【第3話】錬成士の決意
今回は“現場”での初めての癒し依頼です。
騎士団からの正式依頼を受け、晴貴が採掘現場へ向かいます。
そこで見た命の重み、癒しの力の価値とは――。
教会の朝は静かだった。
晴貴は、図書室の一角でページをめくっていた。手元には古びた錬成術の巻物と、昨日治療に使った“癒しの欠片”の小片。
錬成の再現性、使用後の残留反応、そして“欠片”が持つ癒しの範囲――そのすべてを、自分の目と感覚で確かめたかった。
「すっかり研究者みたいですね」
リセの声に顔を上げると、彼女が湯気の立つカップを手に立っていた。
「ありがとう……。あの石、まだ不思議なことが多すぎて」
「癒しの力は、神の加護に近いもの。でもあなたの力は、どこか人の“手”を感じます」
その言葉は、何気ないようでいて、晴貴の心にじんと沁みた。
確かに、自分の力は奇跡でも祝福でもなく、“誰かを助けたい”という思いの結晶だったのかもしれない。
その日の午後、教会に一通の手紙が届いた。
送り主はエルフリーデ市内の商会――〈緋桜商会〉と名乗る者だった。
内容はこうだ。
「癒しの力に関心があります。一度お会いできませんか。報酬はそちらの条件に従います」
晴貴は手紙を前に、少し眉をひそめた。
「商会……つまり、お金や流通に関わる人たち?」
「ええ。緋桜商会はこの街でも五指に入る大きな商人組織です。表向きは丁寧でも、交渉には非常に厳しいと聞いています」
リセの言葉に、少し緊張が走る。だが、それは同時に――
(チャンス、なのかもしれない)
自分の力が、本当に“価値”として見られるのかどうか。
試されるなら、逃げずに向き合うべきではないか。
晴貴は意を決し、返事を書くことにした。
「会います。ただし、教会の中で」
この世界で生きると決めたからには、力だけでなく、責任も背負う覚悟が必要だ。
そんな思いを込めて、丁寧に文章を綴った。
その夜、再び晴貴は錬成に挑戦していた。
新しい欠片を創るために、限られた素材と集中力を使い切るようにして。
――カンッ。
乾いた音とともに、青白い光がテーブルの上に灯った。
「……できた」
初めて“自力で”完全な癒しの欠片を錬成した瞬間だった。
掌に載せると、石はほんのりと温かく脈打っていた。
これなら、どこであっても“癒し”を届けられる――そんな確信が生まれていた。
錬成術の巻物には、石の扱い方だけでなく、“想いの強さが質に影響する”と書かれていた。
感情と錬成が繋がっている――にわかには信じがたいが、晴貴はこの世界で自らが行った癒しの数々を思い出し、その可能性に納得しかけていた。
(助けたいと思った時の方が、確かに石はよく光った気がする)
技術だけでなく、気持ちのあり方も結果に影響を及ぼす。
それはまるで、現代にいた頃の人間関係や仕事のようにも思えた。
そこへリセが再び顔を出し、そっとノートを差し出してくる。
「これ、私の記録です。過去に教会で扱われた癒しの奇跡や、回復魔法の事例など……もしかしたら、役に立つかもしれません」
「……ありがとう、リセ」
ページをめくると、丁寧な字で書かれた症例と感想が並び、ところどころにリセの手描きのイラストまで添えられていた。
(ああ……こういうの、懐かしいな)
図書館で働いていた日々を、ふと重ねる。
記録を整え、誰かのために知をつなぐ――そんな日常が、今この場所で別の形で息づいていることに、不思議な縁を感じた。
そして、決めた。
(この力で……もう一度、“役に立てる自分”になりたい)
翌日、午前十時。教会の応接室にて。
晴貴は緊張を押し隠すように、胸元の癒しの欠片に指を添えていた。
正面の扉がノックされ、リセが案内に立ち上がる。
「お待たせしました。緋桜商会の方です」
姿を現したのは、濃い紫のローブを身にまとった中年の男だった。
銀縁の眼鏡が印象的で、書記らしき若い女性を一人連れていた。
「初めまして、緋桜商会第七支部の交渉官、セランと申します。今日は貴重なお時間をありがとうございます」
「……葵晴貴です。こちらこそ、わざわざお越しいただいて」
簡単な挨拶を交わし、二人は向かい合って腰を下ろす。
「さっそくですが、率直に伺います。我々としては、あなたの“癒しの欠片”とその技術に深い関心があります」
セランは穏やかな口調ながら、一瞬の隙もない目をしていた。
「我々はこの街の医療系ギルドとも連携しております。もし可能であれば、“癒しの欠片”の提供、あるいは製法の一部を共有していただけませんか?」
「……それは、“売れ”という意味ですか?」
「正確には“提携”です。あなたの技術は貴重です。ギルドの管理下で安定供給できるなら、適切な報酬をお支払いすることも可能です」
晴貴は考え込んだ。
技術を共有すれば、多くの人の命を救えるかもしれない。だが――
(もし悪用されたら? 癒しの力を、兵器のように使われたら?)
