第三十九話 お役人様と旅の男
ある日のことである。
「いらっしゃ――!」
「おい、女!」
たまたま夜の忙しい時間に給仕を手伝っていた香織子は、振り返って浮かべた笑顔に、唐突にぶっきらぼうで横柄な言葉を投げつけられたにも関わらず、辛うじて口を閉じて耳を傾けた。
「おい! ここの店主はおるか! 名をギンジローという『異界びと』であると聞いている!」
やたらと威張りくさって張り切っている声の主の出で立ちは、真っ赤な軍服に煌びやかな金糸の刺繍を施した立派な物で、勲章をこれ見よがしに飾る胸を突き出していた。炎のように揺らめく赤い房を兜のてっぺんから垂らし、むすり、とした厳めしい顔には立派な髭を蓄えて、どうにも聞く耳を持たぬ者のように見える。香織子はそれでもなんとか堪えてこうこたえた。
「い――いきなり入ってきて、いるかと言われてましても――」
「俺は城からの遣いであるぞ! 無礼であろう! さっさと呼んで来い! さもなくば――!」
「おいおい……物騒なこと言うじゃねえか。少しは落ち着きなって、旦那?」
たまたま立ち寄って舌鼓を打っていた物売りのラデクが、仲をとりなそうと気さくな口調で立ち上がるが――。
「よそ者風情が口を出すな! 怪我をしたくなければ、そこに座っていろ!」
「……へいへい。何だってんだ、もう」
取り付く島もない兵士の態度に、香織子に済まなそうな顔を見せて呆れたように腰を下ろす。店にいる他の客も、何やら言いたげに視線を向けるが、睨み返されては黙り込むよりなかった。
そこへ、
「……お呼びかね?」
のっそりと銀次郎が奥の居間から顔を出した。
「貴様か、ギンジローという『異界びと』は? どうなんだ、ええ!?」
「ぎゃんぎゃん吼えなくたって聴こえてらぁ。『異界びと』なんて呼び方は知らねえが、異世界に来ちまったギンジローならこの俺だろうさ。客やバイトがブルってる。落ち着いてくんな」
早くも顔を真っ赤にしてやいのやいのと捲し立てる立派な身なりをした兵士と対峙しても、銀次郎の態度といいあしらいといい、いつもとまるで変わりはない。
しかし、それは兵士への侮辱と解釈されたようで。
「ふてぶてしい爺だ……小馬鹿にしおって! 我が王に楯突くつもりと受け取っても良いな?」
「なんだ? ……おめえさん、この国の王様なのかね?」
「い、いいや、違うが――」
「なら、なんでおめえさんが勝手にそんな大事なことを決めなさるんだね?」
虚を突かれてまごつく兵士に向けて、なんの表情も浮かべずに銀次郎は真正面から問うた。
「残念ながら俺はまだ王様にゃお目にかかったことがねえ。お互い知らねえ仲って訳だ。なのにおまえ様は、この哀れで老いぼれた爺は王様に楯突く不届き者だと仰る。酷ぇ話じゃねえか」
見かけこそ丁寧で落ち着いた口調だが、兵士のいつものやり口――横柄で傲慢で――がこの老人にはまるで通じない。どころか、下手をすれば独断でことを進めたようにもなりかねない。
「い――今のは『そういうことにもなりかねんぞ』というある種の警告である! 心せよ!」
「成程、そりゃありがてえや。で……何の用だね?」
「――っ」
王様でないなら対等だと言わんばかりの銀次郎の態度に、兵士は苛立ったように、むすり、と顔を顰めたが、文句を言って返り討ちに逢うのも癪なので、ここを訪ねた本題を口に出す。
「貴様の商売に疑いを持ち、王へ陳情書を届け出た者がいるのだ。違法な品物を扱っていると」
「違法な品物だぁ? そいつぁどういう代物だね?」
「魔力を封じた水薬を、なんと鉄貨五枚という破格の値で売っているというではないか! 最も安い水薬であっても、銀貨一〇枚は下らないというのにだ! しかも、庶民だけに向けて――!」
「聞いた話じゃあ、一等安い水薬なら銀貨五枚だった筈だ。あんたボラれてるんじゃねえか?」
「な、何!?」
