第1話 異邦人
新作です。
一章まとめて投稿します。
よろしくお願いします。
――異邦人。
それは、この一年で大きく意味を変えた言葉だ。
かつては外国人と似た意味で使われていた言葉だが、今は特定の境遇の人物を指す言葉となっている。
彼らは、一年前から現れるようになった近いけれど違う世界からの来訪者だ。
同じ言葉を話し、よく似た常識を持つ。しかし、違う場所からやってきた者達。
脈絡もなく、唐突に。
気が付いたらこの世界に落ちてしまっていた人達だ。
彼ら曰く、この世界と彼らの故郷はズレている、らしい。
日本は同じで、列島の形も同じ。しかし歴史が僅かに違って、街の名前が違う。
同じ立地に、似たような街並み。しかし全く同じ建物は無く、彼らの家もない。
同じ人間で、混ざると見分けはつかない。しかし同一の人物はおらず、彼らの家族も友人もいない。
異邦人とは、そういう、ズレた世界に落ちてきた人達のことだ。
ひとりぼっちの迷い人。不幸な転落者。
原因も原理も分からないままに、彼らは全てを失って落ちてくる。大切な人も、居場所も、財産も、なにもかもを失って落ちてくる。
……そして、それは時に、己の体さえも。
――これは、そんな異邦人が現れるようになった世界の話。
最初の異邦人が現れてから一年後。世間がその存在に少しずつ慣れてきた秋の夕暮れから話は始まる。
◆
――何か、変だな。
そう思ったのは、一週間の出張から帰って来たときのことだった。
「……?」
違和感があった。ある気がした。
気づいたのは扉に手を掛けて、中に入ろうとしたときだった。
久方ぶりの我が家。長期間の外泊と仕事に体と頭は疲れ切っていて、慣れぬ枕からくる睡眠不足は瞼を重くしていた。最近深まってきた秋の気温は低くて、手足は冷たい。出来ることならすぐにでも熱いシャワーを浴びてベッドに飛び込みたいような気分で――
「……」
――でも、それでも。
そんな状態でも、一歩踏みとどまってしまうような、そんな感覚があった。
「……今、中から音がしたような」
人の気配だ。あるはずがないもの。
僕は一人暮らしで、家族はもう誰もいない。近しい親戚もいない。留守中に勝手に上がり込むような自由すぎる友人もいない。
……つまり。
「気のせいだったらいいけど……もしかして、空き巣? 嘘だろう?」
最初に思ったのは、それだった。
違いますように、と神様に祈りたくなるような最悪の想像。
「……それとも、また猫が入り込んだ?」
次に、そういえばと思い出す。
十年くらい前に、猫が家の中に入りこんでいたことがあったな、と。
築五十年の我が家にはそれなりの庭が付いていて、そこに野良猫が迷い込むことは以前から時折あることだった。そして、そんな猫が締め忘れた窓から侵入したことが一度あった。
(……懐かしい。あのときは苦労したな)
家の中を駆け回る猫を捕まえるために家族総出で追いかけた記憶がある。そしてなんとか捕まえた後に妹がせっかくだからこの子を飼おうと言い出して、父は乗り気じゃなくて、母は賛成して、僕は――。
「…………」
……いや、それはいいか。それより問題は今だ。
誰もいないはずなのに、生き物の気配がある家。それが目下の問題だった。
というか――今この瞬間も家の中から物音がしている。
さっきからずっと。さすがにこれは気のせいにはできない。何かが家の中にいる。
「……猫なら、いいんだけど」
寒空の下、それでも背筋に冷たい汗を感じながらそう思う。
猫なら問題ない。いや、なくはないか。今は僕一人だし。捕まえるのが大変そうだ。いろいろ汚れているかもしれない。掃除もあるだろう。
……とは言え、それは大変なだけ、とも言えることであって。
「……」
なんにせよ、必要なのはまず確認だった。
空き巣か猫か、それともそれ以外か。それが分からないと警察を呼ぶべきなのかもわからない。
(……よし)
覚悟を決めて、歩き出す。空き巣だった場合鉢合わせしたら大変だと、一応スマホに一一〇を表示させつつ、庭の方へ回り込んだ。勝手知ったる我が家のことだ。もちろん室内を確認できる窓も知っている。なので、カーテンの隙間から中を見ればいいと思い……。
「……あ」
……しかし、窓は開け放たれていた。
古い家によくある大きな窓。和室に面したそれは既に開いていて、そこから中が――。
「…………え?」
――金色の、小さな姿。
(…………………………??)
