その20
七海は、王子と王女を寝かしつけた後、広い宮殿の中を彷徨いめぐりながら王妃の私室にたどり着いた。
七海が部屋に入った時には、フェルゼンの姿はなかった。
窓辺に一人たたずむ王妃…………と思いきやすぐわきには女官が控えている。王妃アントワネットはどこであろうが一人きりになるなど不可能な籠の鳥なのであった。たとえ、恋人と会うときであろうが。
「あのう、お子様達はお休みになりました」
七海がそういうと、窓から外を見ていた王妃は振り返り、
「ありがとう。今夜は色々バタバタしてしまって、あなたが私の『可愛いキャベツちゃん』のお世話をしてくれていたのね」
(アントワネットは、王子(ルイ・シャルル、のちのルイ17世)のことをこう呼んでいた記録があります。なんで、キャベツなんだろう?と思われる方もあるかもしれません。私の読んだものには、そこのところ、はっきりとは書かれていなかったです。
ぐぅあ、「え、そっち?」みたいなニュアンスだったので、まあ、察するところ、時代とか、お国がらとか、お人柄とか、いろいろあるので、あまり深く考えるべきではないのかもしれない、と思います)
そして、影のように控えている女官たちに向かって、
「今夜はもういいわ。七海にいてもらうから。下がって頂戴」と言って、人払いをした。
そして七海に向かい、
「あなたも疲れたでしょう。あなたの部屋を決めることもままならないまま、こんな時刻になってしまったわ。今日は私の控えの間で休んで頂戴」と優しく微笑んだ。
「あの、王妃様」七海が王妃に話しかけると王妃は優しく微笑みながら振り返った。
「あの、先ほどは大変でしたね。大丈夫でしたか?」
王妃は、ふと、七海が部屋を出ていく前に自分が激高したことを思い出し、ふっと微笑むと
「ありがとう。でも大丈夫よ。時には、彼にも身分の違いというものを思い出させないと」と言った。
「身分?」
「ええ」アントワネットはそういうと今は、すっかり静まりかえったヴェルサイユの庭に目をやりながら、
「フェルゼンは、外国人だけれど、スェーデン国王が派遣してくださった私たちの臣下にあたるのよ。私たちフランスの貴族の流儀とは違う、武骨な考えを押し付けてくることもあるの。だから、時にはその出過ぎた口を閉じさせなければならないわ」
「でも、あの方は…………そのう、王妃様の……」
七海のかすかな記憶では、そのフランス革命フェチぶりは学校内のみんなが知っている安田先生は、たしか、フェルゼンはアントワネットの恋人だと…………(そういう説明の時だけ耳が情報をキャッチし、目が覚めるのだった)。
「七海まで知っているのですか」王妃は苦笑しながら七海を見た。
「あの根も葉もない噂を。確かにフェルゼンは私のことを好いているようにも見えますけれど、どうでしょう。私はフランス国の王妃ですもの。私にかかわることはスェーデン国王の意向でもあるのですよ、きっと。もし私がフランス王妃でなかったら…………彼は私のことなど、愛してはくれていないでしょう」
アントワネットはそういうと、さびしそうに、また、窓の外に目を向けた。
アントワネットは孤独であった。いつも誰かにかしづかれ、いつも誰かが周りを取り囲んでいるアントワネットは、誰ひとり、心から信じることのできる相手を持たず、一人、孤独の中にいたのだ。
七海が控えの間に入ると再びフェルゼンが王妃の部屋を訪れた。そして、彼は、心から愛する人の前に跪くとその手を取り、歓喜に打ち震えながら口づけをした。