【第2話】癒しの錬成士
初めて癒しの力を使った晴貴。
教会での静かな暮らしの中で、彼の“癒し”はゆっくりと、しかし確かに広がっていきます――。
朝の光が差し込む頃、晴貴は教会の一室で目を覚ました。
木の窓枠越しに聞こえる小鳥のさえずり、遠くで響く鐘の音。見慣れない天井を見上げながら、彼は少しだけ目を細めた。
(……夢じゃなかったんだな)
異世界に来て、洞窟をさまよい、癒しの石を手にして、少年の怪我を治した――
すべてが現実だった。少なくとも、この世界では。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
優しい声とともに扉が開き、朝の光を背にリセが現れた。
彼女は白い修道服に身を包み、両手には湯気の立つ木製のカップと、焼きたてのパンが載った皿を持っていた。
「……ありがとう。すごく、ぐっすり眠れた」
「それは良かったです。今日は、教会の皆さんにもご挨拶されますか?」
「うん、そうだね。……お世話になる以上、ちゃんと礼は言わないと」
ベッドから起き上がった晴貴は、少し照れくさそうに笑った。
何も知らない土地、何もわからない文化。それでも、彼はこの教会が“安全な場所”だと直感的に信じていた。
パンは素朴な味だったが香ばしく、スープには野菜がたっぷり入っていた。胃に染み渡るような温かさに、彼は何度も「美味しい」とつぶやいた。
朝食後、リセに案内されて教会の内部を見て回った。
礼拝堂は天井が高く、色ガラスの窓からは虹色の光が差し込んでいる。
中庭では老人が花壇を整え、若い修道士が祈りを捧げていた。
「ここって、宿屋みたいな役割もあるの?」
「そうですね。旅人や行き場のない人のために、短期間の宿泊を許可しています。リセナ教では“人の癒しに手を差し伸べよ”という教えがありますから」
「癒し、か……」
晴貴はポケットに手を入れ、あの“癒しの欠片”の感触を確かめた。
まだひとつだけ残っている。あれが、彼の“はじまり”だった。
教会の一角には小さな図書室があり、晴貴は思わず足を止めた。
本棚には手書きの書物や、古びた巻物が並び、窓際の机にはノートと羽ペンが置かれている。
「ここ……使ってもいいの?」
「ええ。読める文字があれば、どうぞ」
「……ありがとう。ちょっと、調べ物がしたいなと思って」
晴貴はそっと、一冊の本を開いた。
見たことのない言語だったが、不思議といくつかの単語が読めた。
癒し、錬成、石、加護――そんな言葉たちが、少しずつ意味を持って彼の脳に届いていく。
そして、彼は考え始めていた。
(この力を……もっと知りたい)
彼は本を閉じたあとも、しばらくその場に佇んでいた。
ふと、外から元気な子どもたちの声が聞こえてきた。
どうやら教会の裏庭で遊んでいるらしい。声に混じって、昨日の少年の名前が聞こえた気がした。
(……癒しの欠片、もう一度作れたら……)
晴貴はそっと自分の手を見つめる。
この世界での自分は、誰かを癒すことができる存在なのだと、昨日の出来事が静かに証明していた。
だとすれば、その力を活かす道を考えるべきだろうか。
力を知り、磨き、必要としてくれる誰かに届ける方法を。
図書室の静けさの中で、晴貴は少しだけ未来を思い描いていた。
(癒しの錬成師――そんな肩書き、悪くないかもな)
彼の胸に、ほんの少しの希望が灯りはじめていた。
翌日、晴貴は街の空気に触れてみたいとリセに申し出た。
「一度、街を歩いてみたいんだ。外の様子も知っておきたいし……」
「ええ、どうぞ。門の前に見張りの兵士さんがいますので、迷ったら声をかけてくださいね」
簡単な地図をもらい、晴貴はエルフリーデの街を歩き始めた。
石畳の通りは整備されており、左右には木造の商店が並んでいる。果物屋、薬草屋、道具屋……そして露天の屋台からはパンの香りが漂ってきた。
朝市のにぎわいは想像以上で、人々の声が絶え間なく飛び交っている。
どの顔も活気にあふれ、子どもたちの笑い声があちこちから響いていた。
(すごいな……まるで“生活”が生きてるみたいだ)
本当に、異世界なんだと改めて実感する。
ふと、広場の一角に小さな店を見つけた。
「鉱石買取」と書かれた看板。気になって、晴貴は足を止める。
