【第6話】静かなる痛みと寄り添う
こんにちは、一条信輝です。
第6話では「癒しの余韻」と「新たな旅立ち」、そしてティナの内面の変化を中心に描いてみました。
老婦人との出会いを経て、ティナの中には“癒し手”としての覚悟が芽生えはじめています。
晴貴との会話や教会の人々との交流を通じて、彼女の想いがどう深まっていくのか……
その一歩を感じてもらえたら嬉しいです。
エルフリーデの南側にある、緑に囲まれた静かな町。
その片隅にある施療所は、老朽化が進んでおり、通る風が窓の隙間を鳴らしていた。
「ここが、次の現場ですね」
ティナがポーチを握りしめながらつぶやく。
晴貴はうなずき、木の扉を軽くノックした。
中から現れたのは、優しげな中年女性だった。
「教会から来てくださった方ですね。お待ちしていました。
……すみません、うちには設備も人手も足りなくて……」
「大丈夫です。患者さんは?」
「こちらに……もう何年も寝たきりなんです。身体を動かすことはできませんが、意識はしっかりしていて……でも最近、ずっと痛みを訴えていて……」
二人が案内された小部屋には、やせ細った老婦人が静かに横たわっていた。
カーテン越しの光が、彼女の髪をやさしく照らしている。
「……誰か来たの?」
かすれた声が空気を震わせる。
「はい。教会から来た錬成術師とその見習いです。痛みの原因を、できるだけ探ります」
晴貴が膝をつき、婦人の手をそっと握った。
「初めまして。葵 晴貴といいます。少しだけ、お話してもいいですか?」
老婦人は、微かに笑った。
「……若い人の声って、懐かしいわねぇ。ああ、痛いのなんてもう慣れたのよ……でも、ありがとうね」
ティナが息を呑む。
その言葉の裏にある“諦め”の色に、彼女は気づいた。
晴貴は静かに欠片を取り出し、指先で撫でる。
「この欠片は、痛みの“気配”を教えてくれます。もしよければ、体のいくつかの部位に当てて確認してもいいですか?」
「……そんな石で、何が分かるのかしらね。でも、どうぞ」
婦人の笑みは、穏やかだった。だが、その奥にある“孤独な時間”は、確かに重く存在していた。
晴貴は光る欠片を手に、ゆっくりとその胸元へとかざす。
ティナは部屋の隅に置かれた椅子にそっと座った。
窓辺には干からびた観葉植物が置かれており、長い間、誰の手も入っていないようだった。
老婦人はゆっくりと目を閉じ、ぽつりと語る。
「……昔はね、旅が好きだったの。いろんな街を歩いて、見知らぬ人に会って……でも、転んだのをきっかけに寝たきりになってね。
動けなくなるって、だんだん世界が小さくなるのよ。声も、景色も、思い出にしかならないの」
ティナの目が潤む。晴貴は黙ってうなずき、欠片を左肩にかざす。
淡い光が灯り、小さく震えるように欠片が明滅する。
「……このあたり、鈍い反応だけど“熱”がこもってる。炎症系か、あるいは……」
「私の体のことなんて、もう誰も気にしないと思ってた」
老婦人の声は静かだが、わずかに震えていた。
晴貴は欠片を胸元へと移動させながら、真剣な表情を崩さなかった。
「あなたの痛みは、ここに確かにある。そして、それはきっと――誰かに伝えることで少しずつ軽くなるものなんです」
ティナが、おずおずと婦人の手を握る。
「お話……聞かせてもらえませんか? 昔の旅のこと、どこを歩いたのか……」
老婦人の口元が、ほんの少しだけ、柔らかくほころんだ。
「……ふふ、いいわよ。あなたたち、ずいぶん優しい目をしているわねぇ」
部屋の中に、静かであたたかな時間が流れはじめた。
「昔ね、旅先で出会った人に言われたの。『あなたの話を聞くと元気になれる』って」
老婦人が静かに語りはじめた。
「でも私は、自分が誰かの役に立てるなんて思ってなかった。……それが、ずっと心に残っていてね。
今でもときどき思い出すのよ。もっと、誰かに何かを伝えていればよかったって」
晴貴は欠片を老婦人の胸元から額へと移動させた。
淡い光が再び揺れ、今度は細かく点滅するように反応した。
「……これは、“感情由来の痛み”ですね。長年、胸にしまい込んでいた思いが身体に残っている」
「感情で……体が痛むことなんて、本当にあるのね……」
老婦人の目元に、薄く涙がにじんでいた。
ティナが、そっと枕元に膝をついた。
「……あの、もしよければ、その旅のお話、もっと聞かせていただけませんか?」
老婦人は目を細め、ゆっくりと口を開く。
「……そうね。昔、南の果ての港町まで行ったことがあるの。ちょうど祭りの日でね……」
語りながら、彼女の頬がわずかに紅潮し、呼吸が楽になっていくのがわかった。
