公爵令嬢の残機
私には命が二つある。というか今、命が増えた。
他国の人間が聞いたら「は?」と眉を吊り上げそうな話だ。
目の前にはお父様と従者と、そして獣人がいた。この獣人が私のもう一つの命だ。今日、初対面だけど。
「儀式は終わった。戻るといい」
「はい、お父様」
教会の奥の小部屋。今ここで行われていたのは身代わりの儀式。この国——————セルエッタが独自に編み出した術だ。聞いて驚いてほしい。この術は、他人の命を己の命として扱えるというもの。簡単に言えば、私が今刺されたとて死ぬのはこの小汚い獣人というわけだ。
獣人が私を睨んだ。
猫——————いや、虎の獣人だろうか。色のついてたであろう耳は泥に汚れ判別がつかない。私を殺してしまいそうな目つきのわりに、大人しくついてくるのは「私が己の命である」といったところか。
この術が残酷なのはここにある。
私が死ねば、獣人が死ぬ。だからこそ獣人は望まない術を行使してきた人間を守らなければならないのだ。もちろん、この術を利用できる人間は限られている。王族や、教会のトップ。それに私のような公爵家の人間。そして利用されるのは奴隷のなかでも酷い扱いを受ける人間以外の種族だ。
私が扉から出れば、獣人もついてくる。隷属の首輪をしているから襲ってはこないが、憎悪の表情が見てとれて私はため息を吐いたのだった。
******
身綺麗にされた獣人が、私の部屋の床に座っている。
「貴方、名前なんていうの?」
「…………」
「言いたくないなら勝手に呼ぶけれど」
何がいいかな、と首をひねる。クッキー、ケーキ、食器、椅子、カーテン、絨毯、窓。ぶつぶつと呟いてると獣人が口を開いた。
「……アルだ」
「ハーブティーとか可愛いんじゃないかしら」
「アルファード」
声は低く、落ち着いていた。
アルファード、と名乗る獣人はどうやら猫の獣人のようだ。そのかんばせは美しい。元々、貴族の身代わりというのは護衛を務めるために整った顔立ちの者が多いが、そのなかでもとりわけ美しい男だった。
アルは床に座ったまま微動だにしない。私と会話をする気なんて毛頭ないようだった。気に入られようとぺらぺら話す輩よりは数十倍マシだ。
お茶をすすりながらぼんやりしていると扉が開いた。夕食が運ばれてきたようだ。
「失礼します」
こんがりと焼かれたチキンに、バターの香る焼きたてのパン。瑞々しさを感じられるサラダに煮込まれた魚。果物。こんなに食べられないといつも言ってるのに、この量は変わらない。貴族というのは目でご飯を食べるのだ。
侍女がアルを侮蔑の表情で見たのを、視界の端で捉える。床にスープが置かれた。湯気もたたず、ホコリが浮いて、おまけに虫のようなのも浮いている。
侍女が出ていくとアルがその皿に手をつけようとした。
「……なんのつもりだ」
その皿を取り上げると、うわっ気持ち悪い……ではなく、そのまま窓を開けて放り投げた。一拍置いてガシャンッと音が響いた。
「は?」
アルがあんぐりと口を開ける。
「下に人はいないから大丈夫よ」
「なんのつもりだ」
「何って……同室でそんなもの食べられたらたまったもんじゃないわ」
チキンとパンを床へと置く。
「その代わり、それを食べなさい」
「…………」
変な顔をしながら食べ始めたのを見届けて、私もサラダへと手を伸ばした。
これ以来、虫の浮いたスープが出てくることはなくなった。
アルとの生活は静かだった。
私を守るために、アルは私と四六時中——————湯浴みやお手洗いを除いて——————一緒にいなければならない。煩いのは嫌なので、こちらが問いかけない限り話さないアルは楽だった。暇そうにしていたので読み終わった本や趣味じゃないクッションを渡してやれば、また変な顔をしながら使っていた。
「その物語、面白い?」
刺繍がキリのいいところまで終わったところで話しかけると、アルが本から顔を上げた。
「わからない」
「わからない?」
「俺は字が読めない」
えっ、と声が出そうになったところで言葉を呑み込む。お父様は字が読めると言っていたのに。
「じゃあ、それを眺めててもつまらなかったでしょう」
本をやってからもう二週間近く経つ。時折眺めていたから全く、気づかなかった。
「……いや、絵があるからつまらなくはない」
その言葉に嘘は無いようだったが、なんとなく腑に落ちない。字の読めない男に本を贈るなど嫌がらせではないか。私はそういうちまちまとした嫌がらせは嫌いだ。やるならもっと派手にやる。
