第3話 その後
……それから。
少女は長い間泣いていた。泣いて、泣いて、泣き続けた。
落ちた日が完全に名残を消して、夜が深まっても。どうして、なんで、と叫び続け――
「――」
――時計の長針が一周ほどしたころだろうか。
最後に誰かを呼んで、糸が切れたように少女は眠りについた。
眠る少女の目元は真っ赤に腫れて、疲れたのか体はぐったりとしていた。
痛ましい姿に胸が痛んで。
「……」
(……しかし、どうしようか)
そんな少女を見ながら、少し冷静になって思う。
――僕はこれからこの少女をどうするべきか。
具体的に言えば、すぐに公的機関に連絡を取るべきか、それとも。
「……」
合理的に考えるなら、連絡した方がいい。
普段からニュースで呼びかけられているように、公的機関に保護してもらった方が正しいと思う。少なくともリスクを考えるならそうするべきだ。
少女の姿をした異邦人。
泣き叫ぶ声は近隣にも聞こえていたかもしれない。そうだ。近頃は異邦人が起こしてしまった事件と同じくらいには、何も知らない異邦人への犯罪も増えているみたいで――
「……でも、それは」
でも、それでも。
それは少し、と思う。
――気が付いたら、全てを失っていた少女。
泣いて、苦しんで、傷ついて。でも今は穏やかに眠っている。
そんな子を叩き起こして、無理に連行させるのは、と。
(………………今警察を呼ぶのは、少し可哀想、だと思う)
僕は少女を抱え、客間へと向かう。
ベッドに寝かせ、布団をかけた。
(……)
少女を見る。
その寝顔には、涙の跡が色濃く残っている。
だから。合理的ではないと思うけれど。
今晩だけは、このまま眠らせてあげたい。そう思った。
◆
――そして翌朝。
日が昇って少し経った頃。
「……ん?」
「あ……」
朝食の準備をしていると背後で音がした。
振り返ると少女がこちらを見ている。
その表情は暗いけれど、顔色は悪くないのが見て取れた。
だから、少し安心する。結局警察も来なかったし。
「……その、おはよう、ございます。昨日は、その、す――」
「ああ、おはよう。朝食は出来ているから座ってくれ」
「――すみ……え? あ、はい」
おろおろとしている少女に席を進める。
四人掛けのテーブル席。自分と、その向かいに食事を用意して。
「あの、その」
「――あ、そうだ。嫌いなものやアレルギーはあるかな」
「……え?」
その途中、配慮が欠けていたことを思い出す。
あまり家族以外の人間に料理をふるまったことが無いからだろう。
「もう勝手に作ってしまったけれど、食べられないものがあったら言って欲しい」
「……い、いえ。特には―――って、そうじゃなくて!」
と、少女が少し大きな声を出す。
何かと思って見ると、少し泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「――あの、昨日は、申し訳ありませんでした」
「……」
少女が、そう言って深く頭を下げる。
金色の髪が朝日を反射して、少し目が眩んだ。
――昨日とは違い、冷静な態度。
あのときの姿はパニックになっていたからか、それとも酒が入っていたからか。
「不法侵入と勝手な飲食――窃盗行為。許されることでは、ないと思います」
「……」
「大変、申し訳ないことを――」
「いや、いい」
「……え?」
深く頭を下げたまま謝罪を重ねる少女を止める。
「僕のことは、気にしなくてもいい」
「……え、いえ、でも、迷惑を」
迷惑。それはまあ、そうだったかもしれない。
許されることではないと言ったか。法では確かにそうかもしれない。
昨日あれから調べたけれど、色々と食料が消えていたし、掃除が必要な場所もあった。
手間もかかったし、金もいくらかは失われるだろう。
……しかし。
「良いんだ。……僕は、君を許すよ」
「――」
顔を上げた少女と目が合う。そこにいるのは子供だった。
年齢は十八で既に成人しているらしいけれど、それでも社会に出ていない子供と言える年齢で。
それに、なにより――僕は、彼女に同情している。
(……)
ちらりと隣の部屋の方を見る。
そこには仏壇があって、写真が飾られている。供えられた線香からは今も煙が上がっているはずだった。だから。
「そんなことより、まずは食事をしよう。お腹が空いていたら頭も回らない」
「……」