一瞬、思考が停止する。驚いていた。
だってそこには。
(女の子?)
人がいた。不法侵入者だ。恐れていた状況。
しかし、その姿は想像よりも小さくて。
(……子供、だよな)
どういうことかと、一歩二歩と近くに寄る。
すると詳しく姿が見えるようになる。
十代の……前半、だろうか。それ位に見える少女だ。
和室の畳の真ん中で両足を抱えるようにして座っていて、口元で缶を傾けて何かを飲んでいる。金色の髪が特徴的で、サイズの合ってない大きな黒い服を着ていた。
(……なんであんな娘が?)
記憶を探る。整った顔立ち。
会ったことがあれば印象に残りそうだ。
……でも見覚えがない。
そんな子がなぜ、僕の家に上がり込んでいる?
「…………え、誰かいるの?」
なんて、そんなことを考えていると少女がこちらに気付く。
僕と目があった少女は目を見開いて、ポカンと口を開けている。
その姿に、とっさに僕はどうするべきか悩んで。
「………………あ、はは……ははは」
――しかし僕が動く前に、突然少女が笑いだした。
「……?」
「そっか。そっかぁ……」
……分からない。
一体なんなのだろうか。
訳が分からず眉をひそめる僕をよそに、少女は何度か頷いて。
「……ねぇ、馬鹿らしいとは思わない?」
そして、問いかけるような言葉が飛んでくる。
どこか引きつったように見える笑顔。
「……何かな?」
「これは夢だから、大丈夫なのにね?」
……夢?
「見つかったからって怖がる必要なんてないんだ。だって、これは夢だ。夢以外はありえない。だって、ボク学校にいたんだよ?」
「……学校?」
「数学の授業でさ。眠くなってつい居眠りして……気が付いたら知らない場所にいた。こんなの現実じゃありえないよ」
「……?」
支離滅裂な、独り言のような言葉。
最初からずっと意味が分からない。
「……」
……それでも、なんとか理解しようと努力する。
だってそうしないと何もわからない。
夢……。現実じゃない。現実逃避?
学校にいた。数学の授業、居眠り。
それが……知らない場所に?
(……………………うん?)
それは…………それは?
どこかで、聞いたことがある、ような……。
(………………まさか)
気付く。一つ思い当たるものがあった。
だから、混乱していた頭が落ち着いてくる。全てが謎だった少女に輪郭が見えてくる。
「電話は通じないし、知ってる人もいない。母さんも父さんも妹も。誰もいない」
「……」
「似ている店はあるのに名前は違う。川も山も同じなのに道も建物も違う。……ここ。この家のある場所。山の麓。ここにはボクの家があったんだよ?」
少女がパンパンと畳を叩く。
泣きそうな顔で。必死に。
「そしてなにより……ボクが変だ」
「………………君が?」
「体が女の子になってる。ボクは男なのに。…………ね? こんなの、現実じゃありえないでしょ?」
違うよね? 嘘だよね? と少女が僕を問いかける。
夢だ、と。僕は男だ、と。何度も、何度も。それは己に言い聞かせるようで。
「………………」
「ね? 違うでしょ? ………………なんで何にも言ってくれないの?」
「……」
「ねぇ……ねぇ。なんで……?」
彼女が縋るように僕を見る。
……でも、僕にはそれに頷いてやることが出来ない。
だって彼女が言っていること、その全てに聞き覚えがあった。
この一年だ。同じ話を何十回、何百回と聞いてきた。
ニュースでもネット記事でも。色んなところで。おそらく、それを耳にしない日はなかった。
転落者。迷い人。全てを失った人。
彼らは、家族を、家を、財産を、そして時には己の体さえ失って落ちてくる。
「――君は、異邦人なのか」
……だから、きっと。
それが目の前で悲壮な顔をした少女の正体だった。