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第四章「カルマ」

 始業ギリギリに駆け込んだまつりを、皆が驚いた顔で見ていた。

 胸で息をしながら、首筋の汗をハンカチで拭い、席に着く。

「……どこに行っていたの?」

 席に着くと、妃早が心配そうに隣から顔を覗き込んでくる。

「すみません、どうしても調べたいことがあって、少し出てました」

 嘘は言ってない。追及されたときを想定して、自分に言い聞かせる。

「まあ間に合ったから良いだろう。五条は外出だったな」

 壁にかかった連絡ボードを見て、何かに気付いたように熊ケ谷が答える。

(あれ?)

 しかしまつりが確認すると、玲央の欄にそんな事項はなかった。

「熊ケ谷さん。以前頼んでいた。六本木の麻薬の出元の件なんですが」

「ああ。それに関しては、売人の靴の中敷きについてた砂から海外のマフィア経由の可能性も出てきた。二課と連携をとってほしい。話は通してある」

「了解です。……って。おい、お嬢」

「え?」

「え、じゃねぇ。ぼーっとしてないで仕事しろ!」

 怒鳴られて、まつりは慌てて仕事を始める。

 そんなまつりに、熊ケ谷が不安気な目を向けた。


   *


 外はすっかり暗くなっている。

 定時からはもう二時間過ぎていた。まつりの目線に気付いた熊ケ谷が立ち上がり声をかける。

「みんな今日は区切りのいいところで早めに帰れ。いま休まないと本当に休めなくなるからな」

 この間の佐久真の関係も少し落ち着いた。組対に引き渡した後の聴取によると、老人は全ての罪を認めたそうだ。孫たちは驚いた顔をして大泣きをしたという。

 老人が自分を引き取って、苦労をしていたとは気付いていたのだろう。

 彼らにとっては老人を牢屋に閉じ込める我々のほうが『悪』なのだ。一番下の子以外の孫は働ける歳だ。これから中学に入る末子のため、畑を売り、引っ越しをしたらしい。

 これから彼らは一生の罪を背負っていく。親族が犯した罪は決して消えない。就ける職業も限られたなか、選択をして生きていかなければいけない。

 いつか畑を取り戻すのだ、綺麗な花を咲かせるのだと意気込んでいると聞いたが、その世間の波に夢も呑まれてしまう人は少なくない。彼らがそうならないことを祈るしかなかった。

(私も本当はそうなってたんだよね)

 戸籍が外れていた。

 その事実だけで、何とか免職は避けることができた。他の課とはあまり関わらないが、噂されているのも知っている。それでも助かったのは、熊ケ谷が何度も上にかけあってくれたおかげらしい。

 佐久真は、警察が捜索している海外に逃亡した男の移動の経路をある人物経由で割り出した。そしてそれがわずかに日本の領海に入るようにちょっと細工をしたらしい。男はその瞬間に逮捕。

 その裏工作と引き換えに、案の定、彼自身は逮捕を逃れた。

(悔しい)

 純粋な老人は禁錮に処され、佐久真は何も罪を背負わない。それが、どうしようもない現実。

「氷田。少し出れるか?」

 感傷に浸っていた心が、熊ケ谷の声で現実に引き戻される。

 顔を見れば、彼は優しい目でこちらを見ていた。

「ああ言ったが、俺はもう少し残る。眠気覚ましのコーヒーに付き合ってくれると嬉しい」

 嘘だ、と思った。本当にそれだけなら一人で行くだろう。

 相手にまつりを選んだのはきっと――まつりの様子がおかしいことに気がついているからだ。そうでなければ、彼はきっと誘ってなんてくれない。

「は、はい。ぜひお願い申し上げます!」

 いささか丁寧すぎるコーヒータイムの応諾に、熊ケ谷は少しはにかんだ。

「ありがとう。そのまま帰れるように支度してくれ」

 急いで書類を引き出しにしまい、鞄を手に立ち上がった。

「まつり、コート!」

 妃早の声に気づき、玲央が立ち上がる。ハンガーからコートをとってくれている。

「すみません、五条さん」

「いえ」

 やはりいつものように、とはいかないらしい。口数も少なくそのまま席につく玲央を目で追う。

「……氷田。行くぞ」

「あ、はい」

 急いで出ようとしたタイミングで、ふと肩に衝撃が走った。

 ぐらついたまつりの体を、熊ケ谷がとっさに手を伸ばして支える。

「氷田!」

 ギリギリのところで体勢を直すと、熊ケ谷が掴んでいた腕を離した。

「怪我はないか?」

「はい。なんとか――」

「いったーい!」

 聞き覚えのある声に目を向けると、大きな胸を揺らして麻耶が立ち上がる。スカートの裾をはらって、彼女は起き上がった。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないわ。もう、痛い! 罰金一万円」

