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異世界喫茶「銀」  作者: 虚仮橋陣屋(こけばしじんや)
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第五十三話 一騎討

「お、おいおい! 待て待て!」


 これには、隣で事の成り行きを見守っていたグレイルフォーク一世もたちまち蒼褪(あおざ)めた。


 なにしろ相手は『魔性の者』だ。たとえ銀次郎(ぎんじろう)の言ったことがほぼほぼ事実であろうとも、今まで交戦経験がなかった訳ではない。城の精鋭を揃えて策を立てて相対しても、その被害は甚大だったのだ。それが一対一だからといって、銀次郎が『異界びと』だからといって、到底無事で済むとは思えなかったのだ。


 慌てて後ろから追いつき腕を引くが――ぴくりともしない。


「……黙って見てな、『金の字』」

「馬鹿者! こんなもの見てられるか!」

「いちいちうるせぇなあ。ま、大丈夫(でぇじょうぶ)だ」


 グレイルフォーク一世は、信じられない、という表情を浮かべ、振り解かれた手を見つめる。


 今でこそ自分はグレイルフォーク一世だとはいえ、元《十傑(じゅっけつ)》の勇者であり、市井(しせい)に身を紛れ込ませるための『《勇弟》のミサーゴ』という仮の姿も持っている現役だ。その自分の力がまるで響かないこの老人の身体には、一体どんな秘密と加護が備わっているというのだろうか。


 ぽきり、ぽきり、と拳を手のひらで包み、指を鳴らしながら、銀次郎は前に出た。


「おう、(しゃく)(さわ)んだろ? 腹立って仕方ねぇだろ? せっかくあとひと押しで丸っと手に入るところだったってえのに邪魔されてよ。……だがな? そりゃ(おい)らも同じだぜ。黙って孫娘を差し出せやら、口出しするなやらと言われてよ、こちとらもうすっかり腹に()えかねてんだ」

「ははは。はじめて気が合いましたなぁ、(たぬき)(じじい)殿」


 ホルペライトは楽しげに――だが、怒りに満ち満ちた、牙を()き出しにするような、ぞっとする微笑みを張りつかせて、銀次郎と同じ分だけ前に一歩踏み出す。


「いくら耄碌(もうろく)したとはいえ、わたしの申し上げた言葉をよもやお忘れではないでしょう? 無様(ぶざま)()いつくばって、わたくしどもに慈悲を()う日が来るのが楽しみだ、と。ふふ――」

「おう、やれるモンならやってみせな。爺()めてかかると(いて)ぇ目見るぞ」

「生い先短い身だというのに、無茶なお方だ。……こちらにとっては、実に好都合ですがね」


 そして、互いの手が届く位置に立った。

 グレイルフォーク一世は張り詰めた空気に思わず息を止める。


「さて……なにで勝ち負け決めんだ、(きつね)のあんちゃん?」

「どうぞお好きなものを。せめてもの礼儀ですよ」

「け――っ」


 いまだ底知れぬ余裕を漂わせるホルペライトの言葉を聞き、銀次郎は舌を鳴らした。


「なんだろうが勝てるってのか。鼻持ちならねえ野郎だな」

「事実ですよ。単なる事実。貴方にはそれが見えていらっしゃらない」

「おう、その言葉、きっちりと足りねえ頭に刻んどけ。……いくぜ?」


 次の刹那である。


 ――しゅるり!


 なんの構えも予備動作もなく、すとん、とその場に立っていた銀次郎の右手が、真正面に立つホルペライトの胸元めがけて伸びた。ふたりの対格差は頭ふたつ分ほど。これには慌てた。


「な――っ!?」


 ほとんど条件反射的にホルペライトの左手がそれを払うように動く。


「へへ――」


 が、それを予期していたかのように、くるりと翻った銀次郎の右手がホルペライトの動く左手を追うように加速して、ふんわりと包み込むように手首のほんの少し下を握り締めた。


「ぐ――っ!?」


 まばたきをする間もない。


 あっ、と思った時にはすでに遅かった。まるで一陣の風に舞い上げられたかのようにホルペライトの身体は宙に浮かび、目に映る景色が回っていた。そのまま指一本動かせずに何ひとつコントロールできないまま草()した地面に落ちた――いいや、落とされたのだった。