中に入ると、店主らしき初老の男がルーペを片手に鉱石を鑑定していた。
「いらっしゃい。おや、旅人さんかい?」
「ええ……少し、相談がありまして」
ポケットから“癒しの欠片”を取り出すと、男の表情が変わった。
まじまじと石を見つめ、息をのむ。
「こいつは……見たこともない鉱石だ。青霊石の一種か? いや、もっと純度が高い……」
「これ、売れますか?」
「価値はある。ただし、取引するには正式な鑑定証が要るな。教会か商会に頼めば、証明書を出してもらえるかもしれん。少なくとも、これを“癒しの結晶”と認識する者は、かなり興味を持つだろうよ」
「……ありがとうございます」
その言葉を聞いて、晴貴の胸に何かが灯った。
“価値”がある。
自分が錬成したものが、この世界で「認められる」かもしれない。
店を出ると、街角にある掲示板に目が留まった。
“治癒師求む”――という文字が貼られていた。
(……癒せる者を、探している)
晴貴はもう一度、ポケットの中の結晶に触れた。
そのぬくもりは、確かに彼の存在を肯定している気がした。
広場を離れたあとも、晴貴の頭の中には“価値”という言葉が残り続けていた。
彼のこれまでの人生は、どちらかといえば脇役だった。目立たず、誰かを支える側。だが、この異世界では、違うかもしれない。
彼の持つ“癒しの力”が、誰かにとって必要不可欠なものになる――そんな可能性が、確かにここにある。
(だったら、やるしかない)
その足で教会へ戻り、図書室に駆け込む。
彼は以前読んだ巻物を引っ張り出し、癒しと錬成の関係をもう一度読み返した。
術式の図、錬成に適した鉱石の例、注意すべき反応など、手探りながらも少しずつ理解が深まっていく。
「知識を得て、力を育てる。そのうえで、この街の中で……生きる手段を得る」
ひとつの目標が、心に形を成した。
晴貴はノートを開き、癒しの欠片の構造、感触、発動の感覚を克明に書き記しはじめた。
そのペン先には、確かな“覚悟”が宿っていた。
翌朝、教会の掲示板に新たな張り紙が貼られていた。
『腰痛に悩む老人、治療求む。報酬:銀貨3枚』
それを見た晴貴は、少しだけ逡巡した末にリセに相談した。
「これ……俺でも、引き受けていいと思う?」
「はい。あなたには、力があります。あの少年の笑顔を、私は忘れません」
背中を押され、晴貴は教会で張り紙の依頼主に会うことになった。
現れたのは腰を曲げた白髪の老人で、足を引きずりながらゆっくり歩いてきた。
「わしの腰はな、昔の戦傷でな。雨が近づくとひどく痛む。医者にも匙を投げられてのぅ……」
「癒しの石を使います。少し熱くなるかもしれませんが……」
晴貴は新たに錬成した癒しの欠片を取り出し、老人の腰にそっと当てた。
目を閉じ、静かに祈るように意識を集中させる。
(癒えてくれ――)
淡い光が結晶からあふれ、老人の腰を包み込む。
しばらくの沈黙のあと、老人が目を丸くした。
「……あれ? 痛みが……引いておる……? 本当に……?」
ゆっくりと背を伸ばし、数歩歩いた老人が振り返る。
「おお……歩ける、痛くない……! まるで若返ったようじゃ!」
その声に、周囲の修道士や信者たちがざわつき始める。
目撃者が増えるたびに、晴貴の胸の奥がざわついた。
だが――
「ありがとうよ、坊主。これは、わしからの礼だ」
老人は恭しく頭を下げ、小さな革袋を差し出した。中には銀貨が3枚、確かに入っていた。
「……これが、報酬……」
生まれて初めて“自分の力”で得た対価だった。
夕方、リセがそっと晴貴に声をかけた。
「教会の方針で、今後も癒しの力を求める方がいれば、紹介していいかと相談が出ています」
「それって……仕事になるってこと?」
「はい。奉仕とはいえ、あなたが生きていくためには対価が必要ですから。神様も、それはお許しになると」
晴貴は静かに頷いた。
癒しの力。それは、決して派手ではない。だが確かに“役に立つ力”だった。
この世界で、自分にもできることがある。
そして、それは“生きる手段”になるかもしれない。
夜になり、晴貴はロウソクの灯る部屋でひとり、銀貨を手のひらに転がしていた。
軽くて、小さな金属片。けれど、重い意味を持っていた。
(これで……少しは、自分で生きていけるかもしれない)
