第五十八話 狐狸庵良話
「おう、いるかい? 狐?」
「ほう……これはこれは。狸大家殿。今日は何用で?」
とある午後のこと。
銀次郎はひと息ついた店を孫娘に任せ、ふらり、とある住まいを訪れていた。
何用だ、と聞かれ、たちまちその皺ぶいた顔が不機嫌そうに顰められる。
「なんでぇ、用がなきゃきちゃいけねえってえのかい。いいか? 大家と言えば――」
「――親も同然、店子と言えば子も同然。はぁ……そろそろ聞き飽きましたよ、それ」
「なんべんも言って聞かせねえと、忘れっちまうからな。はははっ」
まったく……と苦笑まじりに椅子を勧めたのは、あの『魔性の者ども』の若きまとめ役、ホルペライトである。若いとはいえど、人間と比べれば刻の尺度はまるで異なる。単純に年月で数えれば銀次郎よりはるかに歳を経ているのだが、一目置いている相手であればへりくだる。
椅子に、どっか、と腰かけ、銀次郎は早速切り出した。
「ようやっとお前様がたも落ち着いてきた頃合いだろうたぁ思ってな? 様子を見に来たのさ」
「ははぁ。なるほど」
「で……? 結局のとこ、どうまとまった?」
「簡単に言ってくれますねぇ。私の苦労も知らずに――」
そう、ちくり、と皮肉が糸のように細められた薄い笑みから飛び出したが、これはいつものじゃれ合いのようなもので他意はない。ホルペライトは飄々とした口調で先を続けた。
「なんとかまとめ上げましたよ。私と姫様の懸命な説得によって、ね? ……まあそれでも、幾人かは不服だったようで、我々の下を離れていきました。しかし、これもまた運命ですね」
「そうか――」
「仕方ない、でしょう?」
「まあ、そうに違ぇねえんだが……俺の力不足だな、すまねえ」
銀次郎は、テーブルに額を擦りつけるようにして詫びた。
そこで、ホルペライトは笑う。
「なんのなんの。狸大家殿が気に病むことじゃありませんよ。遅かれ早かれ、彼らとはこうなる運命だったのでしょう。そう考えれば、いくぶん気は楽です。いずれが早まっただけのこと」
「どうだ? 家は足りたか? 不自由なとこはねえか?」
「十分ですとも。あの時は夢にも思いませんでしたけれどね。まさか街の中に、もうひとつの街――『魔性街』を作ってしまわれるなどとは――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
銀次郎があの会合の日、城塞都市・グレイルフォークを統べるこの国の偉大なる冒険王、グレイルフォーク一世に願い、約束させたのは、まさに今ホルペライトが言った『魔性街』を造り、彼らの住まいとして供与すること、だったのである。
『街の中に、だと!? 爺、お前、正気か!?』
当然のことながら、グレイルフォーク一世はいまだ燻る敵対心を剥き出しにして吼えた。
『正気も正気、正気じゃなけりゃ、こんな大事なことを言い出しゃしねえさ。な? 頼むぜ』
『奴らとて人間には、恨みもあれば、企みもあろう。それをいきなり……懐に入れろ、と?』
『でなきゃ駄目なんだ』
『どうしてだ!?』
『ほれ』
グレイルフォーク一世の問いに、銀次郎は右手を、すい、と差し出してみせた。
『殴りっこするのも、仲直りの握手するのも、どっちかが手を出さにゃはじまらねえ。だろ?』
『それは……確かにそうだが!』
『それに連中にゃ、誰かの祈りと願いが届く場所にいて欲しいんだ。それがありゃ生きてける』
『ううむ……』
銀次郎の右手は、まだ宙に浮いたままだ。
そこで銀次郎は、最後の駄目押しとばかりに、こう付け加えた。
『連中の面倒は俺ぁが見る。しっかりとな? どう生きていくか、どう暮らすか。言ったろ? 大家と言えば親同然、店子と言えば子も同然。子が悪さすりゃ俺が叱るし、代わりに詫びる』
『しかし……だな……?』
