までとはまるで別物だった。


晴貴が目を覚まし、窓の外に目をやると、

村の中央で薪を割る音や、畑を耕す声が、どこか活気を帯びて響いていた。


宿の外に出ると、数人の村人たちが頭を下げた。


「昨日は……ありがとうございました」


「助けてもらったあの子も、旦那も、夜には熱が下がって、朝には……ほんとに元気そうで……」


彼らの言葉に、晴貴は軽く頭を下げて答える。


「癒されたのは、本人の力があってこそです。私たちは、それを少しだけ後押ししただけです」


 


その後、荷物を整えて出発の準備を進めるふたりの元に、

ひとりの若者が駆けてきた。


「待ってください!」


声をかけてきたのは、施療を見守っていた十代半ばの少年――リーヴという名の村の鍛冶職人の弟子だった。


「俺、癒しのこと……学べませんか?」


その一言に、ティナは驚いて目を見開き、晴貴は少しだけ目を細めた。


「なぜ、学びたいと思ったんですか?」


「……あの光を見て、心が震えました。

もし俺が、誰かの痛みをやわらげられるなら――それは、鍛冶よりも、誰かのためになると思ったんです」


まっすぐな言葉に、晴貴はしばし沈黙し、そして小さく微笑んだ。


「なら、まずはこの本を読みなさい」


荷袋から一冊の薄い手帳を取り出し、リーヴに手渡した。


「“癒し”は力ではなく、理解から始まります。

それでも学びたいという気持ちが変わらなければ、また会える日も来るでしょう」


少年は両手で手帳を受け取り、深々と頭を下げた。


「はい! 絶対に、また会いに行きます!」


 


手帳を抱きしめるようにして受け取ったリーヴは、何度も頭を下げた。


「俺、絶対に無駄にしません……。癒しのこと、ちゃんと学んで、村の人たちの役に立てるようになります」


「焦らなくていい。癒しは時間の積み重ねだ。慌てず、正しく歩めばいい」


晴貴の言葉に、リーヴはまっすぐ顔を上げ、うなずいた。


 


そこへ、村長がゆっくりと歩いてくる。


「……見送りに来ただけだ。お前らのやってることが、どうしても夢みたいでな」


「夢を、現実にするのが私たちの役目です。村長、あなたがあの言葉をくれたから、村が変わった」


「ふん……柄じゃねえよ」


そう言いながらも、村長の目はどこか穏やかだった。


「また来いよ。旅の途中で困ったら、ここで休んでけ」


「はい。今度来るときは、この村で“癒し手”に会えるかもしれませんね」


晴貴が言うと、リーヴが少し照れたように笑った。


 


ティナはそのやり取りを眺めながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


昨日まで“癒しなんて信じない”と睨まれていたこの場所が、

今日こうして、自分たちを“信じてくれた誰か”に見送られている。


そのことが、何よりも嬉しかった。


(癒されたのは、きっとこの村全体だったのかもしれない)


そんな想いが、ふと胸をよぎる。


 


馬車の準備が整い、ティナが晴貴の横に並ぶ。


「……行きましょうか」


「うん」


その足取りは軽く、村を後にするふたりの背に、あたたかな風が吹いていた。

ラティーナ村を後にし、馬車の車輪が街道の石を鳴らしていた。


森を抜ける風はまだ冷たかったが、陽射しには春の兆しが宿っていた。


ティナは揺れる荷台に腰を下ろし、ふうっと息をついた。


「……なんだか、少し名残惜しいですね」


「たしかにな。けれど、村の中に“癒し”を託せる誰かが現れた。それが何よりだよ」


晴貴は前を見たまま言う。だがその声音には、どこか安堵が滲んでいた。


 


村を発ったとき、リーヴが何度も手を振っていた光景が思い出された。


彼の手の中には、癒しの知識が詰まった小さな手帳。

それが、ひとつの未来を変えていくかもしれないと思うと、ティナの胸にも力が宿る。


「次の町は……どこでしたっけ?」


「“シアンの泉”がある街。水源の近くで、流通も盛んらしい」


「じゃあ……人も多くて、癒しを必要とする人も多いかもしれませんね」


「そのぶん、騙しや詐欺も多いそうだ。そこでは“本物”であることを、もっと強く示す必要があるかもな」


 


