002 勘違い。
彼女の艶やかでぷっくりとした唇に見惚れていたら、吸い寄せられそうな衝動に駆られる。
誘われるように無意識にゆっくりと顔が前に出てしまう。フリーズする彼女の頬が徐々に赤く染まっていく。
数秒の時間を経て僕は我に返る。慌てて椅子を押して少し後ろに下がりながら立ち上がった。
危なかった。後少しで彼女にキスしていたかも・・・。
「ごっ、ごめん」
気まずい雰囲気に耐え切れず謝罪の言葉が僕の口をつく。心臓が激しく鼓動し、動揺が半端ない。
「えっ、あの・・・。こちらこそ・・・。ごめんなさい」
いつもは陶器のように白くて美しい顔を赤く染めて彼女がうつむく。その仕草がなんだか初々しくて可愛らしい。学園一の美少女の新しい一面を見たような気がする。
「・・・。僕に何か用かな?」
僕の言葉に弾かれたようにピクリとしてから、彼女は胸に抱えていた白い封筒を大切そうに両手で僕の前に差し出した。
「あのー、これ・・・」
あっ。この光景・・・。私立星華学園高等学校に入学し、神谷匠真と友達になって以来、何度か経験したメモリーが頭の中でリピートする。
学園のアイドル、神谷匠真は入学式以後、学園中の女子に大人気だ。一年の最初に席が隣り通しと言うだけで、嫌味のない爽やかイケメンの彼と親しくなった僕。
彼にラブレターやプレゼントを渡して欲しいと女子に頼まれるイベントが少なからずあった。
プライベートに踏み込んだやり取りのおかげで、奥手な僕でも親友と呼べる仲間ができたのだが・・・。
僕がそれを受け取り匠真に渡すと、彼はお礼の手紙や品物を用意して丁寧に断って回る。あの時「好きな子がいるから」と言っていたのは嘘ではなかった。
匠真の話では入学式で僕の幼なじみである伊藤陽葵に一目ぼれしたらしい。イケメンのくせして一年間もその思いを密かにつのらせた結果、二人はようやくゴールしたってわけだけど。
ほんの一瞬、この手紙を匠真に渡したら、彼と陽葵との関係をリセットできるのでは・・・、ゲスな考えが頭を過る。
が、親友に対してすることじゃない。何より兄妹同然に育った陽葵の悲しむ顔なんて見たくない。
「ごめん。匠真に渡すんだったら受け取れない」
「えっ」
僕の返答に驚く星宮美咲。白い封筒を持つ手を引いて口元を隠す。その仕草に品の良さを感じる。
だけど、こう言うことは最初が肝心だ。
「匠真、もう彼女いるから」
変に誤魔化すとこじれる方向にしか行かない。ハッキリと告げることが優しさだって匠真から学んだ。
「神谷くんじゃなくて、その・・・」
彼女は困ったような顔をして口をつぐむ。
「はっ、もしかして僕・・・」
コクンとうなずく彼女の様子が可愛い。
って、そんなことを考えている場合じゃない。ヤバイ。ヤバいやつだ、これ。
最近少なくなったと思っていたけど・・・。災いは忘れた頃にってやつか。
女子が男子に渡すものがラブレターだと決めつけたら大間違い。
油断させる目的で他人を使って渡す手紙だってあるんだ。
「だっ、誰から預かった果たし状?」
僕みたいな少し暗めの男子はちょっとした不良の標的になりやすい。てなわけで中学時代は体育館裏などの一目の付かないところに呼び出されて、ガラの悪い先輩に囲まれる。
お小遣いなどを要求されて、不条理を告げるとボコボコに。って、ストーリーなのだが生憎、見た目とは裏腹にヤンチャだった僕は反対に彼らをボコボコに。
ってストーリーがあって、思い出したかのように不良の兄貴分だとか言うやからから呼び出し状や果たし状が舞い込んでくる時代があった。
こうした手紙は警戒されるのを避けて他人が運んでくる。
廊下で渡してって言われたの。って、言葉が添えられて・・・。
私立星華学園高等学校は都内有数の進学校で、僕が入学する前年までは「私立星華学園女子高等学校」だった。
だから男子の三年生の先輩はいない。二年の僕の学年だって一クラス十人しか男子がおらず、生徒数千二百人と言うマンモス校ながら男子はわずか二百人たらずなのだ。
ようやく過去の黒歴史と決別できたと思っていたが考えが甘かったらしい。自然と険しい顔になるってものだ。
「はっ、果たし状?」
僕の顔をみてキョトンとする彼女・・・。あれっ・・・。
「ちっ、違うのか・・・」
うわっ、もしかしてやらかした系の話?メチャ恥ずかしい早とちり・・・。
「じゃあ、なに?」
僕の言葉と共に、春の悪戯な風が彼女の髪を揺らす。
顔だけじゃなく可愛らしい小さな耳まで真っ赤に染まっている。
やらかした僕の顔が熱いのはわかるが、なぜ彼女まで・・・。
「ラブレター・・・です」
消え入りそうな声で僕の手に手紙をのせる学園一の美少女。
星宮美咲はいつもの清楚然とした振る舞いとは異なる、小動物が慌ててパタパタと走り去るような仕草で教室を出て行った。