004 見たぞ!
自分のベッドの上で天井を見上げる。何であんな幼馴染の何処が好きなのか自分でも分からない。
美人か美人じゃないかと問われれば美人とはちょっと違う。可愛いか可愛くないかと問われれば、気がつかないところで幼馴染のよしみで補正を加えていたとしても、かなり可愛い方だと思う。
学園のアイドル、神谷匠真がそう言っているのだから間違いないだろう。が、性格にかなり難がある。
直球ストレートな遠慮や配慮のない物言いに時にカチンとくる。匠真は裏表ないところがまたいいなどと惚気ていたが、褒める所しかない匠真とけなす所しかない僕では評価が違って当たり前だ。
だけど、そんなんだけど・・・。モヤモヤが収まらない。
ベッドの上で悶えているとスマホが鳴った。
寝ころんだまま机の上のそれに手を伸ばして持ち上げる。幼馴染である陽葵からのメッセージが着信していた。点滅すアイコンをタップする。
『見たぞ!』
はあっ。何のことだよ。今一番関わって欲しくない奴からのメッセージに戸惑う。
SNSのアプリ画面には昨晩の緊急呼び出しメッセージの後に未読のメッセージが一つ。
『見たぞ!
放課後、星宮さんとキスしてたでょ(ハートマーク)』
ぐへっ!
心臓が止まるかと思った。
嘘だろー。
あの時、僕ら以外は下校して教室には誰もいなかったはず・・・。
てか、動揺して周りをあまり意識できていなかったような・・・。
『報告せよ。
じゃないと学園中の男子はもとより女子まで全部敵に回すからね(ハートマーク)』
くっ。
ばらす気かよ!
無視を決め込んだら本当にやりかねない。
伊藤陽葵と言う女はそういう奴だ。幼馴染としての長い歴史が僕の頭の中で危険を示すアラートを発する。
『キスなんてするわけないだろが』
返信と同時に既読マークがつく。
さすがにニアミスなんて書けない。
『証拠がないだろ。見間違いだ』
小学生の喧嘩みたいだが、ここは強引にシラを切り通すしかない。
『証拠なら有る。ひひっ』
ひひって何よ。
あっ・・・。
スマホのSNSの画面にゆっくりと表示される教室の風景。窓からのぞく春の青空をバックに顔を重ねる中腰の僕と僕を見下ろす角度の星宮さん。
陽葵のやつ、スマホで写真を撮ってたのか!
うわっ!まんまキスしているように見える角度じゃんかよ。
表示された画像の下にコメントが打ち込まれる。
『観念した。野獣』
やっ、野獣って何んよ。
その野獣を深夜に呼び出したのは誰さ。
って、ことで話を逸らせないかと思ったが、証拠写真が強烈すぎて頭がフラフラする。学園一の美少女、星宮美咲さんと僕の顔が重なっているように見える。
これはニアミスなんてものじゃない。事故直前でギリセーフだったのかと思い返すと、顔から火が出そうだ。
『分かった。だけど、断じてキスはしてない』
打ち終えると同時に既読がつき、音声通話のメロディーが鳴り響く。
コールの相手はもちろん伊藤陽葵、その人。
こうして僕はギリセーフ事件の件も含めて洗いざらい喋らされることになった。
「で、そのラブレターにはなんて書いてあったの」
壁一つ隔てた部屋で興味津々の笑みを称えた陽葵の顔が思い浮かぶ。声だけで表情まで読み取れるのは兄妹同然に育った経験の賜物だろう。
ある意味、そんな身近さが忌々しくて、僕は不貞腐れ顔で告げる。
「開けてない」
「なんで読んであげないのよ」
読まないんじゃなくて読めないってだけ。こんなにも理解し合っているのに肝心なことは伝わらない。
いっそ告白してみたらと心の悪魔が告げてくる。何もかもがぶち壊しだと心の天使が引き留める。僕は陽葵に対する思いを悟られないように、星宮さんからのラブレターを読まない理由を語る。
「あのさー、星宮さんと僕がつり合うと思うか」
今度は学園一の美少女、星宮美咲さんとのドアップの顔が一瞬思い出されて、顔が熱くなる。慣れ親しんだ陽葵とは違い、どうしても女子を意識してしまって平静を保てない。電話だと感情を隠すのに限界かも・・・。
ちょっと思い出しただけで心臓が飛び跳ねるんだから、いわゆる高嶺の花ってことは明らかだ。
「他人の目なんてどうでもいいじゃん」
言い切ってしまうのが僕の幼馴染である伊藤陽葵の性格。ストレートな物言いは時に怒りの対象になるんだけど。
「良くない。人には分相応ってのがあるだろ!」
思わず声が大きくなってしまう。これじゃあ、電話無しでも壁越しに聴こえたかな。
「それに・・・」
くそっ。ベランダで流した涙を思い出しただろが。何でお前、僕んちの隣り、それも壁一つの隔たりの先に住んでんだよ。こんなに近くても心は遠く、通じ合わない。
「それになによ?」
くっ・・・。陽葵に未練があるなんて死んでも言えるか。僕にだって意地くらいある。一般的な回答で誤魔化す。
「彼女のことを良く知らない」
「誰だって『はじめまして』は知らないでしょ。女子がラブレターを渡すのにどれ程勇気がいるか知りもしないで失礼よ。しかも、相手はあの星宮美咲さんよ」
メチャクチャ怒られている気がする。スマホを耳から遠ざけてみたが、壁向こうからドンと一発蹴りの音が響く。
確かに失礼ではあると気づかされる。
「そんなんだから私は・・・」
陽葵の声の勢いが突然、弱くなる。語尾が聞き取れない。
「私は・・・って何だよ」
少しばかり心配になって聞く。
「イラってしただけよ」
いきなりの怒鳴り声と共に彼女はブチ切れた。鼓膜が破れるかと思った。
壁向こうから何かを叩きのめす、ドス、ドスと響く鈍い音。
ヒステリーの犠牲者にはなりたくないものだとスマホ画面の時計と数分過ごす。熱しやすいものは冷めやすいことを僕は学んでいる。
ほらね。静かになった。秋の天気となんとやらってことだ。嵐は対抗するより寝て過ごすが勝ちってね。
「落ち着いた?」
「クマキチが逝った」
クマキチ?あぁ、等身大の熊の縫いぐるみか。
何の八つ当たりか知らないが、相手が生物でなかったことにほっとする。
「僕のせいなら弁償するけど」
「いい。匠真にねだるから。って、私のことはどうでもいいの。もう、早く読んであげなよ。バカ」
プツリと電話が切れ、かわってSNSのメッセージ。
『読んだら報告。悪いようにはしない』
中身を見せろと言ってこないあたりは多少なりとも女子としての良識はあるけど・・・。
僕は机の前の椅子の上に正座して、学習スタンドの明かりを灯す。
別に正座する必要も無いのだが、彼女の教室での清楚然とした姿を思い出すと背筋を伸ばさざるをえない。
深呼吸を一つしてからラブレターの封を開いた。