「え、ええっ!?」

「柚木、あまり氷田をからかわないでくれ」

 熊ケ谷が苦笑して麻耶を止める。ごまかすように笑うところを見ると、からかわれたらしい。

「からかったんですか?」

「ごめんね。でも痛かったのはほんと。前見て歩きなさい。クマくんとデートで嬉しいからって」

「で、デートじゃないです」

 顔が火照り、おどおどしてしまう。

 そんなまつりを見かねて、熊ケ谷がすかさずフォローを入れてくれる。

「こんなおじさんとデートじゃ氷田が可哀想だろう?」

「大丈夫。クマくんはいい意味で若く見えるから。それに――彼女はまんざらでもなさそうよ」

 にっこりとウインクを添える麻耶を恨んだ。

「まあ冗談は別として、うちの事務所になにか用か?」

「ええ。クマくんに。例のゼロ。こんな古い薬どうしたの? 特別捜査課に任せればいいのに」

 耳を疑った。熊ケ谷を見ると、内緒に。と人差し指を口の前で立て合図をしてくれた。

「ちょっと……な」

 書類を受け取った熊ケ谷に疑心の目を向けつつ、麻耶は答えた。

「まあいいけど。あとはお昼に玲央くんと会ったとき、彼にシャーペン借りたから返しにきたの」

「お昼?」

「そうよ、あなたがずーっとつけてたとき。玲央くんと筆記で会話してたから」

 意味ありげに笑う麻耶に血の気が引いていく。

 不意を突かれた衝撃に、胸がひやりとして何も言えなかった。

「氷田。どうしてそんなことを?」

 咎めるような声のトーンにおそるおそる熊ケ谷を見る。

「あの……すみません。二人の会話が気になってしまって」

「そんなことで」

「どうしても気になったんです。シュガーってなんですか? どうして、麻耶さんと五条さんが?」

 具体的な名前に、熊ケ谷も驚いているようだった。

 黙り込んだ熊ケ谷に、こちらを笑顔で見ていた麻耶が間に入る。

「私、何も言ってないわよ」

「甘い一刻を共有する。そのあとで首を絞めるような動作をしたので、きっとシュガーだろうと」

「なぜ君がシュガーの症状を知っている? あれは一般には出回っていない。そもそも課長クラスで知らないものもいるくらいだ」

「ということは、熊ケ谷さんは知っているんですね」

 熊ケ谷は大きな嘆息を漏らした。

「佐藤だな。あいつが過去のことを話したのは初めてだ。君は、どうしてこうも危険なことに首を突っ込むのが上手なんだろうね」

 苦笑するところを見ると、熊ケ谷に怒られる様子はない。

 麻耶はまつりの服を引っ張り、その濡れたような唇を耳に近づけた。

「まつりちゃんだったわよね? また今度、ゆっくりお話をしましょう?」

 甘えるような声を出して、彼女はそっと離れた。

 くるりと背を向け、一課に入ろうとする彼女を熊ケ谷が見る。視線に気付いたのか麻耶は入口の手前でぴたりと足を止め、視線だけよこした。

「クマくん。あとはそっちでお願い。私も暇じゃないのよ」

「ああ、引き留めて済まない。それと、情報流出に関しても」

「人の口に衝立はできない、でしょ。刑事として得た情報ならダメだけど、きさちゃんは被害者だし良いんじゃない? その子も、これ以上漏らさないでしょ?」

「恩に着る」

 彼女は返事代わりに手をひらつかせて、一課に入っていく。

 熊ケ谷と目が合った。いつ怒られるかと不安に思っていると、熊ケ谷は噴き出した。

「そんなに怯えるな。柚木が言ってただろう? 無罪放免だ。普通にコーヒーを飲みに行こう」

 扉を出て、エレベーターのボタンを押す熊ケ谷に駆け寄った。

「あの、いいんですか?」

「こっそりつけたのは良くないけど終わったことだ。それより君の様子が気になっていたからね」

「あ……の……」

「シュガーについても少し話をしよう。どうして柚木と五条が選ばれたのか」

 彼の微笑に隠されているわずかな憐憫に気付いた。

 エレベーターに二人で乗る刹那、表情を盗み見る。もうすでに悲しみの色は息を潜めていた。けれど消えたわけではない。これから話される真実を想像して、まつりは前を見据えた。


   *


 夜の食堂は定時を過ぎているだけあって人がまばらだった。

 綺麗で広々としたオフィスのような机と椅子。その中で一つだけ異質なものがある。食事を注文するカウンターだ。そこの壁一面に、大きなイラストが描かれていた。

「相変わらず、庁舎とは思えないほど明るい絵柄だな」

 ぼそりと熊ケ谷が呟き、人に気付かれぬよう奥のカウンター席を選んでくれた。

 皇居・国会議事堂も見える穴場の夜景スポットだ。そこに、彼が荷物を置いて振り返る。

「じゃあ、行こうか」

 とってくるよではなく、世間話をしながら二人でいることを選ぶのが熊ケ谷らしかった。一人で退屈をさせないように、また、部下であるまつりが気にしないように気遣ってくれたのだ。

 席に着くと、熊ケ谷は一口コーヒーを口に含み、まつりを見た。

「単刀直入に聞こう。色々な事件が重なって疲れたか?」

「あ、いえ……それは。本当はお話ししようと思っていたんです。金の泉についても」

「ああ。あの朝に君も言いかけていたな」

 あの朝。まつりも思い出し、少し恥ずかしくて顔が熱を持つ。

「すまなかった。ちゃんと聞いていたら、君はさらわれずに済んだかもしれない。でも、どうして笠洋会の会長は君を選んだ?」

「……ただ、賭けの一つだったんだと思います」

「賭け?」

「私がきっと――佐久真さんのように手駒になって帰ってくる。と」

「……そんなことで?」

「はい。本当にあのご老人がケシを育て上げるかなんて、わからないはずです。あの金の泉もいくつかあるうちの一つですし」

「自分が老い先短いことを悟って。いくつか準備をしていた一つだと?」

「あの世界は金と頭がものを言います。そして、私はそれを持っています」

「――後継者に残したものだということか」

 まつりは黙って肯定した。

「佐久真さんは私と同じ体質です。彼は麻薬で言えばLSDが効きません。昔から、彼は言っていました。どうして麻薬がいけないのか、僕には効かないのに法律を守らなければいけないのか、と」

「彼は自分に関係がないから、そう思うんだろうな」

「はい。彼は私に同族のような情を感じています。彼の場合は薬が効かないと両親が精密検査をし、そして見つかった。IQもずば抜けていた彼を、笠洋会の会長が買い取って育てたんです」

 さすがに熊ケ谷もそこまでの想像はしていなかったはずだ。

 絶句して、無言でコーヒーを口に含む熊ケ谷にまつりは続けた。

「彼は人と違う自分の体に疑問を持ち、自然に医学の道を選びました。そして、医学とヤクザを結びつけるためにうちの病院に目をつけた」

 まつりちゃんはいいな、おうちが病院で、お金持ちで。

 幼い頃はみんなに羨ましがられた。

 服はすべて一流のブランドで、習い事もたくさんしていた。

 けれど自分の病院が普通でないことにも、大きくなるうちに気づきはじめた。そして氷田病院という名前もできるだけ出さないようにしていた。

「最初は医療器具だけだったけれど、ある医療事故をもみ消すのをきっかけに笠洋会の者を受け入れると決めた。そう聞いています」

「そして、君に目をつけた?」

「はい。幼い頃から私はいくつかの薬が効かなかった。子供でそこまで免疫や抗体があるのはおかしい。精密検査や入院を繰り返しているうちに、佐久真も気付いたらしいです。きっと嬉しかったと思います。いつも人と違うという、疎外感が彼には必ず付きまとっていた」

「加えて、君は頭も良かった。自分に近いとも感じただろう。それで佐久真は君に特別な感情を抱いて固執したんだな」

 佐久真は確かに執着を見せている。恋人であるはずのしおりにもそこまではしないはずだ。それだけ、自分は佐久真にとって例外であり特別なのだと思う。

「なるほど。この件はもういい。君は両親から特別養子縁組をされたことは知らなかったんだな」

「……はい」

「悲しいか?」

 予想もしなかった問いに、戸惑った。そして否定の意味を込めて顔をふる。

「いいえ。ただ――寂しいです」

「君は一人じゃない。いざという時は俺や周りを頼ってくれ」

「はい。それでも、親子なのに、わかり合えなかったんだって。最後まで、それさえも拒絶されたようで、寂しかったんです」

 唇を噛んだまつりに熊ケ谷は何も言わなかった。自分には分からない哀しみだと、彼は理解した。

「今度は、俺が話す番だな」

 その声にまつりは熊ケ谷に目線を移した。

「まず、五条が昔、大手の製薬会社に居たのは知っているな。シュガーは元々、その会社で五条が主メンバーとなって開発したダイエット補助剤〝リル゛がベースになってできた麻薬だ」

 思いもよらぬ言葉に、何も言えずに固まる。

 そして、まつりがゼロに関わっていると知ったときに彼が初めて見せた苦し気な表情を思い出す。

『僕は反対です。悪意がないとはいえ、その薬を作った原因です。そんな人が、マトリでいいはずがありません』

 一つ一つ、自分の中の感情をはっきりと口にしていた。それらの言葉は、きっと彼自身に向けてのもの。そして、まつりに八つ当たりをしたことに気付いて、あんな表情をしたのだろう。