口元に笑みを浮かべたとぼけた顔つきで銀次郎が指摘すると、不意を衝かれた兵士はたちまち仰天する。あの店主め――と、それはあとでこってり絞ればいいだろう。今はこの爺様だ。
「ともかく、だな――」
機先を制して銀次郎が言うと、再び口を開こうとした兵士は唇を『お』の形にして止まる。その目の前のカウンターに、ことり、と湯気の立ち昇る一杯を置いて銀次郎はこう続けた。
「ウチの店『喫茶「銀」』で客にお出ししてるのは、この『珈琲』一品だけだ。魔力が封じられてるだなんだってぇのは只の噂だぜ。少なくとも俺はなんもしちゃいねえ。さ、飲んでみろ」
じり……。
「いいや、断る! 断じて飲む訳にはいかん! 騙そうとしても無駄だぞ『異界びと』!」
「毒なんざ入れるか。それこそ評判に関わる。なら――ずずっ――ほら、爺の飲み止しだが」
「信用できん! 貴様にだけは利かぬ毒かも知れないからな!」
「んなモンあってたまるか。やれやれ……一体どうしたらお分かりいただけるんでしょうね」
そこへ――。
「なら、その一杯、俺が飲んでみてもいいか?」
今までひとことも、それこそ店に入ってきてから一度も口を開かなかった旅人風の装束を身に纏った男が、一番端の、一番遠いカウンター席から低く通る声でそう言った。
風貌はフードに隠れて見えないが、その砂まみれで埃っぽい薄汚れたマントの上からでも相当立派な体格をしていることが分かる。座る椅子の足元には年季の入ったズタ袋が置いてあり、その上に身の丈ほどもある大剣が載っていた。そして、辛うじてフードの隙間から覗くもみあげと一体化した風格ある黒々とした顎髭に囲まれた唇が茶目っ気たっぷりに笑みを形作った。
「さっき一杯馳走になったが、この世の物とは思えぬ美味さに驚いた! しかしだ、情けないことにもう一杯飲むには銭が足りぬ。誰も飲む者がおらぬなら、俺が飲んでも構わんだろう?」
沈黙――。
そして、示し合わせたかのように店中の者たちが――あの兵士を除いて――どっと笑い出す。
「おいおいおい! あんた、鉄貨五枚も持ってないのか!?」
「いやいや! もう夜だからな、ギルドが開くのを待ってるんだろう」
「なあ? そんなに飲みたきゃ、俺がおごってやってもいいぜ!」
「あんた、旅の人だな? ここの連中は王様に似て親切なんだ! 遠慮すんなよ!」
その風体を見て皆は納得したものの、決して馬鹿にしたり軽蔑したりといった者はひとりもおらず、からかい半分、思いやり半分で声をかけ、口々に銀次郎に向けて追加の一杯を注文しようとする。
すると、旅の男は慌てたように身体の前で両手をしきり振ってみせた。
「気持ちはありがたい。だが俺は、その一杯が飲めたらそれで満足なのだ。皆の気持ちには感謝をする」
そう言うなり、店の奥まで歩いてくると、皆が見つめている中で、銀次郎の飲み止しのまだ薄っすらと湯気の立ち昇る一杯を、かぱり、と煽った。
ごく――ごく――ごく。
「ぷはぁ! やっぱりここの『こーひー』とやらは格別だな! 疲れが一気に吹き飛んだよ!」
「この――っ!」
すると、余計な横槍を入れられた兵士がいきり立ち、旅の男に詰め寄ったが――逆に肘のあたりを掴まれて、ぐい、と持ち上げられた格好になり、痛みから逃れようと爪先立ちになる。
「痛たたた! な、何をする! 無礼なるぞ!」
「まあまあ。まだ文句があるのなら、俺が代わりに聞いてやろう。どれ、外へと行こうか」
と、皆が呆気にとられているうちに、兵士を右手に、帰りしなに自分の荷物を左手に出て行ってしまう。しばらく皆無言だったが、ふと、ひとりの客が誰にともなくこう呟いた。
「俺……ちらっと見えちまったんだが……あの旅人、金剛石級冒険者のタグ下げていたぞ?」
「なに!? ジョットと同じ《十傑》のひとりだってのか!? いやはや……こりゃあ……」
あの兵士、無事で済めばよいが――と祈るばかりであった。
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