第6話 卒業式
『三月の初め、高校の卒業式があります。
その後、ご迷惑でなければそちらへ伺ってもよろしいでしょうか?』
――なんて、そんな手紙をまじまじと見る。
僕は少し驚いて、なにか用事でもあるんだろうか、と思う。手紙には特にそれらしいことは書いていなかったけれど。
それに、文字がその部分だけ震えているし、何度も消した跡がある。
そこも気になった。一体なぜ?
「……もちろん、来るのなら歓迎はするけれど」
来たいと言うのなら断る理由はない。
手紙は貰っていたけれど、あれからどうなったのか気になっていたし。直接会えるのなら色々話を聞きたいところだった。
……しかし、断る理由はないけど、一体なぜ?
(……………………うーん、まあ、いいか)
考えて、でも分からない。
なので、まあいいかと切り替える。理由はまた聞けばいいだろう。
とりあえず了承の返事を書くことにして、便箋を持ち出す。
歓迎する旨と、この家まで来る方法の確認。なんだったら駅まで車を出すとも書く。後はいつものように近況報告への言葉を書いて、便箋を閉じた。
「……………………それにしても」
なんとなく、思う。卒業式は三月の上旬かと。
カレンダー見る。今は二月の上旬だ。あと一カ月ほど。そして、あの子と会ったのが十一月の中頃で、三カ月前。
(……もう卒業か。早いな)
随分と短い学校生活だ。
慣れる暇もなかっただろう。出来た友人ともすぐに別れることになる。生活環境がコロコロ変わるのもきっと大変だろうし、疲れたり落ち込んだりしているんじゃないだろうか。
……あの日を思いかえすと浮かぶのは、妹とあまり違わないくらいの体の少女だ。
そんな子にそれは、少し過酷なのではないかと思って。
「なにか、してやれることは………………ああ、そうだ」
ふと、一つ思いつくことがあった。
大したことじゃない。きっと多くの家庭では同じことをしている。そういうものだ。
――でも、あの子には。
……そして、かつての僕も。
「……」
そう思ったから、僕はスマホを取り出して、検索画面を開く。
……そしてそのまま、しばらく近くの店を調べ続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
宮代カナタはその日、一人で校舎を見上げていた。
四カ月だけ通った学校。別に寂しくはないな、と思いながら。
「……」
――三月の初め。卒業式の日。
卒業証書の入った筒を片手に、カナタは他の生徒の喧騒から離れた場所に立っていた。
周囲を見ると、楽しそうに笑っている生徒に、目を赤く腫らした生徒がいる。
でも、今のカナタには、彼らの中に入る気にはなれなかった。そこまでの感情を持てなかった。友人も出来なかったわけではないけれど、しかし。
(……)
カナタは、ただただ、元の世界の高校のことを懐かしく思って――。
「――宮代」
「……先生?」
声をかけられて、カナタは振り向く。
すると、そこには担任の教師の姿があった。
「卒業おめでとう。……宮代にとっては短い学校生活だったと思うが」
「いえ、ありがとうございます。本当にお世話になりました」
これは、カナタの本心からの言葉だった。
なにせ元男の異邦人、おまけに年の暮れでの途中編入だ。散々苦労をかけたことは想像がつく。
それなのに、この先生はカナタに手を尽くしてくれた。
学校生活のルールや、学習内容の差。それに卒業後のことについても。
特に進路のことなんかは色々と相談に乗ってもらっていて――。
「……なあ、宮代、よかったのか?」
「え?」
「進学だよ。大学、本当に諦めてよかったのか?」
「……あぁ」
――と、ちょうどカナタが考えていた話題が飛んで来る
「宮代、前の世界では相当勉強してたんだろ? 理数系科目は点数も良かった。文系は大変かもしれないが、もう一年頑張れば」
「……そう言ってもらえるのは嬉しいですが、現実的ではないので」
もう一年、頑張れば。言葉にすれば簡単かもしれない。しかしカナタにとっては……いや、落ちてくる前のカナタにとっても、決して無理なことではなかっただろう。しかし今のカナタにとっては、どうにもならないことだった。
「生活費を、稼がないといけないんです」
「……む」
そうだ。生きるためには金が必要で、今のカナタにはそれがない。
面倒を見てくれる家族はおらず、行政からの支援金は少ない。奨学金は学生に渡されるもので、浪人生に出してくれるものでもない。
バイトをしながら勉強するというのも、カナタは考えたけれど――。
「……」
――カナタは、父の顔を思い出す。同じ大学を目指すと言ったときの、嬉しそうに笑う姿を。嬉々として出身大学の話をしてくれた時のことを。
……もう、父はいない。
「……それに、もう、目指す理由がなくて」
「…………そう、か」
「はい、そうなんです」
カナタがにっこりと貼り付けた笑顔で言うと、先生は俯き、大きく息を吐いて右手で頭を掻きまぜる。
そして、すまん、余計なお世話だったな、と言って去っていった。
カナタはその後ろ姿をじっと見つめて。
「……ありがとうございました」
一度、深く頭を下げて、踵を返す。
そのまま校門を出て、家族と一緒に歩く卒業生の間を縫うように歩いていった。
◆
荷物を置いて、服を着替えて、会いに行く。
そのために学校を出たカナタは施設へ急いで戻って、そして自分の部屋へと向かった。
先日、散々悩んで送った手紙には待っているよという返事が返ってきて、嬉しくて、安心して、喜んで、飛び跳ねて、また同居人から苦情を貰う位には騒いだ。
楽しみにしていた。あれからの一カ月、本当に、本当に、カナタは楽しみにしていて。
そうだ、それが待っていると思ったから、今日の卒業式だって――。
「……ねぇ」
「へ?」
そんなとき、声をかけられてカナタは立ち止まる。
振り返ると、見慣れた小さな姿があった。
黒い、ボサボサ髪の少女。同居人の異邦人。
まだ十代にもなっていないように見える彼女は、今日も昼間から酒を片手に顔を赤らめていた。
「聞いたんだけど、もうすぐ就職してこの施設を出るんだって?」
「……え、ええ、まあ」
突然の言葉に驚きながらも頷く。
そうだ。そういう話になっていた。まだ就職先は決まっていないけれど、紹介してもらえることにはなっていた。そして、それと同時に施設から出よう、とも。
「へー、ふーん」
「……?」
すると突然、目の前の同居人が鼻で笑うような仕草をする。
それにカナタは首を傾げた。
「……どうかしましたか?」
「別に? よく頑張れるなぁって思っただけ」
……よく頑張れる?