「文字を教えてあげるわ」
「いらない」
「いいから」
床に座るとギョッとした顔でアルがこちらを見た。椅子を指差し、座れと指示してくる。嫌々元の場所へと座ると、アルが立ち膝でテーブルの前へと来た。
「よろしい」
「……覚えたところで、身代わりには変わりないけどな」
その言葉は無視して、紙に文字を書き出す。
ため息を吐いて、観念したのだろう。アルが耳をぴくりと動かして、聞きの体勢に入った。
アルが私の命になってから、三ヶ月が経った。
相変わらず必要最低限の会話のみで仲良くなったという気はしないが、どうやらアルは物覚えがいいようだ。文字も大分すらすらと読めるようになってきた。それに、食べる物が変わったせいか背が伸びて体格も大きくなった。
「どこか出かけるのか」
侍女に髪を結ってもらっていると、アルが話しかけてきた。
獣人に侍女は嫌そうな顔をしたが私の前だから罵声を浴びせることはない。相当、初日の皿パリン事件で懲りたようだ。私の不興を買えばクビにされるとでも思い込んでいるのだろう。実際、侍女をクビにしたことはないが訂正するのも面倒なのでこのままにしている。
「ええ、貴方にもついてきてもらうわ」
「わかった」
「いい? 何を言われても答えてはダメよ。面倒なことになるんだから」
不思議そうな顔をしながらも、頷いたアルを連れて馬車へと乗り込む。ああ、憂鬱だ。このまま馬車を転がり落ちて、どこか遠くへスキップをしながら行きたいものだ。見えてきた王城にますます嫌悪感が湧いてくる。
「ああ、テレーゼ。私の愛しい人!」
案内されて向かった部屋には、予想どおり、当たり前だが、仕方のないことではあるのだが、第一王子がいた。相変わらずイラつく顔をしている。ご機嫌よう、と挨拶をして椅子へと座る。アルは私の後ろで待機だ。
「それがテレーゼのペットかい? いやはや、なかなかじゃないか。男という点が気に入らないがねえ」
「殿下の身代わりも女性ではないですか」
「嫉妬かい? そんなテレーゼも可愛らしい」
顔だけの阿呆の戯言を聞き流す。一応、私は婚約者候補なのだが何故か気に入られてしまったので周りからは婚約者として扱われてしまっている。普通に嫌だ。顔は整っているが、最低・高慢・面倒の3条件を全て揃えてしまった男だ。
「なあ、お前もそう思わないか?」
「は、はい」
王子にも、また後ろに獣人がいる。彼女が王子の身代わりだ。王子だからといって身代わりをぞろぞろ連れられるわけではない。身代わりは一人につき一個。現在の術ではそれが限界だ。
怯えた様子のリスの獣人———————シャンセ。その顔にはいくつかの殴打痕が見て取れる。おおよそだが、王子にいい玩具として遊ばれているのだろう。夜の方でも。身代わりをこうやって扱う貴族は少なくない。いや、ほとんどがそうだ。不愉快極まりない。
「それで、殿下。今日どうして私は呼ばれたのでしょうか」
「君の顔を見たかったからさ」
「そうですか」
気持ち悪……出かかった言葉を唇で押し留めた。私は大層出来た公爵令嬢であるからにして、この程度のことは容易い。
「まあ、それもあるんだがね。二ヶ月後、フィレッセンから使者が来るようなんだ」
「フィレッセンから?」
「ああ、身代わりの術のことで抗議だそうだ。全く、低脳は面倒だよ」
フィレッセン帝国。なかなか大きな、力のある国だ。とうとうそこからも抗議が来るようになったのか、と感動もなく思った。セルエッタが開発した身代わりの術は世界各国から非難を浴びている。あまりにも残酷で非人道的だと。奴隷についてはどの国でも多少は見られるが、他人の命を自分のものにしてしまう身代わりの術は受け入れられなかったらしい。もっともな話だ。
「そこでだ。親睦を深めるパーティー、馬鹿らしいがね。それがあるから出席してほしい」
「わかりました」
「そこのペットは連れてこなくていいよ」
「護衛も兼ねておりますので」
「……まあ、いい」
無駄なお喋りを聞いて、笑ってやるのを続けて1時間。ようやく解放された。馬車の中で伸びをする。
「おい」
「なに?」
珍しくアルから話しかけられた。あの馬鹿王子のペット呼びについてだろうか。申し訳ないが、私も王子を殺すわけにはいかない。聞かなかったことにして流してくれないだろうか。
