第三話 訪問者
「いい? やってる?」
女、だった。
「まだだ」
男の口調は客商売には不似合いなほど素っ気ない。
「――だが、今開けた。カウンターでいいな?」
「いいわよ。もちろん」
一人らしい。
そのまま男は仕事の続きをしようとして――つい、辛抱できずに声をかけた。
「嬢ちゃん、学生か?」
「え……そう見える?」
何もそこまで、と言いたくなるほど、その若い女は驚いている様子だった。
「いや、見えねえな。忘れてくれ」
「び、びっくりさせないでよ!」
途端、けらけらと笑い出した。陽に焼けた褐色の肌に白い歯が眩しい。
「何でこのあたしが、あんな生っ白い坊ちゃんどものご学友だなんて見えるのよ? 冗談もトゥラの囁きだけにして欲しいわ」
男が動きを止めた。
「………………何だって?」
「何って――」
若い女の笑みがほんのわずか強張った。
「冗談はやめて、って言っただけだけど?」
「……そうだったな」
妙に聴き慣れないセリフだった気がしたのだが――聞き間違いだろうか?
男の疑問を他所に、若い女はきょろきょろとあたりを見回し、男に尋ねた。
「で、何があるの?」
「こちとらまだ店を開けたばっかりなんだよ。珈琲で良ければ今淹れてやる」
「こ……こーひー……?」
「何だ、嫌なのか?」
男が動きを止めたのは一瞬だ。
すぐに仏頂面をして元の動きに戻る。
「しかしだな、ウチは他のはやってねえんだ。別のをご所望なら、さっさと他所に行ってくれ」
「う――ううん、いいの」
若い女は一瞬呆けたような表情を浮かべたが、慌てて顔の前で何度も手を振ってみせた。
「じゃあ、それ、貰える? 飲んでみたい!」
「待ってな」
男は違和感を強くしながらも、カウンターの上のミルのハンドルを握って、ごりり、ごりり、と音を立てて挽き始めた。
「へぇー、良い香り!」
集中しているのでわざわざ顔は上げなかったが、ふと女が身に纏う刺激的なスパイスのような匂いが漂って、カウンター越しに身を乗り出しているのが分かった。
「それがこーひーって奴なのね!?」
若い女は興奮したような口調で言った。が、ついでに顔を顰める。
「でも、何だか随分と粉っぽそうに見えるんだけど? 本当にそれ、飲めるの?」
「……」
面倒なので答えない。
ミルの中の豆をほどよく挽いてしまうと、コーヒーメーカーの上に載せたフィルターの中心に向けてざっと一気に流し込む。そうしてからマドラーを使って丁寧に表面を均していった。先代などは手でやっていたようだが、男は他所様の口に入るものだからといつの頃からかマドラーを使うようになった。
「もう、終わったの?」
「騒がしい嬢ちゃんだな。まあ、見てな」
男はさっき移し替えていた背の低い方のケトルを手に取り、適温になっている筈の湯を女の目の前でしずしずと注ぎ込んでいった。
「う……わ……。す、凄い……!!」
女はキラキラと目を輝かせてコーヒーメーカーの中で起きている出来事の一部始終を見逃すまいと見つめている。それこそコーヒーメーカーに鼻先をくっつけそうな勢いの喰い付きっぷりで、火傷でもしやしないかとこっちが心配してしまうくらいだ。
徐々に落ちる褐色の滴の勢いが落ちていく。
「も、もう飲めるの? いいの? ねえ!?」
コーヒーメーカーと男の間を女の視線が目まぐるしく行き来する。
しかし、男は首を振った。
「駄目だ。これからが肝心なんだよ」
一滴。
また一滴と滴が落ちる。
どこまでを味とし、どこからを省くか、それが男なりのこだわりである。どこぞのチェーン店なんぞは、すっかり落ち切ってフィルターがカラカラになるまで放っておいたりもするようだが、それでは不要な雑味まで混じってしまう。すっきりとして、それでいて旨味とコクをしっかりと感じさせる一杯でなければならない。
ましてや、あんなことがあった後の朝の一杯目だ。ここで腑抜けた物を平気で出せるようなら、いっそ店なんぞ畳んでしまった方が良い。
また一滴――。
「よし」
男はすかさずコーヒーメーカーを取り上げた。
あ、と女が不満げな声を漏らしたが無視する。
「さてと。おっと、これがいいか」
男は戸棚から一つのカップを取り出した。
これも男のこだわりだ。
この喫茶店には同じカップは一つとして置いていない。一杯ごとに客の顔を見て、その客に見合ったカップを見つけ出して提供することにしている。
だがそれは、決して見かけだけの話ではなかった。明るい顔付きの客には優雅なフォルムの薄いカップを選び、暗く沈んでいる顔付きの客には両手で抱えて飲めるようなでっぷりとしたカップを選ぶ。そうやって目の前に対峙する客の、今この瞬間に最も相応しいカップを見立ててやるのも店を構える者の大事な仕事である、と男は考えているのだった。
「待たせたな、嬢ちゃん」
カウンターで子猫のごとくうずうずと身を捩らせて待っていた女の前に、小さな薔薇を持ち手にあしらった可愛らしい薄手のカップがすっと置かれた。
ふわっ。
そこからゆるゆると立ち昇る芳醇な香りに、女の瞳が零れんばかりに見開かれた。
「の……飲んでいいの!?」
「もちろんだ。だが、熱いからな、火傷するなよ」
「やたっ!」
しかし、警告したのにも関わらず、その若い女はいきなり口を付けて一口含もうとして小さな悲鳴を上げる。溢しはしなかったようだったので、男はやれやれと苦笑を浮かべながら首を振った。その恰好で溢しでもしようものなら大ごとだからだ。
ふーっ、ふーっ。
んく。
んく。
しばらく息を吹きかけ、冷ましてから口に含む。
「――!?」
途端、女の顔色が変わった。
「ど、どうした!? 大丈夫か!?」
男は慌てたが――。
「………………苦い」
女が呟き、男は呆れたように目を回した。
「おいおい。そりゃそうだろうが。珈琲ってのはそういうもんだ。砂糖ならそこにある。だが悪いがな、ウチではミルクは出してねえ。どうしても飲めねえってんなら――」
そこまで男が言うと、その女は慎重にカップを置いてから慌てて手を振ってみせた。
「ちちち違うの! 違うんだよ!?」
その顔は少し気まずそうに、そして気恥ずかしそうに赤く染まっていた。男はその表情に年甲斐もなくどきりとしてしまった。
「苦いなあ、って思ったのはホント。でもね……何だか、美味しいなあって思ったんだ! これもホントよ? 嘘じゃない、嘘じゃないから!」
「俺はどっちでも構わねえよ」
男は、にやり、と笑ってやる。
「ゆっくり飲んでくれ。なあに、あんなことがあった後だ。そいつは店の奢りだよ」
「え………………いいの!?」
女は思わず言ってから、
「いやいやいや。それは駄目だよ、駄目! あたし、こう見えても結構お金持ちなの。昨日だってひと稼ぎしたところだしね。ちゃんと代金は払うわよ?」
「好きにしな」
男はそう言うと、またカウンターの中へと戻る。
自分のために一杯淹れ、一口含むと、男は尋ねた。
「嬢ちゃん、仕事はなにしてんだ?」
「ああ、あたしね――」
女はまた一口含み、にこにことしながらこう答えた。
「あたし、盗賊やってんだ!」
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