セランは言葉を継ぐ。
「もちろん、あなたご自身が商会と“直接契約”して活動する形でも結構です。管理と流通は我々が行い、あなたは癒すことに集中できる」
それは、晴貴にとって確かに現実的な提案でもあった。
「少し、考えさせてください」
「ええ、当然です。これは契約ではなく“対話”の始まりですから」
セランは深く一礼し、名刺代わりの金縁の木札を置いて立ち去った。
その後、応接室に残った晴貴は、静かに拳を握っていた。
「……この力を、どう使うか。俺が決める」
彼はもう、迷わない。
“癒しの錬成士”として――この世界で、歩む覚悟を固めつつあった。
セランたちが去ったあと、リセが静かに戻ってきた。
「思ったよりも……柔らかい物腰の方でしたね」
「そうだね。でも、あれは“本音を探る”タイプのやり手だ」
晴貴は木札を見つめながら、少し苦笑いを浮かべた。
「力を貸してほしいって言われたのに……自分がその力をどう使うか、まだ何も決めてない」
「それは、決めるための対話だったんじゃないですか?」
リセはそう言って、そっと窓辺に視線を向けた。
外では、教会の子どもたちがはしゃぎながら走り回っている。
「あなたが癒したあの子も、今は元気に遊んでいます。
その力を、どこへ届けるかは……きっと、あなた自身が選んでいけるはずです」
その言葉に、晴貴は胸の奥にあったわずかな迷いが、少しずつ晴れていくのを感じた。
「……ありがとう、リセ」
彼は深く息を吸い込み、窓の外の光景を見つめる。
“癒す力”は、誰かの命を繋ぐことができる。
それをどう使うかは、他人ではなく、自分自身が決めていく。
そして――
誰かに使われるのではなく、誰かを癒したいと願える自分でありたい。
数日後、教会に再び手紙が届いた。
今度は緋桜商会ではなかった。送り主は――エルフリーデ騎士団・衛生部隊。
「正式な治癒依頼に応じていただけないでしょうか」
その文面には丁寧な筆致で、最近発生している“採掘現場での負傷者”について記されていた。
怪我人の多くが鉱山の事故による打撲や骨折で、既存の治癒魔法では追いつかないのだという。
「癒しの錬成士様の手をお借りできれば、被害は最小限にできるでしょう」
晴貴は読みながら、自然と唇を引き結んでいた。
(来たか……本格的な“実戦依頼”)
これまでの依頼は、すべて教会の中や街中の軽度なものばかりだった。
だが今回は、現地に赴く必要がある。しかも、命の現場だ。
リセに相談すると、彼女はすぐに教会長へ連絡を取り、数時間後には「正式な外部出張許可」が下りた。
「気をつけて。危険な場所には近づかないでくださいね」
「わかってる。でも、行ってみなきゃわからないこともあるから」
晴貴は癒しの欠片をいくつか錬成し、革の袋に丁寧に包み込んだ。
その夜、出発の準備を終えた彼は、図書室で一人ノートを開いていた。
“癒しの欠片、第三型:衝撃吸収反応が強い。短時間の鎮痛に向く”
“第二型との併用は、効果時間が倍増する可能性あり”
書き留めたのは、己の記録と実感の積み重ね。
知識も経験も、すべて“癒し”に還元するために。
その頃、街の外れでは――
騎士団の副隊長が部下に向かって小声で言った。
「噂の“癒しの錬成士”が来てくれるそうだ」
「本当に? あの奇跡の石を使うって……」
「派手な魔法はないが、確実に効くらしい。……我々には、そういう力が必要だ」
そして翌朝、晴貴は荷馬車に揺られながら、初めて“戦場に近い場所”へと向かっていた。
彼の手の中には、温かく光る癒しの欠片。
その光が、誰かの命を救うことになるかもしれないと――静かに信じていた。
道を抜け、丘を越えると、木々の合間から採掘場が見えた。
崩れた岩や土砂が重なり合い、遠目にも状況の深刻さが伝わってくる。
臨時のテントが張られ、煙が上がっていた。そこに、騎士団の衛生部隊が待っていた。
晴貴が名乗ると、案内されて最初の治療対象へと向かう。
「脚の骨をやられててな……回復魔法が効きづらいみたいなんだ」
ベッドの上でうめいていたのは、鉱山作業員の中年男性だった。
顔は土と汗にまみれ、苦痛に歪んでいる。
晴貴は頷き、革袋から“第三型”の癒しの欠片を取り出した。
脚にそっと石を当て、集中する。淡い光が灯り、骨の周囲が温かく包まれていく。
(大丈夫。落ち着け……俺が信じれば、石も応えてくれる)
男の息遣いが落ち着き、次第に表情が和らいでいく。
「……痛みが、引いた……? マジで……?」
そばにいた衛生部員が息を呑んだ。
「すげぇ……魔法じゃないのに……治ってる……!」
晴貴は静かに頷いた。
自分の力が、命に届いた。
その実感が、確かな自信へと変わり始めていた。
採掘場の診療所では、次々と運ばれてくる負傷者に、衛生部員たちが慌ただしく動いていた。