リセが差し入れてくれた温かいハーブティーの湯気が、ゆっくりと揺れる。
彼は窓辺に座り、今日の出来事を思い返していた。
老人の驚いた表情、周囲のざわめき、自分の手のひらから放たれたあの光――
すべてが、これまでの人生では味わったことのない充実感を伴っていた。
癒すことが、感謝されること。
それが、報酬として形になって返ってくること。
そして、それが“自分だけの力”であること。
「……俺、ここでやっていけるかもな」
独り言のように呟いた声に、どこか希望が宿っていた。
彼は銀貨を袋に戻し、静かに明かりを落とした。
明日もまた、誰かを癒せるかもしれない――そんな想いとともに。
翌日、教会の中庭に晴貴の姿はなかった。
代わりに、彼の噂が街にじわじわと広がっていた。
「教会に癒しの力を持つ旅人がいるらしい」「石を使って傷を治すって本当か?」
そんな声が、広場の噴水のそばや、市場のあちこちで交わされるようになった。
事の発端は、昨日の腰痛の老人だった。
彼は嬉しそうに近所へ話をし、さらに馴染みの酒場で自慢げに語ったという。
その噂は商会の耳にも届き、教会の窓口には「その力を見せてほしい」という申し出が届いていた。
晴貴は、少し戸惑っていた。
「これ……対応した方がいいのかな?」
「はい。無理のない範囲でお受けすれば良いと思います」
リセの言葉に、彼は小さく頷いた。
信頼が集まり始めている。それが、怖くもあり、嬉しくもある。
その日の午後、晴貴は教会の広間で、いくつかの小さな治療を行った。
すり傷、切り傷、火傷……癒しの欠片を使って丁寧に治すたび、依頼人たちは感謝と驚きの声を上げた。
「これが……錬成の力か……」「魔法とは違うのか……」「いや、もはや奇跡だな……!」
その中に、街の騎士団員らしき若者が混じっていた。
彼は治療の様子を黙って観察していたが、最後にひとこと、静かに言った。
「“癒しの錬成士”……いい名だと思う」
「えっ……」
「街の中で通じやすい名前は必要ですから。あなたが誰かを癒すたび、その名もまた広まるでしょう」
その夜、晴貴はノートの端にその言葉を書き留めていた。
“癒しの錬成士”。
知らぬ間に、肩書きのようなものが生まれ始めていた。
彼はふと、初めて少年の傷を癒したときの温もりを思い出す。
(俺の力は、きっと誰かの役に立てる)
その思いが、確かな形となって心に根づいていく。
その翌日、教会の前にひとりの女性が訪ねてきた。
彼女は旅の途中で足を怪我し、道の薬草屋では治りきらなかったという。
リセが事情を聞いて案内し、晴貴が応接室に呼ばれた。
「石で、治療ができると聞きました……その、試してもらえませんか?」
「もちろん。でも、無理はしないでくださいね」
晴貴は懐から新たに錬成した癒しの欠片を取り出し、女性の足にそっと当てた。
結晶が淡く光り、傷口がじわじわと塞がっていく。
女性は驚いた顔で足を動かし、そっと立ち上がった。
「……痛くない……すごい、本当に……!」
彼女は涙ぐみながら、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました……。お代……受け取ってください」
差し出されたのは、小さな布袋に入った銀貨数枚と、自家製の干し果物だった。
晴貴はそれを受け取りながら、心の中で何かがまた一歩、確かなかたちになっていくのを感じていた。
その晩、教会の食堂では小さな“癒しの噂”が話題になっていた。
「晴貴様って、本当に不思議な方ですね」
「言葉遣いも丁寧だし、どこか異国の人みたい」
そんな声に交じって、リセはひとり頷いていた。
(この人の力は、奇跡でも魔法でもない。けれど、誰かを救おうとする想いは、何よりも強い)
リセはそう信じていた。
晴貴はその夜も、ろうそくの明かりの下でノートに記録を重ねていた。
“癒しの錬成士”――それは彼にとって、初めて手に入れた、胸を張って名乗れる“存在理由”だった。
ご覧いただきありがとうございます!
第2話では晴貴が初めて“癒しの力”を対価に変える体験を描きました。
静かな始まりですが、これから少しずつ動き出していきます。
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