第45話 蒼光の下で
【紀元前四〇〇〇年頃 いて座方向五〇〇〇光年 オメガ星雲】
蒼く輝く世界だった。
星の誕生に必要なのはガスや塵が集まった分子雲。少々の偏り。そして、質量によって生まれる重力である。星が出来つつある世界とは、途轍もなく巨大な雲が、渦を巻き、寄り集まって行く壮大な風景を作り出していく。それはまさしく神話の光景と言えよう。
人類はそれを、散光星雲とも呼んだ。
星々の輝きにライトアップされた原始星。それを照らし出す光に一条がまた、付け加わった。どこまでも鋭くそして美しい閃光が、雲を切り裂いていく。
驚くほどに収束されたそのエネルギー量は桁違いであった。小天体ならば蒸発させかねないほどに。
一条では終わらなかった。目まぐるしく位置を変えながら放たれる光は、明らかに自然の物ではない。
事実。その主は、自然に生まれいでた者ではなかった。
なぜならば彼女は、ビルディングほどもかる曲線的な肢体に蝶のごとき大きな羽を備え、両手で長大な銃剣を構えた、機械仕掛けの巨人であったから。
機械生命体。それも驚くほどに洗練された、三十五メートル級襲撃型ユニットである。黒に翠のラインで飾られた彼女を生み出した種族は、さぞや優れた技術力を持つに違いない。
だから。彼女を追いつめつつある者共もまた、並みの怪物ではなかった。
迫るのは四つの影。いずれもが四肢を備え、小振りな砲塔を頭部とし、スカート状に折り畳まれた副腕を備えた金属生命体たち。
すなわち突撃型指揮個体であった。
無慣性状態へシフト。物質透過を起動し、対気抵抗を無効化。その速度は、光速の99・98%にも達した。
彼女らは、巧みな連携で間合いを詰める。されど、それを許す襲撃型ユニットはいない。
強烈な射撃。連続的に放たれるそれがとうとう突撃型指揮個体の一体を捉えたかと思えば、胸部を溶融。イオン膜の鏡ですら軽減しきれぬ威力に、哀れな犠牲者は弾き飛ばされていく。
仲間を省みることなく残り三体が接近。次射は間に合わぬとみた襲撃型ユニットはだから、踏み込んだ。
銃剣の刃が、二体目を貫いた。されどそれは敵の体に食い込み、抜けぬ。機械生命体は武器を諦めた。銃剣の八割、二百メートルあまりを捨てたのである。主砲身の自切だった。
襲撃型ユニットは、手元に残った武器を振りかぶる。残った銃剣の機関部、十五メートルもの長さを備えた戦棍の打撃が三体目を粉砕する。
そこまでだった。
四体目の抜き手がまず、機械生命体の頭部を砕いた。蹴りが武器ごと右腕をふきとばし、放たれた荷電粒子砲が左足を切断する。更には副腕がその胴体を鷲掴みにした。
それは、襲撃型の貧弱なボディを破壊する。へしゃげ、痙攣する機械生命体の亡骸。
直後、奇怪なことが起こった。
空間が裂ける。突撃型指揮個体の真後ろに開いた極微の虫食い穴は押し広げられ、固定された。そこから、剣かと思うような爪が突き出す。
それは突撃型指揮個体の腰を正確に貫くと、収まっていた球体をえぐり出したのである。
致命傷であった。力を失う最後の指揮個体。
ワームホールが拡大し、その向こうに居た者の姿が露わとなる。
異様な機械生命体だった。
白い外皮に包まれた柔らかな体は、まるで中に人間の女性がいるかのように錯覚させるほど。各所を守る金色の装甲はプロテクターに当たるだろうか。顔を覆う逆三角形の仮面に見えるのはフェーズドアレーアンテナの類。
されど、彼女が異様なのはそんな点ではない。
両腕がない。代わりなのだろうか。背面に、自身の身長をも越える幅の円環を背負い、腰から伸びているのは三本の尾。末が広がり蛇腹となった構造体は爪を備え、各々が九十メートルもある。
突撃型ユニットと呼ばれる機械生命体。それも空間制御に特化した強力な機体だった。
彼女は、握りつぶされ半壊した襲撃型ユニットを抱き上げた。三本の尾を手の代わりとしたのである。それは、亡き同胞へのいたわりであったのだろうか。
破壊された機械生命体は答えない。ただ、死に切れていない神経系が暴れ、四肢が痙攣するのみ。
彼女は、相手が死んでいることを確認すると、亡骸の腰部に手をかけた。そこに埋まるものを、慎重に。本当に慎重に、えぐり出す。
直径三十センチほどの、中枢を。
それを大切に自らの内へと収めると、異形の機械生命体は振り向いた。
敵が来る。このままでは何十という敵勢になぶり殺しにされるだろう。だから彼女は、廃熱を亡骸へと流し込んで自らを冷却すると、武装を活性化。
突撃型ユニットは、前へと進んだ。彼女は捨て駒だった。彼女だけではなく、その仲間たちも。先程果てた襲撃型ユニットも。本隊へと追いすがる敵を一機でも多く道連れとするのだ。酷いとは思わない。やらねば全滅する。まあ、一体建造するのに惑星上の都市ほどのコストがかかる機械生命体を使い捨てにするとはなんたる浪費か、とは思ったが。
どちらにせよ、敵勢を退けねば逃げられぬ。
彼女は、敵陣へと飛び込んだ。
◇
混沌は全てを不可知にする。
ある複雑系の初期状態における、ほんのわずかな差異。それは、未来予測を限りなく困難とする。例えば天体の運動について。地球は太陽の周りを一定周期で回っているが、同時に月とも相互作用している。月と地球の回転運動の重心は、地球表面の月に近い点のおよそ千六百km地下にある。だから、地球の公転は三つの天体の相互作用である。いや、本当にそうか?
