【第7話】癒しを拒む村
今回は、晴貴とティナが“癒しを信じない村”で、
ふたり目の施療に挑む場面を描きました。
ひとつの命を救ったあと、
もうひとつの命を救うことで、村の空気が大きく動き始めます。
“信じる”というのは、簡単なことではありません。
けれど、目の前で変化が起きたとき、人は少しずつ歩み寄ることができる。
そんな転換点を、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
北へ向かう街道は、ところどころぬかるみが残り、馬車の車輪がときおり軋んだ。
荷馬車の上で、ティナは空を見上げる。
春の終わりを告げるように、空にはまだ薄い雲が流れていた。
「……なんだか、少し空気が違いますね」
「この辺りは湿地帯が近いからな。水の質が変わると、村にも影響が出やすい」
晴貴は淡々と地形と病の関係を語った。
目的地は、教区の北端にある村――“ラティーナ村”。
一月ほど前から原因不明の発熱が広がり、村の子どもや高齢者を中心に次々と倒れているという。
村の入り口に立つ古びた看板には、“ようこそ”と書かれた文字がかすれていた。
その裏側には、誰かが彫った「帰れ」の文字が刻まれているのを、ティナが見つけた。
「……歓迎されてないのが、はっきり伝わってきますね」
「無理もない。村の誰かが希望を持っても、それを押しつぶすほどの“諦め”が染みついてる」
晴貴の声は静かだったが、どこか遠い感情を含んでいた。
村を歩くあいだ、窓の奥から村人たちがこちらを見ているのがわかった。
視線は鋭く、敵意というより“恐れ”が混じっている。
まるで――触れてはいけないものが、村に足を踏み入れたかのような。
家の前で子どもが石を蹴っていたが、ティナに気づくと、はっとして家の中に駆け込んだ。
「……子どもたちの表情まで、こんなに硬いなんて」
「“癒し手”が希望として見られていない証拠だよ」
晴貴の言葉に、ティナは俯いたまま小さく頷いた。
広場に着いたとき、村の中央に掲げられた木製の“祈祷台”が目に入った。
かつて村の誰かが、神へ祈りを捧げていたその場所は、今や朽ちかけており、
その周囲に集まる村人たちもまた、どこか信仰を失った表情をしていた。
晴貴はその場で深く一礼した。
「我々は神に仕えるものではない。けれど、人の命を救いたいと願う者です」
村長は黙っていたが、周囲の村人たちの中には、わずかに目を見開く者もいた。
ティナはそれを見逃さなかった。希望は、ほんのわずかでも残っている――そう信じたかった。
そのとき、ひとりの少年が駆け寄ってきた。
「母ちゃんのところに行ってあげて! 妹がずっと熱で倒れてて……母ちゃん、泣いてるんだ……!
