3 王子、うんざりする
「ロスコー様ぁ!」
甲高い女の声に、ロスコーは苛々と振り向いた。その瞬間、黒髪の女が彼に勢いよく抱きついた。彼の現在の婚約者であるナンシーだった。
押し寄せる、柔らかい感触。
はじめはそれに鼻を伸ばすだけだったロスコーだったが、徐々に彼女が重荷になっていることを感じていた。
ナンシーが重荷になっていったのには、理由が沢山ある。
例えば‥‥‥
「ロスコー様!私、欲しい宝石があるんです」
「‥‥‥‥」
後ろには、彼女専用のお抱え宝石商が控えていた。目が合うと、礼をされるが、その目はギラついていて、金を巻き上げようという魂胆が見え隠れしている。
実は、彼女には浪費癖があったのだ。最初は物をねだる彼女が可愛らしく、なんでも買ってあげていた。しかし、段々と財務は悪化している。これ以上、彼女に買い与えるのは厳しいだろう。
「‥‥‥ナンシー。悪いが、買ってあげることは出来ない」
「何故です?」
腕に抱きついて、首を傾げる仕草は可愛い。可愛いが、それは仕草だけである。その理解力のなさにロスコーはさらに苛ついた。
「この前も買っただろう?もう、必要ないはずだ」
「そんな‥‥」
しかし、彼のなけなしのプライドが「お金がない」と素直に言うことを許さなかった。そのため、言葉を濁して伝えるのだが‥‥
「そんな、そんな‥‥じゃあ、ロスコー様は私を愛して下さっていないのね」
「何故、そうなる!!!」
思わず声を荒らげると、ナンシーはわっと泣き出す。すると、後ろにいた宝石商が彼女に寄り添った。
「お可哀想に」
「おい」
「失礼をお許しください、殿下。しかし、こうなってしまっては、ナンシー様が可哀想ではありませんか?」
「‥‥‥‥」
「お詫びに宝石でも買えば、機嫌を直してくれるはずですよ」
彼が見せてきたのは、ダイヤがふんだんに散りばめられ、真ん中に大きなサファイヤの乗っているネックレスだった。
「奥様、どうです?」
「素敵‥‥‥」
ここぞとばかりに、ナンシーも宝石商に同意する。
もちろん、買うなんてもっての他だ。
だが、ここで断っては王家の財政が圧迫していると言っているのと同じだ。
彼の周りには徐々に人が集まりつつあった。クスクスという笑い声や「あーあ」という声が耳に入ってくる。しかし、それが誰なのか、特定することも出来ない。
こんな時、ミシェルがいればー‥‥
そんなことを考えて、ロスコーは首を振った。婚約破棄した女のことは二度と考えたくない。
確かに、王家に対して不敬な態度を取った者がいたら、彼女が率先して特定し、吊し上げていた。
しかし、だからなんだと言うのだ。それをやるのは女の仕事ではない。
しかし、ロスコーには、この状況を打開する手段がないのもまた事実。
「クソッ」
彼は、悪態をつきながらも、購入を決定した。宝石商も周りもニヤニヤと笑っている。
ナンシーはようやく泣き止み、ロスコーに再び抱きついた。
「ありがとうございます、ロスコー様」
「いや、いい」
「大好きです」
「‥‥‥‥‥」
彼女が鬱陶しく、ロスコーは足早に目的地まで向かう。が、それでもナンシーはついてくる。
「どこに行かれるのですか?」
「友人と懇談があるんだ」
「まあ!」
驚いた顔をした彼女は、だんだんと目元が険しくなっていく。
「まさか、女性がいるのではないでしょうね」
「そんなことがあるわけないだろう」
本当に、面倒な女だとロスコーは考える。ミシェルならば、邪推はしなかったのに‥‥と考えて、再び首を振った。
あんな男装女よりは、ナンシーの方がよっぽど良い。そう、自分に言い聞かせる。
「本当に、友人に会うだけだから。待っていてくれ」
「‥‥‥分かりましたわ」
訴えかけると、不服そうに頬を膨らませながらも、彼女は頷いてくれた。このくらい従順な方がいいな、と思う。
これから、友人に会う。友人も、美しいナンシーという婚約者を羨ましがり、「婚約破棄して正解だった」と言ってくれるだろう。
そう、期待して、友人たちの元に向かった。
しかし‥‥‥‥‥
「いやあ、殿下も惜しいことしましたよね」
「何がだ?」
「それは、あれですよ。ねえ‥‥?」
集まった数人の友人たちは顔を見合わせて気まずげに頷く。誰も何も言おうとはしない。
「おい、なんだ。教えろ」
渋っていた彼らだったが、何度もしつこく尋ねると、「失礼かもしれませんが」と前置きをして、1人が口を開いた。
「ミシェル様のことですよ」
「ミシェル?」
先程まで考えていた、元婚約者の名前が出てきて、ドキリとする。そして、次の瞬間には耳を疑う言葉が友人の口から出てきた。
「最近、お綺麗になったともっぱらの噂ですよ」
「誰のことを言っているんだ?」
意味が分からず、聞き返す。ミシェルが?美しい?凛々しいや、かっこいいという褒め言葉は聞いたことがある。しかし、綺麗など‥‥
「殿下の元婚約者であるミシェル様は、本当にお綺麗に、可愛くなられた、という話です」
「は?」
あまりのことに理解が追いつかず、間抜けな声が出た。すると、周りの友人も口を揃えてミシェルのことを褒め出した。
「この間、お茶会で見かけたのですが、本当に美しくて‥‥」
「俺も見ました。今なら、フリーですし、口説いてみようかな」
「前から顔立ちは整っておられましたしね」
ロスコーは、混乱して言葉が出てこない。その間にも、皆口々に好き勝手に喋っている。
そして、最後には皆、こう言うのだ。
「本当にもったいないことをなされましたね」