そうではない。何故ならば地球と月は、太陽だけではない。他の太陽系に存在するあらゆる天体とも相互作用しているのだ。これらはとんでもなく込み入っており、恐ろしくぐちゃぐちゃの状態である。だから、地球の公転軌道は太陽の周りを一周する間に、ほんの少し変化しているのである。
この複雑怪奇な太陽系の運動を予測するのは困難極まる事業である。コンピュータであってもほとんど不可能ではなかろうか。それが遠い未来の事ともなればなおさらだ。
「でも、それを実現することが恒星間航行の第一歩なんですよね」
恐るべき技術力だと思うよ。
距離とは時間だ。時間単位と距離の区別に本来、意味はない。特殊相対性理論を紐解けば、時間と空間とは同一なものである。それらの単位は容易に置換しうる。時間をメートル表記だってするし、場合によっては時間と長さを両方エレクトロンボルトのマイナス1乗で表記するときすらある。都合がよいものを使えばよいのだ。
望遠鏡で十光年先を見るということが十年前の光景を見ていることになるのも同じだな。この場合は光年が時間であると同時に長さでもあるわけだ。光速が基準を定めているんだな。そしてそれは、物事の因果律――――原因と結果――――が光速でしか伝わらない、という事を意味している。超光速を実現すれば、それだけで時間移動を実現しているのに等しいのだ。
だから、十年前の光景から現在の重力状況を予測する、というのは未来予知に等しいと断言できる。
「と言っても、そのための高精度観測能力が残念ながら私にはありません。仮装戦艦なら可能なんですが」
ないものねだりをしても仕方ないさ。
幸い、我々にはもうちょっと低精度の観測でもなんとかなる手段がある。
目的地の方向さえ分かっていればいいんだったかな?
「はい。あまり長距離向けじゃないんですけれど」
君たちの感覚における長距離がどれくらいか、わたしにはちょっと空恐ろしいよ。
しかしまあ、こんな地球から遠く離れた場所でも地球上の原理が適用できるというのはちょいとばかり面白いな。
「原理…………ですか」
自然淘汰は、人間にせよ動物にせよ、生き延びるためにいるべき場所へと移動する手段を見つけ出せないものを冷酷に排除する。食料があり、あるいは夜露を凌げる場所へと生還する能力がなければ冒険は死に直結するだろう。一般的に、動物の運動能力はその生存性の向上に貢献するが、しかし生存においては間違った方向に突進した者を待ち受ける運命は死、あるのみである。
だから、正確な目的地を認識する能力こそが何物にも勝ることは言うまでもない。
「今回は目的地が見えているのが救いですね」
うん。
今回は我々が方向を間違える危険はない。道標があるのが、これほどありがたいことはないな。更に素晴らしいことに、我々には時間制限がない。いて座A*が蒸発してしまうのは遥か未来のことだ。それまでにたどり着けばいいわけだからな。
「さすがにそこまで時間は必要じゃありません。私の足は遅いですが、二万六千光年を踏破するのに三十年はかからないでしょう」
いやはや、十分驚異的だと思うがね。しかも、更に短縮のあてがあるんだろう?
「はい。少々お時間をいただければ、足を用意することは可能です」
excellent!じゃあ、記念すべき旅の第一歩を、歴史に刻もうじゃないか。
「はい、先輩」
◇
天の川銀河系、オリオン腕の一角。誰にも顧みられない小さな星系の片隅で今、ワームホールが広がり、発生源を呑み込み、そして消失する。後には何も残らない。