「依存性と甲状腺を刺激し腫れることが分かった。百万分の一の確率でそれを発生させる。そして当然だが、過剰摂取をすれば副作用も強くなる。それがわかったのは厚労省が許可をして市販された後のことだった。それはまずいから、理由を伏せてすぐ回収された。被害者もそう多くはなかった。しかし……その一年後。シュガーが出たんだ」

 想像をする。喉を掻きむしって死んだ被害者の苦悩を。

「調べていくうちに甲状腺の腫れ、依存性、そして甘味を感じるようになるという独特の症状が、リルに似ていることに気付いた」

「甲状腺異常による味覚障害、ですね」

「ああ。実際は甲状腺を刺激しようとしたわけではない。それも確率が十六万人に一人だ。治験では問題なかったから、皆、驚いたらしい」

 熊ケ谷はその苦労を慮るように短い息を吐いた。

「シュガーは少しずつ手を加えられていた。意図的に誰かが改竄している。そこで、開発者の五条が情報を流した可能性も視野に、監視目的で一課に入れることになった」

「そんな、五条さんだけ?」

「開発チームは五人。その中で薬の成分を直接いじっていたのは五条とあともう一人だけなんだ」

 スカウトの裏にはこんな事情があったのだ。玲央は優秀な取締官だったから気付かなかった。

(悔しいだろうな)

 誰かに喜んでもらいたくて開発された薬が麻薬として改竄され、そして死んでしまった人がいる。

「あれ、じゃあ麻耶さんは?」

「あいつは――」

「違いますよね。だったら、特別捜査課に頼めばいいだけですから」

「……言い訳をする前に言うのはやめてくれないか」

「熊ケ谷さんは嘘をつくとき、目だけ下を向く癖があります」

 まつりに釘を刺されて、諦めたように熊ケ谷は「そうか」とだけ言った。

「柚木鑑識官の姉は五条と同じ会社のサプリメント研究開発で、五条の直属の先輩だった。そして、玲央が考えたリル開発チームのプロジェクトリーダーだった」

 研究職は男社会だ。女性でリーダーになるには相当な努力と根性がいる。彼女の努力が偲ばれた。

「優秀な研究者だったらしい。けど、自殺したんだ。歴史に名前が残るほどの発見をしたらしいが。……研究職は男社会だ。彼女の研究はでっちあげだと、匿名で抗議をした者がいたらしい。資料も燃やされ、マスコミには嘘だと叩かれ、酷かったと聞くよ」

 君も見たことがあるだろう、と言われて、心当たりがあった。

 テレビで見たことがある。女性が涙ながらに自分の研究は真実だと、その酵素は存在し、作ることができるのだと熱弁していた。けれども不自然なほど、彼女のPCや研究室からも資料は発見されなかった。そして自殺をした。その後に続くように彼女の直属の上司もだ。

 センセーショナルなそのニュースは一時をさらっていた。

「世間ではあの酵素の事件が原因だと思われているが、違う。リルはあの酵素のあとに起こった。彼女の責任問題の追及もあっただろう。結果、自殺してしまった。そして、柚木はマトリになり、彼女がマトリになってから一年後に、シュガーが出回り始めた」

 きっと熊ケ谷も含め、全員こう思っているはずだ。麻耶がなんらかの手を使って、リルの構造を手に入れ、そして復讐のためにシュガーとしてばらまいたのではないかと。

「そういうわけだ。そしてこれは被害者があれ以来出ていないからと言って、油断はできない。薬の改竄が入っている以上、何かの団体が関わっていることは明白だ。テロに繋がる危険もある。だからこれも周りは知らない。リルがベースだと知っているのは上役以外だと俺と五条と君だけだ」

「え?」

「佐藤もシュガーしか知らないだろう。柚木にも薬の構造しか教えていないから、犯人でない限りは知らないはずだ」

 なるほど、確かにそうだ。

「でも、どうして私に?」

「君は、もう知っているし、気づき始めている。こそこそと動かれてこちらの捜査が止まるよりは教えたほうが良い。それに」

 熊ケ谷の目は笑っていない。

「俺は、君の秘密を知っている。ばらせば君はどうなるんだろうね」

 まつりは淡々と優しい声で追い詰める彼にぞっとした。

 想像しなくてもわかる。答えは一つ――モルモットになるしかない。

「ということでここはお互いに協力しよう」

 熊ケ谷がコーヒーのカップを持ち上げた。

 乾杯、ということだろう。まつりもおろおろしながらカップを合わせた。

「今日話したことは胸に留めてくれ。俺もそうする」

 いつも通りの笑みでコーヒーを飲み干して、熊ケ谷は立ち上がった。彼がポケットから車の鍵を取り出したのに気付く。

「早く飲んでくれ。君を送るために、立ち上がったんだが」

「そんな、だ――」

 大丈夫です、と言おうとして口を噤む。そう思って油断した途端に攫われたのだった。

「コーヒーは持ってていい。一緒に行こう」

 そういうとまつりの鞄を手にして、熊ケ谷が歩き出した。カップを掴んだまま、まつりは椅子にかけていたコートを抱いて立ち上がる。

 必死になって追いつくと、エレベーターの前で熊ケ谷は待っていてくれた。

「あの、手間をかけさせてすみません」

 その謝罪に、彼は肩を竦める。

「いや。佐久真はさすがに今は動かないだろうが。遅い時間まで引き留めて、痴漢にでもあったら大変だからね」

 きゅんっとまた胸が音を立てた。いつか肩を並べて歩ける日がくるのだろうか。そんな期待をして、一緒にエレベーターに乗った。


   *


 熊ケ谷に送られて、部屋に入る。

 ちょうど、妃早が風呂から出てきたところだった。

 大きめのTシャツにショーツのみを纏った彼女は、まつりの顔を見て安心したように破顔した。

「お帰り」

「ただいまです」

 まつりは台所を確認する。食事をした形跡はない。まだ食べてないのではないか、と心配する。

「ご飯は明と食べてきたのよ」

「久住さんと?」

「今日はお好み焼きだって言うんだもの。一人お好み焼き寂しいじゃない? それに、明のお好み焼きって独特で美味しいのよ」

 まつりはそれを聞いて少しだけムッとした。今度は久住より美味しいお好み焼きを作ってみせる。闘志を燃やすまつりの前を、妃早がにこにこと笑いながら通りすぎる。

 冷蔵庫から水を取り出そうと、身を屈めた。その隙間から覗く胸元に、小さな赤い印が見えた。

「妃早さん、胸のところ」

 ペットポトルに口づける直前で、妃早が「え?」と動きを止める。

「赤くなってます。ここです」

 まつりが胸元を指すと、妃早の表情が固まった。飲みかけのペットポトルが床に落ちる。水が散らばり、まつりは慌てて台所のふきんを手に取った。

 彼女がペットポトルを拾った隙に、素早く床の水を拭きとっていく。

 妃早も台所にペットポトルを置くと、近くのキッチンペーパーを取り、一緒に拭き始めた。彼女の耳が裏まで赤いのを見て、まつりは首を傾げる。

「なんか、変ですよ妃早さん――もしかして」

 しどろもどろになる妃早に、ある答えに行きついた。

 上目遣いで手を合わせる妃早に大きなため息を吐く。久住を抹消してやる。

 そもそも、妃早は熊ケ谷の家に泊まった時にあんなに怒っていたのに。

「なんとなく、二人で映画を見てご飯食べてたらそんな雰囲気に」

「お二人は元々お付き合いされていたし、いいんですけど。まだ久住さんを愛しているなら」

 その言葉に、妃早は何度か目をぱちくりさせた。

 まるで、その言葉が予想外とでも言うように。そして悲し気に微笑んだ。

「違うわ」

 はっきりとした意思の籠った言葉に、まつりの心がざわつく。

「私と明は、そういうのじゃないの。元々」

「……どういうことですか?」

「お互い、楽だから一緒にいたの。寂しかっただけなのよ」

「寂しかったって? 私がいるのに」

 違う、と妃早は今度は頭を振り答えた。

「まつりと埋められない寂しさ。人恋しいとき、寂しいとき、わがままを言う相手。それをお互い探してて、手が届くところにいたから一緒にいた。それに名前をつけないと体裁が悪かったから、恋人ってことにした。それだけ」

