その18
申し訳ありません。先日投稿してから誤りを見つけてしまったので、修正いたしました。
以前ご覧いただいた方もおありかと存じますが、今一度お目通しいただけますと幸いです。<m(__)m>
一方国王は議会に移り、人民の代表と面会をしていた。議会の議長と代表数人、それから行進をしていたもの達の中から女性が5人。そのうちの一人の女性は国王に直に会えたことで感激し、気を失い、それを国王自らワインを飲ませ介抱したという記録が残っている。
国王は彼らの要求を受け入れ人民にパンと小麦を与える事を約束し、いったん騒ぎは収まったかに見えた。
だが、その後、いったん鎮まっていた民衆は、再び扇動者たちに操られ、「国王一家をパリに!」と騒ぎ出したのだ。
この時、やっと、王妃もランブイエに移ることに同意したのだが、民衆は王家の厩に入り込み、馬車から馬を外し、馬具や飾りをとり去った。
もはや国王一家はどこにも逃げることができない状態となったのである。
ようやく自室に引き上げたアントワネットは苦しいドレスを脱ぎ、やっとくつろぐことができた。
そこに忍んできた人物がいた。フェルゼンである。
「王妃様、ご相談がございます」
フェルゼンは王妃のそば近くにまで寄った。
このころ、王妃と、このフェルゼンの関係は公然のものとなっていたが、実は王妃には、このフェルゼン以外にも幾多の青年との浮名を流していた。
王妃という立場を利用しようと近づいてくるものも多かっただろう。甘い言葉をささやくものも多かっただろう。フェルゼンが王妃一途で生涯結婚もしなかったことに比べ、この時点での王妃のフェルゼンに対する気持ちは、ある意味、忠実な臣下に対する程度の域を、そう多くは超えていなかったように思う。
何より彼女の存在意義はフランス王妃であることだったのだから。
(そして、ここで、再び、余計なお世話のプチ解説♡
実はこの時代、女性は、ヨーロッパでは、結婚前には純潔であることが強く求められたけれど、いったん結婚し、世継ぎを設ければ、その後は恋愛遊戯は自由という考えが主流でした。逆に日本では、結婚後の夫への忠誠が強く求められてはいて、結婚前の方がむしろ自由で、「結婚前の娘が夜通し帰ってこないのを親が何とも思っていない」と驚いた様子で書き記した宣教師もいたそうですよ♡
また、なんだかんだ言っても、アントワネットとフェルゼンの間はプラトニック・ラブ♡だったという説もあり、もしそうならば、このお話とは別として、これはこれで、捨てがたいですね♡)