もう何しても下がらなくて……、お願い、助けてください!」
少年の手は泥だらけで、泣き腫らした目に涙の跡が残っていた。
村長が何かを言いかけたが、晴貴が先に言葉を発した。
「案内してください。今すぐ向かいます」
ティナも頷き、荷物を抱えて少年のあとを追った。
村人たちは道を開けながら、その背をじっと見つめていた。
それは、不信でも拒絶でもない。
“本当に癒せるのか?”――そんな問いと、最後の希望を込めた視線だった。
少年に案内され、細い路地を抜けた先に、その家はあった。
木造の壁はところどころ腐り、屋根も雨漏りを防げていないようだった。
「ここです……」
少年が扉を押し開けると、かびた藁の匂いと、こもった熱気が流れてくる。
奥の部屋には、小さな体が布団に横たわっていた。
少女の顔は赤く、額には濡れた布が乗せられている。
呼吸は浅く、荒い。時折うわ言のように「……あつい……」と唸っていた。
その横で、少女の母親がすがるようにティナに向かって頭を下げる。
「お願いします……もう、どうしていいか分からないんです……!」
ティナはそっと女性の手を取り、落ち着いた声で答えた。
「大丈夫です。私たちにできる限りのことをします」
晴貴は荷物から“癒しの欠片”と小型の錬成盤を取り出すと、床に展開した。
その動きは慣れており、無駄がなかった。
「ティナ、彼女の脈と熱を測ってくれ。補助に集中して」
「はい」
部屋の外には、近所の村人たちが集まり始めていた。
中には何かを言いたげに眉をひそめる者もいたが、誰も声には出さなかった。
「……あれが“癒し”か?」
「昔、村の外から来た術師が似たようなことしてたな。結局、誰も治せなかったが……」
「娘を実験台にされるんじゃねぇのか……?」
そんな声が小さく囁かれる。
だが中では、淡々と準備が進んでいた。
晴貴は両手を欠片にかざし、深く息を吸い込んだ。
「“癒しの式”展開……呼吸障害、血液の炎症反応、解熱を優先……」
詠唱ではない。けれど、それはまるで祈りのようだった。
施術を進める中、ティナは少女の汗ばんだ額を拭きながら、そっと問いかけた。
「……大丈夫、あなたはもうひとりじゃないから」
その声は震えていなかった。
この世界に来てから、何度も人の痛みに触れた。けれど、今日ほど“癒す”ことに意味を感じた日はなかった。
少女の母親は、床に膝をつきながら、必死に祈るように手を組んでいた。
「どうか……この子だけは……」
その声はかすれ、絞り出すようだった。
何度も民間療法を試し、薬草も使い果たし、最後にすがったのは“信じてはいけない”と教えられてきた癒しだった。
ティナはその姿に、どこか昔の自分を重ねていた。
少女の呼吸が、さらに落ち着いていく。
晴貴が指先で光の流れを変えると、淡い輝きが額から胸元、そして全身を包み込んだ。
「“癒しの式”最終段階……体温調整、内臓活性、神経鎮静……」
まるで、ひとつの生命を包み込む光の繭のようだった。
家の外では、村人たちの間にざわめきが生まれはじめていた。
「……顔色が戻ってる」
「汗が……ちゃんと流れてる……」
「さっきまで、息も荒かったのに……」
その言葉は、最初は囁きだったが、徐々に大きな波となって広がっていく。
村長も、その変化をまざまざと目の当たりにしていた。
「……これは……奇跡なのか……?」
その言葉に、誰も即答はできなかった。
けれど、村の空気は確実に変わりはじめていた。
ティナが晴貴に視線を送る。
「晴貴さん……もう大丈夫ですか?」
「……ああ、安定してきた。あとは、自然な回復を待つだけだ」
少女はうっすらと目を開けた。
弱々しくも、母親のほうへ手を伸ばす。
「……かあ、さん……」
その声に、母親は何かが決壊したように泣き崩れた。
「よかった……ありがとう……ありがとう……!」
晴貴はその様子を見ながら、ふうっと息を吐いた。
「信じてもらうのは、簡単じゃない。でも……こうして目の前で癒された人がいるなら、少しずつでも届いていく」
ティナはそっと頷いた。
「信じてもらうのは、簡単じゃない。でも……こうして目の前で癒された人がいるなら、少しずつでも届いていく」
