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第7話 おめでとう

 


 ――約束の日。僕が準備をして駅へ向かうと、彼女はもうそこに待っていた。

 待ち合わせの時計台の前。そこに少女が両手に大きなカバンを抱えて立っていて、少し落ち着かない感じにきょろきょろと周囲を見ている。


 時刻は、もう夕方が近いころ。

 日の光は段々と赤みを増していて、それが彼女の金髪に反射して輝いていた。


「……あ!」


 少し眩しく思い目を細めながら近づと、声をかける前に彼女は僕に気付く。

 そして、すぐにこちらへと駆け寄って来た。


「お、お久しぶりです!」

「ああ、久しぶりだね」


 数カ月ぶりに聞く声や足取りは、あのときとは違って弾んでいた。

 活力があって、軽くて。だからきっと元気なのだろうと思う。


 ……少し、安心する。

 いきなり会いたいと送ってきた理由。それが悪い何かではと邪推していた。


「あの、迎えに来てくださってありがとうございます!」

「いや、いいよ。ここから歩いてくるのも大変だし」


 頭を下げる彼女を止めつつ、改めて姿を見る。


 ぶかぶかだった黒い学生服ではなく、サイズの合った中性的なパーカーに、パンツ姿。

 ぼざぼさだった髪も肩の上で綺麗に切りそろえられていて、整っていて。なんというか、色々頑張っているんだなと。そう思った。


「あの、それに、その……えっと! ……その」

「……ん?」

「……その……えっと…………」

「……?」


 ……それにしても。

 この子、妙にあたふたとしているなと思う。


 顔も赤いし、目も泳いでいるし。

 それが不思議で。


「よく分からないけれど、とりあえず車に乗ろうか」

「……え? あ、は、はい……」


 しかし、まあ。ずっと立ち話をする必要もないよなと思って彼女を促す。

 彼女が横に並んで、一緒に歩いて――。


「――」


 ――その途中。

 彼女の頭の位置に、ふと、かつてを思い出した。


 ……ああ、やっぱり。

 妹と同じくらいの身長だな、と。


 

 ◆



「――はい、就職することになったんです」


 ――車の中。家への道行の途中、助手席に座った彼女と話す。

 最初は妙に硬くなっていた彼女も、話しているうちに落ち着いてきて、数十分たった今では普通に話してくれるようになっていた。


 話題は支援施設でのことや、学校でのこと。友人のことや世話になった人のこと。つまりはこの数か月送られてきた手紙にも書いてあったことで、それを改めて彼女の口から聞かせてもらっていた。


 ……そして今は、彼女が進学をやめた理由について。


「色々調べてみたんですが……大学を目指すのは難しくて」

「……」

「受験において、世界の差はやっぱり大きいんです。そもそも、教育要領が大きく違っていまして……それを一から勉強するとなると、生半可な努力じゃ出来ません」


 特に国語と歴史が致命的です。と彼女は言う。

 彼女の世界では古文や漢文などがあまり重要視されていないようで、ほとんど一からの勉強になるらしい。なので、その対応だけでどれだけ時間がかかるか分からない、と。そして歴史に至っては登場人物の名前からして違うわけで。


(……それは、確かに)


 過去に受験をした身として、聞くだけで気が遠くなりそうな話だ。だって、古文や漢文なんて中学時代から始めて、六年かけて習うものだ。歴史はもっと前、小学生から。


 ……真剣に勉強して、一年で足りるだろうか?


「勉強には教育が必要で、その教育を受けるにはお金が必要です。勉強する間の生活費も要ります。バイトをしながらの浪人は、現実的ではないかなと」

「……そうなのか」

「――はい、仕方ないんです。本当に、一人になって親のありがたみを理解できるようになりました。どれだけ親に頼りっぱなしだったのか。そして、どれだけのお金を使って育ててくれていたのかを」


 ――でも、これからは一人で生きて行かなきゃいけないから。

 ――だから、仕方ないんです。精一杯頑張ります。


 そう、彼女は言う。

 とても悲しいことを。よどみなく。あっさりと。……まるで、何度も自分自身に言い聞かせてきたみたいに。


「……」


 ままならないな、と思う。


 彼女は悪くない。何も悪くないはずなのに、この子は色々なものを諦めようとしている。

 運が悪かった、と言うとその通りかもしれないし、人生とはそういうものだ、と言ってもその通りかもしれない。


 ……でも、それはあまりにも悲しかった。


(……どうしようか)