ティナは木々の間から覗く陽の光を見上げた。

昨日までの緊張感が、嘘のように軽くなっていた。


「……癒しって、ほんとに届くんですね」


その言葉は、誰に向けたでもない、ひとりごとのような響きだった。


「届くさ。たとえ最初は疑われても、信じようとする心がある限り」


晴貴の言葉に、ティナはそっと目を細めた。


「私、あの村にいた子どもたちの顔が忘れられません。

熱にうなされて、息も絶え絶えだったあの子が、最後に“おかあさん”って呼んだとき……」


「……ああ。俺も、あの瞬間をきっと忘れない」


ふたりの間に流れる沈黙は、決して重いものではなかった。

それは、言葉よりも深く共有された記憶の余韻だった。


 


馬車はゆっくりと丘を登り、見晴らしの良い場所へ出た。


そこからは、はるか彼方に広がる平原と、

まばらに立ち並ぶ家々、そして街の中心から立ち上る白い煙が見えた。


「……あれが“シアンの泉”の町ですね」


「ああ。癒しを必要とする人が、きっといるはずだ」


晴貴の眼差しは遠くを見据えていた。

その背中には、もう“迷い”の色はなかった。


 


「晴貴さん」


ティナが声をかけると、彼は静かに振り向いた。


「私、もっと強くなりたいです。

誰かを癒せるだけじゃなくて、“信じてもらえる癒し手”になりたい」


その決意に、晴貴はわずかに笑って答えた。


「じゃあ、俺も負けていられないな。

“癒す力”が、“信じられる力”になるように、俺も学び続けるよ」


 


ふたりはしばし、次の街を見つめていた。


小さな村に蒔かれた種は、今、旅立ちとともに

また別の土地へと運ばれていく。


癒しの灯火は、風に乗り、

今日もまた、新しい誰かの元へ向かっていた。

晴貴とティナの乗った馬車が見えなくなってからも、

リーヴはずっと街道の先を見つめていた。


手には、あの手帳。

癒しの知識が詰まった、小さな分厚い冊子。


まだすべての文字を読めるわけじゃない。

けれどページをめくるたびに、胸の奥が熱くなる。


(あんな風に、誰かを助けたい)


そう思ったのは、初めてだった。


 


「……本当に行っちまったな」


不意に後ろからかけられた声に振り返ると、そこには村長が立っていた。


「おまえ、癒しの道を本気でやるつもりか?」


「はい。まだ何もわかってませんけど……でも、あの光を見たら、何かせずにはいられなかったんです」


「ふん。熱いな。だが、それでこそ若ぇってもんだ」


村長は、持っていた煙草に火をつけるふりだけして、ぽんと肩を叩いた。


「いいか、癒しってのは“結果”じゃねぇ。“願い”なんだよ。

他人の痛みを本気で想像できるやつしか、その道は続かねぇぞ」


リーヴは驚いたように村長を見る。


「……村長も、そう思ってたんですね」


「そりゃな。あのとき助けてもらったのは、あの旦那だけじゃねぇ。

この村そのものが、もう一回信じ直せたんだ」


 


そのまま村長は腰を下ろし、ぽつりと呟いた。


「……昔な、俺にも“癒し”に憧れた友がいたんだ。

だけど、その友は途中で諦めた。“信じてもらえなかった”って、そう言ってな」


リーヴは黙って耳を傾ける。


「でもな、昨日のあんたらを見て思ったんだよ。

“信じてくれないなら、それでもいい”って顔して、あの男はただ命に向き合ってた。

それが……悔しいほどに、かっこよかった」


普段なら絶対に口にしなさそうな言葉だった。

だが、それは村長なりの、精一杯の敬意だった。


 


リーヴは膝の上で手帳を開く。


そこには、小さな文字で“癒しとは、対話である”と書かれていた。


(対話……)


心の中で繰り返す。

それは、魔法のように誰かを救う力じゃない。

でも、確かに誰かに寄り添う姿勢だった。


 


「村長。俺、癒しを学ぶって決めた日から……

“誰かを救う”んじゃなく、“誰かと向き合う”って決めました」


「……良い顔するようになったな、お前」


村長は立ち上がり、背伸びをした。


「リーヴ、何年かかってもいい。いつか、この村に“本物の癒し手”がいるって言われるようになれ」


「はい!」


胸に手帳を抱き、まっすぐに答える少年の瞳は、もう迷いの色を残していなかった。


 