 妃早がそっと布巾を握るまつりに手を重ねた。

 水で濡れて少し冷えたその華奢な手を、まつりはただ見ていた。

「二度と恋人は作らないわ」

 まつりは硬い声に気付いた。妃早は昔の恋人のことを、いまでも忘れたくないのだ。過去にしがみつく彼女の姿に、まつりは胸が塞がるような息苦しさを覚えた。

「妃早さんは、ずっとそうしているつもりですか?」

 妃早が険しい目をまつりに向ける。その目が、驚きで見開かれた。

 温かいものが、頬を伝っている。泣いているのだ、と妃早の顔で気づいた。

「私も思ってます。ゼロを忘れちゃいけないって。でも――大事な人が苦しんでるのを見るのは、自分のことよりも、苦しいです」

 途切れ途切れの、とりとめのない言葉にも妃早は耳を傾けてくれている。涙で濡れる目を手でこすって、まつりはしっかりと妃早を見た。

「私は妃早さんの寂しさを埋める人にはなれないんですか?」

「あなたとは、無理よ」

「都合の良い相手じゃないと、寂しさは埋まりませんか? ワガママは言えませんか? 私と妃早さんとの関係に名前をつけるなら、何になるんですか?」

「まつり!」

 聞き分けのない子供を叱りつけるように、妃早が声を張った。びくりと体を強張らせるまつりの手をそっと振り払い、妃早は立ち上がる。

「私は、妃早さんにとって何ですか?」

「……大事な子よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」

 後輩と使わないところが彼女らしかった。

「体だけで、その寂しさは埋まりましたか?」

「そのときだけなら埋まるわ」

 短く言い捨てて、「やめましょう」と妃早のほうから言った。

「こんな話、あなたとはしたくないわ」

 そういって妃早は自分の部屋に入っていく。

 呼び止めようと伸ばした手は、閉じられた扉で遮られた。伸ばした手で、この扉を開ければすぐ彼女の傍にいけるのに。そうすることができない。

 近くて深い溝が彼女との間にはある。男女の仲よりも歪なそれは、彼女の心を求める限り埋まらない。まつりはその扉を前に立ち尽くした。


   *


 目を覚ましてリビングに行くと、机の上に置き手紙があった。先に行く、迎えには明を寄越すという趣旨だった。むすっとしていても始まらない。いつも通り、お気に入りの米を炊いた。

 炊き立ての米に、自家製のほんのり甘い味噌とネギをたっぷり入れて混ぜ、程より加減で握る。きれいに形を整え、ラップで包んだ。

 鞄に入れ終えたところで、チャイムがなる。

 インターフォンで確認して。中に入れる。部屋の前に着くまでの間に、道具を洗って水切りにあげた。そのタイミングで部屋の戸が叩かれる。開けると、眠そうな目をこする久住が立っていた。

「はよ」

「おはようございます。久住、先輩(、、)」

「……なんか不機嫌?」

「もちろんです。大事な妃早さんに手を出した野蛮人には冷たいです」

「あのなあ、そういう下世話なことにまで口出すなよ。お前は親か、もしくはあいつの恋人か」

 嘆息をしながら久住があくびをする。気の抜けたような表情の彼が、ヘルメットを渡してきた。

 目を点にしてそれを見るまつりに、久住は不機嫌そうに言った。

「俺はいつもはバイク派だ」

 そういえば、以前護衛についてもらい、実家に行った時はレンタカーだったのを思い出す。明は確かにバイクが似合う。似合うけれども。

「っつーか、誰と寝ようと良いだろ? ガキじゃあるまいし」

「だけど……苦しそうだから。本当に好きな人と寝るときは、もっと幸せであってほしいんです」

 久住は仕方ないという様子で、玄関に置いてあるまつりの鞄を持ち上げた。

「――どうでもよく、都合よく扱ってほしい夜もあるだろ」

「え?」

「自分だけに向けられたものじゃない、当たり障りのない優しさが欲しい時もあるはずだ。特に、自分の気持ちが見えなくなって、どうしようもない夜は。よくわかんないけど、佐久真と接触したとき、なんか言われたんだろ?」

 鍵を閉めて、彼の後ろ姿を見る。綺麗に伸びた背中に、彼女の細い指が触れたのかもしれない。そんなまつりの想像を咎めるように、久住が静かな調子で言う。

「お前には言えないけど、俺には言える。昨日のあいつは、正しさを求めてたわけじゃない。ただ無責任な優しさを求めていたんだ。そんな奴に正しさを求めるな。人間だから間違えるときもあるだろ? お前の思うきさは知らないけど、少なくとも俺が知るきさは完璧人間じゃないからな」