 悩み、そして思う。やっぱりここでも僕と彼女は違うんだと。

 僕には、残されていた。失ったけれど、残っているものもあった。家も、思い出も、生活するための糧も。でも彼女には何も残っていなくて、失ってばかりで。


「ボクは、大丈夫です」

「……そう、か」

「ええ、大丈夫なんです」


 彼女は何度も繰り返す。

 カラ元気だとわかる顔で。それでも微笑みを見せてくれていた。


 僕はそれに、もう一度どうしようかと思って。


「……ん、ああ、ここか」

「え?」

「すまない。買い物をしてくるから、少し待っていて欲しい」


 そんなとき、ちょうど予約していた店の前に差し掛かって車を止める。

 そして彼女を車に残して店へと入った。


「――はい、ご予約のお客様ですね?」

「ええ、お願いします」


 ……これは、大したことじゃない。

 ただ、久しぶりに会う子のために、少しくらいは僕なりに準備していたというだけの話だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そのとき、宮代カナタは、どこかフワフワとした気分だった。


 久しぶりに会う恩人。カナタが何度も思い返した人の姿。

 たった一日の出会いだったのに、ただ顔を見ただけで安堵と、歓喜と、あと自分でもよく分からない感情が渦巻いていた。


 迎えに来てくれたのが嬉しかった。隣を歩いてくれるのが嬉しかった。

 努力したんだと言えば、頑張ったなと、文字ではなく言葉で言ってくれたのが、本当に、本当に嬉しかった。


「――はい、進学は止めて就職することにしたんです」

「――ボクは、大丈夫です。大丈夫なんです」


 あまりに嬉しくて、口が滑って暗い話までしてしまって。

 カナタは失敗したと思ったけれど、その裏で透が心配そうにしてくれたことにも喜びを感じていた。


 ……そして。


「少し、待っていて欲しい」


 カナタは、透が車を止めて店に入っていくのを見た。

 店の外見はお洒落で、喫茶店みたいで、窓越しに若い女性たちが話をしながら何かを食べているのが見えて――。


「……え?」


 それを見て、カナタはまさかと思う。

 察して、ぽかんと口を開ける。


「ただいま。これ、持っていてくれるかな」

「……あ」


 透がカナタの膝に箱を置く。

 真っ白な紙箱。かつての世界でも偶に見ていたようなデザイン。世界が変わっても包装のデザインが変わらないのなら、中に入っているのは。


「――」


 カナタは膝の上を見る。ただ見ている。

 そうしているうちに車が発進して、道を進んでいって、見覚えのある家の前に着く。


「あ、お、おじゃまします……」

「ああ、いらっしゃい」


 箱を大切に抱えたまま、家の中に上がる。

 そして透の後ろをついてリビングの中に入って。


「座っていてくれ。すぐに仕上げをするから」

「……」


 透が、椅子に掛けられていたエプロンを手に取って、キッチンへと向かう。

 カナタは透の言うとおりに食卓に着いて、その後ろ姿を見ていた。


 料理をする音。コンロの火が付く音に、少しして油跳ねるような音。

 何かを油で揚げるような音がし始める。


「――唐揚げが好きだって言ってただろう? 味は君の家のものと全然違うとは思うけれど」

「……ぁ」


 しばらくして、机の上に料理が並ぶ。

 そしてカナタの手元から箱を持ち上げて、開く。すると中からはケーキが出てくる。丸いホールケーキ。チョコで出来た板には、おめでとうと書かれている。


「――卒業、おめでとう」


 透は、そう言った。

 カナタは、それが、その言葉が、ただそれだけの言葉が。


「……ぁ、あ……ぁ、ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 カナタは何度もつかえながら、必死にお礼の言葉を返す。


 そして唐突に視界が滲んできて、それが溢れ出すのが感じていた。

 胸が熱くて、彼の言葉すら遠く聞こえるような気がして。


「……う、ぁぁ、あ、ぁ」


 熱いモノが、次から次へと頬を伝う。

 でもそれは嫌な感触ではなくて。


 ――カナタがかつて失ったもの。

 もうどこにもないと思ったものがそこにあって。


「……ボク、は」


 ……だから、ずっと、ずっと。

 カナタは、ただただ涙を流し続けた。


 



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