第7話 燃え盛る太洋
【恒星TRAPPIST-1 系内】
慣性系同調航法は、力学的に同一の二点間を見つけ出し、一点からもう一点へと移動する超光速航法である。その移動にかかる実時間は0であり、恒星間を移動する実用的な手段の一つと言えた。
この航法を行う際に必要なものは二つ。超精密な、移動先及びこちら側の力学的観測情報。そして極めて強力なマシンパワーである。
こちら側とあちら側で力学的に釣り合っている二点を見つけ出すためには、得られた観測情報から現在の様子を演算で求める必要があるからだった。十光年先からは十年前の古い情報しか得られない。しかし必要なのは今の情報なのだ。そのためである。
もちろん、金属生命体群はそのために必要な観測能力も、演算能力も確保していた。
今回跳躍するのは、偵察のための一個戦闘単位。突撃型十六。仮装戦艦四。襲撃型十二。これらを搭載する跳躍母艦一というごく標準的な編成である。
彼らは、トラピスト1に残された兵力からの情報支援・計算支援を受け、三十九光年先。現地で地球と呼びならわされている星系へと跳躍するべく移動を開始した。
所定の配置につき、航行予定時刻になった瞬間。
彼らは、トラピスト1から消え失せた。
◇
【地球 日本国 兵庫県神戸市中央区】
味覚とは訓練によって創り上げられるものである。料理の良しあしは生活環境によって分かるようになるものだった。
だから、訓練によって人ならざるものであっても味覚を楽しむことが可能になる。十分な蓄積があれば、金属生命体であっても人間の食べ物の良しあしが分かるようになるのだった。
故に、鶫の認識では食事とは芸術品であり嗜好品である。舌ざわり。味覚。噛んだ時の触感。風味。のど越し。ありとあらゆるパラメーターを異なる角度から検証し、鑑賞する。そういうものだ。
そんな彼女の基準に照らし合わせれば、現在むしゃむしゃと食べているたい焼きは中々に楽しめていると言えた。
「おいしいか?」
「おいしいです」
シャツにジーンズの遥と、和服の鶫。ふたりが座っているのはスーパーのフードコートの一角である。夕日が南から差し込むそこは、ブルメールHAT神戸という名を持つ。沿岸地域に作られた総合商業施設である。
映画を見た帰りであった。「バーニング・オーシャン」。実際に起きたメキシコ湾沖、海洋上での施設事故を描いた作品である。
「中々意欲作だったな。ヒューマンエラー防止の啓蒙に使えそうだ」
小さなミスの積み重ね描写に大半を割いた内容をそう評する遥。
「凄いですよね。あれ、CGじゃなかったですし」
「なぬ。じゃあなんだ。今時あのサイズのセットを作ってふっ飛ばしたというのか」
「だと思いますよ。CGに見えませんでしたし」
「相変わらずとんでもないな。よく見分けられるものだ」
たい焼きをかじりながらも映画の批評を重ねていく二人。
「しかし、あれが実話だというのがぞっとするな」
「まったくですね。
当時あの近くにいたんですけど、まさか大炎上するだなんて」
「ほう。君は昔アメリカにいたのか」
「はい。ちょっと海に潜ったりしてました」
鶫は、懐かしそうに語った。この十年、地球を、それどころか太陽系の隅々まで調べるために旅をつづけたのである。彼女の本体はいかなる環境にも屈することがなかったし、初めて見る自然はとても興味深く、美しかった。楽しかったのだ。
やがて食べ終わった彼女らは立ちあがる。
「じゃ、行こうか」
「はい、先輩」
たい焼きの包み紙をごみ箱に捨てると、ふたりは歩き出した。
◇
【太陽系 月の地下深く】
月の裏側。地球からは直接見通すことができぬ場所の、分厚い岩盤に守られた下。
そこには、小さな小さなメールボックスがあった。ほんの十メートル四方のキューブ型の機械。
ニュートリノで恒常的に信号を発しているその装置は、恒星間航行技術を備えた来訪者を想定して設置されたものだった。ご丁寧な事に、持ち主の地球上における住所と、プロフィール。そして名前が書き込まれた高度極まりない自動機械である。ありていに言えばそれは、通信機だった。それも半永久的に稼働する。
人類には無断で設置されたその装置の功績は大きい。太陽系を訪れた金属生命体群が、地球を問答無用で破壊しなかったのもそれに興味を惹かれたからだった。同じものが星系内の各所に設置されていたのだ。
極めて高度な技術で作られたそれを認めた金属生命体たちは、持ち主の正体を確かめるべく、地球へと潜入する事を決定した。
メールボックスの主の名を、鴇崎鶫と言った。