晴貴の言葉は、誰にというわけではなく、自分自身への確認のようでもあった。
ティナは少女の寝顔を見つめながら、静かに頷いた。
家の外では、村人たちがぽつぽつと声を漏らしていた。
「……本当に、効いたんだよな?」
「熱が引いたのを見たのは初めてだ……」
「まさか、あれが“本物”なのか……?」
その声には、まだ完全な信頼はない。
だが、確かに疑いだけではなく“驚き”と“希望”が混じっていた。
やがて村長が静かに歩み寄ってきた。
その表情は硬いが、わずかに目が揺れていた。
「……話を、聞かせてもらえるか。お前たちがやっていたことを」
晴貴は頷いた。
「ええ。私たちは“癒しの欠片”を使い、身体のバランスを整えるための施療を行っています。
これは魔術や薬草とは異なります。人体に与える負荷を抑えながら、回復力を高める手法です」
村長は腕を組みながら黙って聞いていたが、ふと口を開いた。
「……信じたいが、信じきれんのが正直なところだ。
だが、今ここに“目を覚ました子ども”がいる。それは否定できん」
家の前に集まっていた村人たちが、言葉もなくその様子を見つめていた。
ティナはふと、部屋の隅で膝を抱えていた少年に目を向けた。
「……ありがとう、教えてくれて。君のおかげで、助けられたよ」
少年は少し驚いたように顔を上げ、戸惑いながらも小さく頷いた。
「……ほんとに、妹……治るんですか?」
「今はまだ完全じゃないけど、命の危機は脱したよ。ちゃんとごはんを食べて、ゆっくり休めばきっと元気になる」
ティナの優しい声に、少年の頬が少し赤く染まった。
外では、村人たちのざわめきが次第に大きくなっていた。
「娘も熱があるんだ……診てもらえるかな?」
「俺のところの婆さんも寝たきりで……もしかして……」
「癒しって、薬みたいに飲むもんじゃないのか?」
「いや、さっきのを見ただろ? 光が……身体から染み込んでいくみたいだった」
見えないはずの希望が、今は見えるかのように語られていた。
村長は家の柱にもたれかかりながら、晴貴に問いかけた。
「お前の言う“癒しの欠片”ってのは、誰にでも使えるものなのか?」
「扱いには技術が必要です。ですが、正しい手順と意図があれば、誰でも学ぶことはできます」
「……なら、村の誰かにも教えることはできるのか?」
晴貴は一瞬だけ驚いたように目を細めたが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「はい。その意志があるなら、私は喜んで指導します」
村長はそれ以上言葉を重ねず、黙ってうなずいた。
そのとき、少女の母親が家の中から出てきた。
彼女は涙をぬぐいながら、村人たちに深々と頭を下げた。
「本当に、この方たちが助けてくれました……。
もし、あなたたちの家族にも何かあったら――この人たちを、信じてあげてください……!」
その言葉に、村人たちの表情が揺れた。
どこかで疑っていた。
どこかで諦めていた。
けれど、今ここに、“癒された命”があるのは紛れもない事実だった。
そのとき、広場の奥から新たな足音が響いてきた。
「誰かっ! 癒し手の方はまだいますか!?」
必死な声とともに駆けてきたのは、別の家の中年の女性だった。
「夫が……高熱で意識が戻らないんです! 医者も薬草師も“もう手はない”って……!」
再び、空気が張り詰める。
「……癒してもらった子の親だけが、助けてもらえるってことじゃないですよね?」
そうつぶやいたのは、最初に疑っていた初老の男性だった。
晴貴はすっと立ち上がった。
「もちろんです。私たちは、癒しを求めるすべての人のために来たのです」
ティナも立ち上がり、優しく微笑んだ。
「……案内してください」
二人の背に、村人たちの視線が集まっていた。
先ほどまであった“怯え”や“偏見”ではない。
ほんの少しだけ、“信じてみよう”という光が混ざっていた。
日が傾き始めたころ、晴貴とティナはふたたび村の奥へと足を運んでいた。
案内する中年の女性の手は震えており、その背には緊張と焦りがにじんでいた。
「この道の先の一番奥です……。夫が、朝からずっと意識がなくて……」