『なあに、連中、燻ってても元は神様氏神様だ。商売の口ならいくらでもあらあな。そうやって、この街の連中に信じてもらやいい。案外、繁盛するかもしれねえぞ、この街ごとな?』
『くそ……っ』
遂に根負けしたグレイルフォーク一世は、渋々銀次郎の右手を握り返した。
そして、冗談も嘘も入り込む隙のない鋭い目つきで念を押す。
『……爺。その言葉、忘れるなよ? 俺には守らなければならない民がいる。いざとなれば、《異界びと》のお前のそっ首、ためらいもなく貰い受けることになるぞ。覚悟はいいな?』
『おうよ。その時ゃ、笑って差し出すさ。今度は祟りなし、恨みっこなしだ』
そうして――。
その約束のひと月後、街の北側の城壁が広げられ、新たに『魔性街』が造られたのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……にしたって、狸大家殿の御首を賭けなさるとは。ホント無茶なことをなさりましたねえ」
「何にしたってそれなりの対価ってぇのが必要だろ? この首ひとつで買えるなら安いモンだ」
かかか、と笑う銀次郎である。
若い時分より賭け事には一切興味がなく、また賭け運もないものと思っていたのだが、こここそが一世一代の賭け時と思ってしまったのだから仕方ない。
「で、どうだ? 商売の方は?」
「お陰様で。ぼちぼち、といったところですね」
「なんでぇ、ガラにもなく勿体ぶりやがって。街の連中にも、結構な評判だ、って聞いてるぜ」
銀次郎がグレイルフォーク一世に言った『商売の口』というのは、彼らの秘めたる力、本来持っていた稀有なる能力を生かした商売だった。
例を挙げるなら、占いや呪い、そして加護。占いとひと口に言っても、失せ物探しから良縁探し、どのダンジョンが儲かりそうかなど、人の数だけ種がある。呪いも似たようなもので、一際高価で、人々の信頼を集めているのは加護だという話だ。
ダンジョンに挑む冒険者たちにとって従来『神の加護』などという大それた代物は、ごく限られた街の、ごく少数の聖職者にしか授けることができなかった、その絶大なる効果に見合うだけの途方もない対価を必要とする『金持ちの道楽』扱いだった。なぜなら、それだけの資金があれば、なにも無理を強いてわざわざ危険なダンジョンに挑む必要がない、そういう意味だ。
それを自分たちの街で、しかもそこまで手の届かない金額を支払わなくても手に入り、その絶大なる効果もお墨付き、とくれば、自然と人気も高まっていく。
それを一手に引き受けているのが、あの『魔性の者ども』の女主人。テウメサだ。
「姫様も、毎日お忙しそうで。なにより私には、あの方の美しいお顔に笑顔が戻ったのが一番」
「はははっ。そりゃ違ぇねえ。俺ぁも一度、拝みに行くとするか」
「冷やかしはお断り、だそうですよ」
テウメサは、なにせあの美貌だ。
妖しい色気とでも言ったら良いか、男も女も、ひと目で虜にしてしまうほどの美しさだ。
なので、見るだけ拝みに行こう、という不埒な考えを抱く輩も、近頃は増えてきたらしい。
「そういえば、ですね……」
満足げに笑みを浮かべている銀次郎に、ホルペライトはずっと気になっていたことを聞く。
「狸大家殿ご自慢の『こーひー』。あれには魔法が込められていると、ひと頃街の者たちのもっぱらの噂になっていたと聞きました。……ならば、我らの商売が疎ましくはないのですか?」
「はぁ? なんだそりゃ? なんで俺ぁが焼き餅焼かにゃならねえんだよ?」
何か言いたげなホルペライトをやんわりと制して、銀次郎はこう続けるのだった。
「どっちかってぇと、俺ぁ迷惑してたんだ。珈琲を飲みてぇのか、奇跡が見てぇのか、ってな。俺ぁ手品師でも、ましてや魔法使いでも勇者でもねえ。只の喫茶店のマスターだ。それでいい」
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