 泣きそうな顔で笑う妃早を思い出し、まつりは足を止めた。

 そんなまつりを、久住も歩みを止め振り返る。

 まつりは刃を思わせる鋭い目を、気丈に睨み返した。

「でも、良くないです。私は、妃早さん自身をもっと大事にしてあげて欲しいです」

「それは、俺じゃなくきさに言ってやれよ」

「言いました。でも」

「一回くらいだめだからって、それが本音じゃないことくらいわかるだろ?」

 何か厄介なものを吐き出すように、彼は長い息を吐いた。

「お前を大事にしたいから、都合よくは扱わなかった。お前は俺とは違って特別なんだから。何度でも踏み込んでやれ。お前にはそれが許されるはずだ」

 ぽんっと軽く頭を撫でられた。

 それは妃早がまつりによくするような、優しいものだ。久住は「行くぞ」と歩き出す。

 まつりは少しだけゆっくりと歩いてくれる彼の後を追うように、歩き出した。


   *


 昼休みにちらりと空白の横のデスクを見る。

 今日一日、妃早とは一度も言葉を交わさなかった。

 大きなため息をした後、肩を叩かれた。

 振り返ると、頬に細い指が突き刺さる。

「やあい、引っかかったぁ」

「麻耶さん!」

 クマくんとのデートはどうだった、と軽い調子でかれた。

 シュガーについてどこまで話したと思っているのだろう。

 探るように彼女を見る。

 すると目が合った瞬間に彼女はにっこりと笑って問うた。

「シュガーについてどう思う?」

 軽い口調の問いに、まつりは一瞬反応に戸惑った。そんなまつりを無視して、麻耶は問う。

「シュガーはなんのために、作られた薬なんだろうね。ゼロでもあるまいし、何かを試すようにちょっと人が亡くなって。沈黙して」

 ゼロというワードに、まつりははっとした。

 麻耶は何か意味ありげに深い笑みを浮かべている。

「私は、ただの愉快犯だとは思ってないわ」

「麻耶さん、それは」

「あくまでプロファイリングよ。忘れたの? 私は優秀な鑑識官なの」

 優秀、というのを強調して彼女は笑った。

「――優秀な鑑識官は、情報を漏らしませんよ」

 育ちの好さそうな、柔らかな声にまつりは驚いた。

 コンビニから戻ってきたであろう玲央が近づいてくる。

 お昼の入った袋を向かいのデスクに置くと、非難するような目でこちらを見ていた。

「玲央くん、仕方ないじゃない。きさちゃんだよ、最初に言ったのは」

「誰が言いはじめようと、知らないふりをするのがプロです。いまのおしゃべりなあなたには全く優秀さを感じませんね」

 玲央にきっぱりと言い切られ、麻耶はむくれた。そして、そのまま一番奥の熊ケ谷の席に座り、窓から外を見下ろす。どうやら拗ねているようだった。

 玲央は肩を落とし、そんな麻耶からまつりへと、愁いを帯びた目を向ける。

「すべて聞いたんですね?」

「……はい」

「すみませんでした。シュガーと混同して、あなたを傷つけるようなことを言ってしまった。あなたは幼く、不可抗力で、僕とは全く違うのに」

「そんな! 私も――思いました。きっと私と自分を重ねたんだろうって」

 頭を下げる玲央に必死に訴えた。

 しかし、同じだと訴えるまつりに、玲央は拒絶するように顔を振った。

「いいえ。あなたは優秀な取締官です。僕とは違う」

「五条さんは優秀ですよ。いつだって……」

「でも、僕には本来薬物を取り締まる資格なんてない」

 頑なな声に胸が軋む。玲央はいつも笑顔だ。気さくで優しい。人見知りが多いこの課で、最初にまつりの友達になってくれたのは玲央だった。

 その彼の瞳に浮かんでいる暗い過去の残像に、胸がいっぱいになる。

「マツリ、あなたは僕の憧れでした」

「え……?」

「人を救いたいというあなたのまっすぐな思いが、課のみんなを動かします。この課はどうして、何かを背負っている方が多いですから」

 自分も含めて、と彼は付け足す。

「辛い過去も乗り越え、あなたはいつも諦めずに立ち向かいます。その姿が僕には眩しくて……少しだけ辛かったです。僕はきっとここから抜け出せない」

「私は五条さんと一緒にいて楽しかったです。でも、五条さんは違うんですか?」

 玲央は少し迷ったようにまつりを見た。

 その暗く淀んだ目に、胸がはちきれそうになる。

「僕は幸せでした。あなたと居られたこと、この課に居たことは僕の自慢です。でも、それ以上に僕の罪は大きい。正義を突き通すことではなく、贖罪です。だからずっとここにはいられない」

 悲し気な笑みを浮かべて、玲央は自分の手首を見る。

「僕の手首にずっと手錠がかけられているのは知っています。ここにいる理由も。それでもここにいるのは理由があるからです」

「理由?」

「シュガーの回収と根絶。それが終わったら、僕は然るべき罰を受けます」

 業務上過失傷害の場合は罰金刑のはずだ。

 そうではなく、もし、自分で罪を償うとしたら『死』しかない。

(そんなの、駄目だ)

 彼の決意は固いだろう。彼の痛みを想像して、まつりの視界がじんわりと滲んでいく。

 そっと、まつりは玲央の手を取った。

「無理ですよ、五条さん。過去は変えられないし、罪も消えない。けれど、五条さんの手は、まだたくさんの人の命や人生を救えるのに。そんなのは、誰のための贖罪にもならないです」

 まつりの涙に、玲央は目を瞠った。そして指先で優しく拭うと、まつりを見て微笑んだ。

「ありがとう、あなたの傍にいるとそうしたくなってしまいますね」

 嘘のように綺麗な笑顔で笑う玲央に、まつりは何も言えなかった。

 重苦しい空気を裂くように昼休みを終えるチャイムの音が聞こえてくる。皆は食堂にいたらしく、一緒に戻ってきた。

 玲央と対峙し、泣いているまつりを見て全員が固まる。

「――氷田、五条。なにがあった?」

 真剣な表情で熊ケ谷が問う。

「何もありません」

 ちらりと熊ケ谷が玲央と麻耶を確認する。

「氷田。とりあえず、顔を洗ってこい」

「……はい」

 事務所を出ようとした瞬間、こちらを見つめる妃早と目が合った。けれども彼女は目で追うだけで何も言わない。久住もだ。

「五条。柚木。何があった?」

 まつりではなく二人に向けて熊ケ谷が問う。

「すみません、僕の責任で――」

「えっとねー、痴話げんかみたいな感じ!」

「ち、痴話!? そうか……二人はそういう関係だったのか?」

 心底驚いた熊ケ谷の声が聞こえて、まつりは振り返って叫んだ。

「絶対違いますから!」

 けらけらと麻耶は笑っている。彼女を横目に、まつりは化粧室へ急いだ。

 麻耶は楽しんでいた。先ほど玲央と話している間も、笑顔で見ていた。まるで何かゲームをするような、わくわくとした表情で。


   *


 怪しい、というだけでは引っ張れない。

 それが警察とマトリの大きな違いだ。マトリが動けるのは現物か確実な証拠があるときだけ。

 まつりは化粧室で顔を洗い、前を見る。鏡に映った自分の険しい表情。

 こうして見ると、しおりとは似ても似つかない。なのに――。

「どうかしたの?」

 ぎょっとして後ろを振り返る。

 妃早はすっと細い手を差し出した。意図を計りかねて目を丸くするまつりに、彼女は笑う。

「ごめんなさいね。昨日。明にも叱られたわ。あなたがすごく心配していたって」

「久住さんに?」

 妃早は笑顔を崩さず、頷いた。

「傷つけてすみませんでした。でも、私。もう迷わないです。おせっかいでも、妃早さんが嫌がっても何度でも踏み込みます。妃早さんが、大事だから」

 力強く手を握ると、妃早は射抜かれたように固まっていた。そしてその言葉の意味を理解すると、少しだけ悲し気に唇を綻ばせた。

「ありがとう」

 その言葉の後に、妃早は優しくまつりの手を引いた。

「行くわよ。皆が待ってるわ」

 手を繋いで事務所まで戻ると、皆が笑って迎えてくれる。

 大丈夫だとまつりは自身に言い聞かせる。麻耶が敵でも味方でも、このメンバーならきっと乗り越えられる。まつりは隣にいる妃早をちらりと見た。

(妃早さんのためにも、絶対に捕まえる)

 以前百愛とした指切りを思い出す。あの時は佐久真に怯えていた。自分の体が知られることにも怯えていた。でも、今は違う。

 まつりは繋いだ手の温もりを確かめて、自分の心を問いただす。

(絶対に負けない)