「そして食べ終わったら、話だ。僕は君に聞きたいことがあるし、君も質問したいことがあるんじゃないかな」
「………………は、い」
……きっと、同情が彼女を責めない一番の理由だった。
◆
――それから。少しの時間が経って。
食事の後、僕は少女と改めて向き合った。
……いや、というか、今更だけど少女と思うのは間違っているんだろうか。
転落で変わっただけで元は男だったというし、それなら少年と考えたほうが良いのか。
外見は完全に少女だし、自然と「彼女」なんて思っていたけれど……。
って、あぁ、そういえば。忘れていたけれど、そもそも僕あの子の名前もまだ知らないような。
「その、宮代、カナタです」
「僕は更科透です」
という訳で、僕たちは自己紹介をした。
名前を呼んで、逆に呼ばれた。
「……よろしくお願いします」
「ああ、どうぞよろしく」
それが終わると次に知っていることを話し合って、認識のすり合わせを行った。
異邦人のこと。落ちてきてからの数日のこと。この家に迷い込んだときのこと。
「宮代さん。君は、一度国の保護を受けるべきだと思う」
「……はい」
そして、今後の話。
出来るだけすぐに行政の保護を受けたほうが良いということ。
異邦人が当然持っていない戸籍のことや、受けられる支援のこと。
変わったという体の検査に、異世界には無いという病気のワクチンの話など。それらを資料も用いて一つ一つ伝えていく。
「……あの」
「なにかな」
「この資料、いつ用意したんですか?」
「……? 昨日だけど?」
そんな話の途中。
ふと、彼女――とりあえず、心の中ではそう呼ぶことにした――が資料を指でなぞりながら、そう言った。
僕は少し不思議に思って。
「……昨日、あんなに迷惑をかけたのに」
「……」
「あの後、わざわざボクのために用意してくれたんですね」
彼女が申し訳なさそうに、でも小さく微笑みながら言う。
深く頭を下げて、ありがとうございます、と。
「いやいや、国が用意しているものを印刷しただけだよ」
「そうですか?」
「ああ、そうさ」
「……そうですか。そうなんですね」
よく気付く子だ、と思う。
おそらく普段から気が回る子なんだろう。
「でも、そうだとしても。やっぱり、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
……でも、だからこそ。
昨晩取り乱していた姿を思い出すと、今微笑んでいる彼女の姿が痛々しく感じられた。
◆
「――色々と、お世話になりました」
「大したことはしてないよ」
「……いいえ、いいえ。そんなことはありません」
話の後、連絡すると迎えはすぐにやってきた。
市の職員だという若い女性がやってきて、車へ彼女を誘導している。
目撃情報があって以来ずっと探していたのだと胸を撫でおろしていて、よかったよかったと呟いている。人の良さそうな方で、僕としても安心した。
「これから大変だろうけれど、頑張って」
「はい、頑張ります。色々とありがとうございました」
そして今は、最後の挨拶をしているところになる。
車の中、もう発進する直前。空いた窓の中で彼女は微笑んでいた。
「――それでは。お元気で」
「君も元気で。体に気をつけて」
最後に別れ際の言葉を交わして、それも終わって。
それから開いていた窓も閉まっていって――
――その最後の最後。
「……クを…………れた………なたで、……った」
なにか言葉が聞こえた気がして、窓が閉まりきる。
車にはすぐにエンジンがかかって、ゆっくりと動き出した。
「……」
車はだんだんと加速していく。
視界の中で段々と小さくなっていって、角を曲がって見えなくなった。
……僕は、なんとなく。
しばらく車の曲がっていった先を見続けていた。
◆
それからは元通りの日常がやってきた。
普段通りに起きて、朝食を摂って、細々とした家事をする。
そしていつものように、何年も繰り返したように――。
「行ってきます。父さん、母さん、遥」
――仏壇に手を合わせて、それから仕事に行く。
それまでと同じ、当たり前の日々。
家に帰ったら異邦人が迷い込んでいたりはしない。あんなことは普通一生に一度もない。
だからこそ、何事もないままに時間は過ぎて行って。
「……ん?」
――宮代カナタ。
あの少女の名が書かれた手紙が届いたのは、彼女を送り出してから二週間後のことだった。