……それは、どういう?
カナタが眉を顰めると、同居人はまた鼻で笑う。
そして――。
「――だって、また転落したら全部なくなるのに」
――そう、吐き捨てる様に、言った。
「そうでしょ? 貯金も、立場も、家族も。なにもかも無くなったよね?」
「……それは」
「積み上げていたものは無くなった。愛する人には二度と会えなくなった。努力の結果なんて何も残らなかった」
馬鹿な子供にモノを教える様に、大人だった異邦人は言う。
それは楽しそうで、嘲笑うようで。
……でも、それ以上に――。
「頑張ったって、無駄だったでしょ? ねぇ?」
――それ以上に、どうしようもなく苦しそうに。
そう、幼い外見の異邦人は言った。目の下に深いクマが刻まれた顔で、こけた頬で。
「……」
カナタは知っていた。聞いたことがあった。
目の前の同居人が、元は歴史学者だったと。若くして結果を残して、大きな大学の准教授になっていたと。結婚していて、まだ生まれたばかりの娘さんもいて――でも、その全てを失って、心が折れてしまったと。
……ちなみに以前、別の異邦人が彼女に、前の世界の歴史を本にしてみてはどうかと持ち掛けたこともあったらしい。でも彼女は『エビデンスのない、記憶頼りのあやふやな知識をひけらかせというのか?』と怖い顔で睨んだそうだった。
だからカナタは、この同居人のことを立派な研究者だったんだろうなと思っていて。
「――ねぇ、君はなんで、そんなに頑張れるの?」
そんな、全てを失った異邦人がカナタの目の前にいた。
苦しそうに、悲しそうに問いかけてきていた。
……カナタはそんな彼女に、答えを返そうとして。
「………………そんなの、わからないです」
でも、カナタも理由なんてわからなかった。
分かるはずがない。だって、彼女の言ったことは全てカナタにもよく理解できた。
努力の成果なんてなかった。あんなに頑張った勉強は意味が無くなって、大学受験は挑むことすらできずに終わった。
卒業式は独りぼっちだった。喜びを分かち合うはずの友達はいなくて、見知らぬ学校の卒業式に迷い込んだような気さえした。保護者席に家族は誰もいなくて、カナタにおめでとうと言ってくれる人はいなかった。
――カナタだって、本当はずっと折れそうだった。
「全然、わからないんです」
「…………そっか」
「何も、これっぽっちも……わからないん、ですけど」
「……?」
諦めそうになっていた。
ただ生きているだけでも、息が苦しくなりそうだった。
――でも、それでも。
「報告、する人がいるんです」
「え?」
「頑張ったことを報告して、それに返事をくれる人がいるんです」
ああ、そうだとカナタは思う。
月に二、三通の手紙がある。それをカナタは待っていた。
カナタがあれほど迷惑をかけたのに、優しくしてくれる人。カナタを許してくれた人。そんな人がいるから。カナタは。
「手紙に、変なことを書きたくないんです。辛かったなんて書きたくない」
明るいことを書きたかった。努力した結果を書きたかった。
こんなに頑張ったんだって書きたかった。褒めて欲しかった。頑張ったねって言って欲しかった。
そうだ、カナタは。
「――ボクを見てくれた人が、いたから」
きっと、そうだった。それが全てだった。
だから自分は頑張れたのだと、カナタは理解して――。
「………………そっかぁ」
「……あ」
――ふと、気付く。いつの間にか黒髪の少女は俯いていた。
顔は見えない。……でもなんだか言葉が、柔らかいような気がした。
「……そうなんだね」
同居人は、繰り返すようにそう言って顔を上げる。
そこに浮かんでいた表情はこの四カ月でカナタが一度も見たことが無いくらい、影が無かった。
そしてそんな彼女はふと気付いたように壁の時計へ顔を向けて。
「……あぁ、もうこんな時間だ」
「え?」
「君、これから予定があるんでしょ? ごめんね、時間を取らせて」
言われてカナタが時計を見ると、予定のバスの時間が近づいていた。
施設の近くはバスが少なくて、一本乗り過ごすと数十分は待たされることになる。
「あっ、ボ、ボクもう行きますね!」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」
慌てて服を着替えて、用意していた荷物を引っ掴む。
その勢いのまま、部屋の入口へと向かって。
「……い、一応」
直前で、引き返した。カナタは机の上にあった卒業証書を引っ掴む。
そしてそれを鞄に詰め込んで。
「……行ってきます!」
――カナタは部屋の外へと駆け出していった。