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White Christmas.  作者: 高坂結乃
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5 クリスマスプレゼント

「あァ…………カヒュッ……ヴ、ァ――」


倒れ伏した小さな体に何度も凶刃が突き刺さる。

そしてその刃が肉から引き剥がされると同時に、彼のものだった血や肉片が白い地面を緋色に染め上げる。

血を吐き全身を痙攣させながら嗚咽とも異音ともつかぬ何かを発する兄。

最初こそ断末魔をあげていた。しかしそんなことなどお構いなしに、ただ機械的に、肉体は抉られていった。

刺されたことによる反応は次第に弱まり、やがて肉塊と成り果てたモノはピクリとも動かなくなった。

その場にいた誰もが、何が起きたのか理解できずにいた――ただ1人、父親を除いて。


「お兄、ちゃん……?」


動かなくなった兄のことを呼ぶ弟。もはやその声に感情とよべるものはこもっていなかった。


「お兄ちゃんはね……神様のところへ行ったんだよ。僕達家族をここまで追い詰めたこの腐りきった世界から、解放されたんだ……救済されたんだよ」


父親がゆっくりと弟のほうへと向き直りながらそう答える。

抑揚が消えたその声からは何も感じ取れるものはなかった。

その凄惨な姿を見た弟はあまりの恐怖に立っていることすらできなくなり、膝から崩れ落ちた。

パニックを起こし、ゼエハアと激しい呼吸を自らの意思では止められないようである。

あまりの気味の悪さに思わず嘔吐する。しかし現実は変わらない。

何も、変わらない。


「すぐにお兄ちゃんに会えるよ……大人しくしていれば、ね」

「……っ!!」


その言葉とともに、弟の頭に向けて真っ赤な刃が再び急降下。

今度は声すらあげることもままならず、2つ目の小さな命は天に帰された。


その身を返り血で緋色に染め上げた父親は、この世の一切の穢れを知らぬような雪の白と相まって、まさしくサンタクロースと呼ぶに相応しい存在であった。

父という名のサンタクロースは、ずっといい子にしていた大切な我が子たちにあるプレゼントを与えた。

それは、"死"。

この世の穢れた者共から、子供達を守るために。

罪なき子供達が二度と悪意に苦しめられれずにすむために。

純真無垢な魂が、世間に歪まされ穢されてしまわないために。

永遠の救済を、永遠の安らぎと光を、我が子たちに与えたもうたのである。


「さぁ……全てを終わらせよう。愛する妻よ」

「……」


愛した息子2人を救済し、ナイフを捨てた父親が歩んでいく先には、一部始終を眺めていた

――いや、ここではない虚空を無表情で見つめ続けている、母親……彼の最愛の妻がいた。

彼女の心は完全に砕けてしまっている。

半年ほど前にネットにばら撒かれた情報をもとに見知らぬ男共に誘拐され、昼夜問わず何日も慰み者にされ続け、やがて置き去りにされた。

彼女は日中は子供達の前でなるべくこれまでと変わらぬ様子で接し続けた。

そして子供達が寝た後にだけ、夫の腕の中でひたすら過ぎたことへの恐怖に泣き続ける日々を過ごしていた。

そんな彼女を抱きしめながら、彼は常に悔いていた。自分を責めていた。

自分は何もできなかった。彼女を魔の手から守ることができなかった。

妻が酷い目に遭わされこうして泣いていても、自分には抱きしめてやることしかできない、と。

ただただ後悔の念を、そして彼女を死よりもむごい不幸に陥れた奴らへのどす黒い殺意を噛み締めている他ないのであった。


しかし悪夢はそれだけで終わることはなかった。

異変に気づいたのはあの忌まわしき出来事から数ヶ月後のことであった。

どうも彼女の様子がおかしい。

毎日何度もトイレに籠ってはその度にやつれた表情で戻ってくるという行動をずっと繰り返していたのだ。

嫌な予感がした。

どうかこの予感が外れていてほしい、気のせいであってほしい。

今までの人生の中でも例がないほど強く祈りながら彼は聞いた。


「ねえ……最近、何か気になる体の異変はないかい?」


「……そうね。子供達には、言わないでほしいのだけれど――――」 


彼の祈りは届かなかった。

吐き気以外にも、微熱、だるさ、付け加えて味覚の変化。

自覚している限りでもこれだけの症状が出ていると告げられた。

それは紛れもなく、妊娠の初期症状であった。


彼女は、誰の子とも分からぬ子を身ごもってしまったのだ。


悪い夢であってほしいと何度も願った。

おぞましい何かが自分の中で目覚めてしまいそうだった。

だが非情なことに、紛れもなくそれは現実だった。

堕胎どころか、病院へかかるだけの金も用意することなど出来るわけがない。

更に彼ら夫婦は敬虔なキリスト教徒だ。中絶という選択肢を取ることは尚更不可能だった。

育てていくにしても金銭的な面はもちろん、忌まわしき陵辱の記憶と共にこの先を生きるという現実はあまりに残酷だ。

そうして悲しみと苦痛に暮れているうちに、彼女の感情は、人格は、消えてしまった。

笑うことも、言葉を交わすことも、愛し合った記憶も、幸せだった日々も、全て永遠に失われてしまったのである。

信じていた友人に裏切られ、人生の全てを奪われて。

隣には、お腹の中で日に日に大きくなっていく新しい命を宿すだけのただの装置と化した彼女。

極限状態だった彼の心をすんでのところで支えていた最後の砦は、儚く崩壊したのだった。


「さぁ、……おいで」

「……」


優しく抱き寄せても、何も反応は返らない。何も変わらない。

これまでに何度も経験してきて分かりきっていたことではあるが、

彼の胸中にどこにも向けようのない憎悪がふつふつと湧き上がる。


最愛の妻の人間としての尊厳を根こそぎ奪い、生きながらの死を与えた大衆の悪意。

その上で息子達まで社会から除け者扱いをされた。

こんな醜く惨たらしい現実に耐えることはもはや不可能だ。

結果的に自分が家族を巻き込んだ。家族を不幸にした。

だからせめて愛する者たちをこれ以上巻き込まないためにこの手で全てを終わらせようと、そう決めたのだ。

用意していた毒薬を取り出し、口に含む。

彼は妻の口にその毒を流し込み、そして残った液体を自分も飲み込んだ――。





――どれほどの時間が過ぎたのだろうか。

カラン、カランと、どこからか聖なる日の訪れを告げる鐘の音が鳴り響く。


聖夜に奇跡など起こらない。起こるはずもない。

どこぞの夢物語などと違い、この現実はただただ凄惨なままで。


目を閉じれば、自らの手で葬った息子達の笑顔が脳裏に浮かぶ。

どこかで道を間違えていなければ、きっと今も家族全員幸せなままで生きていられたのだろうか、と思わないわけではない。

だが現実は現実。もう取り戻すことも遡ることもできない。


動かなくなった妻を腕の中に抱きながら、

薄れゆく意識の中で、

彼はその音を聞いていた。

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