 シュガーとゼロ、二つの薬物の先がどこに繋がっていても、もう迷わない。

 まつりは自分の中の迷いと決別し、前を見据えた。

 熊ケ谷、久住、玲央、そして妃早。

 守りたい人々とその光景を、強く目に焼き付けた。


  *


 まつりは仕事を定時で切り上げ、鑑識課へと急いだ。

 鑑識課の人々は汗だくで入ってきたまつりの顔を見てびっくりしている。まつりはその中で麻耶を探すが、見当たらない。

 近くにいた鑑識課の人が、柚木がたったいま帰ったことを告げる。

 まつりは礼だけ言って駆けだした。急いでエレベーターで一階まで降りる。

退勤時間が重なり、庁舎から出て帰る人々の中に、同僚と談笑しながら駅へ向かう麻耶がいた。

「麻耶さん! すみません、あの……」

 息が整わないまま近寄ったまつりに、麻耶の同僚たちの中で一人があっと声をあげる。

「捜査一課の氷田さんじゃない?」

「あー! そうだ。氷田まつりさん。病院の?」

 まつりについて笑い合う彼女たちの目には、好奇心とそして何より揶揄の色が透けて見えていた。

 そんなまつりをかばうように、麻耶が努めて明るい口調で言った。

「まつりちゃんごめんねぇ! 私、すっかり約束忘れてたよ。それでも、怒らないなんてまつりちゃんやっぱり優しいねぇ!」

 深呼吸して口を開けているまつりに、麻耶がウインクをする。

「私、まつりちゃんと帰るから」

 やや強引に手を取り、麻耶はまつりを近くのありふれたチェーン店のカフェに引き入れた。

 人は、そこそこ入っている。

「じゃあ、席取るから。ホットココアお願い。奢りでよろしく」

 ウインクをして席を取りに行く麻耶を捕まえようとした。店員のわざとらしい咳払いにはっとする。見れば後ろには注文を待つ人々の列ができている。まつりは、急いでできそうなものを頼んだ。

「ホットココア一つと、ブレンドコーヒーお願いします」

 席へと運び、ホットココアに息を必死に吹きかける麻耶を見ながら、まつりは無言でコーヒーを口にする。どうやら彼女は猫舌らしい。

「で? なあに?」

 冷めるのを待ちながら麻耶が気にかけて口を開く。まつりはコーヒーを置いて彼女を見た。

「単刀直入に言います。例の薬について教えてください」

 彼女は驚いた様子はなく、ココアに静かに口をつける。

「無理よ。あれはすごく特別で難しい問題だから。私は何も知らない。偽りの製作者の玲央くんのほうが知ってるんじゃない?」

「偽り?」

「そうよ。あ、もしかして聞いてない?」

 少しの間、麻耶の可愛らしい顔が青ざめた。

「あー、ごめん。いまの内密にして。トップシークレットなの。お姉ちゃんから聞いたのよ。でも、たぶん私にしか言ってないわ」

 まつりの胸がざわつく。次に言おうとしていた言葉を呑み込んだ。

 麻耶はにっこりと笑って、まつりの背中を叩く。心を許す友人を励ますような、温かさがあった。

「そんな顔しないの。大丈夫よ、玲央くんやクマくん、きさちゃん。総出で捜査してるんでしょう? 任せておいても、きっとどうにかなるわよ」

「――そうだと、いいんですが」

 まつりは目の前のコーヒーを見下ろす。

 そこには複雑な表情の自分がいた。まつりは麻耶に視線を移す。美味しそうにココアを飲む彼女の心の内を読み取ろうと目を凝らすが、何も見つからない。

 視線に気付いた彼女と目が合う。

 彼女はにこやかに笑った。その目に、やはり好奇の陰を宿しながら。

「あの、麻耶さん。私、仕事を思い出したので戻りますね」

「えー、残念。じゃあ――またね」

 ココアを飲み始めたところを見ると、この店から出る様子はなさそうだ。

 まつりは飲みかけのコーヒーを手に立ち上がる。そして半分以上残っているそれを、返却口に戻すと、震えた足で歩き出した。

 自分の心臓の音が異様なほど耳の裏から聞こえてきた。まつりは徐々に亢進するその音に合わせて、歩みを早める。事務所のあるビルのエントランスに戻ると、五条がいた。

「あの、五条さん。――あれ、あの薬」

「マツリ、それはシッ」

 人目を気にして玲央が周りを見回す。周囲に人がいないことにほっとした顔を見せた。

「偽りって、どういうことですか? あれは五条さんが作った薬じゃないんですか?」

 玲央の顔色が変わる。まつりに注目しながら、問う。

「どなたから、聞いたんです?」

 まつりは口を堅くした。そんなまつりを、玲央の声が促す。

「柚木鑑識官、です」

 玲央は歯の奥を噛みしめた。そして、取り繕うような笑みを向ける。

「……ここでは話せません」

「本当なんですね」

 玲央は答えない。答えようとしない。

 まつりは、「何があったんですか?」と再度訊ねた。

 玲央はどこか悲しげな目で空を仰ぎ見る。

 故人を悼むような、少しの間の後、彼はまつりに緑色の瞳を向ける。

「……リルは、僕が開発者となっていますが、実際は柚木先輩がほぼ一人で考えたものでした。ただ、酵素事件の直後で、風当りもきつかった。起死回生のチャンスを狙って、男である僕の名前を使って。成功したら、開発者ということを公表しよう、と」

「そのことをほかに知っている人は?」

「誰にも言えるわけないでしょう! すぐあとに世間に責められた僕を見て、彼女は責任を感じ、亡くなった! 死者の名に泥を塗って、どうなるって言うんです!」

 どうしようもない哀しみを、理不尽さを、玲央は静かに嘆いた。知っているのは、僕。そして彼女だけだと。

「麻耶さんのお姉さんが死ぬ間際に言ったとかは」

 ない、と、きっぱりと、玲央は言った。

「妹が自分に憧れてくれているから、と。彼女だけには良い研究者として夢を見せたかったのにと。あの酵素事件の後に言っていました。彼女に、リルまで失敗したなんて話すとは思えません」

 彼女の、麻耶の姉の気持ちを思う。

 たった一人で、純粋に自分を追いかけて研究者になろうとする妹の、夢を壊すまいと懸命に研究に向き合っていた。それが〝女〟だからという理由だけで弾かれた。

 彼女だけには良い姉で、良い研究者でいたかった。

 その後のリルの失敗。後輩に罪を背負わせることになったときの絶望は計り知れない。

「五条さん――ありがとうございます」

 彼は辛そうに目を細めた。できれば告白したくなかっただろう。

 まつりは一礼して、エレベーターに乗ると、いつもなら気にならないのにその速度が遅く感じた。

(急がなきゃ)