その日、リーヴは人生で初めて“誰かの未来”を信じたいと強く思った。

そしてそれは、確かにラティーナ村の誰かに届いていた。

夕暮れが、ラティーナ村をやさしく包み込んでいた。


家々の窓には灯りがともり、畑仕事を終えた人々が

一日の疲れを癒すように火を囲んでいた。


あの騒動があった家の前では、

快方に向かう男が毛布を肩にかけ、縁側に座っていた。


彼の隣には、妻と娘の姿。


「お父さん、きょうね、外で遊べたんだよ!」


娘の声に男はかすかに笑みを浮かべ、頷いた。


「そうか、それは……よかったな」


その言葉がどれほどの重みを持っているか、家族は皆、知っていた。


 


広場では、数人の若者たちがリーヴを囲んでいた。


「なあ、それって誰でもできるのか?」


「最初は、“癒す”っていうより、“知る”ことからだってさ」


手帳を広げて語る彼の姿に、かつての少年らしさはもうなかった。


少しずつ――だが確実に、村は変わり始めていた。


 


村の中心にある小さな井戸の前では、

子どもたちが石を並べて遊び、年配の女性たちが洗濯物を干していた。


その様子を見ていた老職人が、ふとつぶやいた。


「……昔は、病にかかれば命をあきらめるしかなかった。

でも今は、こんな田舎にも“癒し”が届く時代になったのか」


「おじいさん、癒しってなんなの?」


幼い孫の問いに、老職人はしばらく黙ってから、優しく言った。


「“大丈夫だ”って、誰かが言ってくれることさ。

それを信じられるのが、一番の癒しかもしれんな」


 


その頃、リーヴは村の古い納屋を掃除していた。


「ここを拠点にすれば……子どもにもわかりやすく、癒しを話せるかも」


土埃を払いながら、彼は夢中になって手を動かしていた。


外には、手帳を読みに集まった少年たちが待っている。


「“癒しの読み会”だってさ。変な名前!」


「でも、ちょっとワクワクするな」


笑いながら集まる声は、どこか希望に満ちていた。


 


丘の上に戻る。


ティナは、ふいに晴貴の袖を引いた。


「晴貴さん……いつか、この村を“見に戻って”きませんか?」


「もちろん。その頃には、俺たちが“癒しの旅人”として知られてるといいな」


「リーヴくんが師範の顔して迎えてくれるかも」


ふたりは顔を見合わせ、穏やかに笑い合った。


 


その夜、リーヴは自分の部屋の窓辺に座り、手帳を開いていた。


ろうそくの小さな炎がページを照らす。

彼の目は真剣で、時折、指で文字をなぞるように読み返している。


(“癒しは心を知ること”。“痛みは声にならない叫び”)


知らない言葉ばかりだった。けれど、意味を知ろうとすることが、

どこか嬉しかった。


ふと窓の外を見ると、あの旦那がゆっくりと庭を歩いているのが見えた。

手を引いているのは娘の小さな指。


リーヴは目を細めて見つめた。


(ああいうのが、“癒し”なんだな)


 


翌朝、村の広場ではちょっとした変化があった。


井戸のそばに、木の札が立っていた。


──『癒しの話、聞きたい人はここに集まってください』


それを見た子どもが笑った。


「リーヴおにいちゃん、先生になったの?」


「ちがうよ。ただ、聞いてくれたら嬉しいなって思って」


そう答える声には、もう迷いがなかった。


 


そのやりとりを見ていた村の女性が、そっとつぶやく。


「昔は、誰かの苦しみに触れるのが怖かった。

でも、今は……少しだけ、向き合える気がする」


その言葉を受け取るように、隣にいた男が頷いた。


「“癒す”って、特別なことじゃないのかもしれないな。

誰かの痛みに、黙って隣に座ることかもしれない」


 


村の灯りが、ひとつ、またひとつと灯っていく。


そこには、確かに“命の灯”があり、“癒しの芽”があった。


ティナは静かに手を合わせ、もう一度、祈った。


「この村に、明日もまた、穏やかな朝が訪れますように」


風がやさしく頬をなで、夕暮れの景色は静かに夜へと染まっていった。


癒しは、たしかにこの村に残った。

晴貴とティナは旅立ちましたが、彼らの“癒し”は確かに村に残りました。


小さな手帳を抱えて学びはじめる少年。

穏やかな夜に手を取り合う家族。

そして、誰かの苦しみに向き合おうとする村人たち。


癒しとは、技術や魔法ではなく――「誰かの痛みに寄り添おうとする心」。


第9話からは新たな街、「シアンの泉」編が始まります。

引き続き、応援よろしくお願いいたします!

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