魔王の力
「魔王様!?アンタ何やってんだよ!?」
慌てて駆け寄ってきたジョーゼフが、私を助け起こしてくれつつ叫ぶ。
慌てすぎて魔王様をアンタ呼びしてることに気がついていない、それは如何なものか。
あ、でも私もここに来る前にアンタって言ったかもしれない。何も言えないわ。
しかしどうしたものか、どうにも起き上がれない。
肘鉄一発くらいでこのていたらく。最近兵士育成ばかりで自分を疎かにしていた。鍛え直さなければと思いつつ顔だけを魔王様に向けると、彼はゆっくりと私に目を向け、その紅をスっと細めた。
その表情には、見覚えがある。
あれは、確か引き取られてすぐの事。全然実践的な訓練をさせてもらえず、ムキになってまだ扱えもしない刀を振り回した事があった。結果は火を見るより明らかで、私は足に大怪我を負ってしまった。
まぁ今思えばなんて愚かな真似をしたものか。今もその傷は消えずに残っている。
その時の魔王様の顔。
それまでに見たどの表情よりも恐ろしいと思った。
そう、あれは、怒っている時の顔だ。
これは情けない私に対してだろうか。と思いもしたけれど、どうやらその矛先は違うようで。
私が声を発する前に、魔王様は勇者に視線を戻した。
「………俺の部下が世話になったな?」
「……………俺の仲間の借りを返しただけだけど?」
その言葉が終わるか否か、魔王様の大剣が黒いもやを帯びた。
魔王様はそれをゆっくりと背中から抜き取ると、まっすぐに勇者に向けた。
勇者の背負う大剣の、二回りは大きいだろうそれを、魔王様は軽々と片手で操っていた。
大剣にかかるもやは、ゆっくりと動き、刀身を巡っている。
光の加減により紫色にも見えるそれは、複数の蛇のように刀身を滑り続けている。
「やべぇ………」
その正体を知っている私とジョーゼフはゴクリと生唾を飲み込んだ。
しかし、それを知りもしない勇者は、己も大剣を抜き、笑顔で自ら魔王様に向かっていった。
「それが何なのか知らないけどさぁ……。ここで終わらせてやるよ!!」
素早い勇者の一太刀は、魔王様を引き裂いたかのように見えたけれど。
「甘い」
「!…………マジか」
パリンと音を立てて真っ二つに割れたのは、勇者の大剣だった。
対する魔王様は、一歩も動くことなく、大剣を目の上に掲げただけだった。
そして。
「リド!!腕っ!!」
「?!」
いつの間に切りつけられたのか、勇者の左腕からは、紅が滴っていた。
その傷痕には、魔王様の大剣を巡る黒いモヤが僅かに見て取れた。
勇者は、素早く後方に飛び退くと、割れた大剣を背に戻し、左腕をぐっと握る。
が。
「……?止まんないんだけど」
押さえつけても、そこからは紅が滴り続けていた。
それはそうだろう。
魔王様の大剣を取り巻くあの黒いもや。あれは、魔王様の魔力そのもの。
つまり、人間の身には毒になり、それを纏った刃に切られれば、血は止まらない。それどころか、傷痕から徐々に毒が身体を巡り、そのままでは死に至るだろう。
それにいち早く気がついたのは、蹲っていた魔道士だった。
「リド!やめろ!撤退だ!!」
「こんなとこまできて、目の前に魔王が居るってのに逃げられないでしょ」
「馬鹿いうな!死ぬぞ!」
必死に止める魔術師の声は届かず、勇者は割れた大剣に再び手を伸ばした。
………アイツは馬鹿なのか。
あんなに心配して止めてくれている仲間がいるのに、どうして命を軽んじる様な行動が出来るのか。
その時、過去の自分を馬鹿にされているような気になった。生きることに必死になっていた過去を。
………イライラする。
「チッ!」
盛大な舌打ちが聞こえ、魔道士がフラフラと立ち上がり、手にしていた杖を地面に突き刺した。
「フレッド!ローウェン!!」
叫ぶように彼が呼ぶと、少し離れた場所から、先程蹴り飛ばした小柄な少年が、襲いくる魔族達を交わしながらこちらに走ってきた。