 しかも――たっぷりと手心を加えて。



「どうでぇ。なかなかこの老いぼれも捨てたもんじゃねえだろうがよ?」

「今のは一体……!? まさか……魔法が使えるのですか!?」

「……はぁ?」


 満足のいく出来だったのか、ぱん、ぱん、と乾いた手についた(ほこり)を払うように打ち鳴らす銀次郎に座り込んだままのホルペライトは茫然(ぼうぜん)と尋ねるが、返ってきたのはしかめ眉だけだ。


「ったく……おめえ様までそんなこと抜かすのか。……この爺には魔法なんざ使えねえよ。今やって見せたのは、ただの技、合気道だぜ。これでも俺ぁ、若ぇ頃にゃ師範代を任されてなぁ」



 アイキドー?

 師範代?

 技?


 たかが人間の使う武技に、このわたしが手も足も出せず無様な醜態(しゅうたい)(さら)したと言うのか――。



 (おの)が仕えし姫殿下の眼前で恥をかかされた怒りが沸々(ふつふつ)と沸いたが、それ以上にホルペライトは、未知の力に触れ、畏怖の念を抱いていた。この世に知らぬもの、見えぬものはない、と。そう思っていたというのに。こんなはずでは――その迷いと心の乱れが動きを鈍らせた。



 と――。



「さて……もっぺんいくぞ?」

「ひ――っ!?」



 のろのろと緩慢な動作で立ち上がったばかりのホルペライトの(おぼろ)げな意識の隙間(すきま)(もぐ)り込むように、再びなんの前()れもなく銀次郎の左手が、しゅるり、と伸びてきた。汗が噴き出す。



 ――どん!



 ホルペライトはもう決してどこにも触れられまいと、蛇のように這い進む銀次郎の狡猾な左手目がけて両手を渾身の力を込めて振り下ろした――はずだったが、手応えがまるでない。



 代わりに――そろり――ぺたり。



(糞っ! また手が――!!)


 そう知覚した時にはすでに、ホルペライトの身体はいともたやすく宙を舞っていた。


「ぐ――ふっ!?」


 そして、やはり絶妙な力加減で落とされ、青々と澄み渡った空を見上げる羽目になった。



 そこに、



「へへ――どうでぇ」



 銀次郎の(しわ)ぶいた笑顔が割り込んでくる。

 ホルペライトは覚悟を決めて、静かにこう(つぶや)いた。



「……とどめを刺せばいい。この立ち合い、貴方の勝ちです、狸爺殿」

「よし」




 長い沈黙があった。




 それから、銀次郎はホルペライトの右手をしっかりと握りしめ、力いっぱい引き上げた。


「……っ」


 だが、いくら待てどもなにも起こらない。


 さすがに辛抱しきれずに、そろり、と目を開くと、銀次郎は先程と同じく目の前にいた。


「ど――どうしたのです? わたしは、とどめを刺せ、そのように申し上げているのですよ?」

「やらねぇよ。そういうのは無しだ」

「は……い……?」


 ホルペライトは今起きていることが理解できず、ぽかん、と口を開けたままだ。


「ふふふ――」


 すると、今まで後方で口を(つぐ)んでいた『魔性の者ども』の長、テウメサが堪え切れずに笑い声を漏らしたではないか。ホルペライトは己が身を恥じたように(うつむ)き、その鈴の音を聞く。


「もうやめなんし。お前様じゃ、その主様(ぬしさま)には到底(かな)いませんえ」


 そしてテウメサはしずしずとホルペライトの隣まで歩み出ると、左足を一歩下げ、ドレスをちょこりと摘まみながら、中世ヨーロッパの貴婦人さながらの上品な会釈(カーテシー)をしてみせた。



 そうしてたっぷりと時間をかけてから、



「銀さん、ちょいと一刻(いっとき)くんなまし。(わらわ)は主様と語りましたし……聞くも野暮(やぼ)な話でござんす」



 テウメサはこの騒動の真実を語りはじめるのだった。




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