「お前は俺に夜伽を命じないのか」
「はあっ?!」
何を言い出すんだこの男は。
「そ、そんなことするわけないでしょ!」
「あの男はしてただろう」
「よくわかったわね……って一緒にしないで頂戴! あの男と同列に語られることほど嫌なことはないわ!」
言い切ってからふと思う。身代わりにしている点であの男と私はなんら変わりはない。吐き気がしそうだ。アルに同列に語られてもおかしくないことをしてしまっているのだ。恐る恐るアルの顔を見る。
「顔が赤いぞ」
「〜〜〜〜っうるさい!」
笑っていた。それはもう楽しそうに笑っていた。私をおちょくる気満々の笑みだ。一応、私はアルの主人でもあるのだが。すーはー、と精神を整えてそっぽを向く。くくっと笑いが隣から聞こえてくるが無視だ。完全に無視してやる。
その時だった。ガタンッと大きな音を立てて馬車が傾いた。
「きゃっ」
馬が甲高い声で鳴く。アルが私の身体を抱えて、クッションになってくれたお陰で痛みはないがどうやら馬車が横転したようだ。
「ありがとう」
「礼を言われる筋合いはない。……盗賊か?」
アルが馬車の扉を思い切り叩く。すごい馬鹿力だ。扉が壊れた。一応、猫の獣人なのでパワーより身軽さが売りだと思うのだが。
「うわっ」
「しっかり捕まってろ」
現れたのはやはり盗賊だった。ざっと見ても十人はいるだろう。ついて来た護衛はアルを含めて3人。多勢に無勢だ。私を片腕で抱えたアルが剣を抜く。
「剣、使えるの?」
「使ったことはない」
「えっ」
王城からは大分離れたにしろ、なかなか博打打ちなことを盗賊たちもする。その博打に見事に困らされているのだが。ついて来た護衛たちは手練れの者なので、まだ倒れてはいないがいかんせん人数が多い。押し負けるのも時間の問題だろう。
「金目のもん全部置いてけよぉ」
「おっそこの女もなかなかじゃあねえか。置いてけえ!」
二人の盗賊が同時にアルへと襲い掛かる。ぎゅっと目を閉じて、衝撃に耐えた。
「…………剣、使えるじゃない」
「……使えたな」
瞬く間に斬り伏せられた二人の盗賊。ちょっと、強すぎじゃないだろうか。持ち前の身軽さで、どんどん盗賊を斬ったり蹴ったりしていくとあっという間に十人の盗賊が地面とこんにちはしてしまった。
屋敷へ戻ると、お父様がこちらへと向かって来ていた。
「大丈夫だったか」
「ええ、アルが助けてくれましたから」
「顔に怪我はないな?」
「……ええ」
それだけ言い残すとさっさと戻って行ってしまう。仕方ない。あの人にとって私の価値は顔なのだ。王子が好きな顔が私の価値。それ以上はない。
部屋へと戻り、湯あみを済ませるとどっと疲れが押し寄せて来た。王子への疲労なのか、盗賊との出会いでの疲労なのか。多分、どっちもだろう。うとうとと瞼が勝手に下がっていく。椅子からベッドへと移動しなければ。そう思うのに身体が動かない。そのまま、ゆったりと眠りの世界へと落ちていった。
目を覚ますと、ベッドの上で寝ていた。まだ夜中だ。どうやら侍女か誰かが運んでくれたらしい。アルもピンク色のクッションを使って寝ている。余り物をあげたからあの色なのだが、なんだか面白い。ぼんやりと見つめていると首輪へと目がついた。
隷属の首輪——————主人を害すことはなくなり、何でも命令を聞くようになる。身代わりの術はあくまでも身代わりになることに過ぎない。隷属の首輪を付けることで、奴隷且つ身代わりとなるのだ。
「……めろ……」
低い、悲しい声が部屋に響いた。たまにアルはうなされる。奴隷時代の夢を見ているのかもしれない。
ゆっくりと近づき、アルの首へと手を伸ばす。首元まで手が届いた瞬間に、アルの目が開いた。
「っなにを」
流石は獣人。気配には敏感なようだ。アルが目覚めたと同時に、パリンッという音が鳴った。
「な…………」
絶句、という表現が正しいだろう。
昼間に揶揄われた仕返しができたようで気分がいい。アルの目は私が指先でくるくると回す首輪にぞっこんだ。
「なぜ、首輪を」
「私、解除の魔法が得意なのよ」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
今———————————アルは私のことを殺せる。もちろん、アルが死ぬだけだがそれ相応の痛みを自分の死でもって私に味わわせることはできる。いや、それより殺さないようにいたぶることは簡単だ。
