第76話 世界の中心で憎しみを叫んだ少女
強烈な一撃が、遥の魂を打ち砕いた。
攻撃を察知した下位個体群が自動的に回線を再構築。星系内を繋ぐ慣性系同調通信と各種通常通信網を復元し、無事な部位とバックアップより機能を再生させ、そして遥が意識を取り戻す。
――――なんだ。何が起きた!?
叫びながらも、遥は察していた。敵が来たことを。攻撃を受けたことを。
自分はもう、おしまいであることも。
それでも抗う。故郷のひとびとは、戦う機会すら与えられなかったのだ。どころか、なにが起きたのかを知る暇も。
それと比べれば私は幸福だ。長く生きた。誰も見たことのないような不思議な光景を幾つも見てきた。素晴らしい科学技術に触れた。前人未到の地を踏破した。
――――最高の友達が、いた。
くじけそうになる心を叱咤する。大丈夫。仕込みは済ませた。見届けられないのだけは心残りだが。だから後はもう、どう死ぬか、だけだ。
打てる限りの手を打つ。回線を遮断し、外部からの電子攻撃を阻止。全身を蝕むウイルスプログラムに抗体をぶつける。攻撃元を逆探知。
敵は、二万光年の広さに散らばっていた。
いや。その幅を持つ巨体。金属生命体群そのものが、遥に電子的攻撃を加えているのだ!!
素晴らしい。小娘一人に、銀河を滅ぼしつつある怪物が総力戦を挑んできたのだ。人類史上、これほど強大な敵を相手にした一騎討ちはなかった。
持ちこたえられて、あと十数秒間。通信時差がなければ瞬時にやられていたであろうが。大丈夫。人間にとっての数時間にも等しい。
だから。
遥は、二千年ぶりに叫んだ。
『――――さあ。私を見ろ!!』
◇
金属生命体群。
彼女たちは、強烈なメッセージを受け取った。金属生命体群全体に対する言葉。自らの存在を誇示する、ちっぽけな観測網。その患部に潜む者が挙げた叫びを受け取ったのである。
とてつもなく巨大な言葉は、その力強さ故に、金属生命体群に届いた。
――――なんだ。こいつはなんだ。
分からない。今まで彼女たちに語り掛けて来た者などいなかった。いや、正確に言えば個々の金属生命体。あるいはそれらを統括する指揮個体や、軍団単位にメッセージを送り込んで来た者はいた。交渉。恫喝。懐柔。降伏。罵詈雑言、呪いの言葉。ありとあらゆる試みがなされ、いずれもが失敗に終わっていた。金属生命体たちは言葉を受け取り、解析し、時に返答すらしたが、それを金属生命体群が把握することはなかった。あまりに小さすぎたからである。サブシステムとしての個々の金属生命体や指揮個体のレベルで、それらの情報は処理されていたのだ。金属生命体群の意識には上って来なかったのだった。
だからこれは、彼女たちにとって初めての語り掛け。それも、他者からの!!
故に。
金属生命体群は、あり得ないことをした。
たった今、自らの手で破壊しようとしている敵。そやつに対して、返答を返したのである。
『――――お前は、何だ』
◇
『――――お前は、何だ』
まさか返答が来るとは思っていなかった遥は、だから虚を突かれた。続いて彼女が浮かべたのは、不敵な笑み。
『私は、遥。角田遥。北城大附属高校二年、天文学部長。地球人類。
そして、お前を殺す者だ』
『――――分からない。分からない。分からない。角田遥。それがお前の識別名か。北城大附属高校などという種族は知らない。今のお前の状況で、私を殺すことなど不可能だ。お前の発言は矛盾だ』
金属生命体群の言葉。途方もなく巨大な意識が発するそれは、付随するイメージもまた、膨大であった。金属生命体としての情報処理能力がなければ、ただの人間に過ぎない遥にはそれを理解することなど、一生かかってもできないであろう。
残された力で相手の言葉を解きほぐしながら、遥は答えた。
『そうだな。お前はあまりにも大きすぎて、二千年も前に踏み潰したちっぽけな星の事なんか、覚えてもいないんだろうさ。
お前は殺した。地球の生命を。私の父母を。弟を。姉を。同級生を。故郷の人々を。人類すべてを。商業種族や学術種族。もふもふたち。無数の恒星間種族や、機械生命体たちや、星に縛られたちっぽけな生物たち。
――――そして、鶫。私の、大切な友達。
みんな。みんなお前は殺した!!殺したんだ!!
何故だ。どうして!お前ほどに巨大な存在が、何を恐れる!?そうさ、お前の言う通りだ。お前を滅ぼせる者などこの世にはいない。なのにどうして、私たちをそっとしておいてくれない』
『恐ろしい。知性は恐ろしい。小さき者どもは進歩する。発展する。星々を越えて広がり、いずれ私たちを圧倒するほどに大きくなれる。
怖い。まだ小さいうちに滅ぼさなければならない。恐怖を取り除かなければならない。自明の事だ』
『確かに、お前を害する者もいるだろう。
だが無害な者。どころか有益な者すらいるはずだ。何故その可能性を検討しない』
『ありえない。
この宇宙には敵意が満ちている。あらゆる知性は私を滅ぼそうとする。
現に、私と接触したすべての恒星間種族は、私を攻撃するではないか』
遥は、呆気にとられた。金属生命体群の言葉に。その、あまりにも無邪気で無自覚な発言に。
こいつは理解していないのだ。何故自分たちが攻撃を受けるのかを。攻撃したから攻撃される。
反撃されているという事実にすら、この怪物は気が付いていないのだ。
自身よりも遥かに矮小なはずの鶫や、あの船首像の機動要塞級指揮個体にすら理解できた事実を理解できないのだ!
『お前に理解できないはずはない。お前はかつて、初めて異種族と遭遇した際、攻撃を受けたから反撃したんじゃないのか。やられたからやり返したんじゃあ、ないのか』
『やられるとは、どういう意味だ』
その発言を受けて、遥は悟った。この怪物はそもそも、人間や一般の恒星間種族が持つような意味での他者の概念を持っていない。遭遇するすべての他者は、この怪物にとって災害のようなコントロール不能の存在なのだ。相手から何かされる、などとは考えない。相手など存在しないからだ。ただ、自然現象に立ち向かうように他者を滅ぼしていくだけなのだ。
それが、金属生命体群なのだ。
遥は、深い。とてつもなく深い疲労を覚えた。この化け物は。金属生命体群は、遥の言葉を何一つ理解してはいないのだ。遥が何を問題にしたのか、本当に分からないのだ、こいつは。
それでも。
遥しか、こいつに真実を突き付けられる者はいないのだ。だから彼女はそうした。
ありったけの想いが言葉に置き換えられ、そして叩きつけられた。
『この――――ひとごろしの化け物め!!』
次に返答が来るまで、随分と間があった。
『――――分からない。
化け物とはなんだ。それが、私たちを指す語か。
お前が何を意図しているのかわからない。分からない。分からない。分からない…………』
途方もなく巨大な、情報的腕が伸びる。
かと思えばそいつは遥の喉元を掴み、締め上げていく。
急速に破壊されていく己を自覚しながら、遥は最期の力を振り絞り、声を上げた。
『最初の質問に、まだ答えていなかったな。
お前をどうやって殺すのか、だが。
――――こうやるのさ』
その言葉を最後に、遥は。その魂を宿した、0・05光年もの観測網は沈黙。生涯を終えた。
代わって、ここではない場所で、観測網ではない遥が、目を覚ました。