晴貴は静かに欠片の輝きを見つめた。
“癒し”は、体に触れるだけではない。
言葉に耳を傾けることも、記憶をたどることも、十分すぎるほどの力になる。
老婦人は語るたびに、少しずつ顔色を取り戻していくようだった。
「……港町ではね、路地裏の屋台で売ってた焼き菓子がとても美味しくて。
知らない子どもたちに分けてあげたら、“おばちゃん旅人なの?”って笑われてね……ふふ」
ティナは頷きながら、一言一言を大切に受け止めていた。
「……それって、素敵な思い出ですね。私、そんな風に誰かの記憶に残る旅をしたことがなくて……」
「大丈夫よ。あなたは今、誰かの心にちゃんと残ってるわ」
老婦人の目が、どこか懐かしさを宿しながらティナを見つめていた。
晴貴はそっと窓を開けた。春風がやわらかく吹き込み、カーテンを揺らす。
「癒しって……なんだろうな」
ぽつりと呟いた晴貴に、老婦人が微笑んだ。
「“忘れられないこと”を、誰かと分かち合えること……かもしれないわね」
その言葉に、ティナは目を丸くし、それから優しく笑った。
話し終えた老婦人は、まるで深い眠りにつくように目を閉じた。
「……ありがとう。まるで、あの頃に戻れたようだったわ」
ティナはそっと彼女の手を握りしめた。
「また、お話聞かせてくださいね。私たち、ここにいますから」
「ええ……また、話しましょうね」
その瞬間、欠片がふっと光を失い、静かにその役目を終えた。
部屋の中には、ただ、あたたかい沈黙だけが残っていた。
夕暮れが、施療所の窓を淡い橙色に染めていた。
晴貴とティナは施療を終え、そっと部屋をあとにする。
廊下を歩きながら、ティナが小さく呟いた。
「……あんなふうに、人の心に触れるなんて、思ってもいませんでした。
言葉って、あんなにも人を癒す力があるんですね……」
晴貴は足を止め、静かに言葉を返す。
「俺たちが扱ってるのは、石や光じゃない。
“想い”なんだ。だからこそ、癒せるんだよ。心も、体もな」
ティナはその言葉を胸の中でゆっくりと反芻し、頷いた。
廊下を出たあと、ふたりは施療所の庭先にあるベンチに腰を下ろした。
空には細い月が浮かび、やわらかく夜が降りてきている。
「晴貴さん……私、なんだかすごく不思議な気持ちです」
「不思議?」
「癒したのに、私のほうが癒されたみたいで……。
あの老婦人の言葉、ひとつひとつが胸に染みて、私……」
ティナが胸元に手を当て、ぽつりと続ける。
「……本当は、昔から自分に自信がなかったんです。
周りの役に立ててるって、ずっと思えなくて……。
でも、今日だけは少しだけ“私でも何かできたかも”って思えました」
晴貴は優しくうなずいた。
「ティナ、それが“癒しの種”だよ。自分を許して、自分を受け入れることから始まる。
だからこそ、君の言葉はあの人の心にも届いたんだ」
その言葉にティナは目を見開き、そして小さく笑った。
教会に戻ると、神父がふたりを迎えてくれた。
「無事に終えたかね?」
「はい。重篤な病状ではありませんでしたが……癒すべき“痛み”は、確かにそこにありました」
晴貴が提出した診療報告書には、単なる患部の記録だけでなく、
老婦人の話した思い出の内容や、感情による痛みの推定も丁寧に記されていた。
神父は目を細めながら頷く。
「君たちの施療は、“魂に触れる”ものだったようだな。
教会の治療師たちも、君たちから学ぶことがあるかもしれないな」
その夜、ティナは図書室の一角で錬成記録ノートを開いていた。
ページの隅に、彼女は一行だけ小さな文字で書き足す。
《癒しは、想いを聞くことから始まる。》
その文字を見つめながら、彼女は心の中で小さく誓った。
――もっと、寄り添える人になりたい。
窓の外では、エルフリーデの街灯がひとつ、またひとつと灯りはじめていた。
教会の塔の上では、鐘がひとつ、静かに鳴った。
翌朝、教会の中庭には小鳥のさえずりが響き、木漏れ日が石畳に模様を描いていた。
ティナは掃除の手を止め、朝日に照らされた空を見上げる。
昨日の老婦人の言葉が、まだ胸の奥に温かく残っていた。
晴貴は教会の掲示板を確認して戻ってくる。
「ティナ、新しい施療依頼が入ったよ。今回は、教区の北端にある村だ」
「また、外に出るんですね」
ティナの声には、不安よりも期待が混じっていた。
「うん。今度は、村全体で病気が広がっているらしい。どうやら、川の水に異変があるようで……」
ティナはすっと表情を引き締めた。
「“癒しの欠片”だけでは難しそうですね。複合錬成、準備しておきます」
「頼りにしてるよ」