 エレベーターがつき、駆けだしそこねてよろける。その腕を不意に掴まれる。

「氷田。どうした? 顔が真っ青だぞ」

「熊ケ谷……さん?」

 求めていた穏やかな瞳が、怪訝そうに見開かれている。

「汗もひどい。何をそんなに急いでいる?」

 確かに全身がびっしょりと濡れていることに気付く。自分でも気づかないうちに急いでいたらしい。息も上がって思ったように声が出ない。

「あの、柚木さんが」

「落ち着け。息はできるか?」

 過呼吸のようにヒュウヒュウと空気が通る音が喉の奥でしている。

 落ち着け、と自分を窘めて、まつりは縋るように熊ケ谷を見た。彼の顔を見ると、全身がほっとして力が抜けてしまう。ふらついたまつりを支えるように、熊ケ谷が抱き留めた。

「おい! 大丈夫か?」

「――です」

 彼の目の中に、泣きそうな自分が映っていた。

「シュガーの犯人は、柚木さんです」

 必死に訴えたつもりなのに、絞り出した声はいまにも消えそうなほど弱弱しい。まつりの言葉に、熊ケ谷は一瞬だけ顔を顰めた。そして「そうか」と低く相槌を打つ。

 興奮して息ができないまつりの頭を、熊ケ谷が一度だけ撫ぜた。

「ご苦労だった。詳しい話を聞こう」

 見守る熊ケ谷の目はどこまでも優しい。エレベーターが閉まる音がした。それを合図に熊ケ谷の胸に身を寄せる。彼はそんなまつりを叱らず、ただ優しく背中を抱いた。


   *


 熊ケ谷が淹れてくれたコーヒーはミルクと砂糖がたっぷり入っていた。

 まつりはその甘さを喉奥に押しやって、ようやく落ち着きを取り戻した。

 熊ケ谷が少し困ったような笑みを浮かべる。

「無理もない。五条も悪かったな、帰りかけたところを引き留めて」

「いえ、僕も知りたかったことですから」

 熊ケ谷は妃早と久住を先に帰し、帰宅途中の玲央を呼び戻した。

 妃早は不安げなまつりを労わるように、待っているねと一言添えて去った。

「しかし……どうするか」

 熊ケ谷は考え込むように腕を組んだ。

「犯人という確実な証拠ではないが」

「マツリ、お手柄です。社内でも柚木先輩が出して通さなかった企画書を知っているのはごく一部です」

「そこだ。厳しい緘口令が布かれているうえに、そのことを知っている人間はごく一部で特定される可能性が高い。ということは、柚木が直接ではなく、なんらかの形で犯人側から情報を得て改竄していたとするのが普通だ」

 それだけ告げると、まつりを見て次に玲央を見た。

「少し、待ってもらえないか。明日中に、令状を取ってくる」

「でも物的証拠が」

 まつりの言葉は熊ケ谷が机の引き出しの鍵を開ける音で、遮断される。彼が取り出したのは何枚かの紙の束だった。それは公共料金の支払い書だった。

 ごく最近の物と――数年前の物。値段が極端に違うそれを、見比べる。

「シュガーが出回った期間の柚木の自宅の公共料金だ。とある筋から手に入れた。これを見れば、家にいる時間が極端に少ないことが分かる。そして」

 熊ケ谷はさらに引き出しから厳重に鍵をかけられた箱を取り出す。そこから出てきたのは、丸められたタクシーの領収書と、カタギではないであろう男性と一緒にいる麻耶が映った写真。

 何かはわからないが、物の受け渡しをする様子が納まっていた。

「マヤが受け取っているのは明らかですね」

 熊ケ谷も静かに顎を引く。

「ああ。彼女の自宅のゴミから回収した。深夜のタクシーの利用が大体同じ値段だ。そこから場所を割り出して張った。掴めたのは一昨日くらいだ。ただし。これを持って行ったところで組対にとられるだろう。我々は令状を出してもらうには薬物でなくてはならないが、この受け渡しが何なのかがわからない。組との関わりだけでは、俺達ではどうしようもない」

 まだその問題が解決していない。警察から漏らされる危険は避けたい。

 口を閉ざしていた玲央が、何かに気付いたように目を見開く。

「熊ケ谷さん、写真をもう一度見せていただいてもいいですか?」

 手に取ってその写真を何度も確認した玲央は、やっぱりと呟いた

「何かわかったんですか?」

「マヤにブツを渡してるこの男。首から右腕に蛇みたいな入れ墨と耳の後ろ当たりに謎の文字があるでしょう? この男は何度も薬物で引っ張られている常習犯ですよ」

 よく見ると、蛇のようなものが首から右腕まで絡んでいるようだった。しかし暗い上にぼやけていてよく見えない。

「ちょうど別件でもう少し泳がせてから捕まえようと思っていたんです」

 そういうと玲央は自分の引き出しから、その男に関する調査資料を持ってきて、写真の近くに並べた。手に取り目を通した熊ケ谷の顔に、笑みが浮かぶ。

「柚木を重要参考人として取り調べる。家宅捜査令状も必ず取ってこよう」

 玲央の顔を見る。彼は少し複雑な表情で頷いた。

 ようやくだ。まつりは妃早の顔を思い浮かべる。彼女の顔から悲しみが拭いとれるその日が近いかもしれない。期待に胸を弾ませて、まつりたちは少し早い勝利の笑みをこぼした。


   *


 その日の夜。熊ケ谷が令状を取った。

 玲央とまつりが麻耶の身柄の拘束をすることになり、出勤しようと家から出てきた麻耶の前に立ちふさがる。まつりたちが険しい表情であることに気付いた麻耶は、どこか諦めたように笑った。

「柚木麻耶鑑識官、あなたを薬物所持法の疑いで逮捕します」

 一瞬だけきょとんとした後、彼女は状況を把握して笑った。

「――あら、そっちなのね」

「余罪については後程、調べさせていただきます」

 まつりの言葉を最後に、玲央が麻耶を拘束する。手錠をかけるとき、玲央の目が何か痛々しいものを見るように細められた。それから、その痛みを振り切るように、声を張り上げる。

「午前七時一三分、逮捕!」

 あとはここから送検までにどれだけ引き出せるか。麻耶の事務所での取り調べは玲央と、車の中で待っている久住に託された。妃早は感情的になる可能性があるので外されたのだ。

 麻耶を連行する玲央を見送って、まつりは熊ケ谷が大家から部屋の鍵を借りてくるのを待った。

 麻耶の家はなんというか簡素だった。

 オートロックでもなんでもない、二階建て。外に洗濯機を置く、お世辞にも外観が綺麗とは言えない家だった。その二階で、階段に一番近いのが麻耶の部屋だ。

 熊ケ谷があらかじめ入手したマスターキーを差し込み、室内に踏み込む。

「意外ですね」

 熊ケ谷も頷いた。彼女のことだから、女性らしい可愛い部屋を想像していた。だが実際は、男性の部屋のようにシンプルで無駄のない、シャープな印象だ。あるのは机とベッドと本棚くらい。

 それと、泣き声。開いている押し入れに、ケースに入ったマウスたちがいた。

 熊ケ谷は机にあったパソコンを開いた。

 パスワードを要求され、迷わず入力する。

「熊ケ谷さん。パスワードどこから?」

「さっきここに来る途中に久住に確認させた。携帯も含めて、な」

 膨大なメールやデータを熊ケ谷がチェックしている間。

 まつりはベッドの下やタンス、押し入れの中を探る。だが、怪しいものは特に出てこなかった。

「あった」

 熊ケ谷の呟きに思わず振り返る。

 彼の元に近寄って確認する。そこには玲央の元々いた会社名とリルプロジェクトチームという名前、そしてチームの連名が明記されている。プロジェクトリーダーは五条玲央、開発責任者に柚木麻未という名前があった。社外秘と大きく書かれているそれは、間違いなくリルの概要だ。