「分かりました。大丈夫、落ち着いてください。間に合います」
ティナが静かに声をかけると、女性は何度も頷きながら歩を進めた。
家に入ると、土間の隅に古びた布団が敷かれ、そこに大柄な男が横たわっていた。
額には冷やした布、手足には湿布らしき草の痕跡。
しかし体温は異様に高く、肌は赤みを帯び、呼吸も不規則だ。
「……高熱に加えて、内臓への負担も出始めてるな」
晴貴はそう呟きながら、すぐに錬成盤を展開し、欠片の配置を整える。
「ティナ、脈拍と体温の測定を。水と冷却布も準備してくれ」
「はい、すぐに」
ティナの動きもすでに慣れており、数秒後には施術の補助に入っていた。
外にはまた人だかりができていた。
「さっきの子に続いて、今度はあの旦那か……」
「信じられねえけど……本当に、助けられるのか?」
「俺だったら、怖くて任せられなかったかもしれねえな……」
疑念と期待がせめぎ合う声があちこちで交錯する中、
村長がふと口を開いた。
「恐れは分かる……だが、あの子の瞳を見たか。
あれは、命を見捨てなかった者の光だった」
誰も返事はしなかったが、その言葉は静かに響いた。
室内では、施療の中心が進行していた。
晴貴の指先が放つ淡い光が、男の胸元から腹部、そして四肢へと流れていく。
「呼吸を整える……肺を冷却……血液循環の補助……炎症の鎮静へ移行」
そのたびに、男の荒かった息がわずかに落ち着き、
肌の赤みも少しずつ引いていった。
ティナが男の額に新しい布を当てながら、ぽつりと呟いた。
「……晴貴さん。村の人たち、見てます」
「わかってる。だからこそ、丁寧にやるんだ。
見られている“今”が、信じるかどうかの分岐点になる」
やがて、男のまぶたがゆっくりと動いた。
「……う……ん……」
その瞬間、外からどよめきが起こる。
「目を開けた……!」
「まさか、本当に……」
「二人とも……本物、なのか……?」
男が目を開いた瞬間、妻の女性は泣き崩れた。
「あなた……! わかる? 私よ、私がここにいるわ……!」
男は朦朧としたまま、ゆっくりと視線を動かし、かすかに頷いた。
「……ああ……おまえ……」
その返事に、女性は嗚咽を漏らしながら夫の手を握った。
外にいた村人たちも、その光景に息を呑むように見入っていた。
「二人目だぞ……まぐれなんかじゃねえ」
「俺、ずっと癒しって嘘だと思ってた……けど、今のは……」
「娘を診てもらうべきかもしれん。もう他に手段はないしな……」
不安と否定の言葉は、次第に“相談”や“希望”の語調に変わっていった。
家の中で晴貴は、欠片の余剰エネルギーを封じ、静かに施療を終えた。
額から一筋の汗を拭いながら、ティナの方を見やる。
「……終わった。大丈夫、あとは回復するだけだ」
ティナはこくりと頷き、涙ぐんだ女性にタオルを手渡した。
「水分をしっかり取らせて、しばらく安静にしてください。
無理に食べさせず、寝かせておくことが一番の薬になります」
「はい……はい、本当に……ありがとうございました……!」
そのとき、入口から村長が現れた。
彼は晴貴とティナを見つめ、やや渋い顔をしながらも言った。
「……わしはな、癒しという言葉が昔から胡散臭くて仕方なかった。
だが、今日だけは言わざるを得ん……」
少し口をつぐんだのち、言葉を続けた。
「……ありがとう」
それは、村長としてではなく、“ひとりの人間”としての感謝だった。
村人たちはそれぞれ口を閉ざし、だが誰も否定しなかった。
その場にあったのは、初めて生まれた“共通の認識”だった。
癒しは、確かにここで命を救ったのだと。
ティナはそんな空気を感じながら、ぽつりと呟いた。
「……晴貴さん、やっと……届き始めてますね」
「ようやく、だな。けど――ここからが、本当の始まりかもしれない」
第7話では、晴貴たちの癒しが、
ようやく“信頼”へとつながりはじめた瞬間を描きました。
最初の拒絶、疑いの目、恐れ――
それを一歩ずつ乗り越えていく姿を、丁寧に書いています。
次回はいよいよ“村の未来”と“晴貴の次の決断”に触れていきます。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!