「俺は、お前を斬ることだってできる」
「そうね」
「何故、そんなことをする……?!」
意味がわからない、といった声だった。
「そもそも貴方、盗賊が襲って来たとき。命令する前に私を助けたじゃない」
「…………」
「命令されてないのに私が怪我をする前に助けた。私が盗賊にいいようにされて、死ぬ前に回収すれば貴方は死なないわ」
「それとこれとは違う」
「私」
爪が手のひらの肉へと突き刺さった。痛い。この痛みが、私がまだここで生きながらえていることを自覚させるのだ。
「首輪嫌いなの」
「…………そんな貴族がいるか」
首輪を見ると思い出が蘇ってくる。
「まあ、いいわ。聞いて頂戴。どうせもう夜も明けるし」
******
私には親友がいた。マリー、という羊の獣人だった。気が弱いところがあったけれど、誰にでも優しくて私はマリーが大好きだった。
お忍びで行く町で一ヶ月に一度、会えればいい方だったけどマリーとの時間は何よりも幸せだった。一緒にクッキーを焼いて、丘の上へと登って、一緒に遊んで。お付きの者も獣人と遊ぶのを良しとはしていないようだったが、お父様には言わないでくれていた。
そんな日だった。お兄様も私と共に町へ行くと言うのだ。渋々了承した私は、マリーと出会わないように町を巡っていた。
たまたまだった。
マリーが男に絡まれていて、それをお兄様の護衛が助けてしまった。
その瞬間のお兄様の歪んだ表情を私は忘れられないだろう。
口元が『見つけた』と動いた。お屋敷へと連れ帰られたマリーは、お兄様の身代わりとなった。
普通は奴隷など「問題にならない者」から選ばれるはずなのに、力のある家に生まれたお兄様は自分の好みの女を身代わりにすることに成功してしまったのだ。
地獄だった。
何度も取りやめるように懇願した。何度もマリーの悲鳴を聞いた。
それでも————マリーは私に優しかった。テレーゼのせいではないと、笑った。
それからお兄様はマリーを使って遊びに遊んで、そして飽きた。身代わりは一度に一人。
でも身代わりが死んだらもう一度、新しい身代わりをつけることができる。
マリーは死んだ。最後まで私のことは恨まずに、惨い殺され方で死んでしまった。
******
「この屋敷に兄はいないだろ」
聞き終わったアルが問いかけてくる。
その通りだ。この屋敷に兄はいない。
「崖から足を滑らせて死んだわ」
だからこそ、お父様は必死なのだ。私を王子へと嫁がせようと。私には腹違いの妹がいる。あまり会ったことはないが。家督は婿を取ればいいと思っているのだろう。
「お前は——————」
アルがなにか言いかけたところでノックの音がした。もうすっかり日は昇っていた。
フィレッセンの使者たちとのパーティーの日になった。
胸元をはしたなくない程度に開けたデザインは王子の趣味か。破り捨ててしまいたいほどだが、そうもいかない。アルもこの日ばかりはきちんとした服装をさせられていた。
「その服装だと余計に顔の良さが目立つわね」
「俺の顔が好きか」
「……その手には乗らないけれど、そうね。好ましいと思うわ」
たまにアルはこうして私を揶揄ってくる。最初の頃は少し動揺したが今ではもう慣れた。
パーティー会場には多くの人々が集まっていた。身代わりを連れた貴族も少なくはない。お父様もこのパーティには来るらしいので、見かけたら挨拶しに行かなくては。
「貴方にはここは騒がしいようね」
耳がぺたりと伏せられている。フィレッセンの使者たちとのお喋りで盛り上がるのはいいが、少し酒を飲みすぎだ。そのなかに王子がいるのも呆れたものだ。
アルがきょろきょろと周りを見渡す。
「どうかした?」
「いや……」
ブツッ
きゃあっと悲鳴が会場に響いた。照明が落ちたのだ。ざわざわと会場が混乱に包まれ、不安の声が上がる。アルがそっと私の身体を引き寄せた。
「こんな日に照明が……?」
「…………」
少し経ってから、照明がいきなりついた。驚きに口を覆う。
そこにいたのは武装したフィレッセン人たちだったのだ。扉が開けられ、砲撃の音が聞こえる。
「我々は罪を犯したセルエッタ人を逮捕するために、諸外国より支援を受けてここに参上した!」
罪————身代わりの術のことだろう。ついに世界がセルエッタを滅ぼしにきたのだ。貴族たちが口々に身代わりたちへと命令を繰り返す。殺せ! 私の身を守って! なんとかしろ!
