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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

歯並び

 歯は身体の一部だ、と何処かで誰かが言っていた気がする。あたしはそいつのことを、馬鹿野郎と呼びたい。

「もう少し口開けてくださいね。」

「ふぁふぃ……。」

 あたしの歯並びは最悪だ。前歯は出しゃばり、側切歯はあらぬ方向へ向かい、犬歯は狼のように獰猛な飛び出し方をしている。奥歯も不均一で、親知らずも生えてる。小さい頃は、歯茎から唇に向かって歯が生えそうになったこともある。あれは酷い体験だった。歯に反逆された気分だったよ。

「はい、大体は見終わりました。えーっと、ですね。」

 その反逆は、多分まだ続いている。どういう事か、というと。

「やっぱりここまで酷いと……部分矯正は難しそうですね……。」

 まあ、こういうことである。


「ありがとうございました……。」

 知らない人に歯を晒すためだけにお金を使った、その後の、ぺたぺたとコンクリートに足をぶつけて歩く、虚しい帰り道。虚しさを紛らわす為に、アイスでも買っていこうか。いいや、アイスは歯に染みるから、やめておこう。

「……。」

 歯はあたしの選択に、よく干渉して来る。どうしてかあたしは、歯の意見を尊重しなければならない。尊重しないと、歯に染みるような痛みが待っている。というのは、隠喩でもあるし、そのままの意味でもある。


 たとえば、小学生の頃。歯並びが悪いことを、特に気にしていなかったあたしは。

「函菜ちゃん、歯並び気持ち悪いねー。ロッククライムの持つ所みたい。へへ。」

 友達だと思っていたクラスメイトから、口内と心臓に爆撃を受けた。ただし、撃墜されたのは、歯でも心でもなく。自尊心。自己肯定感。そういう類のものだった。あたしの歯は気持ち悪い。あたしは、気持ち悪い。あたしは……歯を見せて、笑うことは出来ない。そう思い始めたのだ。


 中学生になる頃には、あたしは笑わなくなっていた。あたしの笑顔は気持ち悪いから。あたしは、笑うだけでも誰かに迷惑をかけるから。そう思って、教室の隅で、笑わず、話さず、ひっそり過ごしていた。過ごしていたのに。

「加藤さんって、全然笑わないよね。なんで?」

 いわゆる「陽キャ」のクラスメイトが、あたしの防衛ラインへ足を踏み入れた。あたしは口篭りながらも。

「あたしの笑顔は、気持ち悪いから……。」

 そう言って、彼女がどこかへ去るのを待った。しかし、彼女はあたしの思う通りにはせず。

「えー、そうかな。ちょっと、笑ってみてよ。にーって!ほら!」

 腕をぐいぐい引っ張って、リピートアフターミーとでも言うように、あたしに微笑みを向け、同じことをしろと求めた。この時の、少しの間の無言が、あたしにはなんとなく怖くて。でもでも、もしかしたら、あたしもみんなの前で笑ってもいいのかもって、そういう微かな希望もあって。あたしは。

「に、にーっ……。」

 あたしは、笑ってみせたんだ。そしたらさ、彼女は。彼女は……。あの、クソ陽キャは。

「あ、はは……。なんか、その。歯が凄いね。」

 あたしはこの時から、ちょっとグレた。


 綿雲も、天気雨も、あたしを馬鹿にしているように見える。言っておくが、馬鹿なのはあたしじゃない。あんたらだ。歯並びがちょっとやそっと、悪いぐらいで。あたしのことを、馬鹿だと思って。あんたらは……。

「あ、歯並びちゃん。奇遇だねぇ……。ちょっとだけ、私に歯を触らせてくれやしないかい……?」

 最悪だ。馬鹿代表に出くわしてしまった。


 こいつと初めて話したのは、高校の入学式の日。いや、話したといっても、あれを会話と呼んで良いのかは、あたしには分からない。多分呼んだら駄目だと思う。それと言うのも。

「あっ!なんか変な人はっけーん!」

 あいつは初対面のあたしに向かって、そう言いながら近付いてきて。

「な、なんですか。」

 思わず後ずさったあたしを、前のめりで見詰めて。

「へぇ。中々な面白い歯並びだ。気に入った。」

 楽しそうに、あたしの口の中に平然と手を入れて、当たり前のように歯を触ってきたのだ。


 それ以来、あいつは執拗にあたしを追い掛け回して、口の中に手を入れようとしたり、よくわからないことを言ってきたりするようになった。あたしのことを「歯並びちゃん」という不名誉なあだ名で呼びながら。


「なんでいつも付き纏うの。どっか行ってよ。」

 昔のあたしなら絶対に言わないような言葉を、今日もあたしはあいつに投げ付ける。投げ付けても、あいつは。

「私は、君のことが知りたいんだよ。」

 あいつは。

「なんでよ!」

 それを避けもせず。

「変だから。」

 喜んで当たりに来る。何を言っても、こいつには無駄なのだ。

「変って、歯並びのこと?」

「いやいや。君自身。」

「じゃあなんで歯を触るのさ!」

「君を変にさせてるのは、その歯並びだから。」

「何言って……!」

 でも、確かにそうだ。間違っていない。あたしは、この醜い歯並びのせいで、ずっと苦労してきた。自分のことを嫌いになってしまった。でも、どうすればいいのさ。だって、あたしはこんなにも醜い。堂々と笑えやしない、醜いあたしが。

「どうやって普通に生きろって言うの。醜いまま、普通に生きろって言うの?」

 あたしは、醜い。醜い者は、普通には生きるのはつらい。どこか変な言動をしたり、何かを隠さなければ、ろくに生きてはいけないんだ。

「君は何か勘違いしている。」

 綺麗な目と、美しく長い黒髪と、白く整った歯を持ったあいつは、あたしの変な激情に驚きもせず。

「私は変な君が好きだから、こんなに追い掛け回しているんだ。それに。」

 あたしの口の中に、右手を、半分以上入れて。

「人間が、醜いわけない。」

 出過ぎた前歯や、あらぬ方向へ飛び出た側切歯、鋭過ぎる犬歯を優しく撫でた。

「ふぁふぃひふぃふぁはゆはぃほほほ……!」

 この、大馬鹿。

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