その16
国王の返事に呆然とするフェルゼンの横から別の家臣が国王に進言した。
「王后陛下、王太子殿下、他、内親王殿下をはじめとする女性皇族をランブイエにお移しされてはいかがでしょう。群集の中には王妃様の事を悪しざまに申す者がおりますようで」
国王も王妃も青ざめた。これより三年前に起きた『首飾り事件』を契機に、王妃はフランス国民から「赤字夫人」などと呼ばれ、王妃に責任のない、フランス国庫の長年にわたり積もり積もった、累積負債が引き起こしている民衆の生活の苦しさの元凶と思いこまれ、憎しみの目を向けられていたからだ。
「それはいい考えだ」国王は王妃の身を守りたい一心で賛成した。だが、
「駄目ですわ、国王陛下を置いていくなんて」
アントワネットはにわかに、いつも自分の身を案じてくれる、自分と同じような決断力のない夫に愛情を感じ、言った。
国王の方も、まさか、王妃が自分とともにいたいと言ってくれるとは思っていなかったので、うれしさに頬を染めながら、
「それもそうだな」などと納得している。
「王妃様!」
フェルゼンはいきり立ち、思わず声を荒げてしまった。が、アントワネットには逆効果だった。
「下がりなさい、フェルゼン!臣下の身で国王陛下のお決めになったことに口をはさむ気ですか?!」
七海はさっきまでと打って変わったアントワネットの高圧的な態度に、身分というもののもたらす矜持、というものを感じていた。ただし七海の言葉で表現するならば、
…………王妃様、タカビッ!
だったが。
軍人であるフェルゼンには、彼の恋人である王妃とその夫である国王の愚鈍さがこれほど腹立たしく思えたことはなかった。
―――――この二人は全く、これがどれほどの危機なのか分かっていない。
フェルゼンはこぶしを握り締め、歯噛みするような気持で、その憤りをを抑え込んだ。
フェルゼンはいったん御前から退き、別の家臣が、国王に、
「…………とにかく表に集まっている者たちを鎮めねばなりません。代表者が国王陛下に面会することを求めておりますが」と進言した。
この国王と王妃のいる宮殿の奥の部屋にも、いつもと違う、このヴェルサイユ宮殿の外の、地を震わすような群集の声は聞こえてきていた。
「…………余がその者たちに会えば騒ぎは鎮まるのじゃな」
国王はその大きな体を縮こめるようにしながら、不安げに家臣に念を押した。