「今後一切、この禁忌を繰り返さないために身代わりの術を行使した者は皆殺しとする! 総員、かかれ!」
アルの手に力が入った。
「……俺に命令しないのか」
「ええ、首輪はこの前外したわ」
「助けろ、と言わないのか」
兵士たちが徐々にこちらへと近づいてくる。視界の端でお父様が胸を一突きされているのを捉えた。貴族たちが殺されても身代わりたちが死なないところを見るに、術の解除方法を編み出したのだろう。身代わりたちは犠牲にならない。ほっと、安堵が襲う。
「私はこの日を待ち望んでいたわ」
逃げ惑う貴族たち。
彼らは、自身の行って来たことが己の身に返ってきたと死ぬまで気づけないのだ。お兄様とてそうだった。
兵士が私の前へと辿り着く。
「お前も身代わりの術を行使したな」
「ええ」
「殺させて頂こう」
兵士が無表情に、その剣を私へと振り落とす。
ガンッと鈍い音が聞こえた。
「なんの、真似だ。もう術は解け、隷属の首輪は外されているであろう。何故、その女を助ける!」
「なんの真似? 主人が殺されそうなんだ、黙って見ている阿呆はいないだろう」
アルが受け止めたのだ。そのまま兵士を斬り捨てると、私を抱えた。
「逃げるぞ」
「ちょっ……なんのつもり? 私はここで死ぬのよ」
アルの足は速い。兵士たちの間を潜り抜けると、どんどん外へと向かっていく。
バシバシと肩を叩いても「危ないからやめろ」と言われるだけだ。よろけもしない。
「もう、身代わりの術も解けたのよ。貴方は解放されたの。好きなこと、したいことをしていいのよ」
「今、したいことをしている」
兵士たちの声が後ろから聞こえる。追いかけろ! と声が迫ってくる。
「私と一緒にいたら貴方まで怪我をするわ……離して」
「嫌だ」
アルは器用に放たれた弓をかわすと城外へと飛び出す。しかし、ここにもたくさんの兵が待ち構える。どう見ても突破できそうにはない。
「あれー? おかしいな。どうして獣人が貴族を助けようとしてるの?」
「退けろ」
立ち塞がったのはフィレッセン帝国の皇帝だった。何度か遠くから見たことはあるにしろ、オーラが王子とは桁違いだ。同時に感じる。皇帝自ら戦場に赴くほどこの戦いはフィレッセン側には重要なものであると。
「うーん、身代わりの術のやり方を知ってる者は皆殺しなんだよー。ごめんねー。そこの女の子を置いてってくれれば、君は見逃すからさ」
周りの兵士たちが弓を構える。
「私を引き渡して」
「……俺が走り出して、ここを掻い潜る。なんとか動けなくなるまでお前を外へ逃すから、そこからは自分でどうにか逃げてくれ」
「っどうして!」
何故、そこまで私を助けようとするのか理解できなかった。
アルにとって私は憎むべき対象のはずだ。それなのに——————————。
アルが言った作戦はアルの死を前提に成り立っている。そんなこと許せない。死ぬのならば、私一人で。この腐りきった国で死ぬのは私で充分だ。
アルの頬をそっと撫でた。たまに触らせてもらった耳がぴくりと動いた。
「アル、ありがとう。貴方のおかげで私は—————————」
「ッやめろ!!」
自衛のためにと持たされたナイフをドレスのスカートから取り出して、そのまま振り上げる。そのナイフは私の思い通り、胸へと突き刺さる。
「幸せだったわ」
熱い。胸が燃えるように熱いと思った。
やっと、マリーの元へと行けるのだ。
最期にアルの叫び声が聞こえたような気がした。