ふたりは顔を見合わせ、静かに笑った。
その夜、ティナは教会の中庭でひとりベンチに腰掛けていた。
遠くから鐘の音がかすかに響いてくる。
「……また、新しい場所か」
彼女の手には、老婦人からもらった小さな飾り布が握られていた。
その端には、色褪せた刺繍で「ありがとう」と綴られている。
(忘れられない記憶……私、本当に少しでも癒せたのかな)
迷いが、ほんのわずかに胸をかすめる。
そのとき、足音が近づいた。
「こんなところにいたか。夜は冷えるぞ」
晴貴が、湯気の立つカップをふたつ手にして現れた。
「……ココアですか?」
「この間、村でもらったやつ。君、好きだったろ?」
「……はい」
カップを受け取ったティナは、小さく笑った。
しばしの沈黙。夜風が木の葉を揺らし、星がまたたく。
「晴貴さん……私は、もっと強くなれると思いますか?」
「もちろん。もう、十分強くなってるけどな」
「でも、まだ分からないことばかりです。
“癒し”って何か、今日みたいな施療のあとでも、やっぱり揺れるんです。
自分の言葉が本当に誰かを救えたのか、不安で……」
晴貴はココアをひと口飲み、やわらかく答えた。
「誰かに“癒しを与えた”っていう答えは、たいてい自分じゃ分からないものだ。
でもな、相手が笑ったなら、それがすべての証拠だよ」
ティナは目を伏せ、そしてふっと微笑んだ。
「……老婦人、笑ってくれてましたね」
「なら、十分だ」
夜が更けるころ、ティナは教会内の食堂で最後の準備を終え、
受付の女性司祭ルシアに挨拶をしていた。
「また旅に出るのね。前よりも、ずっと頼もしくなったわね、ティナ」
「……ありがとうございます。ルシアさんにも、いろいろ教えていただいて……」
「あなたが現れてから、教会の空気が少し柔らかくなったのよ。
晴貴さんも、以前よりよく笑うようになった。……あなたの影響ね」
ティナは顔を赤らめ、頭を下げた。
「行ってきます。また、必ず戻ってきますから」
「気をつけてね。無理しないように」
その言葉に、ティナは力強く頷いた。
別の場所では、晴貴が神父と軽く言葉を交わしていた。
「ティナは、着実に力をつけていますね」
「ええ。教会の枠に収まる人材じゃないでしょう」
「……そうですね。ですが今は、あの子が自分の信じる道を歩けるよう、支えていくつもりです」
神父は目を細め、柔らかい口調で続けた。
「葵くん。君自身もまた、“癒し”を必要としていたのかもしれないな」
晴貴は少しだけ目を伏せたが、やがて静かにうなずいた。
そして、夜明け前――
荷馬車の荷台には道具箱と欠片、そしてふたりの決意が積まれていた。
荷馬車の前に立ち尽くしながら、ティナはそっと振り返った。
教会の屋根の上に、まだ朝焼けが残っている。
「行ってきます」
誰に向けた言葉でもなかった。けれど、その声は空に吸い込まれ、澄んだ朝の空気に溶けていった。
通い慣れた街道の石畳。
荷馬車が軋むたびに、後ろから小さな音がついてくる。
車輪のきしみ、馬の息づかい、風に揺れる薬草の香り。
エルフリーデの街を出る道沿いでは、朝市の準備が始まっていた。
店主たちがテントを張り、パン屋の窯から香ばしい匂いが流れてくる。
ティナは、そのひとつひとつに目を向けながら、小さくつぶやいた。
「……全部、いつかまた“癒せる”気がする」
晴貴はその声に気づき、ふと微笑んだ。
「いい目をしてるな。旅のはじまりの顔だ」
「旅の……はじまり?」
「そうだ。ここからが本当の“癒しの旅”だよ。
俺たちはただ施療するんじゃない。信じてもらうんだ。“癒し”の意味を」
ティナは頷いた。そして、ポーチから飾り布を取り出す。
老婦人から贈られた、色褪せた「ありがとう」の文字が、朝の光に照らされていた。
「誰かの“忘れられない記憶”になる――
そのために、私は進みます」
その言葉は、小さくても、しっかりと前を向いていた。
朝の空は青く高く、陽光がふたりの背を押していた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
第6話は、物語の前半の「一区切り」となるパートでした。
街から村へ、静かな施療から“集団の信頼”へと、次の章ではスケールも少し広がっていきます。
それでも、“癒し”の本質はひとつ――
目の前の人に、ちゃんと心を向けること。
その信念を軸に、ティナと晴貴の旅は続きます。
次回、第7話もよろしくお願いいたします!
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