晴貴は一人ずつ声をかけながら、癒しの欠片を丁寧に使っていった。
切り傷、打撲、骨折、火傷――症状はさまざまだったが、欠片の性質に合わせて使い分けることで、どの傷にも確かな効果を発揮できた。
「これで治るのか……?」「すげぇ、本当に痛くない……」
作業員たちの目に、感謝と驚きが浮かぶ。
やがて、騎士団の副隊長がやってきた。
「葵晴貴殿。おかげで、治癒班の負担が大きく減りました」
「よかったです。これなら……数日は持つと思います」
「正直、最初は疑っていた。だが、今は本当に感謝している。あなたの力は……我々にとって、希望だ」
副隊長は深々と頭を下げた。
その光景を見ていた若い衛生兵が、ぽつりとつぶやく。
「俺も……あんなふうに人を癒せたら、きっと誇れるだろうな」
晴貴はふと、作業員の手を取りながら言った。
「誇りって、何かすごいことをしなくてもいいと思うんです。
今、自分が“誰かを癒せた”って思えたら……それがきっと、誇りになるんじゃないかと」
その言葉に、衛生兵は小さく目を見開き、うなずいた。
その夜、テントに戻った晴貴は、空を見上げていた。
満天の星々が、静かに輝いている。
かつて都会の喧騒のなかで見上げた曇った空とは、まるで違う。
「この世界に来て、俺は……やっと“生きてる”って実感できた気がするな」
手のひらに残る、癒しの温もり。
それは、彼がこの世界で歩む“理由”そのものだった。
翌朝、晴貴は少し早く目を覚ました。
テントの隙間から朝の光が差し込み、空は淡い青に染まりはじめていた。
まだ静まり返った採掘場で、彼は一人、焚き火の残り火に手をかざしていた。
その手には、昨夜使用した癒しの欠片の残骸が残っている。
「これも、限界か……。もう少し改良しないと」
光を失った結晶は、まるで命を使い切ったように脆くなっていた。
けれど、それだけ誰かを癒せた証だと感じられた。
騎士団の副隊長がやってきて、静かに声をかけた。
「葵殿。朝食の準備ができています。兵たちも、あなたにぜひ礼を言いたいと」
「……ありがとうございます。でもその前に、少しだけ……石を作らせてください」
晴貴は荷物から素材を取り出し、岩の上に座った。
呼吸を整え、両手で素材を包み込むようにして集中する。
——カンッ。
錬成の響きが、朝の静寂に優しく鳴り渡った。
淡い光が結晶に宿り、またひとつ、“癒しの力”がこの世界に生まれ落ちた。
それは希望のかけら。
確かに存在し、誰かの命に届く、ささやかな祈りの形だった。
晴貴はその石を手に取り、そっと胸元にしまう。
そして、朝の陽を浴びながら、小さく微笑んだ。
「今日も、癒していこう」
朝食後、晴貴は騎士団の一員として数人の軽傷者を巡回しながら、再び癒しの欠片を使っていた。
周囲の兵たちは、晴貴の所作をじっと見つめている。
「動きに無駄がないな……」「まるで職人だ」
そんな声が漏れる中、衛生兵のひとりがそっと訊ねた。
「その……教えてもらうことって、できますか?」
「錬成ですか?」
「はい。俺も、あの石を作れるようになりたい。魔力はあまりないんですけど……」
晴貴は少し考えてから、やわらかく微笑んだ。
「魔力より、“癒したいって想い”の方が大事かもしれません。俺がそれを証明できたなら、きっと、あなたにもできます」
衛生兵は目を潤ませながら深くうなずいた。
その様子を見ていた副隊長が静かに言う。
「あなたの力は、ただ人を癒すだけではない。人の心にも、火を灯す」
その言葉が、晴貴の胸の奥に温かく響いた。
これまで、自分は何者でもないと思っていた。
だが今、この手は誰かを支え、導き、励ます力になっている。
夕暮れ。任務を終えた晴貴は、最後にもう一度、傷を癒しきれなかった兵士に寄り添った。
「痛みは、まだ残ってる?」
「はい……でも、なんだか少し楽になりました。あなたの声とか……その、気持ちが伝わってきて……」
晴貴は黙って手を重ねた。
光のない石であっても、そこに想いがあれば、何かを癒せるのかもしれない。
そう信じた瞬間だった。
「また来ます。もっと良い石を、作ってきます」
兵士はゆっくり頷き、ベッドに身を沈めた。
こうして晴貴の“初めての現場任務”は幕を閉じた。
だが、それは彼の“癒しの旅”のほんの始まりにすぎなかった――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第3話では、晴貴が初めて“命の現場”に立ち会う姿を描きました。
錬成士としての覚悟と、少しずつ広がっていく信頼の輪……。
次回から、新たな出会いと展開が始まります。
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