プロローグ
世間の一般的な常識ではもしかしたら、不幸の一つに数えられるのかも知れないが、僕にとっては短くも濃く充実した実りある人生だったに違いないと後悔はしていない。
両親は僕を残して幼い頃亡くなった。
母は僕が生まれた直後に。父は6歳の頃にガンという病で天国に行ってしまった。
両親が亡くなった後は、田舎にいる母方の祖母の元で育った。
父方は祖父母は既に亡くなっていたためだった。
宇宙や星がとても大好きな祖母で、思春期から成人するまで時に厳しく時に優しく実の両親と変わらない愛情で育ててくれたとても尊敬する祖母だ。
祖母は25歳の時に天国に旅だった。
もう身寄りはいなくなった。
そんな僕も33歳になった時に、父と同じガンの病と診断され
寝たきりの闘病生活になった。
「健康診断毎年受けてたのに、、」
病室の天井に向かって文句を言ってもしょうが無いのに、どうしても一言この理不尽な状況を整理するために言いたかった。大部屋なので、小さな声でぼそっとだ。
医師によると、全身にガンが転移していて手遅れらしい。
もう余命いくばくとか。
いやはや、
なんという人生だ、と更にぼやきたくなる気持ちもあったが
不思議と言葉にすることはなかった。
もって半年とかだとか。実に人生はあっけなく突然意図もせず終わりを告げる。
人の命とは明日が当たり前にくるなんてことが奇跡だったのかと、今更ながら生きる意味をようやく実感した。
死を目の前にして、これまでの人生を振り返れば幸せだったと思えた。
多くの友人たちと出会い、なかなかブラックな会社だったけど同僚たちともうまくやってきたと自負している。
僕という人生という幕引きに後悔というか、心残りというか、欲を言えばもっと色々な世界やたくさんの人々と交流して、世の中を見てみたかったぐらいだろうか。恋も結婚もまだしていない。次があるのであれば、長く生きてたくさん出会いがありもっと自分を大事にしたいものだ。
祖母や両親にもとても感謝している。
もちろん友人たちとの出会いにも感謝している。
30代にもなると、先だった友人たちも多い。死は怖くないと言えば嘘になるが、不思議と安心感にも似たような気持ちだ。
ーー半年後ーー
苦しい体調を紛らせるように、病室から見える北極星がとても綺麗に見えた。
宇宙や星が好きだった祖母の影響かも知れない。
呼吸が乱れ、全身に痛みと薄れゆく意識のなかで目を閉じた。
全身の力がゆっくりと溶けていくような感覚になっていく----
<御臨終です>
瞼を閉じて真っ暗のなかで最後に聴こえた言葉で私という人生に幕が閉じた。
ーーーーー
ビュッお!!
「なんだ?!なんだ?!!」
突然、全身が下から冷たくも温かい風に包まれた。
無重力? いや、落ちているのだ。
暗い!とても暗い。
「ここはどこだ?!状況がわからない!病院は?!!」
僕は状況を把握するにも、温かい風が下から吹き上げられているような感覚に陥りながら状況の把握に意識を向けた。
「僕は死んだのか?!この状態は死後の世界へ繋がるという噂のトンネルというものなのか?!」
とは言っても噂で聞いた程度のもので、これがその死後の世界へ通じるものかどうかなんて知る術も無い。
ただ一つだけ、記憶に残っているのは、僕は死んだということだけだ。
その事実は変わらない。だからこそ、今僕が体験しているこの現象は間違いなく死後に関係する出来事なのかもしれないと勝手ながら解釈して、焦る自分の気持ちに整理をつけた。
先に亡くなった両親や祖母、友人たちが迎えてくれるわけでもない。声も聞こえない、ただ落ちている感触だけと時間だけが僕の気持ちを整理する時間と実感を与えてくれた。
「真下に光の点がある」
体感だと数秒だろうか、意識が暗闇に溶けていくように消えていきながら、光の点へ落ちていった。
目を覚ますと、草原が低い丘が連なるどこかのPCの画面みたいに広がっていた。
「これが死後の世界?なのか?」
戸惑う気持ちと裏腹に、気持ちの良い風が全身に澄み渡るように不安と心配を吹き飛ばしてくれた、そんな気がした。
やわらかく温かい風が頬や身体を包み込むように通り過ぎていく。
天候は晴れ。空は蒼く綺麗で、クロワッサンみたいな白い雲がまばらにぷかぷか浮かんでいる。
「ここは、どこだろう?」
三途の川らしきものも見つからない。しばらく歩いていると、道を見つけた。
標識らしきものもある。近くに寄って見ると、
「うさぎ駅?」
《こちらうさぎ駅15㎞先にあり。》
なんて可愛らしい駅名なのだろうか。
15㎞とはなんて遠いのだろうか。
あたりを見渡してもバス停やタクシー乗り場があるわけでもないが、つい探してしまう。
まあ、歩いて半日もかからないだろう。
死人に体力があるのかはわからないが。
建物は丘の影に隠れて見えないが、そのうち見えるのかも知れない。
天気も良いし、風も気持ちいい。
景色は殺風景だけど、退屈はしない。
なんせ、刺激の少ない入院中ですら、退屈しなかったのだから。
唯一の楽しみは、テレビカードで観られるアニメ番組ぐらいだろうか、っと生前の記憶に馳せてそんなことをつい思い出してしまった。
さてさて、この道を進めば、うさぎ駅という建物があるらしいので向かってみることにすることにした。
特別、他にすることもないし、これが四十九日なのかもと内心思いながら僕は歩き始めた。