ぼんやりと、身体が痛いと思った。身体が痛い? どうして? 私は死んだはずなのに。あれ、どうしてこうやって考えているんだろう。その疑問が解消されるよりも前に早く意識がどんどん浮上する。マリーがにっこりと笑って手を振った気がした。
目が覚めた。
身体が重い。特に腹部が。首がゴキゴキと音を鳴らしながら、動く。腹部には石ではなく、眠るアルが乗っかっていた。周りを見渡すと小さな部屋のようだ。ここはどこ、と言おうとして声が枯れて出ないことに気がついた。
もぞもぞと動いたことで気がついたのだろう。アルの瞼がゆっくりと開いた。
「(おはよう)」
声を出したかったが、そうもいかず、口をパクパクするだけになった。アルの目が大きく開かれる。
「(うわっ)」
思い切り抱きしめられた。ちょっと苦しい。
わりと力が入っていて痛いので、緩めてほしいの意で背中をとんとんするとより一層強く抱きしめられた。
「生きていて……よかった」
ぽつり、とアルが呟いた言葉にやはり自分が生きていることを再認識した。フィレッセンは蘇生の術でも生み出したのだろうか。そちらの方が倫理的にはよろしくないんじゃないだろうか。
扉が開いた。現れたのは皇帝その人で、バシバシとアルの背中を叩くが離してくれそうにない。皇帝が来てるんですけど。
「はじめまして、テレーゼ嬢。なんで自分が助かったのか不思議そうだね?」
頷くと皇帝がカラカラと笑う。
「全部、その男のせいだよ! テレーゼ嬢が自殺を図ったあと、ウチの兵みーんな吹っ飛ばしちゃってさー。他の国からの援助だって受けてるから失敗できないのに! いやー困ったもんだよ」
「仕方ない」
「仕方なくないよね?! ほぼ壊滅状態だったけど?!」
はーはー、と皇帝が息を切らす。大分、愉快な人だ。
「まっ、そーゆーわけで。テレーゼ嬢を治療する代わりに暴れるのをやめてもらったってわけ。猫の暴走って怖いね……あとこれお水ね。あと条件としてその猫をウチの軍所属にすることにしたから、テレーゼ嬢は今日からフィレッセンの人間だよ」
「それでも……私は、あの非道な術を行った人間の一人です。許されるわけには……」
貰った水を飲むことでようやく声が出るようになった。そしてようやくアルが離れた。
「いーや、君はあのパーティーで巻き込まれたただの貴族だ。そういうことにしてくれ、もう被害総額を見たくないんだ……」
ふんっとアルがそっぽを向いた。色々しでかしたらしい。
「まあ、とりあえずは身体を休めてね。君の魔法の腕も聞いているし、出世払いでいいからさ。じゃあね〜」
ひらひらと手をふって出ていった皇帝に、唖然とする気持ちを覚えつつもアルを見つめる。
「……あの国で術を使っていた人間は皆、殺された。身代わりたちは何人かは助かったが全員というわけにはいかなかった」
「そう……」
「お前を助けたのは俺のエゴだ。責めてもいい」
「うん」
「でも、俺はお前といたい。ここが嫌なら冒険者として各地を転々として暮らしても構わない」
「出世払いなのに?」
「踏み倒せばいい」
「それはちょっと……」
笑うと胸の傷が痛んだ。なんだか涙が溢れて、前が見えない。私は許されない。何もしなかったではないのだ。何もしなかったことが罪だった。たとえ、私自身が獣人へ危害を与えずともその罪は私に一生付き纏うだろう。
それでも
「私もアルと一緒にいたい」
ぎゅっと、アルの手を握った。
それから、少ししてアルの尻尾がゆらゆらと揺れた。
もふもふ要素が薄いのが無念
誤字報告ありがとうございます。とても助かります。