「これは――」

「誰が見ても重大な証拠に見えるな。少なくとも、繋がっていることにはなる」

 まつりは熊ケ谷も同じ考えなのだ。そう思うとほっとした。

 この部屋は明らかにできすぎている。まるで、まつりたちが踏み込んだときにわかりやすいようにわざとそうしたかのようだ。少なくとも、こんな資料をわざわざ、セキュリティも甘く残しておくとは思えない。マウスもだ。シュガーの実験を、こんな狭いところでやっていたとは思えない。

(黒幕がいる、確実に)

 まつりはあの時のことを思い出していた。麻耶と玲央の接触を初めて目撃し、後をつけたとき。彼女は言っていた。

『佐久真くんに攫われたんでしょう?』

 まるで知り合いのように言う彼女を、まつりは少しだけ危ぶんだ。佐久真が裏で糸を引いているはずだ。まつりは考える。何のために彼がシュガーを作ったのか、なぜ彼女がそれを手伝ったのか。

 肩を叩かれてまつりは、はっとした。見れば熊ケ谷はもう撤収の準備をしている。

「行こう」

「いいんですか?」

「ああ。今はそれだけで十分だ。あとは送検した後だな」

 あっさりと家宅捜索をやめたのは、彼もわかっているからだ。お誂え向きに整えられた部屋で、これ以上調べても何も出てこない。まつりと熊ケ谷は事務所の取調室へ向かった。

 もう少し引っ張りたいが、一度は検察に送検しなければならない。

 まつりは時計を見た。逮捕してから既に四時間近くが経過している。

 早く向かわなければ。そう思ってまつりと熊ケ谷はやや早足で車に向かった。


   *


 玲央と久住に代わり熊ケ谷が取り調べにつく。対面した麻耶は少しだけ疲れているように思えた。

「家にいたマウスは五条に鑑定を頼んだ。おそらくシュガーの反応が出るだろう」

 遠回しでもなく、責めるわけでもなく、ただ事実を伝えた。口調や声、眼差しは、びっくりするほどに優しい。まつりや他の部下にするのと変わらぬ、愛情の籠った瞳だ。

「俺は今回の事件が君一人でやったものだとは思えない。それは追々聞くが。先に教えてくれ。どうして、シュガーに関与した?」

 その声には少しだけ、鋭さが含まれていた。

「姉の復讐のつもりだったわ」

「嘘だな」

 きっぱりと言い切る熊ケ谷に、麻耶はしがみつく。

「嘘じゃない。シュガーを完成させ、厚労省と、姉を見殺しにしたやつらを道連れに」

「もしそうだというのなら――君はどうして、いま、少しも悲しんでいない?」

 その問いかけに、麻耶は驚愕した。

 彼女の大きな目が助けを求めるようにこちらを見る。

「君はこの薬をゲーム感覚で楽しんでいたはずだ。だからこそ、ばれたら困るのに、君は氷田にわざわざ自分が犯人だと教えていた」

 熊ケ谷はそんな彼女に冷たい目を向けた。

「君はゼネラリストになったつもりなだけの、ただの愉快犯だ」

 その一言に彼女は怒りに任せて拳を振り上げる。

 熊ケ谷はそれを軽々よけると、彼女に近づきそっと囁いた。

「君はもう用済みだと、彼らはそう言っている。君は切り捨てられたんだ……全て話してもらう」

 がっくりと精気を失った目で、麻耶は笑っていた。涙が、暗く絶望に堕ちた瞳の中でゆらゆらと揺れている。それは昏い海のような、深い哀しみを引き連れて、底へと沈んでいく。

 最後の涙がその闇に呑まれるまで、まつりは息を殺して見守っていた。


   *


 取り調べ中に玲央が出した鑑定の結果が届いた。マウスからシュガーの成分と思われるものが検出された。麻耶は黒幕に関しては口を開かなかった。

 麻耶の両親は健在だ。もしかしたら、口を割ればそちらに危害が及ぶのかもしれない。そう思い熊ケ谷も手を尽くしてくれたが、無駄骨で終わった。そのまま検察に引き渡すことになった。

 これで、今から少しの間は検察が取り調べることになる。もちろん、そのあとはまた自分たちが引き継ぐとは思うが――それでも、そのぽっかりと空く時間が惜しい。

 沈んだ顔に気付いた熊ケ谷が、元気づけるように笑いかける。

「そんな顔をするな、氷田。この仕事はすぐには成果に結びつかない」

 話し始めた熊ケ谷の横顔を見る。はっきりとした信念を秘めた瞳が、こちらを見つめ返した。

 まつりの杞憂を察してくれたのだろう。

 あのとき。マトリの徽章について話してくれたときと変わらぬ強い輝きに見惚れてしまう。

「見たくはないものも見る、他人の闇にも入り込む。だからこそ、心を強く持て。君まで闇に染まっては、救えるものも救えないぞ」

 軽く手の甲で頭を叩かれた。頑張れと言ってくれているような温かさに、まつりは涙を堪える。

「とにかく、柚木被疑者にブツの受け渡しをしていた奴も、いま久住に追わせている」

 まつりは驚いた。いつそんな時間があったのか。

 司令塔がこの人で良かったと実感する。誰よりも頭がきれて、誰よりも優しい。理想の取締官だ。

(いつか私も追いつけるように頑張ります)

 まつりが気合を入れて自分の頬を叩いたそのとき携帯が鳴った。熊ケ谷が持つ仕事用のものだ。

「ああ、俺だ。いま、被疑者を送検した」

 電話から漏れている声から推測すると、入れ墨男を追っている久住からだ。

「何?」

 熊ケ谷の声が緊迫の色を含む。

「ああ。わかった。すぐに向かう」

 悔しそうに顔を歪める彼を、まつりは見つめる。

 初めてだった。熊ケ谷がこんな顔を見せるのは。彼の全身が怒りで震えている。

「――亡くなっていた」

「え?」

「久住に追わせていたやつが、シュガーの症状で亡くなっていた」

 不甲斐なさを吐き出すように言った熊ケ谷を、呆然と見ていた。

 まつりは拳を握る。犯人を捕まえたら、終わりではない。バックに誰かがいるのはわかりきっていた。

 だが、麻耶を捕まえたこのタイミングで、シュガーでの死人が出るなんて――。

 厚労省をあざ笑うような死の報告に、まつりも熊ケ谷も怒りと歯がゆさでいっぱいになった。

やり切れない思いに耐えながら、まつりは熊ケ谷に言った。

「向かいましょう。熊ケ谷さん」

「……ああ。すまない、少し驚いた」

 それだけ言うと、彼はいつも通りの笑顔の仮面をつけた。

 けれどその腹の底は怒りで煮えたぎっているだろう。まつりも同じくだ。怒りの泉が、まつりの中で湧いてくる。それを何とか押しとどめながら、まつりは熊ケ谷と共に現場へと急いだ。

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