と、いつの間に戻ってきていたのか、二丁拳銃の男が、今にも割れた大剣を抜こうとしていた勇者を癒術師の方へ押し返していた。
ブツブツと何かを唱えていた魔道士が、杖を引き抜き、小柄な少年が戻ってきたのを確認し、再び地面へと突き刺した。
突如、突き刺された場所からは白い光が溢れ、魔道士の周囲にいる勇者一行を取り囲み、次の瞬間、凄まじい爆発を起こした。
その爆発から守るかのように、魔王様が私を支えるジョーゼフの前に立ち、魔力の防御壁を作る。
光が収まったそこには、勇者たちの姿はなかった。
ふん、と鼻を鳴らした魔王様は、大剣を背に戻すと、私を振り返った。
「大事ないか?」
「はい…」
無表情の魔王様というものは、中々威圧的である。
頷いた私とジョーゼフを確認すると、彼はひとつ頷いた。
それを見たジョーゼフが、ハッとして頭を下げる。
「すいません、俺が不甲斐ないばかりに、ジベットが…」
「良い。お前のおかげで生きている。……ジベット、立てるか?」
「はい……、ぅ…」
いつもより不気味な程に静かな声に答え、起き上がろうとするけれど、どれだけ強く拳を打ち込まれたのか、動けば未だ痛み、ふらついてしまう。
「っと、大丈夫か?」
「……ありがとう …」
「………………」
ジョーゼフが支えてくれている中、立ち直すと、ふっと足が地面から離れた。
そして、いつもより高い目線。
これは。
「魔王様!?下ろして下さい!」
「一人で立ち上がれない奴がよく言う」
横抱きにされ抗議するものの、そう言われてしまえば何も言えない。しかし、他でもない魔王様にこんな事させられない!
咄嗟に、情けなくポカンと口を開けている同僚に目配せする。
それに気がついたジョーゼフがオロオロし始め、慌てて立ち上がり、慌てた性で転がりそうになっていた。
何やってるのこの男は…っ!
さっきまで凄く頼りになったのに、こういう時だけ馬鹿みたいに抜けている。
「あ、あの?魔王様、それなら俺が運びますから!」
私へと手を伸ばしたジョーゼフだったけれど、魔王様はゆるゆると首を振った。
え、何で。さすがにたかが側近を運ばせるのはよろしくないんですよ!?私の精神的にもよろしくない。いたたまれない。とても。
「ジョーゼフは他の者に指示を出して、怪我人の救護に当たれ」
そう言うや否や、魔王様は背中から大きな翼を出現させ、空へ舞った。
自分の羽で飛ぶよりも強い空気の抵抗にぐっと目を瞑ると、魔王様に笑われた。
「小さい頃飛んでやった時の方が楽しそうだったな?」
「あれは!……まだ自分で飛べなかったので…」
「では迷惑だったか?」
顔を真っ赤にして告げた私の言葉に、その質問は卑怯じゃないですかね?
言葉に詰まりつつも、もごもごと口を開く。
「………楽しかったのは、事実ですが……」
「ははは!」
私の心中など知らず豪快に笑う魔王様は、私を抱いて大剣を背負って、それだけの重さを気にするでもなく飛び続ける。
さらっとそれをやってのけるのだから、この人の強さは本当に計り知れない。
それなら堂々としてて欲しい。もうやだこの人。
「……………城で待ってろと言ったのですけどね」
「待ってなくて良かったろ?」
先程の怖い顔はどこへやら、今はいつもの明るいどこか抜けた魔王様に戻っていた。
全く威厳のないその姿や前線に出てきてしまったことを説教するべきか、でも。
……魔王様の姿を見た時、妙に安心してしまった。
結局何も言えずに魔王様の胸に顔を埋めると、トントンと背中を叩かれた。
「……自分を大切にしろ。お前は俺の大切な部下なんだからな」
「………善処します」
強い風を受けて、もしかしたら聞こえないかもしれない程の声で呟いたにも関わらず。
魔王様はふっと笑を零していた。






